第2話 路傍の草

 記憶なんてものは実に曖昧で、自分は覚えているつもりでもいつのまにか自分の都合のいいように改ざんして覚えていたり(覚えているというのも語弊があるが)、都合の悪いことはごっそり忘れていたりする。そのあたりの記憶のメカニズムは、精神性を衛生的に保つための生物学的に必要な機能であるなんていう論文があるとかないとかキヨセが言ってたが、それは請求書を出し忘れた話のあとで出てきた話なので、聞き流した。ということを思い出した。今、私の前にはとある大学教授の先生がいて、いや、元教授か。だいぶ前に引退、じゃなかった退官と言うんだったかな、つまり現役を退いて今度はその功績で勲章をもらうことになったのだとか。それが何勲章なのかそういう具体的なことは伏せておくが、まあそういう勲章とかもらえるので、記念パーティを開くのだけど、そのときに自伝をまとめた本を配りたい、のだそうだ。その仕事の孫請けをしている。元請けなら誰かライターを手配して書かせるのだが、今回はオレがそのライター本人である。これ以上は下請けには出せない。ギャラが安くなりすぎる。ライターだけならまだいいが、InDesignでのレイアウトまで含めての依頼である。できればキヨセに回したかったが、これも予算の都合でできない。しょうがないので、InDesign上で書く。書いちゃう。どこぞの作家先生がそんなことをしてるとかで話題になっていたが、なんのことはない。そのぐらい現場ではよくあること。バカバカしい。というわけで、教授先生から話を聞き、ゴーストとして自伝を書き、印刷用にレイアウトして、元請けにデータを納品する。というのがこのミッションだ。何ページになっても80万円。何回取材しても80万円だ。税込みかどうかは確認していない。確認したら税込みになる。聞いてはいけない。当然税別だバカヤロウ。

「それでね、このワタベがまたいいやつで、ずいぶん助けられました」

「ええと、ワタナベさんですよね?」

「え、いや、ワタベ」

「ああ、そうなんですね」

 手元のメモに「ワタナベ→ワタベ」と書く。ツツーっと視線を巡らせると、メモの上の方に「ワタベ→ワタナベ」とあり、その上には「ワタナベ→ワタベ」がもう一つある。前のページにも何箇所かあったはずだ。先生は物理学の教授らしいが、ワタベさんとワタナベさんは、先生が記憶を観測するたびにどちらかの状態になるらしい。そうでないときは記憶の中で「ワタベ/ワタナベ」あるいは「タ/タナ」となっていて、思い出すときにどちらかになるということになっているようだ。この渡部だか渡辺なる人物を密室に閉じ込めて、放射線を感知したら毒ガスが出て殺害する装置を作って中に閉じ込めたら、たぶん拉致監禁と殺人未遂で逮捕されるが、救出しようとすると渡部さんか渡辺さんが死んでるか生きてるかどちらかの状態で発見されるので、それまでは「殺人/殺人未遂」かあいまいな状態であり、場合によっては教授自身も死刑か死刑でないかどちらかわからない状態であり、家族も、死刑囚の家族か無期懲役囚の家族かわからない状態になったりするので、息子さんの結婚も成立するかしないかあいまいになり、将来生まれてくるお孫さんも男か女かわからない状態になる。オレはこれを「シュレディンガーのワタナベ」と名付けて、速攻で忘れた。ワタナベの字形でさらに20種類以上に分岐するため、それはあまりに多次元になりすぎるからだ。ああ、そうだ。オレは疲れている。

「写真ありましたよね」

「ああ、そうだ。持ってきたよ」

さんはどの方ですか?」

 研究室らしき場所で白衣の人物が大勢写っている。先日も見たモノクロ写真。なんとなくこの時代の世界はモノクロなんじゃないかと錯覚するが、実際は総天然色フルカラーである。着物は結構カラフルなはずだ。とはいえこの白衣で黒髪か白髪しかいない色白の学者さんたちの写真なら、カラーでもモノクロでも大差ないのだけども。

 先生はうーんとうなりながら、ああ、こいつだと指差す。

「先生、その人はクドウさんです」

「あれ?」

「前回の取材ではそのようにおっしゃっていたんですが」

 あれ? と言いながら写真を裏返す。昭和63年とメモ書きがある。写真に誰が写っているかは書かれていない。なんで書かなかった!

「ああ、そうか。ワタナベくんが来たのはもう平成になってたはずだから、ここにはいないか」

 オレはメモ帳に「ワタベ→ワタナベ」と書き足した。

 とまあこの調子で一向に話が進まない。教授は別に耄碌はしていないし、認知症などではない。本人も自覚があるほど、名前と顔を覚えるのが苦手なのだ。そしてそれはオレも同じなので、あまり人のことは言えない。

 しかしこの調子ではあと何回取材をしてもこの自伝本は完成しない。そろそろ授賞式と祝賀会のスケジュールも迫り始めている。いや迫り続けているのは前からか。迫ってきているのをオレが認知し始めている。遅くとも今月末にはあるていどめどがたった状況に持ち込まないとやばい。それはつまり、今日の取材・打ち合わせの中で、なんらかの打開策を提示し、先生の同意をとって元請けに説明できるようにしなければならないことを意味する。元請けの田貫印刷の木常さん(営業)は、最初の取材・打ち合わせまでは同席していたが、二回目以降は必ず別件で急用が入ってオレに丸投げするようになった。六回目以降は彼の都合を聞かないでスケジュールを決めるようにした。まあこの仕事自体が田貫の社長がこの教授の奥さんと同窓生だかで、その縁で転がり込んできた案件であるから、おそらくあまり大金を請求できないし、販管費も節約しないとならんのだろう。しわ寄せは、孫請けに。それはこの世界の構造そのものだ。世の中は下に行けば行くほどしわしわになっている。

