第3話 恋風
建設会社の社長さんの本を仕上げたあとの打ち上げで、彼女のいるキャバクラに連れて行かれた。そこで俺についてくれたのがその〈ユイさん〉なわけだが、社長がオレのことを一流の編集者だなんて持ち上げるものだから、ユイさんは勘違いしてしまったわけだ。それで、オレの横に座ってお決まりの話をしはじめる。最初の質問はだいたいこうだ。
「小説とか好きなんですか?」
小説だけが好きなわけじゃないが、当たり障りのない返事をしておくべきだ。
「ええまあ読むものはだいたい好きですが」
「へえ、じゃあ、ちょっと見てほしいものがあるのだけど」
そら来た。何か書いてるんだろ?
「なにか書いてるんですか?」
「ちょっと。ね」
「小説?」
「そうなの♡」
「へえ、すごいねえ」
「でもなかなか難しくて思ったようにできないの」
「まあいっぱい書けば上手くなりますよ」
いっぱい。何万字も何十万字も何百万字も。ひたすら書けば誰でも上手くはなる。そんなに書ける人がいないだけだ。たいていの人は400字詰め原稿用紙を埋めるのにも四苦八苦しているのだから。
「そっか。今度読んでもらえる?」
「もちろん」
ここまでは社交辞令。今度は来ない。いつも来ない。来ないはずなんだけどな。
「あたしね、次の火曜日出勤なんだ。8時から。その前に会ったりできます?」
「え?」
同伴出勤? マジ? でもなーこの店高そうなんだよなー。
「あ、違うの、全然。レッスン料払いますから。小説の」
「レッスン?」
「そうでしょ? 先生なんだから」
文芸の編集としてギャラがもらえる的な? なんだそりゃ。
「え、まあそれは構わないけど。本気?」
「もちろーん」
オレはユイさんと同伴出勤の約束を取り付けた。
実際、次の火曜日の夜7時からキャバクラのすぐ近くのカフェで落ち合った。
周りには似たような同伴出勤待機中の、おっちゃんやらお姉さんが各テーブルに着席していた。繁華街の真ん中のカフェじゃ、ニーズはその辺がメインなのだろう。
「おまたせしました」
「やあ」
ユイさんはいかにもなスーツで現れて、カフェオレを注文した。支払いはたぶんオレだろう。そんな安くもないカフェだ。
「早速ですが、こちらなんです」
ユイさんは少し昔の型のガラケーを渡してきた。同じものを使っていたので、操作はできる。すでにメモ帳のようなアプリが開いていて、文字が表示されていた。いわゆるケータイ小説というやつだ。
「これで書いているんですか?」
「そうなの。待ち時間とかに少しづつね」
「拝見します」
物語はシンプルだ。地方出身の女。まだ若い。高校生。彼氏ができたが、浮気ばかりされて、金を貸しても返ってこない。高校は中退。二人目の男と同棲。妊娠。堕胎。上京。水商売に。これは実話か?
「実話では?」
「違いますよー」
「ですよねー」
そうか実話か。三人目の男は客の社長さんだ。貿易系。バックにヤクザ。愛人契約を結ぶ。新宿にマンション。元カレが再登場。金をセビる。殺す。おおい。
「実話では?」
「違いますって」
「ですよねー」
さすがに殺人は実話じゃねえだろう。殺したいほどムカついたってところか。社長には正妻がいる。正妻とレズビアンプレイ。おう。マジか。そっちもOKか。そして正妻と社長と3P。なかなかハードだ。そして妊娠。こいつらには避妊の概念がないのか。そして堕胎。
「さすがに実話じゃないですよね」
「一部は実話ですけど」
「マジすかー」
どのへんだよ。とはいえ、すぐに読み終わった。小説というよりあらすじだからだ。セリフは少しあるが、あいだを端折りすぎ。展開が早いのではなく、状況説明も心理描写もなにもないだけだった。男どもへの恨みつらみはいっぱい書かれているが、それ以外は極めて少ない。
「どうしたらいいですか?」
「どうって。そうだなー。これパソコンでは読めない?」
「あ、パソコン買ったんですよ」
「へえ」
「小説ガチで書くとなるとパソコン要りますよね」
おっとマジなのか。
「そうですね。長い文章を書くにはやはりケータイでは辛いかと」
「そう思って買ってみたんですが、インターネットに繋がらないんです」
「え。ショップのサービスは?」
「なんですかそれ」
「買うときにそういうサポートがついてくるのがあります」
「知らない。何も言われなかったです」
「そうですか。うーん」
「次のレッスン、家に来てもらえません?」
「はい?」
キャバ嬢の自宅に???? なんそれ。スエ膳なの? 罠なの?
