星渡りの風華

つしま らい

星渡りの風華

 平坦な地面であった。辺りには牧草が生えている。放牧している家畜もいる。遠吠えは聞こえない。至って平旦であり、平面である。常にかすみがかかっていて、そして時折太陽が出ている。湿度は若干高く、服が湿ることもあるのだという。砂漠の向こうの民という者がいるとしたら、ソシェの生まれ故郷であり育ちの大地は一体どのように感じるのだろうか。芳醇な水、潤沢な牧草。一見は楽園に見えるのかもしれない。

 精悍な面立ちをしたソシェが生まれ育った大地は川を挟んだ西側にあった。テメス川の川幅は三十キロメートルほどである。誰も正確に換算したことがないので、ソシェの知る三十キロメートルというのは長いのかも短いのかもわからなかった。海のようだ湖のようだ、とも言われているが、河岸があり、船がある。しかし、泳いで渡河することは現実的ではなかった。

 テメス川には水棲生物はいない。その昔泳ごうとして飛び込んだものがいるという話であるが、そのものが再び草原の地を歩くことはなかった。遠く先の海にいるのだろうと言うものもいれば、川底の草が食べてしまったという者もいる。あるいは眠るように石となり沈んでいるのだという者もいた。ソシェは関心が無かったし、何よりも水棲生物というものがどういうものなのかを知らなかった。手足がなく泳ぐものがいるという話を聞いたが、それでは草原では生きられない。確かにテメス川に身を委ねるほかがないのかもしれないのだな、と思った程度である。

 テメス川の西側にあるのは牧草地帯であり、広大な牧草地帯の先には、何かの聖地であるエルベベルがあるという。エルベベルという言葉はソシェにも聞いたことがある。あれだ、天使様達が眠る場所だろ、と。寄合のものたちは往々に知りうる知識をソシェに伝えたが、しかしそれでも他のものはおおむね間違っていないという。天使というものが何かはわからないが、ソシェにはそれがどことなく神々しくも懐かしい言葉のように聞こえ、エルベベルは天使様が眠る場所だ、と思うようにしていた。天使様はソシェ達とは違い白く神々しい御姿をしていると言う。ソシェ達は草原に生き、草原の民と成るしか無い。そのために誰にまつられるでもあがめられるでもなく、寒暖差に震えながら仕事に精を出さなければならない。生きるために。肌を浅黒くしても、皺を刻んでも、風と草原と共に生きてゆくのが常である。

 エルベベルへの巡礼者はその多くが川の東側であるアボラメウルから来ていると言う話だ。何せエルベベルに行くには、川の東側で生まれ育ったものはアボラメウルの住民にならなくてはならず、なおかつ一定の金銭をエルベベルを管理する川の西側のものに渡さなければならないという。その金銭の額を聞いただけで、ソシェは驚いた。おそらくソシェが一生を懸けても集めきれない大変高いものであった。ちょっと自分には難しいですね、というと往々にして巡礼者は、

「いつでも行ける方が羨ましいわ」

 というのであった。

 とはいえ、ソシェも別段渡船だけが収入源ではなく、他の寄合のものたちと同じように、何か仕事をしていると同時に牧畜を行っていた。ミゲ種の羊のほかに、ソシェは脚が三対あるパロパ種の羊も飼っていた。寄合のものたちからつがいで渡されたパロパ種は、一頭は大きく育ちソシェの渡船に必ず付いて行ったのである。もう一頭はもうそろそろ仔を成すであろうから、寄合に預けていた。その仔は寄合のモノに成るであろう。西側の管理資金を受け取ると同時に、牧畜は適切に管理できない頭数を超えたら寄合に預けることが決まっていた。同じようにして、また寄合に預けられ生まれた仔は今飼っているパロパ種が寿命を迎えた時、ソシェに寄り添うためのものとなることが約束されていた。今まで一度もたがわれず、親の、祖の、その高祖から伝わっている伝統的なやり方であった。

 ソシェは船頭としての経験は豊富であった。しかし東西を行き来する船頭は何もソシェだけではなかった。その西側の渡船の寄合および牧畜の寄合には、様々な船頭がいた。ケリュはもう五十を迎えようとしているのにまだまだ活力に満ちている。メポラはソシェと違う性であるが、一人前の顫動であった。一方でエウロは最近渡船を始めたばかりであるし、ブビドは渡船の歴は長くとももう活力は無かった。ブビドは寄合の中の仕事を行うことの方が向いているのかもしれない、と寄合の皆に伝えたことがある。だから渡船をやめ牧畜のほうに精を出したい、と言っていた。それを飲み込んだのはソシェよりも三つほど若いミグフであるし、取りまとめたのもソシェよりもふたつ先に生まれたトルペラである。ソシェの意見は出なかった。おおよそみんなが満足すれば、それでよかったからだ。

 だからこそ、ソシェはあまり意見を出さずにいた。出さずにいたことで後悔をしたというのに、それでも未だ意気地がなかったのである。大きなパロパ種が傍(そば)に依っていたが、ソシェにはそれだけでは満足できなかった。パロパ種は常に依る。以心伝心はない。

 ソシェは七歳のころから親に付き添い、渡船を行っていた。

 ソシェにとって渡船は特別なものではなかった。幼いころから親に寄り添ったパロパ種と共に生活することと同じように慣れ親しんだものである。泳いで渡河することはできなかった。テメス川を泳ぐことはアボラメウルの民からすれば神聖なものをけがす行為であり、ソシェ達にとっては気のれた行為である。そも、三十キロメートルという川を渡ろうとするものがおかしいのだよ、とソシェは親から何度も聞かされていた。テメス川は海ではなく川だ。上流は遙か北であり、下流はもっと南の先にあるという。テメス川に身を委(ゆだ)ねれば海まで辿りつくという。しかし川幅以上に長い川に身を任せたところで、生きているかどうかなんかの保証は無かった。その昔泳力に自信があるというものが川で泳ごうとしたという。そのものは今も川の一部になっているという話だ。海までたどり着けなかったのだろう、生きても、死んでも。テメス川に落ちたものはすべてテメス川のものだ、活用するかしないかはテメス川が決める。草原の様なテメス川に。自立して動くものを優しく抱き石のように抱きかかえ水底みなぞこまで連れてゆくというテメス川に。

 ソシェが渡船を始めると同時に、幼いころから同じように育てられていたアミルとはどんどん離れていった。ソシェと生まれた時に天に輝いていた星が七巡する頃には、アミルの未来は決まっていたようなものであった。美しい黒髪をなびかせ風の中を笑っているアミル。喉から生まれる歌声が草原に響いているアミル。牧畜と共にはしり、星に夢見るアミル。華と共に舞い、軽やかに踊るアミル。そのどれもが風と共に、音とともに、花と共に、星が見守っていた。

 見れていたことは一度もなかったが、ソシェにはアミルが何をしているのか、遠くにいてもわかった。アミルの星はソシェの星と近かった。アミルが生まれてから何度か星と太陽が追い駆け回った後、ソシェが生まれた。アミルの歌声は寄り合いの者たちも何度も聞いていた。聞き惚れていたものもいただろうし、遠くの住居へ向かってもアミルの名は知れていた。華のように笑っていた。鳥のように歌っていた。風のように囁いていた。その一つ一つがアミルというものに着せられていた。美しいアミル。芳しいアミル。可憐なアミル。アミルの一挙一動が、ソシェだけではなく誰もをいて止まなかった。アミルの親よりもそばにいたのかもしれない。親の仕事を手伝っていた時以外、ソシェはほぼアミルと一緒にいた。だからこそ、ソシェにはアミルの未来が見えていた。

「あたしね、花歌い手になるの」

 落ちる夕日が目ににじんだ。辺り一辺はうっすらともやがかかっていた。寄合からアミルにと送られた祝福のパロパ種に背を預け、ソシェの方向を見ないでアミルは空に向かって伝えた。ゆっくりと陽が落ちて、またとない夜が迎えようとしているのに、アミルの声はいつもと同じようだった。星の動きが、アミルの成長を指示していた。もう幼子ではないのだ、親に抱きかかえられ夢の世界に行くことはない。アミルもソシェ同様、一人で就寝することができるのだ。花歌い手として差し支えはない。なぜなら花歌い手は一人で成ってゆくものだからである。牧畜のように、渡船のように寄合があるわけでもない。花歌い手は、成ったその時から一人で生きてゆけるようになっている。

 だけど、それはまだ早いはずだ。だってアミルはまだ九つにもなっていない。花歌い手は少なくとも星座が十二回巡った年の春にしかなれないはずである。アミルにはまだ両手の指を超える以上の月日があるはずだった。

「なるのよ、花歌い手に」

「うん」

 ソシェ? とアミルはソシェの返事が聞こえたのにもかかわらず、ソシェがいないように声を上げた。風の響きがまた一つ生まれ、泡沫うたかたのように消えた。ソシェには落ちてゆく陽を浴びて自分を見つめているアミルの顔しか見えなかった。アミルの瞳は真直ぐソシェを捕らえていた。満天の星が瞳に注がれていて、それはとても綺麗だった。黒髪が靡いて、風が草原を薙いだ。少し下がった眉は、それだけで愛らしい表情といってもおかしくなかったのだろう。うっすらとあいた唇から、少しだけ息が漏れ、頬は上気していた。年端も変わらないアミルが、ソシェの傍を離れていってしまうのだ。祖が命を天に還し、肉体を川に還したときよりも、悲しい喪失感がソシェの心臓を射抜いていた。

