Artifact:04 時騙しの法(後編)

 ひととおり館の地階の案内を終えた二人は、館の外に出た。

 《常夜》の空は普段と変わりなく、無数の星々が散りばめられた闇の色を現していた。中天には満ち欠けを示さない満月が浮かぶ。星と月の明かりは思いのほか明るく、灯りの無い館の中にいたファイにとっては僅かに眩しさを感じるほどだった。冷たい夜風が吹き抜け、二人の髪を揺らした。

「ちびアヒルチャン、寒くない?」

「寒くないです」

「そっか」

 館の外に案内すべき場所は少ない。ファイが《人形》時代に横たわっていた石小屋や、そのそばに建てられた誰かの墓石。荒れ果てた庭。館の周りを一周するのにはそう時間を要さなかった。最後に二人は門の前に立ち、敷地外に広がる鬱蒼とした暗い森を眺めていた。

 森の中は木々の枝葉に阻まれ、ほとんど空からの光が届かない。多くの木々は異形に湾曲し、得体の知れない植物が生い茂る。森と屋敷の境界であるこの門に《裏門》のような魔術的機能は無いようだが、門の先に見える景色は宛ら異界の様相であった。

「森の中で迷うと大変だから気をつけてね。私たちの身長だと、木とか長い草で前が見にくいし……。そういえば、ちびアヒルチャンも飛べるんだよね」

「飛べます」

 ちびアヒルチャンはその場で数十センチほど宙に浮かんで見せた。ファイは感嘆の声を漏らす。

「そっか、じゃあ迷っても空から帰れるから大丈夫かな。……それと、ちびアヒルチャンも人間を食べるの?」

「食べます」

「そっかー。じゃあ《裏門》についても後で教えないと。あと……それと……」

 ファイはここで言葉に詰まった。これから問うことをなんとなく気恥ずかしく感じてしまったためだ。ファイは初めてアヒルチャンに噛み付かれた腕のあたりを掴みながら、俯きがちにその問いを投げた。

「私も一応、食べられるみたい……なんだけど」

「食べます」

 そう答えるや否や、宙に浮かぶちびアヒルチャンは急降下し、ファイに掴みかかった。

「うわっ、なにっ」

 ファイはちびアヒルチャンの体重と勢いに負け、地面に尻餅をついてしまう。ちびアヒルチャンはファイにのしかかるような体勢で着地した。ファイは立ち上がろうとするが、ちびアヒルチャンの華奢な腕は人ならざる者の異常な力でファイを押さえつけ、それを許さない。細まったちびアヒルチャンの目が、嗜虐的にファイを見下ろす。ファイの戸惑いの表情に、ちびアヒルチャンの口元が歪む。

「やっぱりいい表情をしますね。遊び甲斐があります」

「ちょっと待って、そんないきなり……」

 ファイの言葉への返答はなく、代わりにちびアヒルチャンの手がゆっくりとファイの眼前に迫る。ファイは意図を理解し、今度こそ指を入れられまいと、口を固く結ぶ。だがちびアヒルチャンの手の動きは止まらない。こじ開けてでも口の中を蹂躙してやると、ちびアヒルチャンの目が宣告しているように思えた。抗えない。ファイは観念する。そしてその手がファイの顔面に達さんとする、そのときだった。

「そこまでです」

 ちびアヒルチャンの腕は、音も無く空から降り立った何者かの手によって掴まれ、動きを止められた。ファイは目の前に差し込まれたその手が、ちびアヒルチャンと同じ色をしているのを見た。

「アヒルチャン……!?」

 そう、その手の主はアヒルチャンだった。ファイよりも遥かに身長の高い、いつも通りのアヒルチャンが、ちびアヒルチャンの腕を同じく人外の怪力で押しとどめていた。

「……!」

「……」

 ちびアヒルチャンとアヒルチャンの視線が交錯する。アヒルチャンの目は反転し、冷酷な光を放っている。ちびアヒルチャンも力を込めるが、体格の差が影響するのか、アヒルチャンの膂力の方がやや優っているようで、徐々にちびアヒルチャンの腕は押し戻されていく。

「……ふー」

 数秒の睨み合いの果て、やがてちびアヒルチャンが息を一つ吐き出し、ファイを押さえつけていた手を離した。そしてその手を顔の横に上げて掌を見せる。

「降参します」

 アヒルチャンの目が元に戻り、ちびアヒルチャンの腕が解放された。ちびアヒルチャンはファイの上から飛び退き、アヒルチャンと距離をとる。

「……アヒルチャン?」

 その一部始終をどこか取り残された気分で見ていたファイは、ようやく立ち上がり、ちびアヒルチャンから自分を守るように立ちはだかっているアヒルチャンに問いかける。状況が理解できていないと思しきファイの表情を見て、アヒルチャンはいつになく真剣に言った。

「騙されないでください。彼女はアヒルチャンわたしではありません。私のニセモノです。ゲートを勝手に使って入り込んできた曲者です」

 ちびアヒルチャンから警戒を解かないアヒルチャンの静かな気迫と、いつもよりもアヒルチャンが饒舌であることに動揺しつつ、ファイは答えた。

「え……?うん、知ってる……けど?」

「……くえっ?」

 思わぬ返答に、ワンテンポ遅れてアヒルチャンが気の抜けた声を出した。ファイはそのアヒルチャンの脇を抜けて、掴まれていた腕をさすっているちびアヒルチャンの方へ駆け寄る。

