ナイトアワーライト

その1

 正直言って、もう色々と限界だった気がする。

 世間的に言えば、ただの中年の冴えないおっさん。きっと自分では気づかないが加齢臭も香りはじめてきただろう。最近、妻が洗濯機前であからさまに嫌がっているのをみてしまった。平然としていたかったが、あまりにもショックだったせいで口元を手で押さえ泣き声を殺しながらリビングに戻ったのを今でもねちねちと覚えている。もう、三ヶ月前の事なのに。

 そんな俺に転機という地獄が舞い降りてきたのは、妻に洗濯ものを嫌がられているのを知った次の日のどこかの年末だった。

 いつものように、世間に知られていない中小企業に勤める俺の日課の1つに仕事終わりの1人飲みが楽しみカテゴリとしてあった。勿論のこと、これは妻も了承のうえで家に22時まで酒臭くならない程度ならという制限が設けられてのことだったが、俺的には外で飲めるならと、それでもいいと頼み込んだ。

 もうそれを何年も続けている。初めの頃は新橋駅前や歌舞伎町の店を渡り飲んでいたが、次第に飽きがきて、ここ最近は下北沢で夢みる若者たちの抱負を片耳ついでに聞き、酒の肴にするのに浸っていた。

 その日の俺も、いつものように知らない居酒屋に入ってビールを2、3杯飲みながら、若者の光り輝く将来像を肴にしていた。

「俺は、ゼッテェーに音楽で大成功すんだ。ただの成功じゃねぇ、大成功だっ!」

 隣の席で、今時の洒落たサブカルファッションを身に纏った髪の毛の赤い若者が、頭髪に負けないほど燃え滾ったその心意気を熱弁していた。

 今日はまた一段と夢ある若者が隣の席になったもんだと。ほのぼの思いながら、つまみをつまむのもまた酔いをまわしてくれた。

 たたずまいは、築何十年かの民家のような場所でガラッとガタついた出入り口を開ければ、そこに広がるのは子供の頃に父親に連れて行ってもらったどこか懐かしい大衆居酒屋だった。メニューも手書きだったためか、どこか親近感を沸かしてくる。

「……いいねぇ」

 そんな空気感に俺は心を許していたのかもしれない。ふと、口元がほころび言葉がこぼれ出てしまった。

「お?」

 そしてその言葉は、随分とした声量で若者に届いたらしく血気盛んに爛々と輝かせた目で俺を見てきた。

「おっさん……」

「な、なんだ?」

 席が隣同士ということをこんなにも憎んだことがあっただろうかと言うほどに俺は内心焦っていた。

 グイッと顔を近寄せてきた若者は眉間にしわを寄せ、ジロジロと俺を観察しているようだった。

「わかってるねぇ~!」

 次の瞬間、二カッと笑ったと思えば、椅子の上に立ち中ジョッキを掲げ上げた。

 まるでどこかの主人公のような若者に俺はつい、御節介を駆けたくなる性分らしい。

「にーちゃんこそ、いいね! 若もんはそうでなくちゃっ」

 と、言い放ち手元にあった半分まで減っていた中ジョッキを一気飲みしてみせた。

 すると、若者はこれに反応して真似てかノリか、満杯に入っていた中ジョッキを一気してみせたのだ。

「お!? なら、俺も」

「威勢いいな、おぉい」

「くっ、っかぁぁぁぁぁぁぁっ! うんめー」

 まだまともな会話もかわしてはいないが、目の前で立ちながらビールを一気飲みする若者とは楽しい酒の席が飲めそうだった。いや、もうすでに飲んでいた。

 最近の若者は、気取って本当の楽しさを知らないような奴らばかりと思っていたが、どうやらこの若者は一味も二味も最高の調味料で味付けがされているらしい。

「おっさん、アンタいいノリしてんじゃんか! そこら辺の堅物とはちげーな」

「そっちこそ、そこら辺の若者とは違うな」

 若者は座りながら俺を褒めてくれた。まさか、この歳になって若者に褒められるなんて思いもしなかった。なんせ、邪険に扱われることに慣れ過ぎた俺だ。つい、調子に乗ってしまう。

「サンキューな、おっさん」

「なにがだ?」

「初めてなんだよ。俺の独り言聞いて馬鹿にしなかったの」

「あの音楽で成功するってやつか?」

「大成功な」

 若者が、急にしんみりとした様子で言ってくるものだから俺は何もしてはいないがつい動揺してしまった。

 さっきまであんな強気だったのに、急に弱さを見せてくる。もしかすると、あれはただの意地だったのかもしれない。そう思うと、何故だか自分の過去の姿を重ねてしまった。まるでどこかの三流ドラマの様に。

