ハング・オンッ!

綾部 響

ハング・オンッ!

 コーナーを立ちあがると、すぐに次のコーナーが口を開けて待っている。

 私は愛機「NSR50」を即座に反対方向へと寝かせ、そのままクリッピング・ポイントへ向けて突っ込んでいった。

 知らない人が見たら、きっと玩具だと思うかもしれない。

 少し知っている人が見ても、きっとミニバイクのお遊び程度と言う認識しかないと思う。


 でも……違う!


 少なくともここでは……ミニバイク専用サーキット「八咫峠やたとうげリンク」においてこの子NSR50は、凶暴な牙をむく暴れ馬だわ。

 



 ―――NSR50……。

 全長ではおよそ1500mm……成人女性の身長よりも遥かに短いその車体は、同姓の中でも背が低い私でも完全に覆い被さる事が出来る。

 全高では、私の腰よりも低い約900mm。

 これでは、ミニバイクだとか玩具と言われても反論できる要素が無い。

 50CCの排気量しか持たないこのバイクの基本馬力は7.2PS。

 WGP500コンチネンタル・サーカスを戦うこのレプリカ・バイクのオリジナルは、排気量で10倍、公表馬力で180PSを叩きだす、正しくモンスターバイクよね。

 市販の250CCや400CCでも、100PS近くを優に計上している。

 それを考えれば……フフ、確かに玩具なのかもしれない。


 それでもっ!


 私は暴れる愛機を強引に捻じ伏せ、挙動の怪しいフロントタイヤをコントロールしながらコーナーへと突入を開始した。

 クリッピング・ポイント……コーナーの頂点目指して、バイクをバンクさせつつ減速を行う。

 折り畳み車体にくっつけていた膝をニュッと突き出し、まるで倒れそうなバイクを膝で支える様な態勢を取った。


 これこそが、バイクレースの醍醐味……ハング・オンッ!


 でも実際は、これでバランスを取っているだけで、本当に膝を付いている訳じゃない。

 もしも膝をつこうものなら、逆に瞬く間にバランスを崩して転倒してしまう。

 それに、高速移動しているバイクから地面に膝を付くなんて、それだけでもう自殺行為なのだから。


「くうっ!」


 目的地点クリッピング・ポイントへと到達した直後、私はすぐにスロットルを開けた!

 私の小さな手首の動きに呼応して、身体のすぐ下にあるエンジンが回転数を上げる!

 こんなに小さい車体ボディの何処にこれほどの加速力を秘めているのかという程に、私の手の中で愛機「NSR50」はその獣性を目覚めさせ咆哮を上げる。

 

「……さいっ……こ―――っ!」


 私は思わず、大声でそう叫んでいた。

 そんな私の声も、特製のマフラーが奏でる大音響エグゾーストノートに掻き消されて、きっと誰にも聞こえていない。

 でも、そんな事はどうでもいい事。

 気にしていないし、気にする様な事でもない。

 今、この場にいるのは私とこの子NSR50だけ。

 そして、そんな私達を見守る観衆ギャラリーも、きっと私と同類なんだから。





 ―――1年前……。

 私はバイク事故を起こし、生死の境をさまよった……。

 比喩では無く、事故後ICUに運び込まれた私は、二週間と言う長い時間を意識不明の状態で過ごした。

 家族は医師から、最悪の事態も覚悟する様にと説明を受けていたと後から話された。

 事故の原因は明解……私の慢心からだった。

 

 バイクは私に合っていた。

 体を震わす振動も、エンジンの上げる号叫も、身体を打つ大気の壁さえ、そのどれもが私に快感を与えてくれた。

 それに併せて、私のバイクを操るテクは上がっていった。

 同姓のライダーは勿論、走り屋を自称する知り合いたちでさえ一目置くほど、私のバイクを操る腕前は天井知らずに上達していった。


 当時の愛車「CBR400R」を駆って、週末はツーリングするのが私の楽しみだった。

 私はこの快感を与えてくれる恋人CBR400Rにおぼれ、色んな所を走り回った。

 そんな私が、スピードを抑えて安全運転に従事する……何てこと、ある訳がない。

 誰もが認めるドライビング・テクニックを駆使して、訪れた先の山道やら峠を、速度の許す限り高速で駆け抜けた。


 愛機を駆り、四季折々の表情を見せる山間の風景を、誰も追いつけない速さで疾駆する……。

 これほどの快感、どんな所で何をしても得る事が出来なかった。

 私は溺れた……この……スピードに……。


 ある日私は、僅かに降り出した雨にも関わらず速度をセーブする事無くバイクを走らせていた。

 こんな事は、今までに何度もあった事。

 そしてその度に、少しヒヤリとする事はあっても愛機を完全にコントロールし、無事に切り抜けてきた。


 ……そう思っていた。


 峠のコーナーが迫り、僅かにバイクをバンクさせる。

 バイク乗りならば誰もが憧れ、実践するコーナリング・テクニック「ハング・オン」。

 私はコーナーをハング・オンで曲がるべく、その準備としてバイクを傾けた。


 ―――その途端っ!


