87.わたしも、パイロット

 撮影、当日。心優はあの真っ白な飛行服を着させてもらっていた。

 ミセス准将が貸してくれたものだった。


「准将、ありがとうございます。雷神ではないわたしにこの飛行服を着せてくださって」

「雷神のエースが操縦するコックピットに乗るのよ。広報の撮影だもの。広報のために訓練してくれた貴女にも着る資格があるわよ」


 さあ、撮影に行きましょう。

 これから撮影をする空母へ行くという。

 ミセス准将と共に准将室を出た。この時、心優はすこし違和感を持った。

 いつも准将のお供についてくるラングラー中佐もハワード大尉も一緒ではなかった。


 心なしか、本部室の本部員も白い飛行服を着ている心優を見て、ニヤニヤしているような気がしたし、女性隊員達がどこか嬉しそうな顔で『がんばって』と手を振ってくれている。


 夏の白シャツ制服姿の准将と二人だけで歩いているのに、すれ違う隊員の誰もが心優を見て、笑顔で『がんばって』とか『おめでとう』と言ってくれる。


「おめでとう……って、なんかおかしい激励ですよね。広報の撮影で、戦闘機に乗るだけなのに」

 変な挨拶と心優は苦笑いを浮かべたが、ミセス准将はふっと静かに微笑むだけで返事をしてくれない。


 そんな彼女の後をついていくと。いつも空母へ行くための連絡船が停泊している桟橋とは違う方向へと連れられていく。

 おかしいな、なんか、おかしい。

 極めつけが、准将が向かっているのが、管制塔だったこと。


「あの、准将。桟橋へは行かないのですか」

「ごめんなさいね、心優。今日、搭乗してもらう機体を変更したの」

「え、変更?」

「艦載機では飛べなくなったの。でもね、その変更した機体でも貴女なら大丈夫だから」

 なにかがあって変更になった。それならそれでいいのに。どうして搭乗する本人に直前になって言うのだろう? いつもの准将ではない。やっぱりおかしい!


 そんな彼女に不信感を初めて抱いたのだが、御園准将が管制塔一階にある滑走へと出るドアを開こうとしていた。


「今からその機体と、本日操縦してくれるパイロットを紹介するわね」

 ドアが開けられる。いつもの海からの潮風がふわっと入ってくる。潮の匂い、小笠原の緑の匂い。そして、目の前には戦闘機とは違う飛行機と……、心優は目を見開く。そこにもうひとり、真っ白な飛行服姿の男がいる。


 栗毛の彼女が、いつにない優しい微笑みを浮かべ、その男性へと心優を促す。

「私からの結婚のお祝いよ。ソニックと一緒に飛んできなさい」

 そこから心優は動けなくなる。お揃いの飛行服を着て、川崎T-4の前に立っているパイロットは雅臣!


「ど、どういうことですか」

 それだけではなかった。

「心優ちゃん、おめでとう!」

 橘大佐を先頭に、雅臣が立っているそこまで、ラングラー中佐やハワード大尉やコナー少佐に福留おじさんといった秘書室の先輩に、心優を訓練してくれた雷神のパイロット達、そして鈴木少佐。そして御園大佐、さらに駒沢少佐まで。みんなが花びらを片手に待ちかまえてくれていた。


「広報なんて嘘。駒沢君を引き入れて、それっぽくやっただけ。雅臣の研修というのは、最低限のパイロットの資格を取り戻すための再試験を浜松基地で受けさせていたの。残念ながら、戦闘機パイロットの資格は無理だったけれど、中等練習機やセスナなどの小型機の免許は取得できたの。中等練習機もギリギリで、連絡業務飛行ができる程度の許可しかできないレベル。だから、今回だけの飛行を許可します。彼にとって、これが本当に戦闘機パイロットとして最後のフライト。妻になる貴女に見届けてもらいたいそうよ」


