86.コックピットへどうぞ!


 雅臣にメールをしても、返事が遅いし、たまにまったく返ってこない時もある。

 どのような研修か知らされないまま。でも、やはり彼が必死になって日々を過ごしているのが伝わってくる。

 それがわかると、心優は静かに待つ気持ちになってきた。


 それにしても、いったい何をしているのだろう


 海東司令との密会フレンチから暫く。各中隊や部署へのお遣い廻りで准将室に帰ってくると、ご無沙汰の男性がいた。

 彼は御園准将と一緒にソファーで向きあって、お茶をしているところ。


「お久しぶりです、駒沢少佐」

 小笠原広報室の少佐だった。


「お久しぶり、園田さん。中尉に昇進されるようですね、それから城戸大佐とご結婚も。おめでとう!」

「ありがとうございます。あ、空母で撮影した広報映像、公開日に城戸大佐と一緒にネットで閲覧しました。すごかったですね! アクセスもガンガンあがっていて、大佐が興奮しておりました」

「でしょ! 見てくれた? 城戸大佐が現役エースだった時のカットも入れ込んで、この撮影には三人のスワローパイロットが関わり作り上げたというストーリー風にしてみたんだ」

「はい。城戸大佐がとても喜んでおりました。自分も飛んだみたいだって」


 迫力あるテンポ良いハードロックの音楽に合わせ、スピーディーなカット割りで繰り出される今回の飛行部隊広報映像は大好評だった。

 雅臣の狙いどおり、コメント欄には航空マニアからの『かっけえぇえ』の文字が躍り、ホワイト機とスワロー機の競演はマニアを興奮させていた。


 その少佐が、今日はどうして准将室に? 心優が不思議に思った瞬間に御園准将が告げる。


「貴女が昇進したように、駒沢君も栄転するの。今度は司令部の広報室に行くのよ。お別れの前に、私が呼んだの」

 それを聞いて、心優も驚き駒沢少佐に『おめでとうございます!』と祝福すると、彼が照れて頭をかいている。


「いままでは、その基地のタウン誌を作る程度の気持ちだったので、司令部の広報など務まるか不安ではあります。しかも、今回、評価された広報映像は御園准将が途中から企画を変更してくださったからより効果的だったわけですし、自分の実力ではないのです」

「なにを言っているの。貴方が元より企画した力があったからでしょう。小笠原でもタウン誌程度ではなかったでしょう。外部との取材や対応は広報室に任されていることなのですから」


 はあ、と駒沢少佐は少しだけ気後れしている。


「心優、貴女にも聞いて欲しいから、ここに座って」

 准将の隣に促され、心優も座る。

 ミセス准将が駒沢少佐をじっと見ている。

「駒沢君。司令の広報室で存分に経験を積んできて欲しいわ。その後、」

 そこでミセス准将がその先を躊躇っているのが、心優には伝わってきた。だが彼女が意を決したように言う。


「その後、私のところに来てくれないかしら」

 唐突な申し出に、駒沢少佐が面食らっていた。

「は、あの、准将……。どういうことでしょうか」

「私の側近になって欲しいと言っているのよ」

「え!?」

 心優もびっくり仰天。このウサギさんは突然なにかやりだす! ついに彼女のヘッドハンティングを目の当たりにしてしまう。


「あの、ですね。准将……。広報の仕事の後に? ですか?」

 引き抜いてくれるなら、今ではないのか。その疑問も当然で、心優もそれを聞きたい。

「はっきりとは今は言えないけれど、私も今後の行く先がわかっているの。その時に、駒沢君が欲しいの」

「ですが、准将には既に優秀な秘書官が――」

「いつまでも一緒ではないし、いつまでも私の側に置いておくつもりもないわよ。彼等にもステップしてもらうために手放す覚悟もできているの。その後に、私のところの秘書室は人を入れ替えて新設するつもり」


 心優にもわかってきた。『校長室の秘書室、側近集め』にミセスはもう動き出している!