「アヒルチャン、紹介するね。新しくこの館で暮らすことになった、ちびアヒルチャンだよ」

「よろしくお願いします」

 ちびアヒルチャンがぺこりと頭を下げる。今度はアヒルチャンがただただ呆気にとられる番だった。

「知って……いたんですか?」

「なんとなくだけど。最初はアヒルチャンが縮んだのかと思ったけど、アヒルチャンにしてはちょっと性格とか表情が違うような気がして。それで、別人なのかもって……えいっ」

 ファイはちょっとした仕返しのつもりで、不意をついて指先でちびアヒルチャンの頬をつつこうとする。だが、ファイの指がちびアヒルチャンの頬に達する直前に、ちびアヒルチャンの手が視認できないほどの速度で動いてファイの腕を絡め取った。

「ひどいー……私にはいっぱい悪戯してくるのにー……」

「考えが甘いですね。流石にファイには負ける気がしません」

 そう言って戯れ合う二人の間に敵意や害意が無いことは、アヒルチャンの目にも明らかだった。アヒルチャンは大きなため息をつく。

「また心配して損しました」

「そう、それ!アヒルチャンは何も考えてないように見えて、色々私のこととか考えてくれてるの。でもちびアヒルチャンは多分何も考えてな痛ーいっ!?」

 ちびアヒルチャンが無表情でファイの腕をねじり上げ、ファイが呻いた。

「失礼ですよ。私も色々考えています。ファイを使った次の遊びのこととか」

「ぐええええ、ごーめーんー」

 悶えながら笑うファイの頬を、ちびアヒルチャンは執拗に指でつつく。一応の安堵を得たアヒルチャンは一つ息を吐き出し、ゆっくりと二人の方に歩み寄る。

「聞かせてください。あなたは何者ですか。どうしてここに来たんですか」

 問われたちびアヒルチャンはファイの腕を離し、ゆっくりと話し始めた。

「私は名前のない都市伝説なにかです。生まれて以来、私は何をすればいいか、どこに行けばいいのかが分からず、本能的に人を食べながらずっとあちこちを彷徨っていました。そんなとき私と似た姿の存在のことを知って、その存在……アヒルチャンと言うのですね。アヒルチャンを真似してみようと思いました。アヒルチャンが行く場所に、私も行ってみようと。そうすれば、何かが得られるのではないかと。そして今日、ようやくアヒルチャンを見つけました」

「それは……くあー……」

 アヒルチャンはその答えを聞いて、口を開けたまま黙り込んだ。ちびアヒルチャンはアヒルチャンと同じだった。姿だけでなく、その境遇までも。アヒルチャンは返す言葉を持たなかった。そのため、沈黙を破り、言葉を発したのはファイだった。

「えっと、行く場所が分からないなんて、私にはよく分からないけど……。今日の私たちみたいに、行きたい場所に行けばいいと思うし。だけど置いていかれたり、お留守番はちょっと寂しいかな。それでも、どこに行ってもちゃんとここに帰ってきてくれるなら、寂しくないから」

 沈黙を破った当のファイさえも、言いたいことがまとまらないようだった。自分の外部に言葉を探しているかのように忙しなく視線を移ろわせながら、率直な思いを紡いだ。

「その……だから……このおうちは行く場所じゃないかもだけど、帰る場所にはなれる。だから、いたいだけ……ううん、よければずっとここにいていいよ、ちびアヒルチャン」

 返される言葉はなかった。何かまずいことを言っただろうか。ファイはいつしか伏せていた視線を、おずおずとちびアヒルチャンに戻す。

「……ちびアヒルチャン?」

「はい?」

 視線を戻したファイが見たのは、開いたままのアヒルチャンの口に、仕返しのチャンスとばかりに指を突き入れようと機をうかがっているちびアヒルチャンの姿だった。

「アヒルチャン、口閉じて」

「むー……?」

 アヒルチャンはファイの勧告に素直に従う。ちびアヒルチャンは悪戯の機会を失い、僅かに悔しそうな表情を浮かべ、同時にファイを横目で威圧した。

「そ、そういえば、アヒルチャンに聞きたいことがあるんだけど」

 ファイはちびアヒルチャンの視線に射竦められながら話を変えようとする。

「むー」

 だがアヒルチャンは唸るような声を上げるのみだった。ファイは少し戸惑った後、理解した。ちびアヒルチャンとアヒルチャンの間を遮るようにファイは移動する。

「ごめんアヒルチャン、もう口開けていいよ」

「はい」

 アヒルチャンは口を開いた。悪戯心を持て余したちびアヒルチャンに背中をべちべちと叩かれながら、ファイはアヒルチャンへの質問を再開する。

「アヒルチャンはどうしてこんなに遅かったの?ちびアヒルチャンと一緒のタイミングでゲートを使ったんだよね?」

 アヒルチャンは少し悩むような素振りを見せた後、

「道に迷いました」

 と答えた。

「迷った……って、私の近くに転移しなかったの?」

 ファイは尋ねる。経験上、アヒルチャンがファイのそばに転移する場合の座標誤差は数メートル程度におさまっている。以前ゲートで帰還するときにファイとアヒルチャンが別々の場所に飛ばされてしまったことがあったが、そのときもアヒルチャンがファイの近くに転移することで事なきを得た。アヒルチャン自身の転移能力が最も迅速にファイのもとに駆けつける手段だった筈だ。

 だがアヒルチャンはそのファイの素朴な問いかけに、今までに見せたことのないような落ち込んだ表情を返した。そして、告げた。

「ファイと繋がっていた糸が、見えなくなりました」



時遡る懐古の館、新たな黄色の都市伝説。

変化の訪れた彼らを見下ろす、常夜の抱く不変の空。

このおはなしは、もう少し続きそうです。

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アヒルテイルズ・ドールハウス Φ @PHI-03

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