よんだんめ 水底の異世界の中で

ー学校の屋上には異界に繋がっているー

そんな噂をぼくは二、三度耳にしていました。初めて聞いたのは、入学式のときです。隣に座っていたYくんが校長先生の話の最中にひっそりと教えてくれました。

「学校の屋上には異界への入口がある。しかもよくないところだから入口には誰も入らないようにしているんだ」

ぼくは高校生になって初めてそんなら怪談じみたを聞いたので好奇心がむくむくと湧いてきて、どうやったらそこに行けるのかYくんに耳打ちをしました。しかし、Yくんもどうやったら行けるかなんぞは知りはしませんでした。それもそのはずです。彼もぼくと一緒で高校に入りたてなのですから。やがて授業やクラブ活動が始まりぼくも忙しくなっていったので、件の噂のことなんぞ頭の片隅からも消えてゆきました。

二度目に噂を聞いたのはMさんという落語研究会に入っているぼくの友人でした。MさんもYくんに話を聞いたようで、ぼくに授業中に話を教えてくれました。ただYくんが最初に教えてくれた話とは2つほど違いがありました。1つは、屋上の入口の鍵の番号は「き 913」に合わせる。もう1つは異界に行くためには味塩を持って行かねばならないということでした。Mさんの曰く、何人か試している人はいるようですが警備会社に見つかったりして1人も試したことがないということでした。

この頃、ぼくは成績も伸びず、進学の事などの悩みがあったので現実を逃避したい願望があったのかもしれません。ぼくは侵入経路を探すべく、警備会社が見ていない時間や警備されていないところを探し始めました。図書室で学校の地図を見たり、警備会社のシールを探して学校中を巡り、警備会社の機械の場所を自分の頭の中で網羅したと思います。いつ屋上へ侵入しようか?とぼくが考えていたときのことです。偶然にも、機械が故障したようで、夜間に学校に来ないことなどのプリントが回ってきました。この知らせはまるで天啓のようで、ぼくにとって最高の瞬間が来たことを意味していました。

その日の晩、ぼくは味塩とペン、水、道中の糧物を用意し、学校へ向かいました。深夜の学校は昼間の沢山の人間の騒めきがなく、しんとした少しばかり寂し気な様子でした。ぼくは正々堂々と鍵がいつも掛かっていない正面玄関から入りました。夜更けまで仕事をしている先生に気付かれないように息を潜め、足音の一歩一歩にも気を使い屋上へと至る階段の前へと着きました。ぼくのような文系学生はそろりそろりと急ぎながら歩くのは得意ではありません。そろりそろりと一歩一歩ゆっくりと屋上へと向かっていきました。屋上の入口の前に着くと噂通り、鍵がありました。昔ながらの錆びた南京錠と今風の鍵です。南京錠は形ばかりのものだったようですぐにするりと外れてゆきました。問題は今風の鍵です。先日の噂通りに番号を入れれば異界と人界をつなぐ扉は開くのか。思い切って番号を鍵に入れてみると、錠があくではありませんか。

扉の封印はぼくの手によって解かれました。ぼくはどきどきしながら、屋上へと足を踏み入れたのです。すると、そこには無味無臭のがらんどうとした雰囲気の空間が広がっていました。

