第2話

 空は雲が太陽を幾度となく遮り日差しを柔らかくして穏やかな午後を作り出していた。

 斉木鈴子はこの機を逃すまいと自らの手で愛車のシビックを洗車し、スポンジで自分の化粧よりも丁寧にワックスがけまで施した。

(完璧。機械を使ったかのようなこの均一でムラのない仕上がり。素晴らしい。)

 車の前後左右、上下と様々な角度から艶やかなボディにうっとりしながら自画自賛。ひとしきり眺めて満足すると転がしていた洗車道具を片付け、家の中に入る。

 着ていたものが濡れたり汚れたりしたのでそれを脱ぎ捨て、着替えを衣装タンスから漁っていると電話が鳴り、下着姿のまま出た。

「もしもし、よっちゃん、どしたの?」

「りんちゃん、今日暇?」

「偶然にも休み。洗車してた」

「タコパしよ、タコパ。ミーさんがこっち帰ってきてるみたいだから声かけたら、サリも休みで会う予定なんだって」

「えマジで、めっちゃ久しぶりじゃん、行く行く!」

「やった、それじゃ悪いんだけど買い物してきて、連絡とか道具とかはこっちで手配するから」

「オッケマァール」

 通話を終えるとベッドに投げ捨て、軽めにシャワーを浴びてから女子会用のコーデで身を包んだ。髪や化粧を整え、いつものウエストポーチとショルダーバッグにスマホなどを入れると車のカギを持ってご機嫌で玄関から出た。

「ふんふふ――んなっ……」

 鼻歌から絶句し固まる。完璧なワックスがけまで終えた車の屋根に、穏やかな日差しの影響か猫が丸くなって昼寝をしているのが目に付いたからだ。ご丁寧にボンネットに足跡まで付けている。

(く、こいつ、この辺りを縄張りにしてる野良猫……。)

 よく可燃ゴミの日に袋を漁っているのを目撃するので嫌でも覚える。動物のことは嫌いでもなく追い払ったり恨みを買うような真似をしていないので、彼女からすればこんな仕打ちを受ける謂れはない。

(せっかく完璧に仕上げたのになんてことしてくれんのよ、こいつ……。)

 近寄れば逃げるだろうと家の鍵を閉め、車のカギを解除し、わざと大きめに足音をたてて車に近づく。が、横目でちらっと見ただけで昼寝を継続し、一向に動く気配はない。

「あのー、どいて欲しいんですけど」

 お願いしてみたが、猫は無視。

 猫からすれば彼女を完全に格下に見ているうえ、危害を加えるほどの脅威もないと判断しているわけである。

(ううぅ、舐められてる。)

 追い払いたいが、下手に脅かして爪を立てられでもしたら塗装に傷がついてしまう。しかし、ここは人間が猫より強いという誇示のため、毅然とした態度で臨まなければならないと腹を括った。

(よし、私は強い。私は強い。)

 頭の中で暗示のように繰り返しながら息を吸い、

「にいやああああぁぁぁぁ!」

 両手を猫の爪に見立て力を込め、持てる限りの気迫を使って「私はお前より強いんだぞ」と威嚇した。ようやく野良猫は彼女の方に頭を持ち上げ、フスッ、と鼻から息を漏らした。ゆっくりと体を起こし、さも「仕方ない、どいてやるか」と言わんばかりに屋根から飛び降りてどこかへ歩いていった。

(く、屈辱……完全に馬鹿にされた……。)

 言い知れぬ敗北感。威嚇ポーズのまま固まっていると不意に視線を感じた。振り向けばコンビニ帰りであろう近所に住んでいる男子大学生が立ち止まって彼女のことを見ていた。目が合うと彼は何も見てないですよとばかりにすぐ目を逸らし、立ち去った。

 彼女も顔を真っ赤にして車に乗り込むと早々にその場から走り去った。

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