「そうだったな。すまん」

「ほら、そーゆーとこ。普通だったら流すところなのにおっさんはちゃんと答えてくれる」

 新しい中ジョッキが用意され、それを店主から受け取りながら今度は対照的にチビチビとゆっくり飲み始める。

「ま、人間だれしもにたよーな経験してるから、情が移ったってだけだよ」

「ならその情ってやつで、俺の話ちったぁ聞いてはくれないか?」

「どんとこい。おっさんでよければ聞いてやろう」

 そうクサく言って自分の胸をドンッと叩いて見せると、若者の口元がほころび身の上話をはじめた。

「俺はさ、ずっと音楽で生きてくって思って九州の田舎から上京してきたんだ。んで、箱、あーえっと、ライブハウスがいっぱいあるって聞いた下北沢に来たんだ。ここらいったいは家賃が高いから電車で通ってんだけどよ。んで、下北沢は音楽以外にも役者やら漫画家やら夢みる奴らが集まる場所だってのも聞いていたんだけどよ、実際来てみたらどいつもこいつも身なりばっかで中身がねーチャラついた奴らばっかで、なんとなくとか今を生きているだけでとか、なんかちいせーつーか。むしろ、俺が将来の話すると小馬鹿にしてくるくらいなんだ」

 確かに今の若者は、そんなイメージがあった。だけれども、どこか偏見の持った味方なんだろうと少し期待してはいたが、どうやらそうでもなかったらしい。

 今目の前に居る若者は、そんな波にのまれず自分の夢を追いかけている。でも、どこか悲しい表情だった。

 ここにくれば夢みる同士がたくさんいると思ったのだろう。たが、現実はそう甘くはなかった。それを痛感したのだろう。

「でもよ、やっぱ夢は諦めらんねーし。今更もう意地でも引き返せねーし。けど、時々思うんだよ。なんで俺はこんなところでバイト生活送ってんだろうって」

 不安や孤独にかられる。その感情が俺にはよくわかっていた。

 誰しもある若い時に、俺は目の前の若者と同じ境遇に立ったことがある。そしてすぐに折れその他大勢に染まった。

 ここで無責任な事を言ってはいけないと、物凄くわかっていた。

 諦めるなと言えば、もしかすると若者の人生そのものを棒に振らせかねないし、諦めろと言って、俺みたいにいつまでもモヤモヤをもって煮え切らない気持ちを持ってもほしくはなかった。

 だから俺は無言で若者の話を聞きつづけた。それが、今俺ができうる最善の事だと信じて。

「なぁ、おっさん。俺は、俺はさ、どうすりゃ」

 若者が少し潤んだ目で俺を見てきた。

「馬鹿か」

 その瞬間、俺は若者の胸に拳と思いをぶつける。

「お前、自分の面、鏡で見てみろ。それか、今ここで聞いてみろ」

「んだよそれ」

「いいか。どんな奴でも生きてる限り可能性なんてなくなんねーんだ。諦める可能性も諦めない可能性もだ。ゼロになんてなってくれやしないんだ。だから、今みたいに悩んだりする」

 まるで自分自身に言い聞かせているように、若者に話す俺がいたことに少し驚いていた。

「だからよ、俺みたいな老いぼれに聞くんじゃなくて、若者の持ってる夢に問いかけろ。そうすりゃ答えは出てくるさ」

「おっさん……」

「な? だから今はパーッと飲もうぜ」

 若者はその後しばらく無言でいたが、急に涙を流しながら笑みを零し始めた。

 よかった。どうやら、俺の言葉が届いたらしい。

「おう!」

「よし、今日は俺のおごりだ」

「マジで!?」

「未来投資ってやつだな。その代わり、ほれ俺の持ってる黒い通勤バッグに白のマジックかなんかサインくれよ。将来売れたら、売って金にするから」

「ひでーな、おい」

 そう言いながらも、店主がいつのまにかご都合主義のように用意してくれていた白のマジックでサインを書いてもらった。

 そのサインは俺が今まで友達が自慢してきた芸能人のどのサインよりも輝いて見え、価値があるものに思えた。

「ありがとう。大事にするよ」

「こっちこそ、おっさんに会えてよかったわ」

 2人で豪快に二カッと笑いあって中ジョッキを店内全体に響き渡るように、軽快に乾杯をした。


「珍しいわよね。貴方がこんなワガママいうのって」

 あの後、妻に連絡してその日だけは次の日が休みと言うこともあり遅くまで飲むことを許してもらった。

「そうか?」

「そうよ。それに、カバンにラクガキなんてされちゃって」

「ラクガキな」

 若者のサインがどうやら妻にはラクガキに見えたらしい。

「でも、そのラクガキは近い将来とんでもないほどに価値のある物に変わるよ」

「は? まったく、まだお酒はいってるんじゃないの」

 そういって妻はエプロンを脱ぎ、風呂掃除へとせっせと行ってしまった。

「……ふっ」

 バッグに書かれたサインをみて若者を思いだしてみると自然と笑えてきてしまった。

 どうやらだ。あんな事、説いていた途中で俺は気付いてしまった。

 いまだに夢がさめていないのは俺の方だって。

 これ妻にいったら物凄く怒られるか、飽きられるんだろうな。

 まったく、笑っちゃうね。

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ハッピーアワーライフ このめ @eater

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