 河を渡り、アボラメウルの先に行き歌い手として生きていくことが決まっていた。花の中で育ったから、ということで花歌い手というらしい。西の地区はほぼ花歌い手か、それか白歌い手かの歌い手がいた。白歌い手はソシェの住んでいる一帯よりももっと西にあり、エルベベルを管理しているという防衛都市ヴァーシャイトの中にあるクレイドル聖都で許可を得た者だけが名乗れるのだという。白歌い手にはなれなかった。アミルの選べる歌い手の道は、花歌い手のほかなかった。草原のアミルが、花歌い手となる。アミルは受け入れていた。疑問も浮かべずに。

「遠くへ行っちゃうの」

 淋しい声だ。

「うん」

 ソシェも無意識に遠くの声を出した。遠くへ行くミゲ種の羊を仕方ないと受け入れるように。

「ソシェ?」

「、……アミルは、花歌い手になれるくらい、すごいんだよ」

 ソシェの瞳はこれから登る星々を観ていた。あの星のいくつくらいが瞬いてゆくのか、ソシェにはわからなかった。ソシェの瞳の色は今は夜空と同じような色をしていた。暗闇の中で輝く星は無数にある。そしてそのどれもが一つ一つ神聖な気がして、ソシェには素晴らしいものであると思っていた。そのような星と同じかそれ以上に素晴らしい存在が今、ソシェの瞳の星を射抜いていた。星同士がぶつかって、引力で無意識に寄り添おうとしていた。顔がすぐそば、触れるか触れないかの距離まで近づいた。重力と同じくらいそばには寄れない距離に。引力があるのに、もうそれ以上接触できない。

 ソシェには花歌い手の素質は無かった。歌は御世辞にもうまいとは言えないし、踊ることは好きだがそれを踊りと呼べるものかはまた別だった。アミルの踊りは少し独特だが人を引きつけるものがあり、美貌も素晴らしければ花が囁くような歌声を細い喉元から響かせている。肥沃な土地であるが質素な生活に馴れ受け継ぎそして未来に残すことを選べるソシェも、アミルも幾ばくか華奢である。アミルは匂い立つような花弁の儚さがあり、それが可憐さをにじみだしていた。ソシェとは違った。

 ソシェは将来的にも渡船と牧畜を生業にする、寄合に集まりながら生きていく大地の民でしかなかった。今と変わらないまま、成人を迎えるほかなかった。教養らしい教養はあるにせよ、その教養の殆どがこの大地で生きてゆくためのものであった。痩せた肉体だが筋肉はしっかりと乗った、豪気ではないにしろ寡黙で誠実として生きてゆくことを土地の雰囲気から背負わされることとなるのだろう。

 未知径道が、分かれていた。

「――――――」

 アミルが何かを言ったようだが、ソシェには輝いている星と、光輝き始めたアミルしか見えなかった。だからアミルがなんと言ったのか、消え入るような声に草原を駆け抜けた気まぐれな風によって聞こえなかった。アミルの瞳は天上の星を射抜いていた。そしてソシェの奥底も射貫いていた、気がした。

 その後太陽が十回も昇らないうちに、アミルは川を渡って行った。親の船に乗せられて渡って行ったアミルは、アボラメウルへ行ったことだけはわかった。――対岸の街はアボラメウルしかないためだ。アボラメウルから定期的に物資を入れ寄合に入れる役割を負うもの、その先のエルベベルへ物資を届けるもの以外は、アボラメウルに入ることはなかった。アボラメウルに行くだけであったらソシェにもできることであったが、アボラメウルから帰るにはその時のソシェではまだできなかった。同じようにアミルも、アボラメウルの民と同じようにして二年以上住む必要があった。船の乗り降りができる場所以外は入ることができない。それが草原の民が渡船する上での決まりごとであった。

 アミルは綺麗だった。アミルが船に乗る前の日も、ソシェと共に遊んでいた。アミルの髪は毎日丁寧にかされていた。アミルの歌声は毎日天へ響いていた。アミルは毎日花と踊り、風と共に駆け抜け、笑顔を開花させていた。大輪の華であった。輝ける星のひとつであった。星が三回巡った後、同じように船に乗っていったマコロとは大違いだった。マコロは毎日泣いていた。アミルよりも大きな歳で船に乗るというのに、花歌い手として生きていくことを拒んでいた。マコロは花歌い手として生きて行くことよりも、親と共に牧畜をしたいのだと言う。花歌い手と成ることは、親と離れて生きるということだ。マコロは拒んだ。拒み続けて、しかし何もできなかった。無力に哭いていた。どうしても受け入れられなかったのだろうが、しかしそれでも飲まざるを得なかった。花歌い手は草原の民には想像もつかないようなことが連発するのだという。マコロの泣き声が、悲しみの歌が草原に響いていた。すすり泣き、時には癇癪を起したように、そしていつも絶望の声をあげていた。

 アミルとは大違いだ。マコロには意気地がない。覚悟もなかった。何よりも抱擁、許容できるほどの器量がなかった。受け入れられない、ということがマコロの星がささやいたのだろうか。

 としのいかないアミルですら、花歌い手として生きることを受け入れたというのに。

 マコロを送りだした時は家族総出であった。ソシェもそのころは牧畜とともに渡船をはじめていたので、マコロが川を渡る時の歌声を聞いていた。花歌い手としての最初の役割であった。マコロもアミルと同じように役割をこなした。しかし、それでもマコロよりもアミルのほうがよっぽど歌が上手いと思った。今でもその声は、ソシェの中で生き続けている。

 だからこそ、アミルが、あのとき、……。

 そこでソシェの思考は緩やかに過去から現在に戻っていった。聞き取れなかった言葉の、変えられない過去を思い出しても何も得られないからだ。過去の中でその声は何度も何度も辿たどりつけない未来を探している。

 パロパ種が独特の声を上げた。

 パロパ種の独特の声は育て上げられたコミュニティが成すものであった。パロパ種は同調するかのごとく、遺伝子に刻まれているかのように、特定のことを共有するようであった。その習性を生かしてか、それとも最初のパロパ種はエルベベルから与えられたという伝承を信じるかはソシェが判断できることではないが、船を漕ぐものは必ずパロパ種を与えられていた。自分で金銭を集め買うことはできなかったし、自分で買い増やすこともできなかった。最初に与えられたものを増やすこともできない。パロパ種の生殖行動ですら草原の民がよしとしたときでしか行われなかった――もっとも、草原の民もパロパ種が発情し生殖行動が可能となった月齢を見計らって生殖を行わせている――。この地でパロパ種が生き延びるには、その習性を使う以外になかった。そうでなければ、家畜として十分に価値のあるミゲ種を飼うことを選ぶからである。パロパ種は肉も毛皮も使えない。ただその習性を以って草原の民と共に生きることに因って存続している。

 鼻息が喉を通るかのように低い声がソシェの隣から流れた。ソシェはその声を聞きながら撫で、自分の船まで歩いた。滑らかに手が背を撫で、短い尻尾が少し揺れた。毛の一本一本も短い。パロパ種は鳴き声しか価値がない。そのため、その価値を発揮するために生まれた時から役割を与えられ、擦りこまされていた。

 寄合で与えられた役割は、渡河をするものがいること知らせることであった。

 東西を分かつように流れる川の東部の都市はアボラメウルだけであった。川に面した部分で都市として使える部分が、アボラメウルを築き上げていた。船着き場として用意されているのもアボラメウル周辺だけである。岸辺が整備されているところのすべてがアボラメウルの管轄であり、ソシェ達はそれに従うだけであった。尤も、アボラメウルから一方的な隷属を強いられているわけではなく、むしろ都市を持たない生活基盤が成り立っていることはアボラメウルの都市計画者からすれば感歎の域を越えている奇跡のようであるらしい。ソシェにとっては、この生き方しか知らなかった。未だソシェはアボラメウルを訪れたことがなかった。訪れる必要もなければ、特段訪れたいとも思わなかったのである。入っても二年は帰れない。その上、アボラメウルからエルベベルに向かうものを何度も乗せている。わざわざ入らずとも聞くだけで充分であった。

 ソシェの渡船はごくごく一般的であった。どうやらアボラメウルでは機械というものができているそうだが、その機械がどのようなものかソシェはみたことが無かった。遥か遠くの星々からの贈り物だ、と言うアボラメウルの住民でありエルベベルへ向かおうとする者たちは、決まって機械の優位性を高らかとうたっていた。ソシェにとってはどうでもよかった。ソシェがいなければ彼らは渡河もできないのだから。

