第64話
こう見えて、私にもまだ感情が豊かに実っていた時分がある。
父様も母様も兄様も優しくて、使用人達も温かくて、あの陽だまりのような居場所が私は好きだった。私はいつも笑顔を絶やさないような子供で、兄様の後ろをよくついていったことを覚えている。
ただ唯一不満があったとすれば、同世代の子達が私に対して恭しかったことか。そのおかげで私にはあまり、というよりも全く友達がいなかった。けれど、それも無理のないことだ、ということは幼い私でも分かっていたことだ。
私の生家は白雪家――日本が誇る魔天八家の一角だ。
皆が皆、私に対してどこか及び腰な態度を取ってしまうのも仕方のないこと。
……私としては友達になって、一緒に遊びたかっただけなのに。
それでも、あの家の温かさがあったから私は毎日が楽しかった。
だが、その日常も長い間続かないことを私はすぐに知ることになる。
きっかけは母様の死が原因だっただろうか。元々、病弱でベッドの上での生活が多かった母様がついに病に倒れた。私が五歳の時である。
余命幾ばくもなかった母様の最後を私はよく覚えている。なにせいつも私は母様の枕元に座っては一緒に話をしていたからだ。おそらく私は幼いながらも母様がいなくなってしまうことに感づいていたのだろう。だからこそ私の存在をできるだけ刻み込むためにも毎日毎日その日一日の思い出を話しては聞かせた。
はっきり言ってしまえば、いつも一人が多かった私の日常なんて特段特別でもなんでもないことばかりであった。それでも母様は嬉しそうに微笑みながら私の頭を撫でてくれて、それが私も嬉しくて、だから必死に母様も楽しめるようなことを毎日探していたことを覚えている。
母様は常にニコニコと笑顔の絶えない穏やかで優しい性格をした強い女性であった。自分の命が残りわずかだと知っていても、顔を俯けることなく、いつも胸を張っては日々の生活を楽しんでいた。
まだ幼かった私は〝死〟という概念が正直どんなものかは分からなかったが、だけどそれが果てしなく恐怖を感じるものだということは感覚的には理解していたので、なぜ母様がそれほど気丈でいられるのか、不思議でならなかった。
「母様は死ぬのが怖くないの?」
そういう私に母様は決まっていう。
「ふふ、当然怖いわよ。……でもね、命。私は怖いからといって今を蔑ろにするのは嫌なの。私の未来は確定的になったけど、それが今を諦める理由にはならないのよ。だから生きられる内は人生を目一杯楽しまないとね」
「……よく分からない」
「ふふ、別にまだ分からなくてもいいわ……だけど、命。これから人生を歩んでいくあなたにも怖いことや辛いことや悲しいことが必ず起きるわ。別に恐れたっていいし、挫けたっていいし、泣いたっていい。だけど絶対に諦めることだけはだめ。諦めない心を持ちなさい。そうすればきっと命も――」
私はただ小さく頷いていた。
もしかしたら、その当時から母様は私の将来を薄っすらと察していたのかもしれない。代々白雪家が受け継ぐ氷属性を持たず、また現代でも解明されていない未知の属性を持って生まれた私の将来を。
それからしばらくして、母様は亡くなった。
一族内でも皆に好かれていた母様の死に使用人や分家の方達の多くが涙を流していた。私も大声をあげて泣いた。兄様は体を震わせながら、ずっと地面に顔を俯けていた。父様は棺桶に入った母様の顔に手を触れて、表情を変えずただ深く瞳を閉じていた。
今ならわかる。あの家の中心はいつも母様だった。普段は厳格で怖い見た目の父様も母様には頭が上がらず、冷静沈着な兄様も母様の前では常に嬉しそうで、もちろん私もいつも甘えていた。あの笑顔の絶えない姿が私達氷の一族に穏やかな温かみをもたらしてくれていたのだ。
そんな白雪家に陽だまりを齎す存在がいなくなった。
そのころから家の中は少し寒々しい雰囲気が漂い始めたと思う。
父様はより家柄を重視するようになり、仕事に傾倒して、家族をあまり顧みなくなった。
