第3話
3台2列で区切られたスーパーの駐車場。斉木鈴子は通路に面しているが入口に近い角の駐車スペースへ停め、車に積んでいる霧吹きで猫につけられた足跡を簡単に落とし携帯用拭き上げワックスで整えてから気を取り直して入店した。
スマホで送られてきた買うものリストを確認しながら手早く買い物カゴに放り込んでいき、余計な買い物などをしないようにして効率よく店内を回る。最後に一番重たい大玉スイカを左手に下げてレジを済ませた。
助手席に買い物袋などを置きたいが、隣の車がかなり下手な駐車でドアを開けるスペースがない為、仕方なく運転席側から運び入れることにした。
ドアノブに手をかけようとし、絶句。
運転席のドアが不自然なくぼみを作っていた。
「……え……ちょ……えぇ……」
座り込んで荷物をそっと置くと、髪を撫でつけたり頬を触ったり顔を両手で覆って息を大きく吸ってみたり、激しい動揺を禁じ得ない。時間にすれば数分の出来事である。通路側であるゆえに擦られるならともかく、まあまあ豪快に凹まされるという想定しがたい事態に目を瞬かせたり凹みに触れようとしたりやめようとしたり、空を仰いでみたり、とにかく挙動不審になっていた。
「あー、落ち着こう、落ち着こう……」
ウェストポーチから棒付きキャンディを取り出し、包みを外して咥える。しかし口の中が乾いてキャンディはなかなか溶けず、何味かもさっぱり分からない。
「えー……はぁ……はぁぁ……」
完全に当て逃げされて意気消沈したままスイカを助手席に乗せ、シートベルトを締めてエンジンをかけると力なくシフトレバーを操作して発進。
だが、駐車場を出る間際、突然、車内にピーピーという警告音が鳴り響く。
「え、なに、なに」
冷静に停車させ警告音の表示を確かめる。シートベルト未着用のランプが灯っていた。
(え、うそ、センサーまで壊れた?)
げんなりしながらシートベルトを差し直すと警告音は止んだ。首を傾げながら再び走らせると、またいくらもしないうちにアラームが鳴り、同じランプが灯った。
「えー、シートベルトしてるしー……」
路肩に止めて他を念入りに確認してもやはりシートベルトしか警告灯はついていない。ふと、助手席のスイカに目が留まった。
数秒、スイカを見つめたのち、片手をシートに押し当てて体を支えながら手を伸ばして助手席のシートベルトを差してみた。するとアラームは止み、元の車内に戻った。
「えー……まぁいいけど……」
とりあえず納得した。
動揺から立ち直れていないのを自覚して、普段よりもかなり安全運転で友達宅へ車を走らせ、20分ほどで無事に到着した。
溶けてなくなったキャンディの棒をゴミ箱に落とし、深呼吸してから車を降りた。最高とは言い難いが、運転と久しぶりの友達との女子会に気分は持ち直していた。
チャイムを押すとすぐにハニーブラウンに染めたソバージュの女性が出迎えた。
「よっちゃん久しぶりー」
「りんちゃんお疲れー。大丈夫、なんか顔色よくないように見えるけど、痩せた?」
「たぶんスーパーで10キロくらい痩せた……」
苦笑いしながらスイカを差し出した。
「はい、夏女よっちゃんの大好きなスイカー」
「わっ、ありがとう!」
嬉しそうにスイカを受け取って鈴子を中に招き入れる。
「で、タコとかキャベツとか具材は?」
鈴子の思考と動きが完全に止まった。
急速に記憶を巻き戻していく。鈴子の記憶にある買い物袋を最後に目にしたのは、レジで会計を済ませて袋詰めしたところだ。そこからゆっくりと再生。
車に近づいて、助手席から積むのを諦めて、当て逃げの傷を目撃してへたりこんで、スイカを積んで、駐車場出て、シートベルトのアラーム――
(買った物……駐車場に忘れてきたぁ……。)
今日、二度目の絶望感に意識が飛びそうになった。
最近の斉木さん 葵 一 @aoihajime
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