 見せてもらっても、使い方を聞いても、ソシェには興味すら湧かなかった。エルベベルに入るために機械を捨てなければならないということはない。船上でできることに限りがあるのを知っているものがほとんどなので、その気を紛らわそうと機械を持ちこんでいるものは多かった。テメス川は否定していないので、機械の持ち込みにより船が転覆するようなことはない。ソシェにとっては、この渡河が時間的に長くて、アボラメウルの民が退屈を感じるということに驚きを感じた。機械の船ならもっと一瞬で行けるのだというのだが、テメス川が嫌うのかどうかのほうが不安視してしまう。ソシェが扱えるのかどうかもだ。視たこともなければ扱ったこともない。どういうものがあるのかどの程度便利なのかすら、ソシェにはわからなかった。

 パロパ種がいなくても渡河の合図ができるというモノもあるらしい。パロパ種よりも圧倒的に小さくて、持ち運びができるのだという。機械の船では木の船と違って自分が漕がなくてもいいとのことだ。ソシェはその話を聞きながら、自分の船に乗っているパロパ種をよく見た。名前もつけられない――パロパ種が覚える人間の言葉は、幸か不幸かその飼い主の名前だけである――パロパ種は、興味なさそうに欠伸(あくび)をした。ソシェにとっても、欠伸が出るほど退屈で興味のない話であった。

 パロパ種は優しい目をしていなかった。わらってもいなかった。受け入れていた。

 そのパロパ種はソシェの後ろをとことこと歩いていた。正面についたアーモンド形の一対の眼、二対の瞳孔がじっと先方を見ていた。ソシェのことは見ていない。六本足のパロパ種は傍に自身の伴侶がいなくともしっかりパロパ種の役割をこなしていた。コミュニティの中で、ソシェが外されないように、自分の食いぶちを得られるように、何度も声をあげていた。

 パロパ種の間で勝手に決まったわけでもないのに渡河の順番は決まっていて、それぞれが定期的に渡河できるようにとのことだ。渡河は非定期であるが、パロパ種はミゲ種と違って船に居ることも好むのだという。譲り受けたパロパ種も他のパロパ種の例にもれず、船に居ることを好んだ。そのため、渡河をしなくとも少し洗い鼻息をあげたら船に連れていくのが好い、と渡河をするものたちの間では広まっている。ミゲ種は集団で集まっているのが普通だ。ミゲ種がいなくなることはない。ミゲ種がいなくなるとしても草原に行くため、いずれかの集団に紛れ込み、数を増やして生活をしてゆく。ソシェのミゲ種の一部も、どこかからいつの間にか紛れ込んできたようなものがいる――明らかに生まれた時期がわからないものがいるためだ。そのため集団を渡り歩きいつまでたっても天に還らないミゲ種がいるという噂まである――。パロパ種は集団で過ごすことも、どこか一つの場所にずっといることもしなかった。船と、草原と、人間の間を行き来する。草原にいることを好むミゲ種とは違い、人間の傍にいることが一番だというパロパ種は、アボラメウルの人間からすれば寄生しているのだという。パロパ種はじっと見ていた。渡河するために対価を払う人間の、愚かしい横顔を。

 今日もアボラメウルの民を乗せるのだ。西岸にあるソシェの寄合からアボラメウルの東側へ渡河するものは街が生きる場所となる花歌い手になるほかは、自身から離れていく道を選ぶもの以外いない。岸があり、船がある。それでも西から東に渡ることはない。行けても片道だけだった。パロパ種は声をあげていた。パロパ種が役割を果たす以上、ソシェも役割を果たさなければならない。それがパロパ種を飼うということの意味であった。パロパ種が仕事を与えている以上、パロパ種を飢えさせることはできなかった。

 星が輝いていた。ソシェの知る限り、昼も夜も星が出ていない日はない。昼の星はどことなくくらい。夜の星は少しだけ明るい。その星の意味に何があろうが、蒼穹として知る昼にも、ソシェの見える範囲では星があった。きっと星を指す言葉だと思っていたが、アボラメウルの人はそうでは無いと言う。少しでも雲があれば蒼穹とはいえないのか、蒼とはもっと瑞々みずみずしいものなのか、エルベベルで見られるもののみが蒼穹なのか。――ソシェが今まで聞いた内容をまとめると、自分たちのみたことの無い世界に蒼穹が有るのだという。それすら想像することが難しくて、ソシェは頭を抱えた。見たことあるものが否定され、みたことがないものを肯定されている。ソシェにはよくわからなかった。アミルが花歌い手を選んだときのように。――わかりたくなかった。

 船をゆっくり漕いだ。パロパ種もゆっくりと船に乗り移り、自身の体重を船に預けた。少しだけ船が沈んだが、心地の良い沈み方である。まとわりつく水草をかきわけて船を滑らせる。ソシェの船の漕ぎ方は従来の人間が自然に出来るのと同じようにして、櫂を使って立って漕いでいた。草原の草と同じように水棲の草をかき分け、櫂を軸にして飛び乗っている。飛び乗る時に常に大地をけり上げているので、船に勢いが付いた。草原の草は若干背が高く柔らかい。パロパ種もミゲ種もこの草が好物であるようで、かわべりにてんでいるものもいるとのことだ――ミゲ種に餌を与えることがなく育つというのはこういう意味なのだ、とソシェは言葉にしないでも理解していた――。それも渡河をするもの以外の羊はそういうことがあるという。アボラメウルの民はその話をどこから耳にするのだかわからないが、ソシェのパロパ種を見るたびにその話をするのでソシェは退屈な時間を過ごさざるを得なかった。例にもれず一度聞いた話を何度も繰り返されるのは退屈で飽きてしまうのである。テメス川に沿って生きる者は川縁の草を食べず、テメス川を初めて視る羊ほど好んで川縁の草を食べるというのがそんなに奇妙奇天烈なのだろうか。ソシェにはわからないが、ソシェが買っている羊たちは賢いので川べりの草を食べないのだと思っていた。川べりの草を食べるというのはただの間違った行為で、無知の結晶ではないのだろうか。そも、それは草原でしか生きないもので、草原の中で育ち川に生活を委ねないものが見るのだろうか。ソシェの生活ではない。そのためソシェは川縁で食事をしている羊を飼ったことがなかった。パロパ種もミゲ種も水にはなれていたが、泳ぐことは滅多にない――勿論泳ぐ羊もいるのだろうが、ソシェの飼っている羊は草は好きでも川縁の草は食べず、川が好きでも泳ごうともしなかった――。今ソシェに寄り添っているパロパ種も、昨日血肉となったミゲ種も、アミルについて行ったパロパ種も、すべて船に乗り渡河している。アミルが花歌い手となりアボラメウルで多くの人と知り合っている今も、きっとパロパ種は傍らにいるのだろう。自分が傍に居られなかったというのに。花歌い手に会いに行くこともできなかった。ソシェにも生活があった。何よりも、アボラメウルのことを知らなかった。アボラメウルから船に乗ろうとする者も、アミルのことを知らなかった。それ以前に、ソシェが聞こうとしなかった。――アミルのことを知られたくない半面、知りたいと思うのに。離れた今、今もまだ、ソシェはアミルの星の光に魅かれていた。だからこそ、その星の光が思い出の中に鈍色にきらめいている。

 アミルはどうして花歌い手になったのだろう。ソシェには何度もそれが過(よぎ)っていた。星が一巡する度に、あの時アミルが何を言いたかったのか、わからなくて。

「ソシェ」

 やさしいアミルの声がソシェの心の中で何度も何度も反芻されていた。アミルの声は素晴らしかった。花が歌い、星がかなで、天空がすべてに降り注いでいるようであった。きっと今この川の流れよりも、水のせせらぎよりも、草原を走り抜ける草たちが奏でるその音すべてにアミルの声は溶け込み、そしてアミルの声だけがソシェに響くのだろう。水草がチャプリチャプリと水が打ち寄せるのと併せて音を少しずつ流している。内なる水泡をはじけ飛ばしているかのように、しかしその割れる音も不快でもなんでもなかった。アミルの笑い声は泡沫が何度も割れて現実に戻させるほどに快活で、櫂が一漕ぎ一漕ぎ確実に岸に向かうかのように確かな力強さを持って明朗で高らかな歌声を響かせていた。一トーンずつ、一ターブずつ緩やかに声が上がり、そして天上を突き抜けるかのように鋭くも温かい声が体中から発せられていた。

 アミル。

 数多あまたの星の祝福を受け花のことぎを寄せられ歌い手として生きるアミル。アミルの歌声は何よりもかけがえの無いものと成っていた。ソシェの生活を縛り付けるまでに、何よりも大切であった。ソシェにはここしか無い。このアミルの思い出の場所しか残されていない。何度でもアミルの声は響いた。ソシェの心の中で、何度も。

 心の中でしか響かなかった。パロパ種は船の中で居眠りをしている。いっそパロパ種のように安らかに眠りたい、アミルの声を思い出しながら、胎内に戻るかのようにして。ソシェが音を立てないで船を漕ぐ、緩やかに船を漕ぐのもアミルの声を何度も自分の中で反芻しているからだ。生命の力強さを感じ、灯のように暖かい歌声。消したくない。何度でも聞いていたい。あの駆け抜ける笑い声、意気揚揚と駆けだす勢いある掛け声、寒い日が続き少しは何か薄い膜がかかったようなあの声。そして誰のかわからない涙が流れて言葉も流れてしまったあの日。ソシェにとってはその最後の言葉がどうしても引っかかっていた。あの言葉は、あの声は。もう一度聞きたい。もう一度聞けないのに、もう一度だけ。アミルの声で。アミルの、

「ソシェ」

 あぁ、だからか、アミルの声が、

 ――アミルの声?

