Bookend

波野發作

第1話 マネキンの森

 親譲りの無計画でガキの頃からあまり得したことはない。無計画エピソードはまたあとで。おれは耳たぶが妙にでかい。それは「福耳」だというが、まったくイケメンぽくは見えないから得とは思えない。さらに名前が「大仏建造おさらぎけんぞう」だから、ガキの頃は「ダイブツ」があだ名だった。高校の頃に「ブッケン」と呼ばれるようになり、それは今でも続いている。会社をやめてフリーランスになったときも、屋号を「ブッケン」にした。あだ名なのか、屋号なのか自分でもよくわからないが、ワンマン会社だから別にどっちでもいい。なのでおれはここでもブッケンと名乗ることにする。

 事務所にはキヨセというアシスタント兼事務員の女がいるが、雇っているというよりは俺の仕事を手伝わせてアガリをシェアしたり、事務所代を俺が全額払う代わりに、電話番とかそのほか会社の事務処理を手伝ってもらっている。キヨセはキヨセで自分で取ってきたデザインの仕事などをほそぼそとやっている。シングルマザーらしいが、こどもを連れてきたことはない。ダンナはどうしたか前に聞いたことがあるが、よく覚えていない。どうもおれはそういうことを覚えているのが苦手なようだ。ひょっとすると、こどもとか元ダンナとかの存在はおれに対する牽制でついたウソで、実は独身なのかもしれない。雇っているわけではないので、身上書や履歴書はもらっていないから、確認のしようもない。こんな狭い事務所にずっと一緒にいれば、恋仲になってもおかしくないとは思うが、おれは絶対に職場恋愛はしないと決めているので、絶対に何も起こらない。これは絶対だ!

 事務所はほかにフリーのカメラマンもシェアしている。ものすごい美形の老人で、メカブさんという。目蕪という字だったと思うが、蕪がソラで書けないので覚えられない。彼は腕はそこそこだが、デジタルが苦手なので最近仕事が少ないとボヤいている。デジ一眼は持っているが、撮ったあとの処理が鈍い。納期に余裕がある仕事は頼めるが、即納みたいなのは別の若いのを使うようにしている。メカブさんは三回結婚して四回離婚している。計算が合わない。たぶんもう二回ぐらい、誰かと結婚しているのを忘れているのだと思う。メカブさんは週2ぐらいでひょっこりやってきて、書類の処理などをして帰る。あとはあまり使わないカメラ機材を取りにやってきたりってぐらいだ。

 シェアオフィスのドアにはおれの屋号の「Bookend」、キヨセの「ピュアクリーク」、メカブさんの「メカブ写真事務所」の小さい看板が並べて貼り付けてある。おれは打ち合わせがあるので、そこを出て、駅前のカフェへと向かう。事務所は狭いので客に来られても困る。コーヒーを買って上へ上がると、客はすでに来ていた。目印は分厚い茶封筒。小説を出したいという一般の方だ。

「どうもブッケンです」

「どうもどうも小菅ケ谷大五郎です」

 コスガヤ先生はすっと名刺を出してきた。受け取って、自分も名刺を渡す。

「メールで概要はお聞きしていますが、詳細を改めてうかがえますか?」

「はい。わたしは長年銀行員だったのですが、引退後は趣味でミステリー小説を書いておりまして、新人賞なんかに応募しているのですが、それは狭き門でなかなか通りません。それでは埒があかないので、こうなったら直接編集部に交渉して採用してもらおうかと思って電話したり持ち込んだりしているのですが、これも成果が出ません。それでどなたかプロの方にお願いして、出版をしていただけないかと思った次第です」

「ご存知とは思いますが、今は未曾有の出版不況です。プロデビューした作家ですら何年も本が出せずに飢えているような、そんな状況です。それをご理解いただいた上で、それでもチャレンジする、ということでよろしいのですか?」

「ええ。もう家族の手前、引っ込みもつきませんし、老い先も短いですから、自分の本が書店に並ぶのを見るまでは死んでも死にきれません。銀行でも出世はできませんでしたから、世間を見返すという意味でも一発逆転を狙う次第です。不退転の覚悟というものです。そして、それだけの覚悟を作品に込めている」

「メールでは送っていただけないということなので、直接お持ちいただいたわけですが」

「すみません。あなたを疑うわけではありませんが、万が一流出してしまった場合は、あなたを訴えなければならないですし、それは望みません。穏便に済ますためにも、そのような原因は作るべきでないと、そのように考えています」

「それは正しいお考えですね。では拝見します」

「よろしくおねがいします」


 作品は、作品と呼ぶにはあまりにあまりだが、本人が作品だというのだからいいじゃないか。我が国には表現の自由というものがある。これは憲法のもとで保護されている自由な表現物だ。タイトルは「美女の森」。湘南あたりの海が見える丘の森のなかに建つ大きな家で暮らす、元銀行員の老人。