 私の意思とは無関係に前輪が、そして後輪が怪しい挙動を起こし、何の対処も取らせてくれない内に横滑りし、そのまま転倒した。

 今までは、ただ単に運よくこけずにいられただけ。

 僅かでも雨にぬれた路面は滑りやすく、構造的に不安定な二輪車の車体が倒れるなんて、本当にあっという間の出来事だった。

 普通に走っているだけなら、恐らくはガードレールにぶつかって停止していたと思う。

 運が悪ければ対向車にはねられて一巻の終わり……なんだろうけど、この時は私に向かって来る車両は無かった。

 

 ……それだけが、救いだったと思う。


 普通じゃないスピードで走っていた私は、あっさりとガードレールを突き破り、その向こうにある崖にその身を投げ出していた。

 もしも深山や峡谷なら、それだけで絶命していたのに間違いはない。

 それでも、調子に乗っていた私にも僅かばかりの運は残っていた様だった。

 転落した崖はそれ程高くなく、私の事故を見ていた後続車がすぐに消防119番へと連絡してくれた。

 そして私は、九死に一生を得たの……。





 目が覚めた私は動けない体と、全身を隈なく襲う激痛に精神をガリガリと削られていた。

 それでも数日後にはその痛みにも慣れ気にならなくなるのだから、人間の身体と言うのは不思議なものだと思った。

 それでも、ベッドから起き上がれない事には変わりなく。

 助かった私とは反対に、修理出来ないほど全損した愛機CBR400Rの事を聞いて、悲しくてただ拭えない涙を流す以外に無かった。


 あれ程の事故を起こし、一時は生死の境をさまよったと言うのに、不思議と私は「バイク」と言う物を恐れたり恨むような事は無く、それどころか更に走りたいと言う欲求に駆られていた。

 勿論、そんな事を家族が許す筈はない。

 今までも、私の「奇行」を大目に見てくれていたんだから。

 それも事故を起こす事も無く、無事に家族の元へと戻って来ていたから何も言わなかったに他ならない。

 これ程の大事故を起こしてしまったとあっては、家族の誰もが首を縦に振る訳なんて無かった。


 それでも私は、ただもう一度バイクにまたがる事だけを夢見ていた。

 ただもう一度この体で風を切りたい……その一念だけで、辛いリハビリにも耐えた。

 そんな私の一途な……違うわね、頑固な考えに、家族も「条件付き」で了承してくれた。

 その条件とは……。


 ―――バイクで公道を走らない。


 という、とんでもない事だった。

 交通移動手段である自動二輪を、公道以外の何処で走らせればいいのか。

 ハッキリ言ってこの要求は、私にバイクを乗らせない無理難題に他ならない。


 ……でも……私には、これを拒否する事は出来なかった……。


 初めて見た、父親の涙を流す姿に、私はこれ以上自儘じままを押し通す事なんて出来なかった……。


 


 喪失感を埋める様に、私はあらゆるバイクに……モーターサイクルに関わる雑誌やレース映像に目を通した。

 オンロードは勿論、オフロードに関する物にも目を通したけど、その中で私の気持ちを鷲掴みにしたのは、何と言っても世界グランド・プリックス……ワールドGPだった。

 私の乗っていた「CBR400R」と殆ど変わらない車体に、信じられない様なバケモノエンジンを積んだ、狂暴と言って良いマシンを駆り世界最速を決める。

 直線ストレートでの最高時速は250Km/hを優に超え、コーナーに於いても100Km/h近くと言う想像を絶する世界は、4輪のレースとはまた一線を画す迫力があった。

 何よりも、生身の身体が剥き出しの中で接近戦ドッグ・ファイトを繰り返し、転倒すれば命に関わる事も少なくない。

 モータースポーツとは名ばかりの、正しく命がけの戦い……。

 その世界に、私は見事に魅せられた。


 それでも、どれ程恋焦がれようとも、私が今からGPの世界に飛び込む事なんて出来る訳がない。

 それ位の事は、私だって弁えていた。

 そんな時、ふと目にしたバイク雑誌に、私の今後を決する文言を見つけた!


 ―――50CC以下のバイクレース場、各地で。


 それを目にした瞬間、私はある種の予感を感じて、それと同時に電流が体中に走った錯覚に襲われた。

 そしてその関連記事が記載された雑誌を読み漁り、兎に角情報を集めた。

 そして半年……。

 辛いなんて言葉では言い表せないほど苦しいリハビリを克服して、奇跡的に回復を果たした私は真っ先に一番近いサーキット「八咫峠リンク」へと向かった。


 そこで目にしたのは、何とも不思議な光景だった。

 スクータータイプやレーサーレプリカタイプの小型バイク……50CC以下のバイクが、小さいと言って良いサーキットを走り回っていた。

 姿形の違う数台のバイクが、抜きつ抜かれつのデッドヒートを繰り広げている。

 そこには、レースを模したお遊び……等と言うものは存在しなかった。

 誰も彼もが真剣に、且つ必死にバイクを走らせている。

 ただレースに勝利するためだけに、限界まで自分を追い込みバイクを駆っていた。

 少しでもマシンの性能を上げる為に、プロも顔負けかという程の設備を持ち込んでいるグループさえいる。

 

 そこは正しく……小さくともGPの世界そのままだった!


