匿名のあの人
華也(カヤ)
第1話
『匿名のあの人』
著・華也(カヤ)
負の運命って、忘れた頃にまたやってくる。
でも、今回のは話が出来過ぎて、なんか苦笑にしかならない。
事実は小説より奇なりってまさしくその通りだった。
バッテリーの切れた真っ暗なスマホの画面を見てそんな事ばかり思い出す…。
そんなバイトの帰り道。
今年東京で初雪を迎えた。
特に感動は無くなる年齢になった。
交通機関は麻痺するし、バイト行くのもしんどくなるから、できればやめてほしい。
こんな雪で喜ぶのは、学生くらいだと思う。
つい最近まで学生の身分だったくせに、もう大人面してみたり。
就職浪人が無事に終わる事が決定していて、より自分が大人側に立ったと錯覚しているのかもしれない。
世間ではまだ約1ヶ月もあるのに、お店の装飾も、駅前の装飾もクリスマス一色に彩られていた。フライングである。
私はこの風潮嫌いです。
せめて2週間前とかならわかるけど、1ヶ月前にって、フライングも甚だしい。
如何にも、イベントですよ!お祭りですよ!と世間が盛り立てている。
報道番組を謳うエンタメワイドショーも、クリスマスですよ!皆さん!と執拗にうるさい。
とても気持ち悪い感覚。
そもそも、キリストの生誕の日。
正確に言うと、キリストが死んで生き返った再誕の記念日で、日本は微塵も関係ない記念日。
ミサを捧げるわけでもなく、カップルがバカみたいにデートをする日にいつの間にかすり替わっていた。
私が物心ついた時にはそうなっていた。
子供の頃は、クリスマスプレゼントを貰える日という認識でしかなかった。
のちに、クリスマスの本当の意味を知った。日本ってとにかくイベントをやりたがる人種なのね。
その感覚が気持ち悪い。
と、そんなことばかり言うので、
「お前はなんでそんなうがった見方しかできないのか…」
と、前の彼に怒られるわけで…。
いけないいけない。今彼氏いるのに、元彼の事思い出しては。
こう思うことも私自身なので、否定はしないけど、なんでロマンもカケラもないような思考になったかは、なんとなくあの日をきっかけになったのだろうとわかる。
いや、最終的には最近かもしれない。
漫画やドラマのように綺麗な恋愛なんて、本当は存在しなくて、現実は汚く、醜いものであると知ってしまったから。
私の現実は、ロマンの欠片もないものだった。
───────
大学1年生の時に、飲み会があった。
小さい頃に少しピアノをやっていたから、キーボードができた私は軽音サークルに入った。
高校では強制ではないので、帰宅部だったのだが、大学では刺激が欲しくて、少しだけアクティブに動こうと、サークルに入る事にした。
極端な話、普通の生活に刺激が欲しかっただけだから、どのサークルでもよかった。
たまたまビラ配りのチラシを受け取り、「君可愛いね」
「サークル決めた?」
「うちどう?楽しいよ!」
「何楽器できる?」
「キーボード?!是非うちに来て!」
こんな具合に強引に先輩達の勧誘を受けて、なんとなく決めてしまった軽音サークル。
別にバンドがやりたいわけでもなかったけど、音楽を聴くのは好きだったし、確かに楽しそうではあったから決めた。
そこから、私の思い描いていた漫画やドラマのようなキャンパスライフが始まるのかな?という淡い期待もしてなかったと言ったら嘘になる。
でも、現実は私の思ってたよりも汚れていた。
───────
軽音サークルと言っても、全員が全員仲が良いと言うわけでもなさそうだった。
何グループかに分かれていて、それぞれ別の活動をしていた。
定期的にサークル御用達のライブハウスがあり、そこでライブをしているようだった。
軽音サークルと括ってはいるけど、実質3グループほどに分かれていた。
1つはバンドガチ勢のグループ。
本気で音楽をしている、プロになろうとギラギラしている人たち。
曲も自分たちで作詞作曲したオリジナルで、定期的にサークル御用達のライブハウスだけではなく、いろんなライブハウスでライブをこなしている人達。
曲を覚えてなかったり、ミスしたら怒られるような、ちょっと高校の吹奏楽部の空気と似ていると思った。