「――アミル、なのか?」

 パチンと泡沫夢想が消えた。

 回顧に想いを馳せていたら、東側の岸についていた。

 東側の資金管理をしているミマタはソシェの倍以上の年をしている優秀な者であった。起伏の緩やかなテメス川であるが、川の流れがないわけではない。その流れに全く負けず、なおかつ船が上下することもなく丁寧に人を運ぶことは、寄合の中でもミマタが一番であろう。西側のオラシュとはつがいであるとのことだ。二人が共になって東西の渡河の資金を管理しているが、今のところ不正らしいものは無かった。ミマタとオラシュのやり方はとても合理的であったし、何よりも寄合の者たちが低俗的な競争心を駆り立てることなく全く争わずにいられ協力していけることを示したのだから。もっともその一つの方法が、先代の資金管理者であるエメとポイール、ジュジェとロファインによるものであるというし、その前にもいたのだろう、という。ソシェには真相はわからなかった。いつの間にか作られた生活のための規則なんて知る必要もないが。

 ――岸辺にいたのはアミルであった。

 アミルはパロパ種を連れていた。ソシェの船にいるよく眠るパロパ種からすると一回り小さく、アミルのかかとに背を預けながら脚をたたみ安らかに眠っていた。パロパ種は西側にしかいない。テメス川の東側には存在しないようで、そしてパロパ種はなによりも西側を好んでいた。東側ではどうやっても定着することができないのだそうだ。その性質を知ってか知らぬかはわからないが、アミルのパロパ種は少し食事もとっていないように見えた。スムースな毛は確かに整えられているが、艶(つや)がなく、足腰の骨も弱そうである。

 東側には草が足りないのだろうか? しかしそんなことはないはずだ。なぜならソシェが生涯手にできる倍以上の資金を、東側では簡単に手にできるのだという。川向うに牧草が無いはずは無いのだ、アボラメウルにも家畜を飼っている者が居り、肉を販売する者までいると言うのだ。天に還る命を最後まで見届け自給自足が基本であるソシェ達は金銭で得られる者の種類に限りが有るのだが、アボラメウルはそれこそ望めば何でも手に入るという。――エルベベルまでの道だって、買おうと思えば金で買えるという話を聞いたが、ソシェにとってそれの何がいいのかはあまり分かっていない。星々の瞬きも、星座の煌きも、時間の流れすら金銭で購入できることができるのか、何でも、というのはそういうことだと思っていたが、疑問は抱いても聞くことはなく、答えも得ていなかった。ソシェが購入できるのは、寄り合いが仕入れたもの程度だ。エルベベルで何かを買うものもいるという草原の民もいるそうだがソシェは出会ったことがない。エルベベルやアボラメウルでは誰もがソシェ達のように自給自足をしているわけではないのだという。金銭さえあればなんでも得られる、というのがアボラメウルの民が、使い方を殆ど考えたことがない――というよりは選択肢が少ないソシェ達にいうのである。そうであれば、アボラメウルで牧草を買うことはそこまで難しくないのであろう、誰もがその仕組みを知っているのであれば。エルベベルは金を集めることも使うことも選択肢がたくさんある街だ。その金銭の量ですら、選ぶことができる。アミルはどれくらい金銭を集め所持しているのか、ソシェにはわからなかったが、パロパ種を餓えさせるようなことはさせていないはずだ。心やさしいアミル。常にだれかを気遣うアミル。率先して生き物のその一つ一つを温かく接するアミル。そのアミルが自信と共に渡河したパロパ種を見捨てるようなことはどうにも考えにくかった。

 それに、職に就ける自由もあればありとあらゆる職に携わる者がなんでもいるというのであれば畜獣の体調を管理するものがいたっておかしくないはずだ、それはソシェも見たことがある。パロパ種自身は東側では珍しい。花歌い手として飛び立ったアミルがどうだったかはわからないが、パロパ種を引き連れているだけで目立つはずだ。花歌い手の中でのアミルはどうだったのだろう。パロパ種と同じように餓えていないと好いが。草原では無い場所で歌っているアミルの姿をソシェは目にしたことがなかった。パロパ種に聞かせえる安らかなる子守歌も、星に届かせるための祈りの歌も、花とともに歩み風と共に踊る歌も、聞いたことがあるというのに。

「ソシェ、大きくなったね」

「アミル、……アミルこそ」

 ソシェはそのあと自分で何を言ったかわからなかった。アミル、嗚呼アミル。糸紡ぎのように生地を織りこむように語る言葉はあるのに。アミル、アミル。星視の生業者(なりわいもの)よりも美しいアミル。花のようなアミル。口から出でる言葉はこんなにも乏しい。草原の草たちよりも、ソシェの言の葉は宙を薙(な)いでは何も攫(つか)めない。

 アミルの姿を最後に見た日から、星達は暗闇を引き連れて十五回以上も巡っていた。それでもソシェとアミルには互いがわかっていた。アミルの星のような瞳は何も変わらなかった。寄合の者たちよりも少し痩せていた。首筋の血管が浮いて出て、アミルの豊かな薔薇の頬に少しだけふさわしくなかった。痩せてはいたが汚れてはいなかった。岸辺の緑よりも鮮やかな深い緑のスカートがそこにあった。土色の袖なしの上着は桃の果実のような柔らかい黄白色のシャツによく似合っていた。草原を走り回っていたころと同じような翡翠かわせみの色をしたサンダルは穿き慣れているものなのだろう、歩き疲れている様子すらない――アボラメウルから西側へ渡ろうとする者は、船旅を休息所のように扱うため、パロパ種が丸まって寝ている辺りに雑魚寝する――。鎖骨が浮いて出て、肘が張り、骨ばり硬そうな印象が先に入るだろう。豊かな髪は未だ変わらず、ソシェは視たことがないが遥か東の砂漠を越えた先にあるという海松ミルのようである。何色もの宝石がちりばめられた装飾品が、頭部に重く圧し掛かっていた。首にも腕にも、所狭しと宝石が鏤められている。

 アミル自身が草原の星になったように。

 しかし、ソシェは知っていた。そのほとんどが、岸を渡る時にアミルが身に着けていたものだということを。ソシェにはその一つ一つに見覚えがあった。ソシェが送ったものもあった。緩やかに、右手首に巻かれている。――拙く技巧のない幼いころの憧憬と共に寄り添っている。

「乗ります」

 アミルは低く、しかし通る声で頭を下げずに言い放った。ソシェは触れないで船の中へと勧めた。アミルは船に乗るのは初めてではない。馴れた足取りで座り、櫂を扱うソシェを見ないで進行方向を見ていた。パロパ種を抱えることはしなかった。パロパ種はついて行く羊だ。いつの間にか起きて、船に乗り、そして当たり前のようにソシェのパロパ種の傍に寄って寝た。どうやらつがいはいないらしい。かといってソシェのパロパ種は既に番ができていた。そのままパロパ種は別のパロパ種と番に成ることは無い。パロパ種の番は、番になったら生涯を遂げるまで相手を変えることはしない羊である。ミゲ種のように繁殖が目的では無い――ミゲ種の繁殖速度はとても速く、草原の民の手に負えないほど増えることもあるという。一方でパロパ種は番になっても、仔を成すまでに時間がかかり、草原の民が手伝うことも二度や三度ではないこともある――。

 パロパ種は監視が目的だとエルベベルの民は言うそうだ。ソシェにはわからない。パロパ種に監視されたとしても、それは誰が視ているのだろうか? 天の星なのか、地の草たちなのか? その草たちはパロパ種に食べられている。天の星には届かないし、ソシェは星を見上げたとしても星たちはソシェ達を睨んでいるわけでもない。川のせせらぎささやくのだろうか? それは監視の域を超えている行動だ。仮に聞こえていたとして、潺は誰に囁くのだろうか? テメス川で生きている水棲生物はいない。川底に眠るようにして医師となり沈んでいるのだという。潺は一人淋しく囁くのだというが、パロパ種が監視していると同じくらいに根も葉もないうわさだ。推測する必要性も感じられないほどである。一体どうして常に監視されているなぞ、強迫観念を抱く必要があるのだろうか? ソシェにはわからなかった。草原ではある程度のものは共有している。互いに干渉することもある。ソシェはそれでも自由な方であった。草原の礼がそうであるように。

 草原の礼儀はいたって簡素なものだ。アミルはアボラメウルの民と同じようなやり方で船に乗った。草原の民にわかるような礼をする。それが草原での普通であった。アボラメウルのものからすれば、エルベベルへ向かうというのに、何故ここまで簡素なのかがわからないようだ。アボラメウルはもっと複雑で怪奇だ。生きている人間同士の関係性のように。

 アミルがゆっくりと座ったのを見てから、ソシェは船を漕ぎだした。ソシェの船は古くも新しくもない。ある程度使い古されているが、それでも川幅から対比すれば小さすぎる船であることは確かだ。しかし大きな船もソシェには扱いづらかった。機械で動く船もあるというが、それはテメス川に嫌われるそうなので誰も扱わない。