兄様はどんどんと才能を開花させて、魔法ばかりに時間を使うようになった。
取り残された私はただがむしゃらに努力を続けた。父様に振り向いてもらえるように、兄様に置いていかれないように、母様がいたこの家を守れるように。
でも現実は無常で……私に魔法の才能は開花しなかった。いつまでたっても属性に目覚めなかったのである。遅くとも十歳にまでは無意識化で属性を把握できるようになる属性の確定現象が私には訪れなかったのだ。
私は本格的に属性不明者という烙印を押されることになった。
これが一般的な家庭内のことであれば、まだましだったかもしれない。しかし、それでも少なからずの差別はあっただろう。魔法使いや魔法師がマジョリティ、無能者がマイノリティのこの現代。いつの世も人は自分達とは違った存在を排除したがる。それが日本の魔法社会の家から排出されたとなればなおさらのことであった。
私に待っていたのは使用人達の憐みの視線、一族の者達の軽蔑の眼差し、そして父様と兄様の失望の目。温かかった使用人達はいなくなり、一族の者達はそろって私を嘲笑い、残った二人の家族は私に見向きもしなくなった。
居場所がなくなったように感じた。いや、事実あの瞬間に私の居場所はあの家から消えたのかもしれない。
それでも私はめげずにひとりぼっちで努力を続けた。
入学した武蔵学園でも馬鹿にされたり、笑われたりしながらも、私は頑張った。
ただ胸に刻んだ母様の言葉を糧に、いつかきっと私にも開花の日がやってくると信じて。
……けど、孤独の代償は私から感情を奪っていく。
十二の頃に自分があまり泣けなくなっていることに気が付いた。きっかけはごく簡単なことで、入学したての武蔵学園の中等部でちょっとした嫌がらせを受けていた私はその時に母様との思い出の品をどこかに隠された。悲しかったのに、涙は全く流れなかった。
十三の頃には自分がうまく笑えなくなっていることに気が付いた。嬉しいことや楽しいことがあっても、石灰で固められたかのように表情を作ることができなくなっていた。顔に鉄仮面でもつけられたかのような気がした。
十四の頃にはもうほとんど感情が動くことはなかった。悲しいことがあろうが、面白いことがあろうが、嫌なことがあろうが、そのどれにも私の感情はピクリとも反応しなくなっていた。まるで自分の心から潤いが吸い取られ、枯れたかのような感覚に陥った。
どうして私は白雪に生まれたのだろう。
どうして私は属性が発現しないのだろう。
どうして私は周りと違うのだろう。
どうして……私はこんなに弱いのだろう。
どうして、どうして、どうして――。
寂れた学園生活の中、自問自答が続く日々。
それでも母様の言葉だけは一度も忘れなかった。
『諦めない心を持ちなさい』
言葉にすればなんとも軽く、そして陳腐だ。
だけど、それを行動に移すとなると、最後までやりきることは難しい。だからこそ、諦めない心というのはそれだけ気高く、尊い。
だが、何もかもを諦めるなということは普通人間にはできない。人間だれしも必ずは何かを諦め、何かを捨てる。友情、愛情、信念、とにかく長い人生の中で諦めを覚えたことのない人は誰もいないのではないだろうか?諦めは人生を楽に生きる上ではきっと欠かせない要素だ。
でも、母様が言いたかったのはきっとこんなことではないのだろう。
全てを叶えられることなど理想でしかなく、無理に等しい。時には諦めも肝心で、足を止めることもあるだろう。だけど最後に一つ、心の芯にある最も大事な“なにか”を諦めなければ、きっと道は開ける。
――だから、私は最後まで“私の可能性”を諦めない。
【web版】大魔法師の息子~名家を追放された少年はいずれ世界に名を轟かせる英雄となる~ 大菩薩 @kou_tou
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