「でも、駒沢君がその時に広報の仕事を全うしたいという気持ちが強かったなら、私はそれを応援するわ。他を当たります」

「嬉しいのですが……。先のことはわかりません。どうしてその時なのか……」

 紅茶のカップを手にして、准将がそっと一口飲むと、そこでふっと不敵な微笑みを見せた。それだけで駒沢少佐がおののいている。

「軍隊の中枢、司令本部の広報室を経験する男に魅力を感じているの。だからよ。存分に経験してくれた男を護りに欲しいの。広報にいたのなら、民間との対応はプロでしょう」


 なるほどと心優も頷く。でもかなり先の話だった。


「その時にならないと自分自身わかりませんから、お約束は出来ません」

 駒沢少佐は気さくな男性だが、こんな時はきっぱりしていて頑固なところが見られる。

「いいのよ。私が数年前にこんなこと言っていたなと思いだしてくれたら。絶対に引き抜きに行くから、その時は思い出してね」

「わかりました。……あの、自分などに声をかけてくださって有り難うございます」

 駒沢少佐が立ち上がって深く頭を下げた。


「いつも私を引き立てる記事を書いてくださってありがとう。そして、パイロット達のことも。私の次の仕事は、まさにパイロットと共にある仕事よ。飛行機も毎日一緒。駒沢君、本当は貴方こそが飛行マニアでしょう」

 准将がにんまりとした笑みを駒沢少佐に見せる。そしてそれは当たっていたのか、少佐が頬を染めた。


「そうです。それで海軍を目指したほどですから。パイロットになりたかったわけではなく、子供の頃から好きだった航空機や空母に関わりたかったのです」

「それほどの愛好家でなければ、あの広報映像も、隊員の広報も造り出せないわね。その気持ちも欲しいの。私の次の仕事にぴったりの心意気なの」

 そうなのですか? と、駒沢少佐はまだぴんとこないようだった。心優はもどかしい。言ってしまいたい。この小笠原にパイロットを育成する訓練校が出来て、その校長のお手伝いをする秘書官ですよと。でもグッと堪えた。


 駒沢少佐なら、空を飛ぶパイロット達を大事にしてくれるはず。あんなに広報映像でパイロットを見つめてくれた男なのだから。

「そうそう、今日、駒沢君は他にも用事があって私のところに来てくれたのよ。ね、駒沢君」

「あ、ああ。そうでした、そうでした。僕の目的はそちらが本題」

 引き抜きの話はひと段落。駒沢少佐がまたなにやら書類をばたばたとテーブルに準備をした。


「園田さん。僕の小笠原で最後の広報記事のお手伝いをして欲しいんですよ」

「え、わたしがですか?」

 企画書を差し出され、心優はそのタイトルにギョッとする。


【 女性隊員、戦闘機に乗る! 】


「あの、これ。本気ですか?」

「うん。女性が戦闘機に乗る体験を記事にしたいんだよね。かといって、誰でも良いというわけではなくて、園田さんなら身体能力的にも機内同乗クリア出来ると思うんだよね」


 一瞬、迷った。戦闘機に乗る!? エースの鈴木少佐だって、ベテランの橘大佐だって、上空ではあんなに苦しそうな呼吸になるのに?

 その反面、また心優に熱い気持ちが滾り始める。『それって、臣さんの最高の場所だった世界を体験できるってことだよね?』と。


「軽く飛ぶ程度よ。パイロットは英太にお願いしてあるから上手に飛んでくれるわよ。あ、もっと落ち着いたパイロットの方がいいかしら」

 心優は即座に首を振っていた。

「いいえ。スワローだったパイロットでお願いします」

 と言いきっていて、心優はハッとする。隣にいる准将と、目の前の駒沢少佐が揃ってニヤニヤしながら心優を見ている。『スワローだった大佐殿と同じような空を体験したい』という本心がばれてしまった。


「じゃあ、決まりだね。園田さん、よろしく」

 心優は頬を染めながら、こっくり頷くしかできなくなってしまった。

「それなら駒沢君。こちらで心優がコックピットに同乗できる準備をしていいかしら」

「助かります。そこはパイロットだった准将にお願いしたいです」

 鈴木少佐の後ろに乗るには、まずは多少の訓練が必要ということらしい。

 気圧の変化に対する訓練や体験など。たとえ民間のマスコミが撮影でコックピットに乗ることになっても、同じ訓練を受けていないと乗せてくれないとのことだった。

 心優はこれから暫く、その訓練をすることになった。


 


 ―◆・◆・◆・◆・◆―


 