 不思議な話であるが、テメス川が好んだり、むという話があるそうだ。ソシェが生まれる以前にアボラメウルのものが西に向かおうとした時、自分たちで船を用意して渡ろうとしたという。しかし渡ることはできなかった。テメス川が荒れたのだという。起伏がない川であるのに、どうやって荒れるのかはわからなかった。逆流し遡上したというのだが、川が逆流したとしてもその流れに乗ればいいだけである。何もソシェ達のように岸辺に対して真横につくのがすべてではないはずだ。どこでも草原の民たちは受け入れるからだ。――受け入れるしか方法を知らないからだ。

 櫂を持って漕ぎだしているが、アミルと同じ方向を視ているためソシェにはアミルがどんな表情をしているかもわからなかった。アミルと眼を合わせるのが怖かった。アミル、嗚呼アミル。星がまたたくと同じようにアミルのことを想い、適齢期になってもソシェは婚礼の気乗りがせず、風とともに船を漕ぎミゲ種にも優しいというボルラとの縁を断ってしまった。ボルラとも話したことがあるというのに、ソシェにはずっとアミルのことばかり気がかりであった。アミルはもう遠くに行ったというのに、ボルラも花歌い手の一人を諦めたというのに。それでもソシェにはミゲ種と、そばにいるパロパ種がいればよかった。それでよかったのだ。

 だから、アミル――。

 流れは一切変わらない。いつもと変わらないテメス川はゆるやかに流れている。海のようだ湖のようだと言われてもソシェには草原とこの川しか知らなかった。パロパ種はすやすやと眠っている。寄り添いながらパロパ種同士可愛い寝息をたてている。

 アミルの髪が靡いていた。アミルの髪からふわりと石鹸と花の香りがする。川の流れに逆らっているわけではないので、逆風になることもなく川の流れに押し戻されることもない。テメス川の風は緩やかだ。ソシェが力強く水面に波紋を産み出すたびに船が西へ西へと向かっている。川面かわもの波紋が生み出された矢先に消え、飛沫しぶきが緩やかに跳ねた。

「どれくらい?」

「半ばですよ」

迅速はやいね」

「風がありますから」

 あるといっても、ソシェに感じられる程度である。ほぼ無風といってもいい。

 草原に敵はいない。風が味方するのではなく、風とともに船を漕ぐだけであった。川面に紋様が浮かぶ度に、船は進む。風と共に。川に浮かぶ波紋はソシェの服の柄と同じようであった。よれた服、草原の色に染まり、川の色にも染まっている。溶け込むようにしてしか存在ができない。水を吸いながら進む船に乗り、横転しないように丁寧に漕ぐ。いつか草の大地にも、川の水の中にも完全に溶け込めるように。敵はいないのに、溶け込む必要があった。川にも、草原にも嫌われないように、だ。

 アミルの服は明るすぎる。溶け込める色ではない。草原の中の星になるような色だ。花となって咲き誇れる色だ。人と成っているのに、その輝かしい姿は、まぶしすぎた。自然に溶け込むようにして育ったソシェ、花となり歌うアミル。離れた時間だけが無情に切り裂いている。

 時間とともに風が歌っている。香油を用いて丁寧に梳かした髪が、一本また一本と靡いている。アミルは美しかった。今は背姿しか見えない。

 寝ててもいいんだよ。ソシェはそう言いたかった。言えなかった。それはアミルが決めることだ。ソシェの願いと、ソシェの言葉と、アミルの願いと、アミルの行動が合致しなくてもおかしいことではない。アミルの寝顔は幼いころと何一つ変わらないような、あの優しい横顔のままなのだろうか。ソシェにはそれをすべはなかった。アミルの視線は真直まっすぐとこれから至る草原にへと注がれている。まだ、波戸場も見えない。点在するみおつくしがあって、ソシェはそれを目安にして漕いでいた。誰がその澪標を立てたのか、ソシェにはわからなかった。寄合の人たちに聞いても、口伝で残っているかいないか、と言うところだ。

 ソシェ達は文字を扱うが、文字に依存しないことは確かであった。金銭を確認する時は常に三人以上集まり、声を出して確認して最後に文字に起こす。草原で生きるには、常ならんことがあるということを認識するところから始まった。不変である文字にばかり依存すれば、それは文字にとらわれてしまう。エルベベルの民は、囚われた文字に妄嫉するものもいるそうだ。ソシェには固執するものが数限られていたので、両の手で抱えられるもの以上のものの望みがなかった。アミルは両の手で支えられるのか? と自問自答したが、それは星だけが知り、パロパ種が草を食(は)むようにして霧散し続けていた。

 船は常に順調だった。アミルだからとて、ソシェは危険な操舵も、丁寧過ぎる操舵もしたくなかった。アボラメウルの民と同じように、アミルを扱った。丁寧に扱うこと。丁寧に扱いすぎないこと。それが渡船する上で必要なことであった。過剰すぎず、かといって足りな過ぎないようにしなければ、船の上でそのどちらも捨て去らねばならないからだ。だからアミルもおそらく足りないことも多すぎないことも選んだのだろう。アボラメウルで一切合切捨てたのかわからなかった。それはソシェにとってしらないアミルの顔である。そして、今後とも聞かなければ土に還るまで一切知らなくていいことなのだから。

 ソシェはわずかに頬の上気を覚えたが、それでも平常心で船を漕いでいる。

 何度か東に向かう船とすれ違うたびに、パロパ種は目を瞑ったまま少しだけ喉奥から低い声を上げた。アミルのパロパ種も同じような声をあげていた。アミルからすれば聞いて久しいパロパ種の声だ。そっと視線がパロパ種に向かっていた。

 アミルは綺麗だった。伏し目がちであったが、まつげはより一層伸びていた。船が交差する度に乗り手たちが顔をあげ、アミルの顔を見ていた。ソシェにはどことなく誇らしくて、どことなく恥ずかしくて、どことなく嫉妬を覚えた。まだアミルの顔をまっすぐに見ていない。アミルだとわかったのに、それでも本当に今座って船に乗っているものがアミルなのかもわからない。疑っているのではなく、信じられないのである。ただただ、理想が船にいる。

 それに、アミル自身がソシェだと認識しているのかも信じられていなかった。アミルの眼から見てもソシェは見慣れた寄合たちの男と同じであった。ほぼほぼ区別がつかないといわれてもおかしくはない。ソシェ達が互いを識別する細かい違いは有るにせよ、それでもソシェ達はだいたいが草原の民として生きている上に生活スタイルも特段変わっているわけではない。似ているといわれるのが殆どだ。そのうえアボラメウルの民は名前も聞かず、識別するための一つの指標ですら自分たちの中でしか使わないこともある。おおよそ草原の民はみな兄弟だ、と言われても否定はできなかった。遠くの祖達を観ればそうなのだろう。交配をしている間にどう混じったのかもわからない。

 ソシェには兄弟らしい兄弟がいなかった。下の子供が二人いるのを知っているが、弟か妹かわからないそれは、もうソシェの所属する寄合からかなり離れた位置にいるのだという話を聞く程度である。きっとその者たちもソシェ達に何となく似ている、気がする――勿論それはソシェの願望でしかないが。かといってすべてが識別できるかと言えば、若干疑問は残った。ことに視覚の面では、久方ぶりに会う草原の民では別の誰かと混同してしまうことも少なくない。コレッシュとヴェシューラのように同日生まれたよく似た兄弟というのも、遠くからでも近くからでも見わけが付かないものもいる――若干ヴェシューラのほうが肉付がよく、コレッシュのほうが腕が長いので産んだものはそれで見分けるという――。草原で船乗りとして生きていく上で、渡船するときに金を受け取る方も受け渡す方も、互いに選べないということが決まっていた。船を乗るものも漕ぐものも互いに選べない。この約束事を破ることはできなかった。そも、パロパ種が声を上げるということが船の必要性を示している程度であり、寄合に入らなければ金もパロパ種も受け取ることはない。そのため、その約束事を破ることはあり得るはずがない。これまでも、これからも。

 偶然が、ソシェの心に明かりを灯している。

 西側の岸辺が見えてきた。アボラメウルの民であればここで起こすところである。しかしアミルは起きていたし、ソシェはたとえ寝ていたとしても起こすことができなかった。触れられなかった。アミルの方も腕も手も、ほっそりとしていた。一方でソシェの手は汚れていた。ごつごつとして、男らしい手つきをしていた。髪も最低限にしか洗っておらず、しばらく梳かしてもいない。仕事に追われていたわけでもなく、ただただ習慣が身につかなかっただけである。ソシェは自分の顔を映す鏡というものを話には知っていたが見たことがなく、そのため、自分の顔は川面に映ったときしか見ていない。それでもお世辞にも綺麗とはいえなかった。いつだって薄汚れている。アミルと最後に会ったその時から、ソシェは常に汚れていた。草原を一人で走り、ミゲ種の世話をし、パロパ種を迎え、船を漕いでいる。