 嘘……。心優は顔覆って泣きそうになった。

 目の前に、雷神の飛行服を着込んだ大佐殿が、もうコックピットに乗り込む装備をまとってヘルメット片手に滑走路に立っている。


「一ヶ月の研修って……。どこにいるか内緒って……。会いに行っちゃだめって……。その間、必死そうだったのって……」

「そうよ。どうしても、貴女と空を飛びたいからよ。T-4は連絡機だけれど、それでも広報機でアクロバットにも使われた程だから、戦闘機操縦能力も試される。いま、雅臣がチャレンジできるギリギリの機体なの。しかもこれが最後。貴女も、エースだった男の世界を知りたかったのでしょう」

 心優は涙を堪えながら、はいと頷く。

「いっていらっしゃい。空で一緒になってきなさい」

 栗毛の准将が心優の背を押してくれる。


「園田、城戸君。おめでとう!」

 御園大佐が手のひらの花びらをぱあっと空に投げると、それを合図にして、両脇にいる先輩達が『城戸大佐、園田少尉。おめでとう!』と花びらを潮風に乗せた。


 心優の足下まで綺麗な花びらがひらひらと舞ってくる。花びらのシャワーの向こうには、雷神の飛行服姿の大佐殿。

 川崎T-4の前に立っている彼と目があって、心優は花びらが舞う中そこへ駆けだしていた。


 おかえりなさい、大佐殿!

 真っ白な飛行服の彼に、真っ白な飛行服を着ている心優はおもいっきり抱きついた。


 そして泣きながら、彼の胸を叩いた。

「なによ、なによ。すごく不安で待っていたんだから。なのに、帰ってきたらコックピットに乗れるだなんて……!」

 もう、絶対に彼は飛行機を操縦できないと思っていた。

「ただいま、心優」

 彼がまず心優を抱きしめてくれる。


「俺もそう思っていた。でも、御園准将がダメモトの方法もあるし、私ならそれを許可できる。だから、最後に挑戦してみないかと言ってくれたんだ。ダメモトだから、もしだめだったらまた心優に心配かけると思って言えなかったし……。准将が成功したあかつきには、心優への結婚祝いにしたいから黙っていてと皆を巻き込んでサプライズにしてくれたんだ。だから、言えなかった」


