モンスターへ乾杯!
蜜柑桜
モンスターへ乾杯!
海から遠く離れ、山ばかりが連なる内陸のとある土地。
その中で一際美しく緑たたえた山がある。
その麓には、小さいけれど平和で活気ある街があった。
旅人がひっきりなしに訪れる街である。
この街に伝わる、あるものを求めて……。
朝日が山の稜線に顔を出すころ、ココロは目を覚ます。
ベッドから跳ね起きて外に出る。
まだ空は白んでまもなく、吐く息が白い。キーンと張った空気が気持ち良い。
天空に残る月を見上げて伸びをする。
秋の一日の始まりだ。
ココロの家は小料理屋だ。小さな街の真ん中より少し山寄り、教会と市場の間の脇道、車は通らない静かな片隅に立つ、赤煉瓦の屋根が目印。
ガラス窓のついた白い扉を開ければ、中には赤煉瓦に似合う赤チェックのテーブルクロスが掛けられた机が六つ。
机と椅子を拭き、カップを磨くところから、ココロの一日が始まる。
父は朝早くから仕込みで起き出し、厨房からはもうイーストが発酵する独特な香りがする。母は市場へ買い出し。その証拠にほら、買い物籠がない。でも机の上にはちゃあんとココロの朝食。昨日の残りのパンがミルクがゆになって待っている。父がリズミカルに動かす包丁の音を聞きながら、ふうふう熱いミルクがゆを冷まして食べる。
ココロのうちの店はなかなかの評判。街の人も昼休憩にやってくるし、旅人もどこから聞きつけたのか、毎日ひと組ふた組とやってくる。
客が増えると厨房で石窯が爆ぜる音が大きくなる。焼きたてのパン、肉のグリル、野菜のグラタン……寒い山間の街で、人々の冷えた身体をココロの父の料理が温める。給仕するココロの明るい声も、人気を呼ぶ理由の一つだった。
「ココロちゃん、今日もご案内、頼めるかしら?」
昼過ぎ。隣の隣の隣に立つ旅館の若女将がやってくる。
「もちろん喜んで! お客さんはおひとり? おふたり?」
実はココロにはココロだけの仕事があった。それは、この土地、周りを囲む山の自慢を旅人に見てもらうこと。もう歳の両親に代わって、若くて体力のある元気いっぱいのココロがやるのだ。
「ココロやれるか?」
聞かれたココロの答えは一つ。
「もちろん、任せて」
若女将に連れられて入ってきたのは若い女性。動きやすそうな上着にズボン、運動靴は年季が入っている。お連れ様はいないひとり旅。自然に癒されたくてやってきたという。
「この土地の珍しい噂を聞いてきたんです。やっぱり、旅だから珍しいものなら是非体験しなきゃって……あの、モンスター案内があるって聞いて」
また今日も、好奇心旺盛な旅の人がやってきた。
「はい、喜んでご案内します! お姉さん、夜まで待ってくださいね。それまで街を案内しますよ!」
お昼にお店を手伝って、昼過ぎになって弾む会話で街の見どころを案内する。古い教会、伝説のある井戸、美味しい菓子屋、笑顔弾むココロの案内は、旅人の心も癒していく。
そして夜。
「じゃあ行きましょうか。けっこう山を登りますよ」
「嬉しい。私、モンスターなんて見たことないもの」
ドキドキと期待を膨らませる旅人を連れて、周りで一際美しく、頂上に美しい小屋が立つ小山へ案内する。
薄暗い山道を転ばないよう、灯をともして登っていき、目的地まで案内する。ほら、ね。見えるでしょう。
若い旅の女性は、案内を頼んだものを一目見るや、驚きで息を呑んだ。
「うわ…私、こんなもの初めて見たわ……」
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朝の鐘が鳴る。そろそろ起きなきゃ。今日も雲ひとつなし、いい天気。
また一つ、朝焼けの中で伸びをして、ココロの一日が始まった。
「ココロいる? お父さんの知り合いがね、案内頼んでるの」
遊び仲間の女の子が、お昼過ぎに訪ねてきた。よろしくお願いします、と入ってきたのは小さな子供連れの家族。子供が期待で瞳を輝かせて、ココロの方を見上げていた。
「この子に、小さいうちに、貴重なものは見せてあげたいんです。評判のモンスターを」
「分かりました! 小さな子は山道、疲れちゃうかも……大丈夫?」
子供は被っていた帽子をぐいっとあげて、得意そうに指を二本立てて突き出した。
子供連れなら登山も時間がかかる。夕方、日暮れ頃に麓を出発する。歌を歌いながら、山の木々の間から街並みを説明しながら、ココロは旅人を案内する。
「さあ気をつけて。もうすぐ着くから、ゆっくり、慎重にね」
見たいものを見せてあげるには、然るべき時間に間に合わないと見損なってしまう。
子供はもちろん両親も、幼子のようにきょろきょろ辺りを見ながら登っていく。