 家に戻った私は、早速家族の説得に当たった。

 もっとも、反論される要素なんてない。

 条件の通り、バイクを走らせるのは公道ではなく私道……サーキット内なんだから。

 当然の事ながら歩行者も対向車さえおらず、ただバイクを前へと走らせるだけの場所なんだ。

 何よりもそこには、明確なルールが存在する。

 可能な限り安全に配慮しており、傍若無人な振る舞いや無謀無知な行動を取る者も居ない。

 レースに際してヘルメットは勿論、全身をレザーのツナギで身を護る。

 激しい転倒をすれば怪我もするけれど、そもそも50CCというマシンを考えれば、それ程スピードなどで無い……と言う部分を強調してみせた。

 

 もっとも、この部分は少し“嘘”の成分も含まれていたけどね。


 危険じゃないモーターレースなんて無い。

 でも危険が付き纏うなんて言えば、先日の約束なんてすぐ反故にされてしまう。

 熱心な私の説得に家族は……父は渋々首を縦に振った。

 それでも更に条件を付けられ、サーキットへと向かう時は父も同行する事になってしまったんだけどね。

 ただそれでも、精神的に死んだように過ごすよりは何倍もマシだと……その時の私は軽く考えていた。




 

 クリッピングポイントを立ち上がった私は、アクセルをに開ける。

 一気に開け放ってしまうと、パワーを余すところなく路面に伝える事なんて出来ない。

 それどころか、タイヤは簡単にその力を逃がし、あっさりと空転させてしまう。

 このコースで最もスピードの落ちる9R半径9mヘアピン (の形をしたコーナー)を、如何にスピードのロス無く立ち上がる事が出来るか。

 それは、この後に続くこのコースで最も長い裏のバックストレートでの最高速度に大きく影響する。

 

 ハング・オンした状態で、ギアを1つ上げる。

 スムーズなギアチェンジを行わなければ、それもまたタイムに影響するんだから。

 出口が見えた。

 また一つ、ギアを上げる。

 

「……よしっ!」


 満足の行く速度でヘアピンを抜けた私は、更にスロットルを空けて加速常態に入った。

 バイクのバンクを無くし、タンクに突っ伏して出来るだけ空気抵抗を減らした。

 ギアをMAXまで上げた私は、この時だけは全てを愛機に任せて次のコーナーを目指す。

 と言っても、広くないサーキットのバックストレートは驚くほどあっという間に終わりをつげ、私はすぐに上体を起こして減速態勢に入った。

 瞬間的に時速100Km/hに届こうかという速度から、一気に半分以下まで減速させる。


「……んんっ!」


 信じられない程の大気の壁が、起こした私の体いっぱいにぶつかって来る。

 でも、それこそ私の望んだ事!

 その抵抗力さえも利用して、急制動に近しい挙動を得る為なんだ。

 ギアを2つ落として手前のコーナーを。

 そして更にギアを落として、最終コーナー手前に設けられたシケインクランクへと、飛び込む様に突入した。


「……っ!」


 そこで私は、すぐ後ろにピッタリと追走する影を視界の端に捕らえた。

 リズムよく左右へとバンクを切り返し、最終コーナーを立ち上がり表のホームストレートへと踊り出す。

 背後の影は、そんな私にもぴったりと付いて来ていた。

 僅かに、私は肩越しに後方へと目を遣った。

 そして、すぐ後ろを走る「彼女」と眼が合ったんだ。


「……詩織しおりっ!」


芹那せりな―――っ! 逃がさないんだからっ!」


 爆音で、到底私の声なんて彼女には聞こえない。

 それに、彼女がそんな事を言ったかどうかさえ定かじゃない。

 でも詩織と眼が合った瞬間、間違いなくヘルメットの下で彼女がそう叫んでいると何故か確信出来たの。

 ピッタリと背後に張り付かれた状態で、私達は一丸となってホームストレートを通過する。

 



「行け―――っ、芹那ぁ―――っ! あと5周だぁ―――っ!」


 既に自分の事を「メカニック兼監督」と言って憚らない父から、恥ずかしくなるような声援が発せられる。

 何故だかこんな状況でも、父の声だけはハッキリと聞こえたのだから不思議だわ。

 背後から浴びせかけられるプレッシャーに焦りを感じていたけれど、今の一幕で随分と気分が軽くなった様な気がした。


「……もらったよっ、芹那っ!」


「……行かせないっ!」


 スリップストリームから飛び出した詩織が、私のインをついて抜きに掛かる。

 スルリと内側に潜り込まれ、あたかもくつわを並べたような状態で第1コーナーになだれ込んだ。

 圧倒的にイン側が優位!

 でも、僅かにブレーキング勝負で勝った私が、アウト側から被せる様にして彼女を簡単には行かせない!


「……くっ! なら……次よっ!」


「……負けないっ!」


 残り5周……。

 私達の勝負テールツゥノーズは、最後のチェッカーフラッグまで決着を見そうになかった。


                                     了

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