 広報撮影のため、戦闘機のコックピットに乗って、その実況中継をするという企画になっていた。


 雅臣と連絡が取りづらく、なおかつ、そばにいない寂しい日々を過ごしている心優には張り合いになっていた。


 低酸素症に対応するための航空生理訓練から。減圧された室内で、999から1ずつの引き算を紙に書いていく。低酸素症になると意識が朦朧としてきて、自分は正常に計算しているつもりでも、文字を書いているつもりでも、正解を書けず文字も書けなくなる。


 心優はそれをこなしつづけ、さらに、雷神のパイロット達自らの訓練で三半規管を鍛える体操をしたり、鈴木少佐が操縦する『チェンジ』のシミュレーションに同乗するなどを繰り返していた。


 ある日、駒沢少佐がまた准将室に来ていた。


「お疲れ様、園田さん。狙い通りコックピットに搭乗できるよう訓練をクリアできたんだってね」

 でも、そこで駒沢少佐がちらっとデスクに座っている御園准将を見た。なにか彼も言いたげで、でも躊躇っていた。


 しかもミセス准将が心優を見て、また不敵な微笑みを浮かべている。

 彼女が手元にあるなにかの報告書を閉じると、心優にそれを差し出した。


「貴女に戦闘機に搭乗するために必要な最低限の訓練を受けてもらったけれど、あら、もしかして……と思って、『正式な訓練』をしてもらっていたのね」

「なんのことですか?」

 駒沢少佐が自分がいいたそうにうずうずしている。でもやっぱり准将に遠慮して黙っている。


「雷神のパイロットに『心優を指導して』とお願いしていた訓練、実は本当に戦闘機に乗れる能力があるかどうかの訓練校並の訓練だったってこと。そうしたらね、面白い結果がでたのよ」


 すると、ミセス准将がうずうずしている駒沢少佐に振ってしまう。貴方が言っていいわよ――と。その途端、駒沢少佐が心優の両肩をがっしりと握って迫ってきた。


「園田さん! 君、パイロットになれるよ!」

 はあ? 心優は面食らってぽかんと呆けた。なにを言い出すかと思えば、そんなあり得ない話!


「見て、これ。園田さん、訓練校でパイロットに選出される身体能力を全てクリアしているんだ。つまり! いますぐにでもパイロットになれるってことなんだ。すごい!!」


 また駒沢少佐が興奮している。そしてミセス准将も楽しそうだった。


「まあ、当然よね。元々それだけの身体能力を秘めているんですもの」

「ま、待ってください! わたしはパイロットなんてなるつもりはありませんから!」

「それはそうよ。貴女がパイロットを目指したら、私が困るわよ。空手家の護衛官であってほしいわね。でも、貴女が雅臣のようなパイロットを目指すなら、それも有りよ。どう?」


 心優はぶるぶると頭を振った。あんな過酷な空の世界、そこでまた精神的に追いつめられる世界なんて到底無理! どうせ追いつめられるなら、やっぱり武道でそうありたい。


「うわ、もったいないなあ。パイロットになりたくてもなれなくてエリミネートになって泣く男がどれだけいることか。ミセス准将のように女性ながらも、その身体能力を秘めていることは素晴らしいことだよ」

 と、駒沢少佐が本気で嘆いているので、心優は即座に否定する。

「困ります。今回は広報で戦闘機には乗ってみますけれど、それっきりです」

 すると、ミセス准将がふと呟いた。

「エースだった雅臣と、メダリスト候補だった心優の子供って、どれだけ素晴らしいDNAを引き継ぐことかしらね。末恐ろしいわ」

「ほんとですね! うわあ、エースが誕生するのか、メダリストが誕生するのか。将来が楽しみだな!」


 ほんとだ。と心優も思った。雅臣が冗談で言っていたけれど、まさか自分にまでパイロットの能力があるとは思わなかった。

 でも。生まれた子が空であの過酷な世界を生きるのかと思うと、まだ生まれてもいないのに心配で気が遠くなりそうだった。


 

 徐々に撮影日が近づいてくる。

 官舎で一人の夜。心優はベッドルームにある戦闘機に乗る男の写真を眺め、徐々に気持ちを高めている。

「臣さんがメールもくれない間、わたしもパイロットの世界を知っちゃたものね」

 帰ってきたら、雅臣をびっくりさせよう。わたしに、パイロットの能力があったんだよって――。

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