こっちのグループに属す1年生は、高校でも軽音部で活動してたり、楽器初心者を受け付けない雰囲気が何処かしらあって、1年生の人数も少な目。
でも、今年は有望なベースとドラムが入ったと先輩達が喜んでたのを聞いた。
音楽は聴くけど、楽器単体をそこまで気にして聴いてないから、ベースとドラムがどれほど重要かわかってない私だけど、その私と同じ1年の技術の高さはなんとなくわかる。
あんなに弾けたり叩けたりしたら楽しいんだろうなぁと人ごとのように思った。
そして2つ目のグループは既存曲のコピーをする、あくまで趣味として音楽活動するゆるふわグループである。
好きな曲を出し合って、コピーする曲を決め、メンバーでパート分けをしてコピーして演奏する。
有名どころや最近の曲が主なので、一番入りやすいし、初心者にもとても優しい。
ライブは、サークル御用達のライブハウスで、サークル企画ライブの時にしか出ない、あくまで音楽が好きで、楽器も好きな人達のグループ。
ガチ勢グループの人達と違い、少しミスをしても、笑ってくれる、とても心地良い場所だと思う。
私はこのグループに属していた。
楽しそうだったし、キーボードというあまり居ないパートの為、重宝されて、ちょっと優越感もあった。
先輩も優しい人達ばかりで楽しかった。
このサークルに入ってよかったと思えるほどに。
3つ目は、完全に飲みサーのノリのグループ。
流行りの音楽ばかり聴き、楽器もあまりできない。ボーカルがとにかく多い。
ほとんど飲み会ばかりしている、ウェーイ系グループ。
一番嫌いで、一番関わりたくない。
女の私に対して距離が近く、とても嫌だ。
そんな大きく分けて3つのグループがうまい具合な距離を保ちつつ、この軽音サークルは存続している。
そして、新入生歓迎会と言う名の飲み会が開かれる事になった。
これが私の人生の分岐点だったのかもしれません。
───────
大学のサークルの飲み会というのは、法律的にはアウトな未成年の飲酒も、自分達が法律だと言わんばかりに先輩が後輩に飲ませるというのが定番になっているみたいで、年齢確認の緩い居酒屋を選んで、そこで歓迎会なる飲み会を開催されることになった。
費用は1人飲んでも飲まなくても3千円。
本当に1人3千円なのか疑問もあるけど、先に幹事の先輩に渡して、席に着く。
幹事の先輩は、ここが俺の独壇場だと言わんばかりに仕切る飲みグループの人である。
他のみんなもアルコールが入ってるのか入ってないのかもうわからないくらいぐちゃぐちゃになりながら飲んで騒ぐ。
そんな空気が好きなグループと、嫌いなグループに自ずと別れていく。
飲み会では、騒がしいグループと静かなグループの2つに別れた。
普段は大人しい人も、アルコールが入った途端にスイッチが入ったのか、飲みグループの先輩達と同じように騒いでいる。正直うるさいし、他のお客さんに迷惑。
店員さんも裏で舌打ちしてるに違いない。私だったらしてるね。
私は賑やかなのは好きだけど、うるさいのは嫌いだから、静かなグループにエスケープして、お酒を飲んでる先輩達をよそに、ジンジャエールを飲んでいる。
お酒は、一応未成年なので飲みたくないし、先輩からビールを一口貰ったけど、どうやら私にはお酒は不向きなのがわかった。
そんな、騒がしい一団も、飲み過ぎて体調を崩す人や、寝てしまう人、もう死屍累々。
静かなグループは最初は音楽の話をしていたけど、次第に全く関係ない、経験人数の話や下ネタの話になる。
静かなグループの先輩達も、お酒を飲んでいるので、もうなんでもありの状態。
先輩に経験人数を聞かれて、どう答えたら正解なのかわからなかったので、適当に「2人です」と返して「マジかあ!俺は4人〜!」といつも真面目で大人しい先輩が自慢気に話してくる。
すみません。本当は0人です。
そんな淡い青春時代を過ごしてきたわけではないので、少し盛りました。
だって、私の読んでる漫画では、高校生になったら、告白されると思ってたのですけど、全くされませんでした。
どこかで告白されるかもしれないと思い、ドキドキワクワクしてたら、いつのまにか3年過ぎてました。
おかしいな。こんな予定ではなかったんだけど、私の読んでいる漫画が悪かったのかな?
