ある青年の死

大家一元

 きっかけは、実に些細なことだった。

 ホームの端のベンチで、いつも鼻歌を唄っていた彼女。可愛い子だった。病的に色白で、痩せていて、異様に小柄で、肌荒れが酷いことも含めて、完璧と言って良かった。

「メンヘラが好む」ともっぱら言われる、ゴスロリファッションに身を包んでいた。


 直感で分かった。あぁ、この子は自殺を考えているんだなぁ、と。


 僕は職業訓練校に通っていて、やりたくもない電気設備の勉強をしているフリをし、資格取得ができるだろうかと、頭を悩ませるフリをして生きていた。


 職もなく、何をやる気もない。だからと言って死ぬ気はなかった。彼女が自殺など考える理由が僕には皆目見当がつかなかった。


「何歌ってんの」、とつい、口を突いて出た。彼女は答えた。「自分で作った歌です」。これが、僕と彼女の最初の会話だった。

 僕は彼女の歌に興味など別になかったので、そのまま話題を移した。「いつもいるね」、と言った。彼女は「はい」とだけ言い黙り込んだと思ったら、視線を逸らしたまま言葉を続けてきた。


「あなたも、いつもいますよね」と。僕は何となく、僕が彼女を一方的に認識しているだけで、彼女は僕のことなど見えていないと思っていたので、ちょっと嬉しくなって勢いそのまま、彼女の隣に腰掛けた。


 彼女は驚いたことに、僕の肩に頭を乗せてきた。髪も荒れていた。甘ったるい香水の匂いがする。動揺は全く起こらなかった。


 僕は、「君、死のうとしてんでしょ」と言ってみた。こんなに自分の聞きたいことを素直に聞ける相手は生まれてこの方、一人もいなかった。親も含めて。彼女はあっさり、「はい」と答えた。


「君みたいな子、構ってくれる奴いっぱいいそうだけどね。可愛い女の子の自殺って割と多いんだよなぁ。何でなんだろう……」

 まるで独り言のように、日毎気になっていることを言葉にして彼女にぶつける。

「嫌な部分とか、人間らしい部分とか、付き合ってく内に見えてくるんですよ」と彼女は言った。なるほどなぁ、と思った。


 それからはもう、お互いにスラスラと言いたいことを好き放題に言い合う。


「私とあなたの関係も、多分今がベストですよ」

「まだ名乗ってもないのに?」


「名乗らないでください」

「どうして?」


「私、あなたにはあんまり複雑な名前であってほしくないの」

「あぁ、なるほどねぇ。分かるなぁ。好きなタイプの女の子がいて、その子の名前がイメージと違ったらさ、裏切られた気になるんだ。君は、それをちゃんと頭に入れておけるんだね。偉いなぁ」


 話せば話すほど、僕は彼女が好きになった。


「ねぇ、お兄さん」

「なんだい」

「一緒に死のうよ。今から」

「うん、いいよ」


 きっとそれが一番いい、と思った。お互いにタメ口になったこのタイミング。

 僕が一番欲しい言葉を次々と言い当てるこの子は、天使か何かかと思った。


 通過列車が中々来ない。これ以上会話したくない。お互いを知らない。一番いいタイミングで死にたい。神様どうか、その機会を僕らから奪わないでおくれよ。

 無表情のままに、肩に頭を乗せた名前も知らない彼女の甘い香りに心を少しばかり安らがせ、それでいて必死になって祈った。


 そして遂に、その時はやって来た。乾いた風が吹く。雨上がりの、夕がかった空気が僕らに最後を告げる。僕らが住む町の、遥か遠くへ直通で辿り着く急ぎ足の電車の汽笛が、右手遠くから聞こえて来た。さぁ、行こう……僕と彼女は互いの手を同時に引いた。

 互いの逸る気持ち、共鳴する想いに心を救われ、顔を見合わせて微笑み合った。


 と、背中にドンッ、と衝撃を感じた。誰かに両手で押されたようだ。スローモーションになった景色の中、おいおい、これから死のうって奴を、わざわざ自分で殺したことにしたい奴がいるのか、なんて面白おかしく考えながら、彼女と共に線路に身を落としながら振り返った。


 突き飛ばしたのは、僕と同い年ぐらいの若い男。彼女の目が見開かれるのが見えた。どうやら彼は知った仲らしい。対する彼の目に見えたのは、彼女への愛と、僕への憎悪。

 なるほど彼は、ずっと想っていた彼女の最期を共にするのが自分でないこと、それも今ここで会ったばかりの、自分と同世代の僕であることが余程気に入らなかったらしい。


 警笛が真横に響いた。死はすぐそこにある。見知らぬ女と手を繋いで、見知らぬ男のこの先をぼんやりと想いながら、僕は死んだ。


 よく分からない一生だったなぁ、と僕は思った。

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ある青年の死 大家一元 @ichigen

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