そして目的地に辿り着くと、三人揃って目を瞬き、うわぁっと叫び声を上げた。
「これは、思ってもみなかった……」
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「おじさん、俺、何だか分からなくなって」
次の日。店の端の席でチーズを乗せた、釜から出たばかりのパンをつまみに、昼から酒のグラスを傾け、若い男性が愚痴を漏らす。
「仕事も真面目にやってるし、それなりにやりがいもあるんだ。でも、自分のしたいことってこれかなって。こんな都会にいるだけでいいのかって分かんなくて」
休暇取ってふらっと来ちゃったよ、気の向くままさ。
グラスの酒を揺らしながら、誰に言うともなくぼんやりと、空を見ながら溢れる言葉。
この地方、いやこの国の人では無いのだろう。発音に少しズレがある。
「そしたらさ、この街でモンスターが見られるって言うじゃん。そしたら、この店来たら案内してくれるって言うじゃん」
ココロはキュッキュッとグラスを拭きながら、青年の話を聞いていた。父は料理の手を止めずに、おざなりではなく言葉に耳を傾け、相槌を打っていた。
「それも、俺今日、誕生日なんだよね。。なのに一人で、虚しくてさ。呑み込まれても、良いかなって」
うーん、とココロは唸った。
確かに、呑み込まれそうかも。
「そりゃぁ、何か刺激が欲しいな」
父が器用にフライパンを操り、肉をひっくり返す。
「今日は道行きにも、日も良いんじゃないかねえ」
母が宥めるように青年の前に水を出す。そして二人、口を合わせた。
「ココロ」
深く深く、頷いた。
陽が沈む頃、ココロは青年と家を出た。青年を誘い、山道に入る。枝と枯れ葉を踏みしめ、暗くなり始めた林の中を行く。ランプの炎がほんのりと辺りを照らす。ココロが前を行き、つまづきそうなところ、青年の足元を照らしてやる。
岩の剝き出た地面を超え、渓谷にかかる吊り橋を渡り、時には細い枝を掻き分けて、鬱蒼とした山道を進む。
「なあ、どこまで行くんだ」
後ろから歩む青年の声は、慣れない山道で少し息が上がっている。
「まだもう少し。もっと上だよ」
「やっぱりモンスターってのは、人里離れた奥地にいるものなのか」
「うん。街に近いとなかなかね」
木々が風でざわめく。鳥の鳴き声が頭上から不気味に聞こえ、遠くで野犬かなにかが遠吠えを上げている。
もうとっぷりと日は暮れ、森の中からは街の灯も見えず、ランプの周りしか明かりがない。
疲れを見せる青年を励まし、一歩一歩と山の中を進む。ココロも背中に背負った荷物が重い。カタカタと荷物が揺れて鳴る音に、時々青年はびくりと震えた。
真横に伸びた大木が目の前に見えてきた。もうすぐ到着だ。
「ここをくぐれば、見えるよ」
青年を前に押し出し、木の枝の下をくぐらせる。
「うわ……すごい……」
くぐり抜けた先で空を見上げて、青年は吐息を漏らした。
木々のない開けた小山の頂上、頭上を覆う満天の星空。麓からは黒く見えるそれは、ここでは銀色に輝いている。その中に時に赤く、時に青く、あちらは金、こちらは銅と、鮮やかにきらめく星々。そして真上にこうこうと輝く白い月。
遠く、ずっと遠くに見える街の小さな明かりは、あたたかく、懐かしい。
風が吹き、足元の草をさぁっと揺らす。それ以外に何の音もしない、銀色の世界。
「これは、すごいなんてもんじゃないな」
上を見たまま、青年は立ち尽くしていた。
ね、とココロは笑う。
「ゴールだよ。この街の宝物だよ」
すると青年は、あれ、と初めて顔を空から離す。
「モンスターは……」
「うん。ここの言葉では『星の山』って名前だよ。なんだか外国では色々混ざって、『
呑み込まれちゃうくらいの星空でしょ。にこにこ自慢げな屈託のない笑顔に、青年は脱力して草地に寝転がった。
「なんだそりゃあ!」
その顔に店での暗さはなく、眼に映る星に笑みが溢れていた。
「さあ、じゃあ飲もうよ」
背負った鞄を降ろし、ココロは中から母に持たされた荷物を取り出した。きらきら光るガラスのコップと星空を映すガラスの瓶。
瓶の中でゆらゆら揺れるのは、星明かりをたっぷり浴びて育った果物のジュース。この街で、秋にしかできない今年の新物。
コップひとつを青年に差し出し、瓶の栓をキュポンと抜く。
「お誕生日でしょう。新しい一年、お祝いしなきゃ」
乾杯、と笑う二人の声は、無数の光が
Fin.
モンスターへ乾杯! 蜜柑桜 @Mican-Sakura
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