ごだんめ 木霊のキミと僕
これはとある田舎で起きた事である。事件の中心である「彼女」はいつの間にかそこにいた。村の誰もが記憶も記録も無いのに何故か「彼女」の事を知っていた。「彼女」は村に唯一ある中学校で、村人の子供達と学び、遊んでいたのである。ただ一つ、彼女は大人しい性質なのか、決して喋る事が無かった。「彼女」には同級生が2人いた。1人は村長の息子でこすっからく、村ではよく狐と例えられていた。もう1人は心優しく穏やかではあるが、赤貧洗うが如く生活をする、貧乏な家の息子であった。
「彼女」は終業後は必ず山へ向かい手足を大きく広げ、ふかふかの芝生に寝転び、歌を歌っていた。同級生の2人もこの事を知っていたが、2人は歌う「彼女」の姿に愛くるしさを覚え、「彼女」を発見しても遠巻きに見守るだけふであった。村人たちも山に入った際に「彼女」がそうしているのを目にはしているが、村人たちが耳にしたことのない歌を気持ち良さそうに歌っているのである。「彼女」の歌に心惹かれ、「彼女」になんの歌か聞こうとする村人もいた。しかし、「彼女」に近づこうとすると突然寒気がし、心の中で穴の中に垂直に落下する気分になるのである。よって、「彼女」が歌っている歌は誰も知らず、旋律と歌声だけが村で流行する事となったのである。
そんなとある日、学校で音楽の授業があった。受講者は「彼女」と件の同級生であった。やがて歌う番が「彼女」に回ってくると口をつぐみ、手をぎゅっと握りしめ、深く俯いて「歌う事」を拒否したのである。その行為は勿論ながら問題となり、廊下に立たされる事となった。昼飯の時間ですら立たされている「彼女」を心配し、貧乏な家の青年は自らの握り飯を持って行こうと教室を出ると「彼女」はいない。彼は「彼女」の行方が気になり校舎を出た。その日は麗らかな春模様で風が心地よかった。その風のなか、「彼女」はいた。「彼女」はふわりと暖かな優しい風の中で全身で風を浴びていた。とても心地好さそうな表情であった。
「よかった。どこかに行ってしまったかと思ったよ」
彼がこう声をかけると「彼女」は顔を赤くし、濃色の瞳をまん丸にして手をぱたぱたとさせ、山の裾の方に逃げて行ってしまった。逃げられたものは仕方ない。彼は午後の授業を自主的に放棄して「彼女」を追いかけることにした。追いかけても追いかけても距離は縮まらず、ついに山の中にまで入ってしまった。「彼女」が逃げて行った山の中は険しい山道であり、「彼女」が通ることにより草が踏み固められていたので追跡は容易であった。彼は虫の音がする山の中で独りぼっちになってしまったような心持ちになってしまい「おおい」と大声をあげた。するとどこからか『おおい』と返ってくる。「どこだ」と彼が言うと『どこだ』とか細い声で返事がある。この山は標高も高くはないので村の者は山彦というものを知らなかった。やがて「彼女」を探すうちに日も暮れ、山の中に茜が差し始めた。彼が「彼女」を探すうちふと、気がついてしまった。-そういえばあの子はどこの家の子かわからないし、名前は薄っすらとしか記憶にない-そのことを認知した瞬間、彼の足は止まり、同時にそれまで吹いていた暖かな風も止んだのである。彼は恐ろしくなり村へ引き返そうと考えた。後ろを振り向いた刹那、「彼女」
は「いた」。先ほどまでなかった大振りの杉の木の枝に「彼女」は座っていたのである。
「よかった。キミのこと、探してたんだよ。声をかけたら急に逃げちゃったから」
彼がそういうと彼女は小首を傾げた。彼女は足をバタつかせている。降りてくる気配もなく、喋る気配もなかった。
「ねぇ。どうしてキミは喋らないんだい?歌を山で歌っているところとかは見るのに。それにキミは何屋さんの子だい?結構長い付き合いだけど、キミの名前を薄っすらとしか分からないんだ。今もこうやって意識していないと忘れてしまいそうなんだ。」
「彼女」はどこか寂しげに「彼女」の座す大杉の木を撫でた。彼女はおずおずと口を開いた。
「ねぇ。どうしてキミは喋らないんだい?歌を山で歌っているところとかは見るのに。それにキミは何屋さんの子だい?結構長い付き合いだけど、キミの名前を薄っすらとしか分からないんだ。今もこうやって意識していないと忘れてしまいそうなんだ。」
彼はこの答えで「彼女」の本来の姿を悟った。そう、おそらくこの杉の生霊だ。この地方でいう「木霊」だ。彼は元々「彼女」にあげようと思っていた握り飯を杉の木の根元に置き、一礼し、彼は山を降り始めた。山を登った時とは大違いですぐ村の脇に出ることが出来たのである。その日彼は帰宅し、夕飯を食べ、眠りに落ちた。彼は夢を見た。木霊がにこにこと立っている。彼女はいくぶん薄げな唇を開いた。
「今日は糧物の供物をありがとう。長いこと貴方とは一緒にいるけど、お喋りするのは初めてね。現実では私、喋る事が出来ないの。ちょっとお願いがあるの。明日も私のオウチに来てくれるかしら。」
「いいけど、そのお願いって何だい?」
「私と悠久の時を刻んでくれないって言うお願い。ご家族の事は心配しないで。今のような生活はさせないようにするわ。」
「なるほど。ちょっと複雑なことだから二、三日待って欲しい。」
そういうと彼女は霧の中で消えて行った。彼は夢の中ながらに悩んだ。残された家族や学業など現実と逃れられない悩みに唸り、やがて朝を迎えた。朝ごはんは大根の葉の味噌汁のみ。この現状をかえられるなら、弟妹の環境がよくなるなら。あの狐の家並みの暮らしができるなら。そう思うと彼の腹は決まった。彼は山を登り、握り飯を昨日と同じようにお供えをした。大杉を背にし、座り込むと段々と手足が動かなくなってきた。そして次に肉体の感覚がにぶくなり、気がつけば彼女が側にいた。そして彼の肉体は生物としての機能を失った。
××××
その後、彼の家は末永く繁栄した。上の弟は帝都にある大学し、立派な仕事をしている。下の弟は家を継いだが、周囲からの援助のおかげで家を建て直した。妹は裕福な家に嫁ぎ、生涯を幸せに暮らしたという。
村では今でも「彼」と「彼女」が遊んだり歌ったりする姿がみられるという。
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