あと、テレビで見たけど、飲みの席で話す経験人数って、ほとんど盛っているって話が本当だと、私が実証してしまったわけなのですが、もしかして先輩も4人って言ってたけど、盛ってます?
なんて事を思いながら、潰れていく先輩や同級生を眺めながら、相変わらずジンジャエールを飲んでいると、騒がしいグループの先輩が絡んできた。
「よおー新入生だったよね〜?名前なんだっけ?飲んでるー?」
そう言って、おそらくというか絶対アルコールが入ったグラスを持って私の隣に座ってきた。
「1年の◯◯です。いえ、未成年なのでジュースを…」
(嫌な先輩が来たなあ)
そんな事を思いながらも、話をどうにか合わせていると
「◯◯ちゃんね!つか、これジンジャエールじゃん!お酒飲めよ!」
と勝手に私のグラスジンジャエールを飲む。私は許可してないし、間接キス嫌だから、先輩が口にしたところを反対になるようにさり気なくグラスを回す。
「すみません。お酒あまり美味しくなかったので…」
「おお!なら、これ飲んでみ!飲みやすいから!」
そう言って、別のテーブルの誰かの飲みかけのグラスを差し出して来た。
私はやんわり断ったけど、あまりにもしつこいので、少し口をつけると
「あ…美味しい」
「だろお!飲めない奴は、こういうカクテル系が飲みやすいらしいな!ジュースとそう変わらないだろ?」
なんであなたがそんなにドヤ顔なのかはわからないけど、確かにジュースみたいで美味しい。
オレンジジュースとなんかピーチっぽい味のするカクテル。
少し気になり、「これなんですか?」と聞くと、ニヤリと笑って
「レゲエパンチって言うピーチとオレンジのカクテルだー!どう?気に入った?頼もうぜ!」
そう言うと、先輩は店員を呼び、「レゲパンとハイボール」と慣れた感じで注文した。
レゲパン?ああ、レゲエパンチの略称なのか。初めてのことだらけ。少し新鮮かも。
そんなこんなで、先輩にのせられてアルコールを本格的に飲んでしまった。
実は自分が本当にお酒がダメな体質だったと知ったのは、その後だった。
───────
私は自分が思ってたよりも酔っ払っていて、自分で歩くのも困難になっていた。
断片的に覚えている。
ああ。私はバカだ。こういう事だってあるかもしれないからって注意してたつもりだったのに。馬鹿だ。
私は気付いた時には、その私にお酒を飲ました先輩の部屋のベッドにいた。
隣には先輩が寝ていた。
私と先輩は裸だった。
ズキン
頭が痛い。これが二日酔いってやつなのかな?