「どの写真だったかな」

 教授はまだ写真を探していた。ワタベ/ワタナベは正直どうでもいい。おそらくワタベ/ワタナベ本人も自分がワタベ/ワタナベのどっちなのかわからなくなっているはずで、本にワタベ/ワタナベのどっちが書かれていても、ページを開くたびにワタベ/ワタナベがどっちかに確定するようになっているのだから全く問題ない。ああそうだ。オレはたっぷり疲れている。先生は足元にあったトランクを開いて別のアルバムも開き出した。

「あれ? 今日はたくさんお持ちですね」

「ああ、家内がね、物置から写真を全部出してくれたんだよ。だいぶ渋っていたけど、ようやく肚を決めて協力してくれるようになった」

 奥さんが渋っていたのは見積もりが思ったより高く、その金額を夫に伝えたら諦めるだろうと見積書を見せたところ、普段研究報告書なんかで相場を知っている教授が、その値段ならむしろ安いと喜んで、発注を決めてしまったからだ。小型車なら即金で買えるレベルの額だから無理もない。主婦感覚ではありえない出費である。それでも原稿がだんだん進んで、奥さんとの馴れ初めを聞いたあたりから、ようやくその気になったらしく、最近は協力的になってきた。それにしてもずいぶんあるな。

「先生、写真っていっぱいあるんですか?」

「ああ、応接室がもう埋まってしまった。よくあんなに仕舞い込んであったなあ」

「そうなんですね」

 写真か。喫茶店のテーブルに広がる写真を眺めながら、脳内でぐるぐる本を回して、イメージを固める。文章の方は限界を感じていた。先生の記憶があまりにあいまいで、同じ話を何度も聞いたし、そもそも教授とはいえ一般人だ。そんなにエピソードが豊富なわけではない。生まれた頃の話、戦後の混乱期の苦労話、奥様との出会い、研究の成功と失敗。教授になるときの裏工作の話はなどはめちゃめちゃおもしろいがこれはオフレコ。あとは研究室の日常にまつわる話で盛るぐらいか。オレはほかに、書簡集や年表、研究論文の写しなどでページ数を稼ぐことも視野に入れていた。あとはお子さんの逸話とかかな。それでも全然ページが足りん。というかそのページを埋める文章を書くほど、ネタがない。全然足りない。足りない上に、裏取りが難しい。先生本人の記憶も曖昧だが、おそらく関係者もどいつもこいつも記憶が曖昧に違いない。記憶とはそういうものだ。記憶はいいから、をよこせ!

 写真はいいな。まさに人生の記録。ありのままが写っている。ワタベかワタナベかわからないが、その人物は写っている。まあ、さっきはクドウだったが、少なくとも写ってる本人は間違えない程度には、本人がしっかり写っている。世界はそのままの形で写真に固定されて、時を超えてオレたちの前に重なっているのだ。ああ、そうか。そういうことか。オレはようやくこの本の形が見えた気がした。

「先生、写真載せちゃいましょう」

「ん? どういうこと?」

「文章どんどん書いていこうと思っていたんですが、読む人も大変ですから、写真をじゃんじゃん載せちゃいましょう。そのほうが食いつきいいですよ」

「おー。なるほどね。写ってる人全員のこと書くより、そのまま写真があったらいいものね」

「そうですそうです。たくさんあるならそのほうが紙面も楽しくなるし、授賞式で開いても、その場で喜ばれると思います。もちろん章ごとに文章はきちんと入りますが、あまり長々と書いても、実際はそんなに読まれないですからね。キュッとまとめて、写真をタタタタと並べて、読んでも、見ても楽しめる自伝になりますよ」

「いやあさすがオサラギさん。それいい! それでお願いします!」

「わかりました!」

 さて、これで方針は決まった。オレは木常氏にスキャン代を交渉し、キヨセに仕事をさせ、短めの文書をバババと書き、じゃんじゃんレイアウトした。最後まで悩んだのはタイトルだ。先生からは一任されてしまったが、どうしても表紙に使いたい写真だけは指定されていた。自宅から研究所まで歩いたという田んぼ道の写真。まだ舗装されていない頃の写真。いまはもう住宅街になっていて見る影もないそうだ。奥へ向かって真っ直ぐに伸びる道。人間は誰も写っていないが、道の先にちょっとだけ研究所が見えている。長きに渡る研究の道筋がイメージされるよい写真だ。道端には雑草が茫々に生えている。ああ、そうだ。これは人生の縮図かもしれない。オレはIllustratorで、表紙の写真に「路傍の草」と控えめに載せて、プリントアウトした。先生に見せたら大いに喜んで気に入ってくれた。先生は勲章をもらってパーティをしたあと、半年後にがんで亡くなった。オレはパーティにも招待してもらったし、お葬式にも呼んでもらった。葬式ではワタナベさんとワタベさんはそもそも別の人間だったと知らされた。その本は今でも事務所の本棚に置いてある。ブックオフじゃ売れないからね。

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