「インターネットの設定をお願いしますね。あ、そろそろお店いかないと」
「ああ、じゃあ払ってきます」
「え、いえ、ここはあたしが。あとこれレッスン代」
ユイさんが差し出した封筒には一万円が入っていた。本気なのかこの人は。
結局キャバクラで三万円支払ったので二万円の赤字。これは一体何なんだ。
メールで都合のいい日の指定が来る。
指定された場所に行くと、ちょっと高そうなワンルームマンション。
高そうでもワンルームだ。愛人の社長はそんなに金持ちでもないのだろうか。ああ、実話ではないんだったな。つい間違える。
呼び鈴を鳴らすと、ピンクのスウェット姿のユイさんが出てくる。メイクは少ししているようだ。それにしてもスウェットはさすがに無防備すぎるんじゃないか。どういうつもりなんだ。
「やっぱりインターネットわからないです」
「ああ、まあ今日やっちゃうから大丈夫」
「よろしくお願いします」
2時間ほどネットの設定やら、メールの設定やら、セキュリティソフトの設定やらを一通り済ます。ついでにGoogleDocの設定をする。これで遠隔で赤字入れなどもできるようになるので、完成へ向けて邁進できるというわけだ。小説のレッスンプロというのもありなのだろうか? 編集という肩書の名刺があれば問題ないわけだ。
そしてオレは、ずっと風呂場(推定)へ続くドアが気になっていた。
誰かいるとすれば、そこだ。じっとして隠れていることは可能。トイレは別になっているからだ。さすがにこの流れでいきなり風呂には入らない。
一通り作業を終えて、少し雑談。こっそり終電の時間を確かめると、残り1時間を切っていた。押し倒すにしても、美人局に殴られるにしても、時間が足りない。
今日はおとなしく帰るとしよう。これっきりかもしれないが。
「あ、そうそう。ブッケン先生、お店はもう来なくていいですよ」
「え? そうなの?」
「昨日で辞めたんですよ」
「ああ、そうなんだ」
理由は聞かない。聞いたところでどうもならん。
「次はどうするの?」
「またお店探します」
「そっか」
「レッスンは来てくれますか?」
「ああ、もちろんです」
「じゃあ書き進めておきますね」
そういって彼女はオレを送り出した。紳士を気取ってみたものの、スエ膳を食わんのは失礼だったのではないか。どうなんだろう。わからん。全然わからん。
次の都合は全然決まらないまま、小説も全然進まないまま、季節は流れた。
新しいお店に入店したとメールは来たが、場所やら出勤時間の案内はなかった。
そうこうしているうちにオレも他の仕事で忙しくなって、すっかりこの女のことは忘れてしまっていた。
たまに、ふと思い出してGoogleDocを見るのだが、作業はまったく進んでおらず、その作品はもう完成しないように思えた。
ユイさんから次のメールが来たのは丸2年後だ。
あのあと次の店をすぐに辞めて、スーパーのレジのアルバイトで食いつないでいたそうだが、給料が安く高いワンルームの維持が精一杯でオレのレッスンを受ける余裕がなかったこと。元カレ(多分2番めのチンピラ)とヨリを戻して一緒に暮らしていたこと。そいつと別れて四国の地元に戻ったこと。そこで新しい男と知り合って、デキちゃった結婚をしたこと。今度子供が生まれること。子供の名前を考えるので、アドバイスがほしいということ。などが、取り留めもなく書き連ねられていた。小説のことは一切書かれていなかった。ひょっとしたらこのメールが作品なのだろうか。今までのは全部実話なのだろうか。それとも彼女の人生がすべてフィクションなのだろうか。ひょっとしたらユイさんは今でも新宿のキャバクラにいて、オレには
さらに1年後、もう一通のメールが来た。子供は無事に生まれたが、ダンナは出産の前後で浮気して、そのまま帰ってこなくなってしまった。なのでシングルマザーになってしまったが、知り合った社長と再婚できそうで、たぶん大丈夫。とのこと。社長ってのはそんなにあちこちに転がっているものなんだろうか。ああ、そういえばオレも今となっては社長だった。今度は抱けるだろうか。
最後に、娘の名前は「恋風」にしたと書いてあった。読み方がわからん。コイカゼでいいんかな? レイと読めなくもないかな? というかユイさん、それはあんたの小説のタイトルじゃなかったんか?
Bookend 波野發作 @hassac
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