ズキッ
これは…頭じゃない…
少しずつボヤけた視界も思考も鮮明になっていく…。
ああ、そうか。そうか。
こういう時だけは漫画やドラマみたいな事って本当にあるんだという考えに達する。
私は先輩としたんだ。
その瞬間、昨夜のアルコールの気持ち悪さと、別の気持ち悪さが同時に込み上げて来て、トイレを探して吐いた。
知らない部屋でも、大体トイレの位置というのはこの辺だっていうのがわかる。
これでもかというほど吐いた。
後半はお酒じゃない。
好きでもない人に、初めてを取られたという事に対しての嫌悪感と、先輩に対する嫌悪感と、自分の軽率な行動への嫌悪感で気持ち悪くなり吐いた。
そして、涙が止まらなかった。
涙なんて、感動する映画を見た時や、高校の卒業式以来。
いや、この涙は違う。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い
私は服を着て、荷物であろうものを、カバンに詰め込み、逃げるように先輩の部屋を出た。
───────
家に帰り、部屋に駆け込んだ。
まだ涙が止まらなかった。
好きでもない、むしろ苦手で嫌っていた人に初めてを取られた。
初めてって、もっとこう甘酸っぱい思い出になるようなものだって、ドラマでも漫画でも言ってたのに、なんで私だけ…。
気をつけてたのに。
なんで?なんで?なんで?なんで?
どう後悔しても、もう戻らない。
私はそれ以降、サークルに顔を出すことはなくなった。
出せるわけがない。
同級生には「どうしたの?」というLINEが届くが、答えれるはずはない。
こんなこと、1人にでも知られたら終わりだ。
当の先輩本人から言い訳みたいなLINEが届いてたけど、プロックした。
何を言われても、謝罪をされようとも、もう話す事はない。顔を見たら、吐きそうになってしまうのだから。
こんな事中学や高校時代の友人にも相談できない。勿論親にもだ。
彼氏と別れたとかなら、すぐに泣きついていただろう。
でも、こんなの人生の汚点でしかない。先輩の事も許せないが、自分自身が許せない。
私は次第に大学へ足を運ぶことすらできなくなっていた。
自分を知る人がいる。もしかしたら噂が広まっているかもしれない。
そんな疑心暗鬼に包まれていた。
更に、男性恐怖症になってしまった。
程度はわからないけど、男の人が怖くて仕方なかった。
大学生活はアクティブに動こうという思いはどこかへと消え、自室に引きこもりがちになることが増えた。
匿名。全く違う名前で作っておいたTwitterアカウントが、私の唯一の居場所となっていた。
詳細を書くと特定されると思い、濁した感じで
[嫌な事があった]
[学校に行きたくない]
[もう嫌だ]
そんな、どこにもぶつけようもない怒りと悲しみが詰まった短い呟き。
でも、不思議と死のうとは思わなかった。
あの人のせいで死ぬのはおかしい。
私が悪いわけではない。
そこだけは冷静でよかったと、自分自身の思考に安心した。
だが、ネガティブな事に変わりはない。
[知り合いからLINEが届く]
[返信する気になれない]
[漫画やドラマみたいな事って、嫌な方だけは現実でも起きるんだね]
そんなネガティブな事ばかり発信していた。
フォロワーもほとんどいない、元々なんとなくの裏垢として使っていたのだから、当たり前。
時々、思い出したように、ちょっとしたことや、愚痴を呟くだけ。
そんな中、TwitterのDM通知が"1"になっていた。
部屋では漫画を読むわけでも、アニメを見るわけでも、映画を、ドラマを見るわけでもない。
やる事がない。やる気が起きない。気力なんてない。
だから、なんとなくDMを開いた。
相手は最近フォローしてくれたフォロワーさんだった。