 アミルはどう生きていたのだろうか。ソシェには皆目見当がつかない。

「ソシェ」

 アミルの声がする。水のせせらぎのように、水よりもき通っていた。しかしそれはソシェに恐怖と焦燥と、そして無垢な期待を持たせた。声をかけてくれた嬉しさと、それがソシェに対して、で間違いないことと。何を言われるかわからないことと、何か不快な事でもしたのかと。緊張が何度も何度もはしっては爆発する。

 もうすぐ船はついてしまう。安寧の岸辺へ向かっている。アミルと二人でいられる時間が、場所が、そのどちらもが期限付であった。ソシェにはなす術もなかった。船はつく。そしてそれまでだった。すでに金銭の支払いはすんでいる。ソシェからアミルに出来ることは何一つない。

 ――船を降りたらそれでおしまいなのだ。

 だが、アミルを船から下ろさないこともできなかった。このままどこに行くというのだ。それらのすべてがソシェの身勝手なものであった。アミルと共に居たい。それはまず間違いなくソシェにとっての積年の願いであり、そして今なら叶えられるものであった。だが、叶えられることはない。叶えることができるわけがない。ソシェの手でどうやって叶えられるのだろうか? ソシェにも、アミルにも、それぞれの道がある。歩くことを止めることもできない見えない道があるだけだ。

 望まないときが、きた。

 船がゆっくりと岸に着いた。錨を下ろす。綱紐ホーサー繋船柱ボラードにつけ、安全に歩行できるよう梯子はしご状の桟橋タラップを出した。パロパ種は喉奥から声を出し、桟橋から草原へととことこと歩きだしていた。パロパ種は名前もつけられないで生涯をえるが、それでも以心伝心というものでもなく、気遣いというものがあるわけでもない。使われる道具ではなく、ともに共存している程度の羊だ。何もソシェを待つ必要もなかった。

 アミルのパロパ種は少し震えながらアミルを見ていた。ソシェのパロパ種はアミルを導くかのように先に行っている。パロパ種のコミュニケーションは草原の民にもあまりよく理解できない。船に乗っている間にコミュニケーションを交わしたのだろうか、ソシェにはわからなかった。パロパ種はソシェを待つことはない。同じパロパ種だから待つのだろうか? このパロパ種は、アミルと初めて会うのだ。気心知れてエスコートをしているかのように待っている。――それは、本当はソシェが行いたかったことだ。

 しかしソシェはアミルに触れるとも、手をとることもできなかった。してはならなかった。船頭と、客だ。それを崩したら、ソシェとアミルになってしまう。そこから先は誰も知らない領域へと足を突っ込んでしまう。

 アミルは船から降りた。馴れた足取りで、草原に、一歩、また一歩と進んでいる。草原のアミルがそこにいた。アミルは一度も振り返らなかった。アボラメウルへ行く時と同じように。船乗りのソシェの顔を見なかった。

「何も聞かないのね」

 ソシェが自分の荷物を取り出した時だった。アミルの荷物は少なく、自分でずっと持っていた。ソシェは何を持ってきたのか、アミルがどうしたいのかもわからなかった。アミルの声は輝いた鈴の音のようだった。それなのに、水の上を走っていたというのに乾いていた。

 未だ背中しか見えない。アミルは振り返っていない。ソシェのことを見ていない。しかし、声は、確実にソシェに相対していた。

「……、ア」

 、

「アミル」

 喉奥から振り絞り、ソシェはアミルの名を呼んだ。カラカラに乾いていた。焦燥感ばかり駆り立てられていた。触れたい。そばにいたい。ただ一目顔が見たい。しかしその勇気は湧かなかった。顔を上げられない。目でアミルを捕らえられない。アミルに嫌われたくないのでもない。それくらいの情があればそれでいい。

 しかし、ソシェにはわからないことがあまりにも連発して起きていた。どうしていいかわからない。既に慣れ親しんだ行動ならいくらでもできた。無為の為のごとく、ただただ感情を押し殺して日常に溶け込めばそれでいい。心と乖離した肉体は、船乗りの男の行動を行っていた。下船の処理だ。そして草原のソシェに戻る。

 アミルは振り向いた。昼の色から夜の色へと星たちが動き出す展へと変わっていた。アミルの瞳は星を映し出していた。黄昏に染まろうとしている草原の色と同じようにアミルの髪も瞳も艶めきだしていた。アミルだった。草原に戻ってきた。アミルが草原に戻っていた。草原のアミル。

 アミルはやせ細っていた。瞳は星を映し出し、暁のように燃え上がっていた。東雲しののめのようにまつげたないている。唇は少し影があったが、ふっくらとして気丈そうな表情は何一つ変わっていなかった。化粧らしい化粧は見えず、雀斑そばかすが愛らしく散っていた。化粧をしたアボラメウルの民を見たことがあるので、ソシェにとってあつらえとってつくろわれた化粧顔のアミルの姿ではなくて少しほっとした――見たかったというのもあるが、いつも見せている顔なのか、知らない顔なのか、ソシェには判別つかないだろう――。耳には何も装飾をしておらず、薄い耳たぶが風に靡くことはなかった。薔薇の頬、通った鼻すじ。キメが少しだけ減った肌。ソシェとほぼ変わらない身長であったのだが、背丈も伸びた。成長したアミルがそこにいた。

 アミルの瞳はうれいていた。慣れ親しんだ草原ではない。アミルにとってはここは、久しぶりの草原であり、アボラメウルから街へと渡ったのだろうから、アミルは草原よりも街のほうが親しいはずだ。

 しかしそこにいたアミルは、確かに街の民の顔をしながら、草原の民になろうとしていた。すべてを共有することができる顔つきであった。パロパ種がアミルの足元に寄り添っていた。不安げな顔をしている。ソシェのパロパ種も足取りは止まっていた。ソシェを待っているかのように。――有り得ない、アミルのパロパ種を待っているのであろう。

「アミル、久しぶりだな」

「そうね」

 砕けて出た言葉はその程度だった。ソシェは人づきあいが得意ではない。会話も苦手ではないのだがうまくはない。久しぶりの草原だね、とか、おかえり、だとか。上手く言えるものはそうあるだろうが、ソシェにとってその言葉を引き出すことはあまりにも難しすぎた。

「ソシェ、草原はどう?」

 この場合は、草原の暮らしはどう? の意味だ。アミルはすでに心の底から草原の民に戻っていた。あのころのように。星明かりの下で踊りながら歌うかのように。

「変わりはないさ」

「そうか。ソシェは大きくなったな」

「アミルも、大きくなった」

 ――そして綺麗になった。

 黄昏たそがれの色を背に受けたアミルは美しかった。美しすぎて眩しかった。ソシェにとっての星明りは可視できるというのに、黄昏の太陽はあまりにも眩しすぎる。堕ちつつも、大地を暖める太陽には変わりなかった。炎のように茜がくゆる。星たちは天空の饗宴を始めるというのに、ソシェ達はまだ草原で立ち止まって、見つめあっていた。互いの星が交錯する。

「――なれなかった」

 アミルはぽつりと言った。

「なれなかったのよ、あたし」

 十にも満たない時のアミルの顔がそこにあった。幼いころ、走りすぎて寒さに震えるしかできない時の顔だ。瞳はうるんでいた。もうそろそろもやが出始めてもおかしくない時刻に差し掛かっている。いくら年中草が生い茂っている草原の民でも、夜半はさすがに冷えに震えてしまうので、早々と宿舎に戻るしかない。アミルは家に帰るのだろうか、そういえばその話すらしていない。

「なれなかったの!」

 耳をつんざくような絶叫が喉を裂きながら空へ飛び立った。

「アミ、」

「なれなかったの、あたしは……。花歌い手を、続けられなかった」

 アミルは震えながら、静かに涙をこぼした。

 そしてソシェは理解した。

 アミルには帰るべき場所がどこにもないことに――。

 草原の民は移住して草原の民となれるものではなかった。適齢期になれば、草原の民はほぼ男女かのどちらかに分化する。何故そうなっているのかはわからないが、草原の民であることの一つの理由が男女どちらかの分化――勿論男女以外に何かに成れれば、それもまた一つの分化の形ではある――が、成体になるまでに必ず行われるということだ。早ければいいというものでもない。ソシェが知る限り早くに分化したものは早くに死ぬ。それも、凡そ適齢期頃に、だ。働き盛りとなり、つがいとなりこを成すには最適の年ごろに死ぬ。そのため、早すぎる文化には警戒をする草原の民だが、遅い分化にはいっさいの興味を持たなかった。

 ソシェも、まだ分化していない。おおよそ、外見は男に近いが、完全な男性ではなかった。人間ではある。しかし、男ではなかった。では女であるか? そうでもない。まだどちらにも分化しそうもなかった。

 分化しない者は草原を去らなければ成らない。勿論すべてがそうでなければならないが、パロパ種やミゲ種が番をもち繁殖をするというのに、それを管理するものが番を持たずに過ごすことが果たして好いのか? ということらしい。それは草原の寄合を離れる程度の意味である。ソシェの親は共に分化が遅かったのだという。そも、草原の民の三割は分化ができないらしく、その小さなコミュニティに属するか否か、という程度のものだ、と寄合の長は言っていた。ソシェもいつか分化するからといって引き伸ばし引き伸ばしていた。親たちが顔なじみであったのもあり、恩情と故智たちにより留まらせてもらっている。

