半宵の怪談集

石燕 鴎

いちだんめ 鏡の怪

女は所謂箱入り娘であった。台所に立ったことは無く、裁縫もしたことがない。家事をしたことがなく、極めて美しい手をしていた。彼女は、物心ついた頃から容姿に関して「美しい」「可憐」「可愛いらしげ」など周囲の賞賛の的であった。しかし、彼女自身は物心ついた頃から自らの顔を見ることがなかった。水や鏡で顔を見ることも出来たであろう。彼女の周囲には常に人がおり、如何なる角度からでも彼女の顔が自ら見えなかったのである。また、周囲が化粧や服飾選びをしてくれたので、彼女は自分自身の風貌を全く省みることなく成長した。その結果、 彼女は周囲の人間の声から自分は平安時代のお姫様の様な嫋やかな美人である、というふうに自分自身を思っていた。

とある日、供連と街を散歩していたときのことである。その日彼女は辻ヶ花の紋様が入った真紅の振袖を着ていた。そのとき、すれ違い側に「今時珍しい顔をしている」という声が聞こえてきた。供連からの賞賛に慣れきっていた女は「おそらく自らの美貌をこっそり褒めてくれた」という解釈をした。彼女は振り向いてその声の主に一言言おうと思ったが、振り向いた刹那、自分の供連以外の人間は一瞬驚きと動揺の表情を浮かべたのである。女は「何故、彼らはそのような表情を浮かべたのか」疑問を抱いたと同時に初めて自分の容姿は如何なるものか考えるに至ったのである。

女は帰宅すると父母に自分の容姿について問うた。

「ととさま、かかさま、正直に答えてほしいの。私の姿を見てどう思われますか。」

「お前は珠のような女児でとても愛おしい自慢の娘だ。どこにも嫁に出したくない程だ。」

父は微笑みながら女に言った。母は手を揉みながらにこにこと告げた。

「皆があなたのことを端正で、見目のよい女だと言っているじゃない。何を疑問に思うことがあるのですか」

父母がそういうなら間違いない、女はそう思った。しかし、何処か父母の表情もぎこちない笑顔であったことを彼女は感じていた。先ほどの問答もまるで自分の娘という氷の張った池をを傷つけないように歩いているように女は感じたのだ。

女は益々自分自身の姿に興味を持った。彼女は自宅にある姿見やら鏡やらを探したが、自宅には全くそのようなものはない。しかも窓すらも反射しないような素材で出来ており、容姿を映すものは皆無。台所で水鏡をしようと思えば出来るのだが、台所へ行くには父母の部屋を通らなくてはならず、夜中といえど通れば何をするかと怪しまれる。結局、女は自家の中で鏡に類するものは発見できなかったのである。翌日、女は父母に初めてモノをねだった。

「ととさま、かかさま、お願いがあるの。私、自分で化粧をする鏡が欲しいわ」

女の父母は娘可愛さに欲しがっているものはなんでも購入したいという気と鏡という言葉を聞き、父母は凍りついた。父は重圧の中、口を開いた。

「お前は芍薬の様だ。何故鏡を買う必要がある。化粧も服飾も皆がやってくれるであろう。お前の願いは何でも叶えてやりたい。しかし、それだけは叶えられない。」

「でもととさま」女が口を開きかけたが、母が強い口調で遮った。

「お父様の言う通りです。鏡なんて必要ありません。」

女はそうですか、と一言漏らすとがっくりと肩を落として部屋を出た。父母は可哀想半分、安堵感半分からほっと溜息をついたのである。しかし、そこで諦める女ではない。女は質屋を知っていた。外出するときは必ず供連をつけて歩かねばならなかった。女はわざと人通りの多い大通りに出て、供連を必死に撒いた。供連たちは最初はすいすいと人混みを泳ぐようについてきたが、やがて1人、2人と人混みに紛れてしまったのである。撒いたことを確認すると彼女は質屋に入った。質屋に入ると店主がぶっきらぼうに声をかけてきた。

「××のお嬢様でないかい。箱入り娘がこんなところに何かようかい」

女は「ちょっと欲しいものがあって。姿見が欲しいの」と涼やかに言った。店主はぶっきらぼうに縦長のモノを指差した。それには麻の葉の縞模様の布が掛かっていた。女は夢にも見た姿見を発見して心臓が破裂しそうであった。何故父母はあれだけ姿見を買うことを拒否したか、先日の道でかけられた声の謎の答えが今目の前にあるのだ。女は「ちょっと拝見」と布を捲った。すると今まで言われてきたこととは真逆のものがそこにはあったのである。鼻は低く、目は小さく、口は裂ける様に大きい。女が自ら描いていた平安時代のお姫様の様な嫋やかさは崩れ去ったのである。女は姿見の前でがっくりと崩れ落ちた。父母の姿見を女に見せたくない理由は其処にあったと言うことも理解した。周囲の容姿に関する賞賛の声もこの醜い面構えを女に悟らせないようにするためだったのだ。女は涙をぽろぽろと流し、やがて気を失った。

その後、女は自分の容姿というより自らという存在に怯えるようになってしまった。外出もせず、自らを写すものを怖がり、ひどい時には慟哭する様になってしまった。父母は様々な医者を呼び、娘を見せるが、医者が一瞬たじろいだ表情を見せると女は発狂し診断が出来なくなる程であった。

これは鏡という真実を見なければ幸せであった、奇き話である。

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