『なんかあったんですか?大丈夫…ではないですよね。なんかあったのなら相談乗りますよ。気が向いたらでいいので、お返事待ってます』
───────
私は1週間後にようやく返事を送れた。
プロフィールを見る限り、なんとなく男性というのがわかる。
でも、会ったことのない赤の他人だからこそ、話せると思った。
『実は学校で嫌な事があって…。ほとんど引きこもり状態になってしまいました。』
『そうですか…』
『あと、男性恐怖症になってしまいました。男の人が怖くて話せません』
『あの…私は男ですが、大丈夫でしょうか?』
『なんか-さんは大丈夫です…。顔が見えないからとか、知らない人だからってのもありますし、平気です…』
『そうですか。とりあえず、詳しくは聞きませんが、私がリハビリ相手になりますので、じゃんじゃん愚痴ってください!』
『ありがとうございます…(泣』
そんなやり取りをした。
私はこの時、この顔も知らぬ、素性の知らない人に救われたんだ。
そして、なんでもないやり取りを行うようになっていた。
『おはようございます。』
『おはようございます!』
『今日は気晴らしに、漫画を読み漁ろうと思います。』
『漫画読めるようになったんですね!よかったです!何読む予定ですか?』
『何もしないと、嫌な事ばっかり考えてしまうので、頑張って気晴らししてみます。"君と僕。"という漫画知ってますか?』
『君僕!知ってますよ!』
『好きな漫画なので、読み返そうかなと思います。』
『あの赤い髪の男の子可愛いですよね!』
『あれ?-さん男性ですよね?』
『はい!でも、あの子は男でもいけます!笑』
『ギャー!変態だー!』
『ギャー!バレたー!』
『笑』
『ww』
こんなやり取り。あの日のDMからずっとこんな調子でバカ話に付き合ってもらっていた。
とても安心できる人。優しい。
ちょっとふざけたりしてるけど、私のことを少しでも元気づけようとしてくれてるのかな?そうだったら嬉しいな。
───────
あの日から早くも2ヶ月が過ぎていた。
『今日、勇気を出して大学行って来ました』
『おっ!どうでしたか?』
『行くまでは怖くて、気持ち悪くなってしまいましたが、どうにか行けて、久々に同級生とも話せました。』
『頑張ったね!』
『はい!友達と会った時、すっごい心配したんだからと泣かれました。私も泣いてしまいました。』
『そうでしたか。でも良い友達ですね』
『はい。男性恐怖症も-さんのおかけで少しマシになって、授業にも出れました!』
『うおお!!むっちゃ頑張ったじゃないですか!いやいや、私は何もしてませんよ。お話ししてただけですし!』
『単位結構落としてしまいましたが、今から頑張ればどうにかなるかもしれません』
『◯さんならきっと頑張れます!応援しますよ!また愚痴りたくなったらいらっしゃいな!』
『ありがとうございます!少しずつですが、頑張ってみます!』
『頑張れ!ファイト!』
『うん!』
少しずつ、過去は過去になり、私は時間を取り戻すように頑張り始めた。
今日はどんな報告をしよう?
-さんとのDMのやり取りも相変わらず続いている。
決して、向こうは一回合わない?なんてことは言わず、あくまでSNS上の友人として接してくれた。
それが嬉しくて、私の頑張る糧になった。
私は前の私を完全に取り戻し、順風満帆な大学生活を送ることができた。
勿論、サークルは辞めた。
引きこもって立ち直るまで、本を読む事が多かったので、漫画ではなく、活字の本にも興味が出たので、文学サークルというのを友人に勧められて入った。
とても優しく、ユニークな先輩たち。
飲みに行くこともなく、好きな本を各々部室として使っている部屋で読むだけ。
この本が面白いよ!
この本読んだ?
図書館に遠征だ!
書店巡りの旅だ!
みんなで短編小説集作ろうよ!