 遅い者では生涯に幕を下ろすその一カ月前に分化したのだという。草原のコミュニティは共有だけだ。その男女共の役割を負うのであれば、分化しなくても生きられる。分化していないものも、コミュニティの中ではソシェ以外にもいるという話だ。ソシェは会ったことがない。

 草原の牧畜に向かないらしく船乗りにもなっていないという。寄合の中ではパロパ種の繁殖を手伝っていたり、番を扱っているのだという。まるでエルベベルの僧侶みたいですな、とアボラメウルの民は言うので、そのものの正式な名前以上に、僧侶プリーストという渾名で呼ばれていたそうだ。そのものは僧侶と呼ばれてからはますますパロパ種の繁殖に意欲的に取り組んでいたという話だ。自分はできないことを羊にやらせているのは酷だとは思うが、それでも雌雄を結びつけるということは面白いのだと言う。それぞれの個体から紐状に伸び続けている縁を紡いで生地にしているようだと言う。

 パロパ種は繁殖に向いている生き物では無いが、人間を扱うことには長(た)けているようで、そうやって僧侶に頭を垂れ下げながら自身の種を繁栄の道へと歩ませていた。アボラメウルの民から観れば狡猾だというが、それはそれであり、これはこれであった。そういうパロパ種がいるからこそ、僧侶には草原のコミュニティの中で、草原の寄合の中で生きられる場所を見つけているのである。別に何もかもが悪いわけではない。物事の見方が、変わっていくだけだ。

 アミルが花歌い手となった日。あの裁定の時。アミルが聞かされた話には、一つ約束事があった。

 男女どちらになれなければ、街の中では生きられないことを。

 ――それが街の中の未分化の負う宿業カルマであった。

 アミルは花歌い手となった時にそんなことは考えていないだろう。はらりはらりと静かに落ちる涙が何よりも饒舌に語っている。

 分化しなかった。

 分化できなかった。

 肉体ほどうまくコントロールできないものはない。そして心も寄り添うようにでないと、コントロールできないまま感情の海に溺れ沈むだけであった。

 アミルは泣いていた。ソシェは初めて見た。アミルが泣いている姿は、幼少期ですらない。気丈なアミルが泣くなんてことはなかった。草原の民はつつましく生きることを選択し続けている。泣くようなことをさせることもなく、泣くようなことをするものもいない。モノを共有し、大地にそびえ立って生きてゆくしかない。何があっても自分たちの力でしか生きることができない。そういう生き物である。他力本願なんてものは無い、共有を選択し続け、その度に共同体が大きくなっていくものだ。ソシェやアミルといった名前ですら、識別のためであり、それぞれが祝福を受け与えられたものとしても、やがて自身の内臓の様に自立して存在し身体の一部になってゆく程度である。

 生まれてから星が二十五回も巡っても、ソシェもアミルも生殖機能はなかった。機能していなかった。未分化のまま、性の成長期は訪れていなかった。いつ命が絶えるのかもわからないように、いつ自分たちが性を目覚めるのかすらわからない。

 アミルは花歌い手になりたかった。なっていた。――それはともしびのように命をついえた。

 花歌い手の殆どは未分化のまま花歌い手となり、そして分化してやがて本当の歌い手となる。花を振りまくから花歌い手なのか、花のように歌うから花歌い手なのか、おそらくアミルもわからないだろう。花歌い手でできることは限られていた。どうやっても本当の、雌雄が分かれた歌が歌えないのだと言う。男が女の歌を歌うように、女が男の歌を歌うように聞こえるのだという。そしてそれは詭弁であった。花歌い手には男女どちらかの役割をニエのように負わせられている。花形だからこそ、男女いずれかの立場に立たされるのだ。それが花歌い手の本当のところだ。世界は変化や平和だけを望むとは限らない。時に不変で、時にいきようのない怒りのぶつかり合いをもたらすこともある。

 花歌い手は分化しなければならない。アミルにはそれが訪れなかった。川東の民のように、殆ど生まれた時にどちらかの性を持つ者たちと同じにならなければならないのだ。街で生きる資格がなかった。遅すぎる成長によって。――幼年期に終わりが訪れなかった。未分化のままで街の中で生き延びるものはいない。結婚適齢期という人間たちが勝手に決めたしがらみに、誰もかれもが当てはめられていく。――生まれ育った時でしか、判断しておらず、心はもっと不可解なことになっているかもしれないという可能性を捨て去っている。いつまでたっても幼年期のままのオトナたちを、ソシェもアミルもいくらでも見てきた。生殖の可能性は可視化できないだけ、いつまでも無限である。過去の例から編み出したといわれている適齢期なんていうもの、交雑出産ですら、自分たちの種は自分たちでコントロールできない。ただただ、誰かに対して性らしく都合よくあり続けろと負荷をかける。

 花歌い手の声は透き通っていた。しかしそれは、未分化だからこそ中性の道を真ん中寄りに歩んでいたからこそ聞こえるのだという。ソシェにはわからなかった。アミルの歌はアミルのものだ。誰のものでもない。アミルの口から奏でられただけである。アミルのものであるが、飛び立った後は誰のものでもなく、天に還る。

 しかしそれを受け入れられる社会体制は、どうやらアミルの周りにはなかったようだ。アミルが花歌い手となるには、生殖器がちゃんと機能する必要があった。未分化のままの婚姻制度は、子供の時の婚約以外では有り得ない。男女の番か、男同士の番か、女同士の番か。何れにせよ花歌い手の役割は結婚制度に基づいた婚姻を交わすことも入っている。アボラメウルではそれをプロパガンダというものもいるらしい。ソシェにはよくわからなかった。それだけ花歌い手を偶像視しているということなのだろうか。

 未分化は劣等的な存在でもない。街がすべていいわけでも、草原しか知らないということも、そんなこともない。断片的にしか得られない情報を、自分たちの頭の中で組み上げて話として成り立たせても、判断するのは自分自身であることだけが確かなのだ。

 肉体が追いつくか追いつかないかはわからないが、

 ソシェにもアミルにも、ただの人間として生きていくことに、負い目を感じる必要なんかないのだから。

「……どうしよう、か」

 アミルの涙は止まらない。

 ソシェはまだ触れられていない。涙がこぼれ落ちているアミルを見て、ソシェも泣きそうになっていた。ソシェは何度も泣いている。ミゲ種が星へ散った時も、祖が天に還った時も、番を断った時も、分化しない不安におびえている時も、だ。ソシェの涙を流す時のつらさもわかっていた。言葉にできないものがそこにあった。鼻水が垂れてきて、唇を割って舌の上にそっと乗ってきた。アミルの涙は止まらない。濡れた瞳が、瞳の中の星まで水面に浸かったかのように揺れ動いている。

 やっとの思いで口を開き、喉奥から乾いた声を絞った。

「アミル、泣かないで、」

 失敗した。月並な言葉しか生まれなかった。ソシェに教養が足りないわけではない。草原の教えはいつだって簡素だ。だから草原の言葉以外のものは、すべてアボラメウルの民が教えてくれるもの以外増えることはない。アボラメウルの子供を宥(なだ)めさせる言葉だっただろう、と今になってソシェは思い出した。アミルが知っているのかはわからないが、アミルの涙は止まらなかった。少し俯(うつむ)き、まだ泣いている。涙が草原に散り降り注いでいる。

「……」

 返答はない。アミルの肉体のことは、アミルの人生のことはアミル自身が決めるものだ。それに干渉することも、強いることもできなかった。

 ソシェはアミルのことをずっと待ち焦がれていた。

 だからこそ、アミルには自由に生きて欲しかった。

 アミルには希望の道を歩み続けてほしかった。ただそれだけであった。待っている自分のことも、草原の歌のことも、ミゲ種と共に生きることも、パロパ種を養うということも、何もかも全部脱ぎててアミルだけの道を歩んでほしかった。

 アミルは花歌い手で居られなかった。その道を、捨て去った。ソシェも、今いるこの場は必死にしがみついているもので、それですらたまに鬱陶(うっとう)しく感じている。アミルが感じるのはもっと漠然とした恐怖なのかもしれない。アミルの想いと比べたら、ソシェの抱えているものは、とてもちっぽけだ。ただただ居て在る。共有して生きている程度だ。何も覚悟を背負っていない。いつか分化する、それが確かなだけだ。――そう信じているだけだ。

 アミル、嗚呼アミル。いつの間にか背はソシェが追い抜いてしまった。あの頃と何一つ変わらないで、歌いながら生き続けたかっただけなのに。いつの間にか、ソシェはアミルのことを神聖化してしまった。幼いころと何一つ変わらないというのに。分化する前でも、分化していない今でも自分と同じだというのに。