 ごめんなと彼が耳元にただいまのキスをしてくれる。

 もう心優も涙を拭いて、雅臣を見上げ微笑む。


「つれていって、臣さん。ソニックの空につれていって」

 もうグローブをしている指先で、雅臣が優しく心優の涙を拭ってくれる。

「訓練したんだってな。聞いたよ。パイロットの素質があるだなんて、ほんと、心優はとんでもない最強の奥さんだな」

 だったら大丈夫だなと、雅臣も強く頷いてくれる。そして彼がコックピットを見上げた。空母艦でよく見せてくれていたパイロットの顔になっている。


「搭乗します」

 雅臣が告げると、准将もアイスドールの顔になって頷く。


 それまで二人を取り囲んで和やかだったお祝いムードも消え去って、一瞬にして川崎T-4の周りに整備員達が集結してきた。

 指示を出しているのは、元甲板要員だった御園大佐。

 雅臣がコックピットへと登る梯子をあがっていく。ついに彼がコックピットのシートに座ってしまった。


「園田。シートのベルトをセットするから上がって」

 御園大佐の指示で、心優も後部座席へとかけられている梯子を登る。

 雅臣が乗り込んだコックピットへの梯子には、もう機体メンテナンスの整備員がついていて、雅臣の身体へのベルトをセットし、酸素マスクのパイプもセットしている。


 心優も同じく。御園大佐がベルトを掛けて締めてくれ、ヘルメットを被せてくれ、酸素マスクもセットしてくれる。

 心優の目の前がヘルメットのシールド色になる。太陽の眩しい光線がダイヤモンドの形で連なって飛び込んでくる。


「大丈夫か、園田。チェンジで英太に派手な回転で振り回されてもケロッとしていたらしいけれど、今度は重力が加わるぞ」

「それも、疑似体験しています。本物の上空は初体験ですけれど」

「気絶しそうになったら、城戸君にきちんと言うこと。管制塔に控えている葉月に申告することいいな。結婚前の大事な身体だって忘れるなよ」

「はい、大佐」

「城戸君と話せるようになっている。管制塔との会話は城戸君のみ。知らせたいことは城戸君経由で管制塔の指令室に伝えるように」

「了解です、大佐」


 御園大佐がそこで少しだけ心配そうに、シールド越しに心優の目を見つめ、そしてグッジョブサインを見せて微笑んでくれる。

「グッドラックではなくて、ボンボヤージュ」

 いい旅を! 御園大佐らしい見送りに、心優は笑顔になる。そして大佐はコックピットで準備を済ませた雅臣の肩を激励で叩いて梯子を下りていく。


 ついに梯子が外される。

『キャノピー締めます』

 ヘルメットから雅臣の声が聞こえた。飛行機の天蓋、キャノピーが降りてきて密閉ロックがかかる。

 T-4の下に整備員が群がる。

『エンジン、オン』

 T-4の甲高いエンジン音が心優をとりまく。キーンと高まっていくエンジン音。バタバタとフラップを動かす翼。空へと飛ぶ準備を雅臣がひとつひとつこなしていく。


 今日こそ、彼は本物のパイロット。そして心優も彼と一緒に空へ行く!

 滑走路誘導員マーシャラーの手振りで、ついに機体が動き出す。少しだけエンジン音を落としたT-4が、滑走路の端で止まった。


 基地の棟では、窓辺に沢山の隊員が並んでこちらを見ているのも気がついてしまう。窓を開けて手を振っている隊員もいる。心優を『おめでとう』と見送ってくれたのは、基地の隊員達も滑走路に雅臣が復帰している姿を知って言ってくれていたのだと気がついた。


 上空障害物なし、飛行許可OK。管制塔と雅臣との確認が繰り返される。


「行ってまいります、キャプテン」

 聞き慣れた呼び方、滑走路を見るともう御園准将の姿がない。管制塔の指揮カウンターにいるのだと心優は管制塔の窓を見上げる。


「行くぞ、心優」

 だがそこで心優は『待って』と言ってしまう。

 前座席にいる雅臣が酸素マスクをしたヘルメット姿で少しだけ振り返った。


「臣さん。研修の訓練でアクロバットもしたの?」

 彼が黙った。心優は確信する。彼はそれをしたのだと。答えてくれないのは、上手くいかなかったから?

「どうしてそんなことを聞くんだ、心優」

「それは、出来たの。出来ないの? 教えて」

 また雅臣が困ったように黙っている。彼はもう心優のことを良くわかっている。妻になる女が言いそうなことだと、だから答を躊躇っていると心優は確信した。


「出来たんだね。ローアングルキューバン」

 また彼が黙っている。それが出来たといえば、心優がなんというかわかっているからなのだろう。だから、心優は言う。


「やって、ローアングルキューバンテイクオフ。お願い」

「ひさしぶりにやった俺でも、めっちゃきつかったんだぞ。初めての心優は気絶する」

「それでもいい。気絶するぐらいで死にはしないでしょう。知りたいの。あの世界を。あなたがどんなことを体験したか知りたいの」


 そして心優はさらに言う。

「お父さんがどんなパイロットだったか、いつか子供に教えたいの」

 雅臣がそこで溜め息をついて俯いてしまう。

「それを体験した母親も相当なもんだけれどな。おまえ達のお母ちゃんは肝っ玉だって教えてしまう」

「いいよ、肝っ玉でも、ボサ子でも」

 ボサ子でもって。雅臣が笑ってしまった。


「あーあ、今の会話。管制塔でキャプテンが聞いていたよ。たった一度だけ許可するってさ。気絶しても吐きまくっても、トラウマにならないようにと彼女が言っている」

 准将から許可が出た。でもたった一度きり。そしてそれは壮絶な体験になると釘を刺されている。でも心優は空を見据える。


「大丈夫。それでも絶対に後悔しない。それならそれで、とてもすごいことをお父さんがやりのけていたってことだもの」

 ついに雅臣が強く頷いてくれた。

「わかった。パイロットの素質がある女だと知らなかったら絶対にお断りだったが、俺の女房になる女は最強だもんな」


 ――行くぞ、心優。

 ――ラジャー、ソニック。

 二人揃ってコックピットの向こうに伸びる滑走路を見つめる。


 コックピットで高まるエンジン音、発進前のカウントダウン発信音。

「GO!」

 雅臣の一声で、T-4が滑走路を走り出す。本当ならある程度滑走したところで機首を上げて上昇するのだが、ローアングルキューバンテイクオフは、滑走路に沿ってひたすら低空飛行で飛んでいく。