そんな内気でオタクだけど、ちょっとおバカな先輩達との平和なサークル活動ができた。
このサークルでの思い出は、過去の嫌な思い出を塗り潰してくれるほど、優しい時間だった。
そして、私は無事に大学を卒業する事になった。
───────
私は大学は無事に卒業できた。
大切な大切な、私を支えてくれた愛する文芸サークルを後輩に託して、惜しまれつつも部室を去った。
でも、就職活動には失敗して、就職浪人する事にした。
文学サークル活動の影響で、どうしても出版社で働きたいと想いがあったからだ。
なかなか倍率が高くて、今回は全滅。
中小出版社にも目を向けるべきだった。
大手しか受けてなかったことを後悔しつつ、次に向けて準備。
友人達や元文学サークルの先輩達にも、大手はわからないけど、中小出版社は人足りてないらしいからいけると思うよ。まあ、それなりに大変だろうけどね(苦笑)
と言ってもらえたし、更に頑張る気が増した気がした。
そして、あの人にも伝えないと
『-さん、こんばんは』
『◯さん、こんばんは〜』
『私結局、就職浪人する事になりました』
『そうですか…』
『でも、そんな悲観してないですよ!やっぱり出版社で働きたいので、それまでバイトしながらまた挑戦するつもりです!』
『ならよかったです!◯さんならきっと大丈夫です!』
『ありがとうございます!そういえば-さん、なんか嫌な事あったって呟いてましたけど、何かあったんですか?』
『あー、あれね(苦笑)ちょっとプライベートで嫌な事があってね』
『相談乗りますよ?』
『うーん…。正確には私が嫌な事があったわけじゃなくて、昔の自分に自己嫌悪って感じで(苦笑)』
『自己嫌悪?なんか悪いことしたんですか?』
『んー…そうかもね。あんまり思い出したくなくて、忘れかけてたんだけど、ちょっと夢に出て来てね』
『-さんもトラウマみたいなことあったんですね…』
『いやあ、私はどっちかというと嫌な思いをさせちゃった方だから、そんなトラウマとかじゃないけどね』
『そうなんですね…。でもそれを反省してるのであれば、もう忘れていいんじゃないんですか?私は昔の事は忘れましたよ?』
『ありがと…。◯さんにそう言われると…救われるよ…』
『はい!』
そんなやり取りをした後、いつものように『ではおやすみなさい』と送って、私は就寝の準備をする。
確かに私も嫌な過去というものがあった。
傷は塞がったけど、見えぬ傷口は残っている。
みんな何かしら、見えない傷を抱えて生きているのかな…。
深く考えると、マイナスな方に向かいそうだったので、さっさと部屋の電気を消して、少しだけネットニュースを見てから寝た。
───────
卒業から1ヶ月後、私はバイトをしながら、出版社への就職対策として、元文芸サークルの先輩達や同期から情報をできるだけ収集するという日々を過ごしていた。
-さんとのDMのやり取りも次第に減って1週間に1回のペースになっていった。
自然な事だと思う。
あのアカウントは所謂裏アカというやつで、今は使っても本アカしか基本は使用しない。
エスケープのために使っていたのだから。アカウントを切り替えるのも面倒だし、友人や先輩達は本アカの方をフォローしてくれているので、どうしてもね。
それに時間もだいぶ無くなっていた。
バイトに就職対策にあとは日課の読書をするだけで、24時間という1日があっという間に流れていく。
忙しい事は悪い事じゃない。
今頑張らないと、あとで後悔するから、後悔したくないから、やれるだけのことをしておきたい。
自然な思考だと思う。
時々やっぱり話したくなる。
本当の名前も顔も知ら…ないけど。
私はTwitterを起動してアカウントを切り替えた。
───────
『こんばんは』
『こんばんは〜』
『忙しくてDMできなくてすみません(苦笑)』
『いえいえ。今就活で忙しいんですよね?DMなんて義務じゃないですから大丈夫ですよ〜』
『アカウントの切り替えが面倒で(笑』
『あー、わかります。私も本アカの方にいる事が多いので』
『そういえば、こっちは裏アカって言ってましたよね。大人になるにつれて使わなくなってくるんですかね』
『多分そうだと思いますよ。現に私達がそうなってますからね(笑』
『ですね(笑』
…………。
ずっとずっと胸にあった事を言ってみようと思って今日は連絡してみた。
