せっかく気がついたのに
「ねぇ、陽くん。明日プロ野球があるんだって!」
「あー1年に一回あるやつな」
陽くんとこうして、毎日ご飯を一緒に食べるようになった。
あたしは料理をしないから、陽くんに作ってもらってばかりなんだけど。
「あたし、すっごく行きたいんだけど!」
「んー?それは、俺に車出せと……?」
「もう、一緒に行こうって言ってるの!」
わかってるくせに、意地悪そうに笑う陽くんにはかなわない。
あたしたちの住んでいるところは、田舎で。
プロ野球の球団なんてない。
だから、1年に1回だけ行われる地元の球場での試合が唯一なのだ。
「ごめん、ごめん。分かってるよ。明日、学校も休みだしいこう。潤も仕事休みだろ?」
「うん!」
陽くんは、普段はもちろん学生だ。
平日に週に2回、学校がない日があるからその日に働きにきてる。
そして、それ以外で仕事のない日もあたしのことを迎えにきて、ちゃんとボディガードをつとめてくれてる。
もう一度、理学療法士として働きだして、気がつけば3ヶ月が経っていた。
つまり、陽くんとこうして過ごすようになってからもそれどけの月日が経っているということ。
「潤、ちゃんと食べれるようになったな」
「む?それは太ったってこと?」
「バカ、そんなこと言ってないだろ」
頭をぽんっと叩かれる。
「太ったとしたら、陽くんのせい」
「お?」
「美味しいご飯を作ってくれてるから」
たしかに、働き始めたときから太ったとは思う。
「前がガリガリだったから今の方がいい」
「あ、太ったって言ったな?」
「だから、なんでそうなんだよ」
この時間が大事だった。
陽くんとは、こうして笑いあってずっと過ごしてきた。
この空間があたしの拠り所だった。
陽くん相手だと、ちゃんと笑えてるって自分でもわかる。
陽くんなら信頼出来る。
でも、まだ踏み込む勇気はなかった。
陽くんは、あの時、あたしへの想いを話してくれた。
あたしは、それに応えるだけの資格があるのか。
陽くんに応えても大丈夫なのか。
陽くんのことを信じている自分と、また、賢晴のように裏切られたらどうしようと思っている自分と。
全然違う自分の考えで板挟みになっていた。
でも、そんな板挟みの状況を打破したくて。
陽くんのことを信じでいる自分を信じたくて。
野球をみにいきたいって言ったんだ。
普段、家と職場の往復ばかりでふたりでどこかに遊びに行ったことがなかった。
だから、普段と違う場所で陽くんといてみたいって素直にそう思ったんだ。
......................................................
「潤、準備できた?」
次の日。
前の晩、そのままうとうとして、陽くんの家で寝てしまったあたし。
だから、今日もまだ陽くんの家にいる。
「うん!ちょっと着替えに行ってくるよ!」
「一緒に行くわ。いちいち準備できたとか連絡すんの面倒じゃん」
「わかった」
こういうのは日常茶飯事だった。
ご飯を食べて、そのまま寝てしまう。
そして、陽くんがあたしをベッドに連れて行って寝かせてくれる。
自分はソファーで寝て。
『陽くんもベッドで寝ればいいのに』
1度言ったことがあったけど、彼はかたくなにベッドでねようはしなかった。
あたしと陽くんは付き合っている訳ではない。
だから、遠慮しているのだろう。
一緒に寝たら、きっとそうなってしまう。
陽くんは、本当に真面目に考えてくれてるんだ。
実際、陽くんはモテると思う。
彼が入学してきたときは『あの子、超かっこいい!』なんて友達が騒いでいたし、結構告白されている場面を目撃したりなんかもした。
通った鼻筋に、切れ長の目。
ふわっとした猫っ毛が可愛らしい。
あたしも、陽くんがかっこいいことは認めてる。
でも、どうしてあたしなのだろう。
陽くんならいくらでも、女の子が寄ってくるだろうに。
「陽くん、準備できた」
「おう、行こうか」
あたしの部屋のソファーに座ってスマホを見ていた陽くんが、あたしの声に顔を上げる。
「なんか普段、俺の家ばかりだから潤の家って新鮮だな」
「たまには家にくる?」
「お?料理振舞ってくれるの?」
「……まぁ、簡単なものなら」
あたしだってまったく出来ないわけではない。
レシピの通りに作ったことしかない。
っていうか、その通りにしかできない。