 このアクロバットはいきなり始まる。いままで滑走路と平行の低空飛行だったのに、いきなり機首を上げて急角度の上昇に入る。『Go、Now』。心優には聞こえないが、雅臣の耳には御園准将からの合図があったはず。心優にはそのタイミングが何故かわかってしまう。

「……っぅぐうっ」

 急角度の急上昇、目の前が滑走路だったのにそれが消えてぎゅっと空だけの景色に囲まれるコックピット。そして心優を押しつける重圧。

 胸がつぶれそう! 確かに吐きそう! でも心優は堪える。一生懸命に目を見開く。


 コックピットは上昇速度の間隔を伝える発信音がピピピピピと繰り返している。やがてその音がピッピッピとゆっくりになったと思ったら、心優の目の前は逆さま、上が海で下が空になっている。しかもその瞬間、コックピットがとても静かになっている。


 あの綺麗なループの頂点にいる、コックピットが半回転したところ。キャノピーの上へと見上げているのに、上は空ではなく珊瑚礁の海と白い渚という不思議な世界。


「心優、気絶した?」

「……してない……」

 していない。ぼんやりだけれど、気分が悪いけれど、でも見えている。雅臣と同じものをいま、わたしは見ている。


 珊瑚礁の海、白い砂浜。緑に囲まれた基地。そして空と雲。逆さま!

 わたしも、いま、パイロット!

 恍惚として、いつまでも心優の目の前にその景色がある。


 いつか教えてくれたよね。

 藍の天蓋が見えるんだって。

 宇宙を目の前にした藍が目に焼き付いているって。

 そして珊瑚礁の天蓋。地球の様々な『青』が俺のまわりにあって包まれる。

 あれをもう一度、見たくて飛んでいたのかもしれない。って。

 これのことだよね? 綺麗、本当に綺麗……。


 いつまでもその青に包まれて、吸い込まれそうな……。


 だが、ふと我に返った心優の目の前にあるのは、海原。

 あれ、いつの間に海上に??

「気がついたか、心優」

 ハッとした。あのループ頂点を最後に、やっぱり気絶してしまったらしい。

「えー、嘘! あそこから下まで降りるところも見たかった!」

 もう一度やってと心優はつい叫んでしまった。

「無理、俺はもう無理。足が痛いんだって」

「そ、そうなの」

「しかも心優が気絶したから、キャプテンからすぐに中止命令がでてローアングルキューバンは頂点到達時点で中止。降下時の横回転せずに降りてきたところだよ」

「えー、そんな……」

「それでも、パイロットでもないのに、あのループの頂点で気を失っていないのはたいしたもんだよ」

「とっても綺麗だった。コックピットが宇宙みたいだった」

 雅臣が優しく笑う声がヘルメットに聞こえてくる。

「同じものを見たんだな。俺と心優。俺が大好きなあの世界を、まさか、一緒に見てくれる女がいたなんて。こんな最高なことが他にあるか」

 彼が囁いた。


 愛している、心優。最高の空をありがとうな。

 心優も微笑む。


 わたしの大佐殿。

 空を飛ぶお猿さん。

 そんなあなたを、傷つけたことがあったけれど。

 お許しください、大佐殿。

 やっぱりあなたしか、愛せなかった。

 傷つけても愛したかったの。

 だから、どうしても知りたかった。あなたが手放せないほどに愛した空を。


 いまは、あなたと一緒に空の上。

 あなた達が見た藍の天蓋も、珊瑚礁の天蓋も。

 わたしはもう知っているよ。あなたの空を!


 


■ お許しください、大佐殿  完 ■



長い長い長い物語でしたが、最後までおつきあいありがとうございました。

皆様が楽しんでくださったならそれだけで幸いです。

続編も連載開始しております ↲

【続】お許しください、大佐殿2 

⇒ https://kakuyomu.jp/works/1177354054890838894

市來茉莉

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

お許しください、大佐殿 市來 茉莉 @marikadrug

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