『あの-さん。よかったらLINE教えて貰えませんか?TwitterのDMだと少し手間ですし、お喋りし易くなるし』
『え?LINEですか?それはしない方がいいんじゃないですかね(苦笑』
『…どうしてですか?』
『この距離感が丁度いいと思うんですよ。LINEだと近過ぎるかなって(苦笑』
『別に会おうとか、電話したいとかじゃなくて、やってる事はこのDMと変わりませんよ?』
『うーん。でもLINEは本名が出ちゃいますからね(苦笑』
『そしたら、追加したあと編集で名前を-さんに変えますよ』
『せっかく良いお友達でいるのですから、このままでいましょ!ね!』
『大丈夫ですよ!男女の仲になるわけではないですから。私も彼氏いますし、-さんも彼女いましたよね?』
『いや、いますけど…ねえ。お互いの恋人に悪いじゃないですか。異性とSNSとはいえこんなに話してたら(汗』
少しだけ気になっていた。
『えー…。じゃあ私のQR置いておくので、気が向いたら追加しておいてください。じゃあ今日はおやすみなさい』
『おやすみなさい…』
それ以来、-さんからのLINEの追加も、TwitterのDMも何もアクションは無かった。
───────
-さんとのDMから1ヶ月が過ぎた。
私も自分の事で忙しく、そこまで手が回ってなかったってのもあるから、これ以上の催促は良くないと、少し様子を見ることにしていた。
なんでLINE追加しないのか?
年齢を偽っている
本当は女で私が男だったら嫌だから
色々考えみたけど、答えは出ず、少しモヤモヤする。
久々にTwitterを開き、アカウント切り替える。
DM通知が"1"になっていた。開くと
『すみません。うまく読み込めなかったので、私のを読み込んでください』
そう書いてあり、QRコードが添付されていた。
送られてきた日付は3日前だった。
そしてその下に、
"今後、この方にダイレクトメッセージを送ることはできません。詳細は こちら"
と書いてあった。
頭の中でどこかそうなのではないだろうかという予感はあった。
でも、それは奇跡に等しい、悪魔のような可能性。
私はQRコードを保存して、LINEアプリを起動して読み込んだ。
…そこには人間は知らずとも良いことの方が多い。
知らなければ幸せに生きていけるという事そのものがあった。
私がQRコードを読み込んだ相手。
私の事をTwitterの裏アカのDMで救って、支えになってくれた-さんは…
軽音サークルのあの先輩だった
───────
あれから数ヶ月は過ぎ、東京に初雪が降る季節になった。
私はTwitterの裏アカを削除し、結局QRコードを読み込みはしたものの、追加をする事はなかった。
私をドン底に突き落としてた人と、引き上げてくれた人は同じ人物だった。
だから、それを知っていたから、LINE交換を頑なに拒んだのか。
不思議と恨むという気持ちはなかった。
ただ、こういう事ってあるんだなあと、なんか悲しくなってしまった。
事実は小説より奇なり…。
いや、可能性自体はあったんだ。
私はスマホにロックをかけてないので、見ればTwitterのアカウントを知る事はできる。
あの日、あの人は私のスマホを覗いたのだろう。Twitterのアカウントが2つある事を知ったのだろう。
それでフォローをして、ツイートを見てDMを送ったのだろう。
何故?と考えた。
あの人は自分が加害者である事をわかっていた。本当のDQNならそこに罪さえ感じない。
でも、あの人は感じてしまった。己の罪を。
それを償う術は、直接会うということで解決できることじゃないと悟っていた。
現に私は連絡を絶って、大学も休んでいた。
これはあの人なりの罪滅ぼしだったのかな…。
外で息を吐く。
白い吐息は宙を舞い最初から無かったかのように消えた。
私にとって、あの人の存在は、今吐いて消えた白い吐息のように消えていた。
-さんと名乗ったあの人の存在も、同じく宙を舞い、そして最初から無かったかのように消えていった。
消えはしたものの、息を吐いたという事実は消えない…。
私を苦しめた人は、私を救ってくれた人だった。
END
匿名のあの人 華也(カヤ) @kaya_666
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