 アミル、嗚呼、アミル。そんな葛藤を抱えていたなんて。自分と同じように。二人は悩みを共有できるというのに。草原の民と同じように、共有するものがあるというのに。

「アミル、実は、僕もまだなんだ……」

 ソシェは、そっと言った。アミルの慟哭が止まった。震えが止んだ。空が少しずつ星を踊らせようとくらくなる。ソシェもごく自然だった。アミルと同じであり、行きたいように生きてきた。ソシェは分化しなかった。肉体のコントロールが、望まれたようにならなかっただけだ。ただそれだけで、草原の民として何も変わらなかった。アボラメウルの民から見れば、ソシェは立派な男であり、アミルは少々痩せ気味の女性でしかない。分化しなかった? 外観で判別がつけられるほど、高等な視力はない。外観なんかいくらでも整えられる。男女の区別がつける必要は、草原にはない。番ができるかできないか、である。子供は産みたければ産めばいい。生きて共有することしか、草原では選択枝がない。

 ソシェは思いの丈をすべて伝えようとした。伝えたかった。草原で生きることの素晴らしさを伝えたかった。それしかないからだ。ソシェにとって草原は生きる場所すべてであった。アミルのパロパ種はソシェのパロパ種の後ろについて行き歩いている。草原での生き方を教えているようであった。

 しかしソシェにできたのは、ただただ、生きて居る今を伝えて居るだけ立った。すべてを話せなかった。すべてを話す必要もなかった。分化していないこと、それでも生きられること。生きていくしかできないこと。場所はいつだって選べること。なんなら僕と、……そこはぐっと飲み込んでしまった。気おくれした。過剰であった。

 そのすべてを、アミルは聞いていた。途中からアミルの顔は草原の草よりもソシェの顔を見ていた。アミルと目があったその瞬間は、ソシェにとって星との接触のように何回も心がはじき飛んでいた。伝わったのか? 伝えられたのか? しかしソシェはそれでも言葉を紡ぐのをやめなかった。糸紡ぎのように、柔らかい布を作るように、その布を寝転びながらおおかぶせるように。その中にいるのがソシェだけなのか、アミルも共になのか、パロパ種の瞳があるのかは定かではない。

 アミルは泣きやんでいた。涙が頬を伝うことはなくなった。乾いた涙の痕がパリパリと皮膚を覆っている。その一つ一つがすべていとおしかった。涙をぬぐうことはなかった。草原の民がそうするように。零れ落ちたものが戻らないように、流れたものを取り繕うこともしなかった。

 ソシェは伝えられる限りのすべてを伝えた。もともとおしゃべりな方ではない。ソシェの心を溶かすことができるのはアミルだけだ。高すぎる融点を昇華させ氷解したのもアミルがいたからだ。アミル。アミル、嗚呼アミル。その瞳が真直ぐとソシェを射貫いている。アミルの瞳に、ソシェの瞳の星が見える。

 軟らかな唇が、少し開いた。つぼみが咲くようにして、春の息吹と共に音色が始まる。

「ソシェ、あたしね、聞いたんだ。エルベベルには、幸せになれる場所があるんだって」

 しかしソシェは、その言葉に頭(かぶり)を振った。アミルにすべてを同意することが寄り添うことではない。互いに言葉を交わし、気持ちを通じること。――草原の民の共有は、そんなものだ。基本的な、ことだ。

「アミル、そんなものは、無いと思う」

 ソシェの言葉に、アミルは少しだけ笑った。

「ソシェ、あたしはね、そういうんじゃないの」

「アミル、」

 アミルになんて言おう。ソシェはエルベベルから戻って来た者を知らなかった。アボラメウルの民は家もすべて投げうってエルベベルに向かうというのだから、帰る場所もないのに幸せそうな顔をしてエルベベルに向かっている。エルベベルは無気味で怖い街だ。アボラメウルの民はすべてをエルベベルにささげているようにも思えるほどに、だ。アボラメウルの民はエルベベルをこがれているかのように、エルベベルのことになればことさら狂信的に振舞う。アボラメウルから向かう人たちはあんなに幸せそうな顔をしていたのに、幸せを享受したまま眠りにつきやがて命を潰えているように思える。ソシェ達が手にもできない金銭を、そのすべてをエルベベルに捧げている。まるで墓場だ。自分たちの墓場を他の地に求めているかのようだ。それだけではない。ゆりかごのような墓場を街として形づくっているようにも見える外観をしているという。ソシェの目的はエルベベルに行くことではない。草原だろうが、どこだろうが、生きていくことだ。そも、ソシェ達は草原で行き、川に身を任せて命をえる。金銭にも、文字にも、依存しない。ただ生きていく。ここでも、どこでも。命ある限り。

 アミルは、笑った。開花し、星がまたたきだした。

「――あたし、星の音を聞きたいんだ」

「星の音……」

 それはソシェにとっては突拍子のないことだった。星の音。星は天に輝くだけではないのだろうか。星から生まれる音なのだろうか。星が奏でる音なのだろうか。ソシェにはわからなかった。

 アミルは、つづけた。

「花も、風も、人も。色んな音を聞いたよ」

「アミルは好いなぁ……」

 ふわりと、ソシェは漏らした。羨ましいという言葉は呑み込んだが、それでもアミルはきっとソシェよりもたくさんのことを見て聞いたのだろう。どれだけの思いをしたかわからない。好いことも、悪いこともあったのかもしれない。それでもアミルは気丈だった。

 星を抱いていた。未来を見ていた。

「水のせせらぎも、鳥のさえずりも、人の嘲笑わらい声も」

「……」

「エルベベルにはそれがあるんだって、」

 ――星の音はエルベベルにある。アミルはどこからその話を聞いたのだろう。アボラメウルの民からもまったく聞いたことがなかった。真偽がわからなかった。あまりにも抽象的である。ソシェが知っていることは限りがあった。アミルの知っていることよりももっともっと少ないから、それが本当かどうかなんか、わからなかった。

 ただアミルの傍に寄り添っていたい。それだけは、ソシェにとっても確かなことであった。

「アミル、あの」

「エルベベルに行きたい」

 アミルはしっかりとした声ではっきりと言った。星が煌めいている。夜空が、もうすぐ訪れようとしている。

「それは……」

 ――口ごもった。

「……できないよね」

「、アミル、あの」

 ソシェはかがんでアミルの瞳を見た。アミルの瞳はとても綺麗だった。凛とした意志があった。星がきらめき揺らいでいた。太陽よりもはっきりとした。夜空の星をたくさん映していた。アミル、嗚呼アミル。ソシェよりも背丈は小さい。ソシェよりもやせ細っている。しかしソシェにとってアミルは大きく偉大なものを抱えていた。何よりもソシェに足りないものすべてを持っていた。

 そしてそのすべてを、ソシェは、肉体がある限り、守りたいと思った。

「アミル、アミルは誰よりも、綺麗だ。僕はずっと、そばにいたい」

「ソシェ……」

「アミルが行くなら、僕は一緒に行く。そうしたかった。これまでも、これからも」

「ソシェ、」

「……アミル」

 アミルの瞳は滲みだした。また涙が溢れそうになっている。鼻声になりそうであった。零れ落ちた涙に色はない。だが、その一つ一つが、先ほどまでと意味合いが違っていた。

 涙の先に、未来が在る。

「……ソシェ、エルベベルの先にあるっていう、花を観に行こう」

「うん」

「どんな花なのかは、知らないよ。聞いただけなんだ」

「きっとアミルの歌う、花のように綺麗なんだろうね」

「わからない、けど」

「ちょっとでも付き合ってよ」

「うん」

 ソシェはアミルに手を差し出した。アボラメウルの民がそうしていたことを見たことがあった。アミルは特に嫌な顔せず、握り返した。草原の礼だけでは足りない。街で生きていたアミルも受け入れられる。街から金銭を得ていたソシェならできることだ。

 旅は初めてだ。アミルの寝床も必要だ。今夜はもう遅い。明日からでも、歩くことはできる。体を休める必要がある。アミルを落ち着かせ、旅の準備をする必要もある。パロパ種も休ませなければならない。アミルも、そしてソシェも。

 ソシェは手を引いた。ソシェの寝床は簡素なものだが、船着き場から少し歩かなければならないところにある。行くところがないアミルを迎えるための準備は何もできていない。しかし今が完璧でなかったとて、これからが充足であればそれでいいのではないのだろうか? アミルの祖も親もアミルを受け入れられないだろう。花歌い手が戻ってくるとしたら天に還る前に寄るだけだ。それでなくとも、アミルにとって栄光の凱旋ではない。ただただ街で生きられなかっただけだ。草原の中のアミルは、過去の思い出と共に死んでいる。アミルは知らなかったのだろうが、ソシェが知る限りアミルの親も祖も、アミルを花歌い手にするということはそういうことだと受け入れていた。受け入れたうえで、未来の栄光を願っていた。草原のアミルの未来はついえ、街のアミルの未来を願ったのだ。草原では、ソシェだけが待っていた。――死を願うことも無く、ただただ一緒に行きたかったからだ。草原で生きていた、心が死んでいたようなソシェが、生き返った。草原にはそういうことがある。そういうこともあってもいいのだろう。星が生きて、星が死ぬように。

 花の旅が、星の音とともに始まった。船は草原の海を滑り出した。ただただ、生きるために。

 星が、瞬いていた。

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星渡りの風華 つしま らい @chartreuse

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