第3話 過去
ここは、極寒も極寒、冬の国。
人も、動物も、植物でさえ、ひっそりと暮らしている。雪と氷に覆われたこの国は、世界の最北端だった。冬の国より北に行った者は、誰一人としていない。
そんな国に、暮らす少女がひとり。
父母と三人で、雪山の中、暮らしていた。
「お父さん、今日の夕飯はなに?」
少女が玄関先で、父親を出迎える。
「今日はカカクを狩ってきた。洞穴で、こいつが寝ていたんだ」
言って彼は、右腕を上げる。そこには角の生えた、少女の背丈の半分ほどの生き物が、いた。少女はその生き物を迷いもなく抱きかかえると、母親のところへ持って走っていった。父親はその後ろ姿を、幸せそうに眺めた。
「まあ、カカクじゃないの」
奥からの妻の声を聞きながら、彼は衣服の雪を払い、我が家に入っていった。
台所で少女の母親が、カカクを切り、そして煮ている。もくもくと、その家はいい匂いでいっぱいになった。
「カレン、いいかい」
愛娘の名を呼んで、父親は微笑む。
「カカクは、昔はもっと、この森にも沢山いたんだ」
カレンと呼ばれた少女は、ほんとに? と驚いた表情を見せる。
「本当に、沢山いたんだ。それに今よりずっと大きいのだって、いっぱいいたんだぞ」
カレンは目をまんまるにして、父親の話を聞く。
「でも今は、ちょっとしかいない。なぜだか分かるか?」
「わかんない」
「即答だな」
父親は愛娘に苦笑しながら、その顔を愛しそうに見つめ、続ける。
「私たち狩人が、協力して、カカクを大量に狩った年があったんだ。カレンも見ただろう? あのカカクの美しい角、かっこいい胴体」
「うん」
「あれは、狩人を
「…………」
困ったような愛娘の表情を見て、父親は笑う。
「
「…………」
「それで、カカクはすっかりいなくなっちゃった」
カレンはしばらく考え込むようにして、そして問うた。
「……、お父さんも、カカクをたくさん殺したの?」
「殺した……そう、あれは狩りじゃなくて、殺しだった。必要以上に、それも過度すぎるほどの数を、殺した」
「へえ」
娘が、どこか呆けたような顔をしているのを見て、父親はその両頬を手で包む。
「だからカレン。生き物を大切に、そしてお残しはせず、自分についてちゃんと理解して、生きるんだぞ」
「……はーい」
少しカレンには、難しい話だったかもしれない。
「カレンは、きっとカレン自身が思っているよりも強い力を持っているんだ」
カレンは、突然のその言葉に、驚いたように表情を変える。
「だから、自分の力の使い方を間違えるんじゃないぞ」
そう言う父親の目は、どこか寂しげで、どこか儚げだった。しかしカレンは父親の目の色に気づかず、ただ「はーい」と答えるだけだった。
カレンとその父親がそうやって話しているうちに、母親の調理が終わる。
「できたわよー。カレンー! ちょっと手伝って」
カレンが台所に走っていく。居間に残された父親が、その後ろ姿を再び嬉しそうに眺めた。
カレンとその母親が、テーブルにカカクの煮物を並べる。そんなときだった。
ちりりーん。
と、玄関の鈴が鳴った。日が暮れているこんな時間に、誰だろうと父親が玄関に向かう。そこにいたのは、近所の狩猟団の団長さんだった。
「久しぶりだな、カリブ」
「こんな時間に何の用なんだ、団長さん」
カレンの父親は、珍しく狩猟団に入っていない。また勧誘か、とカレンの母親は顔をしかめた。
「カレン、冷めないうちに、私たちでさきに食べておきましょう」
そういいながら、母親は煮物を食べようとしない。結局カレンは一人で、その煮物に口をつけた。
「いい加減、お前も来たらどうだ。明日に、全員でカルビロを狩りいくんだが、どうだ」
「結構だ。カルビロなんて、一人でも狩れるだろう。複数人で行っても、狩りすぎるだけだ」
「まあそう言うと思ってだな、俺たちは考えたんだ」
二人の声が、だんだんと大きくなっていく。カレンはそのせいで、カカクの味がだんだんとわからなくなっていった。
「狩猟数? 前もそんなことを言っていたが、しかしこっそり多く狩っていた奴がいたじゃないか」
「まあ落ち着け。しかしだな、カリブ。お前さんだって最近、金に困っているだろう……?」
カレンの母親の表情もだんだんと険しくなっていく。そんな母親を見ていると、カレンはもう、カカクを食べる気が失せてしまった。
「余計なお世話だ!」
ついにカレンの父親が怒鳴った。
カレンは怖かったし、母親が父親の元に走っていくのも、恐ろしかった。ついさっきやって来た《団長さん》に、恨みすら湧いてしまう。
結局、団長さんは「もうお前さんのことは知らない」と捨て台詞を吐いて、去っていった。
カレンは不味くなったカカクの煮物を残すと、その日は普段よりも早く、寝床についた。カレンの父親も母親も、それを認めた。
カレンは、さっきの記憶がなくなればいい、と思いながら、眠りについた。
その、晩のことだった。
変な
父親と母親が、青ざめた表情で、そこにいた。「放火だ」と父親が呟いた。
それから先は、怒涛だった。両親二人に抱き抱えられて、山を降りたような、登ったような、空は真っ暗だったような、一部真っ赤だったような、雪の地面は走りやすかったような、何度も転けたような。
どうやって火の渦から逃げおおせたのかは、カレンには記憶にない。
ただ、気づいたときには、父親も母親もいなかった。
カレンは山からはなれたことろの村にいて、いつものマントを羽織っていた。そのマントにある、母親がつけてくれた刺繍が、カレンを応援するように輝いていた。
カレンは一人で山を降りて、村についた。その村にはいくつかの家々があって、そこから漏れる光が眩しかった。いつの間にか、カレンが見るその光は滲んでいた。
カレンはその村のはずれに、一人の少年を見つけた。裸足で、寝間着のような姿だった。この少年を放っておくことも考えたが、しかしカレンは父親のある一言を思い出して、この少年と一緒にどこかへ行くことを決めた。
二人は、冬の国から南に出て、春の国を訪れた。国境を越えたときには、寝間着姿だった少年は、ぼろぼろのワンピースを羽織ったような姿で、しかし彼は弱音ひとつ吐かずにカレンについてきた。
カレンは、頬にできた火傷を隠すようにフードで顔を隠し、春の国を歩いた。
ただカレンが不思議に思うのは、カレンのマントに家の全財産の硬貨がはいっていたことで、それを思うとカレンは、どこか寂しい感情に襲われるのだ。
御伽 可憐な花 芹意堂 糸由 @taroshin
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