「これ実話ですか?」

「いえいえ。創作です」

 続き。老人は頭取まで務めて退任。妻は数年前に病死。子どもたちは独立して海外で暮らしている。

「コスガヤ先生はご家族は?」

「あ、はい。家内と、息子が二人。上の子は独立していますが、下の子は家にいます」

「なるほど」

 じゃあ書き手は、口うるさい嫁さんと、ニートの息子と同居していて、肩身が狭いのか。勝手な想像ですみません。

 続き。ある嵐の晩。玄関ドアを叩く音。お、物語が動いた。そこまでは自慢話がだらだら続いて辛かったのだ。老人がドアを開くと、びしょ濡れの女が立っている。幽霊ではない。近所に自殺の名所がある。自殺に失敗した女がこのように訪れる場所という設定のようだ。だいたい週一ぐらいでやってくる。女たちは、まず身の上話をする。いろいろなバリエーションがあるが、だいたいは男に騙されて失望したというものだ。そして老人が命の大切さを諭す。女はそれで希望を胸に街へ帰る。翌日、身なりを整えて老人宅を訪れ、お礼にとシトドをともにする。というエロ小説だ。このパターンが四回続いたところで、一度読むのを止めた。

「あの」

「はい」

「自殺未遂の女性は何人出てきますか?」

「十七人です」

 おれはここまでの紙の枚数と、残りの枚数をざっと、見比べる。なるほど、のこり十三人分はあるわけか。

「これはミステリーではない?」

「ミステリーというのはどういう定義でしょう」

「ええと、犯罪や悪事の謎を解いて、犯人を捕らえたりする物語ですね」

「犯人というものはいませんね。死人も出ない」

「まあ、出なさそうですね」

 女性たちは様々なシチュエーションや設定がされていて、それなりにバリエーションを振り分けているのだが、なんというかその、喋り方がワンパターンなのだ。テンプレに沿って、内容を置換して当てはめているような感じ。人間味がまったくなく、まるでそう、

「マネキンみたい」

「え?」

「あ、いえ、女性が美しいので、マネキンのような印象です」

「そうですか。みなそれぞれモデルがおりましてね」

「モデル?」

「ええ、銀行員時代の部下や同じ銀行の子たちですね。美人の子の名前や顔はずっと忘れません。スリーサイズは聞けませんでしたが、見た感じでだいたい判定して記録しています」

 なんかカミングアウトしてきたー!

「それで、どうでしょう?」

「どうといいますと?」

「小説ですが」

「あああああ、はいはい。そうですね」

「どうです?」

「これをどのぐらいでお書きに?」

「魂を込めて二年書けて書きました」

「それは大変でしたね」

「はい、がんばりました」

「普段はミステリーをお読みになる?」

「読書は趣味ですが、主にビジネス書を。ミステリーは家内がテレビで見るのを隣で眺めているというぐらいです」

「火曜サスペンス?」

「あ、そんな感じの」

 なるほどなるほど。

「電子書籍はご存知ですか?」

「ええ。話だけは」

「世に出すのであれば、そのような形でリリースできます」

「そうなんですか。できれば紙の本がいいのですが」

「自費出版の資金はありますか? 三百万円ぐらい」

「それは家内が許してくれません」

「で、あれば、まずは電子でヒットさせて、それから出版社に交渉するとかですね。ご自分でやるならほとんどお金はかかりません」

「電子にする方法がわからないのですが」

「こちらでレクチャーしてもいいですが、レッスン料はいただきますよ」

「やっていただく場合はおいくら?」

「原稿をいじらなくていいのであれば、十万円でお請けします。表紙ぐらいは作りますよ」

「この際もうそれでお願いします」

「わかりました。では原稿のデータをお送りください」

「は、帰宅したらお送りします」

「それで、一つご提案があるのですが」

「なんですか?」

「タイトルを変えたほうがいいかと」

「そうですか。この際お任せしたいと思います。私が自分でやってもあまり良い感じにならない気がします」

「わかりました。表紙ができたら送りします」


 おれはレンタルフォトから写真を買い、『マネキンの森』というタイトルをつけてリリースした。ジャンルはホラーにした。まあまあ売れた。紙の本にはならなかったが、映画化のオファーは来た。試写会に呼ばれたので、見たら「原案」でコスガヤ先生の名前があった。映画のストーリーは「自殺女たちが毎晩やってくるのを屍姦しまくるサイコ野郎の話」にちょっと改変されていた。めっちゃ怖い映画だった。ホラーはあまり得意ではない。

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