ぼくはなんだかがっかりした気持ちで、崩れ落ちるように座り込んでしまいました。座り込んで小1時間程経った頃でしょうか。ふと右側をみると、昨日の雨で出来た水たまりがありました。その水たまりの中で蠢くものをぼくは発見したのです。ぼくは持っていたペンライトでそこを照らすと中には海月らしき生物が漂っていました。ぼくはそれに触ろうとすると、水たまりには膜があって触れることができません。ぼくは急に怖くなって、彼方此方と見渡すと水たまりが沢山あるではありませんか。海月らしき生物はジッと動かないでまるで此方を見ているようです。ぼくは月明かりの中、海月らしき生物としばし睨めっこをしていました。すると、海月らしき生物は水たまりの深部に沈んでいってしまいました。ぼくはなんだか悲しくなっていました。異界には繋がっていることは分かりましたが、異界に行くことは出来ないのですから。そう悲嘆にくれていると先程の海月のような生物が戻ってきました。彼は足をぼくの鞄にむけています。ぼくが鞄の中のものを取り出すと味塩に激しく反応をしました。ぼくは水たまりに味塩をかけてみると水たまりの膜がとれ水たまりの中にいた海月のような生物がふよふよと浮き出してきたではありませんか。ぼくはなんだか楽しくなってきて、味塩をほかの水たまりにもかけてみました。するとどうでしょう。銀色に輝く鯨が潮を吹き、群青色のイルカ達が他の水たまりに向かってジャンプ。さらにアシカのような生物も水たまりから出てきて昼寝(夜なのに)を始めたではありませんか。ぼくは鯨が吹く潮の中で楽しくなってくるりくるりと踊ってしまいました。すると、いつの間にやら、女の子が側で一緒に踊っていたのです。その女の子は肌の色が薄く、髪は浅葱色です。ぼくはそんな髪・肌の色の人間を全く知りません。ぼくはびっくりして立ち止まってしまいました。女の子も踊りを止め、こちらをまじまじと見ています。

「きみ、いつからここにいたの?」

ぼくは思わず問いかけました。彼女は檜皮のような瞳をきらきらとさせ、手をぶんぶんと振っています。話すことができないのでしょうか。彼女は水たまりを指差し、ぼくの手を掴み走り始めました。水たまりを通過するかと思いきや、ぼくは水たまりのなかに落ちてしまったのです。ぶくぶくと深度が増して行くのがわかります。やがて底に至ると女の子は微笑みながら語りかけてきました。

「先程は失礼しました。実は外の世界ではお喋りが出来ないの。あそこにいたこの水底の生物はみんな一緒よ。あそこは唯一外の世界と繋がっているの。ここの世界は向こうとは色々勝手が違うのよ。案内してあげるわ。」

「それはそれは。ありがとうございます。でも気になることがあるのですが、彼処にいた生物たちはこちらに帰ってこれるのですか?」

彼女は小首を傾げてゆっくりとこう答えました。

「まぁ……多分外に飽きたら帰ってくると思うわ。向こうとは色々勝手が違うからきっと嫌になってこっちに帰ってくると思うわ。」

ぼくは自分のやってしまった行為に一抹の不安を抱えながら異界の案内を受けることになった。異界は水底にあるだけ、生えている植物が海藻のようなものもあるし、樹木も生えている。鳥は今のところ見当たらないがペンギン、アシカやイルカなどの海獣たちが空を飛び回っている。道はきちんと舗道されており、輝石のような街灯が辺りを照らしています。ゆらゆらと美しい輝石の影がみえます。

彼女に案内された異界の常識はぼくたちの当たり前の非常識でありました。例えば、学校に行けば自学自習なのです。教員はいるが、生徒が聞きに行かない限り生徒を自由にさせています。とにかくこの世界は自由というものが最も重要なことのひとつであったのでありました。ぼくのように普段からレールが敷かれた生き物には向かない世界でした。

ぼくは何日か此方の世界で過ごすうちに家族や友人たちが恋しくなってきました。彼女に帰る方法を聴くと檜皮色の瞳をまん丸にして「こんなに自由で素晴らしい世界から出たいの?」と問われました。ぼくは黙って頷くと彼女は「川のほとりに味塩を撒きなさい。そうすると上昇水流ができるわ。」彼女はなんだか不機嫌そうであった。ぼくは彼女に川まで案内してもらい、味塩を川に撒いてみた。たちまち上昇の水流が出来たので、彼女に手を振り水流に乗りました。

ぼくは眩しい日差しの中、目が覚めました。ようやく屋上に着きました。服や髪の毛が異常に濡れている。ぼくは屋上から出て担任のK先生に会いました。ぼくは嬉しくなってK先生に声をかけました。しかし、先生の一言はぼくにとって困惑させるものでした。

「おまえは……だれだ……?」



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