「じゃあ、楽しみにしてる」
「……頑張ろ」
いつもお世話になってる陽くんに少しでも恩返しがしたかった。
こんなこと、恩返しにもならないかもしれないけど。
「約束」
自分の小指をあたしにさし出してくる。
「ん、約束」
陽くんの小指に自分の小指を絡ませればキュッと結ばれる指。
陽くんに触れられた部分から、全身に熱が伝わる。
前までのあたしなら、こんなことなかったのたのに。
いつから、陽くんにこんなに反応するようになったのだろうか。
自分の中でもう既に芽生えてるこの気持ちをまだ認められないでいる。
誰かに恋することにこんなに自分が臆病になるときがくるとは、思わなかった。
あんなに恋はキラキラして、素敵なものだと思っていたのに。
あたしをこんなふうにしてしまった元凶は、呑気にあたしを消したあの場所で働いて、そして終わったあとはあたしの家の前にくる。
彼はいつまでこんなことを続けるつもりでいるのだろう。
毎日毎日あたしの家の前にきて、あたしに会うでもない。
……まぁ、会いに来られても困るけど。
「潤、最近はどう?不安要素はどう?」
「うん……まだ、かな」
直接会ってはいないけど、不安要素はなくならない。
賢晴があたしの家の前に現れなくなるまでは、とりのぞかれない。
「そっか」
「ごめんね、迷惑かけて」
「迷惑なわけあるか。俺が守るって言ったろ」
陽くんには不安要素が賢晴だとはいえてない。
あたしと賢晴は別れたことはもちろん知ってるけど。
でも、陽くんにとって賢晴は先輩だから、幻滅をして欲しくなかった。
賢晴が幻滅されようとあたしには関係がないはずなのに、なんで言えないのか。
賢晴のためなんかじゃない。
陽くんがショックを受けるのが嫌だから。
だからあたしはこの先何も無いことを願ってる。
そうして、自然と賢晴がフェードアウトしてくれることを願ってる。
そうすれば、陽くんの信頼出来る先輩のままだ。
「よーし、気合い入れて応援するぞー」
ふたり分のチケットを陽くんが買ってあたしに渡してくれる。
「自分の分は払うよ」
「いいんだよ。ここは任せておけって」
ポンッとあたしの頭を撫でる。
「……ありがとう」
あたしは社会人で陽くんは学生なのに。
陽くんばかりに無理をさせているんじゃないかって不安になってしまう。
でも、陽くんの好意を無下にすることもできなくて。
結局あたしは今日も陽くんに甘えてしまう。
「陽ちゃん……?」
チケットに印字された席を探してるときだった。
キョロキョロしていると後ろから陽くんの名前が呼ばれて。
「え……?って、
振り向くと、そこには麦わら帽子を被って、ふわふわのパーマがかかったいかにも女の子って感じの子が立っていた。
「陽ちゃん、その人だれ……?」
陽くんの隣にいるあたしに目を向ける。
「え……っと、バイト先の人だよ」
「ねぇ、どうしてあたしじゃない人が隣にいるの?」
じわじわとあたし達に向かって歩いてくる彼女。
その目には光は宿っていない気がした。
「……っ」
陽くんは、なぜかあたしの前に出る。
「真凛、落ち着け……」
「陽ちゃんはいつもそう……あたし以外の子をみる」
陽くんの言葉は聞こえていないのか、どんどん距離を詰めてくる。
さすがに、彼女の様子が普通ではないことにあたしも気づく。
「真凛、止まれって」
「ねぇ、陽ちゃんのことどう思ってるの?」
彼女の視線は陽くんではなく、後ろにいるあたしに向けられていた。
あまりにも鋭い視線を向けられて、血の気が引いていくのがわかる。
「真凛、落ち着いてくれ、頼むから」
彼女が迫ってくるたびに、陽くんも下がるから後ろにいるあたしも必然と下がる。
でも、もうこれ以上は後ろが壁で下がれない。
「真凛、帰ろう」
もう下がれないからか、陽くんが彼女の肩を掴む。
「陽ちゃん……あたしを見てくれた」
彼女の顔はいっそうと明るくなる。
「ごめん、潤……こいつ、こうなったら止まらないから連れて帰るな」
「う、うん」
あたしの返事を最後に、陽くんは真凛さんの手を引いて出口に向かっていった。
真凛さんの手を引く陽くんにチクリと胸が痛む。
わかってる。
真凛さんの様子がおかしかったから仕方ないってことくらい。
そして、自分にはヤキモチを妬く資格なんてないってこともわかってる。
でも、ふたりが去っていった姿が頭にこびりついてモヤモヤして仕方がない。
「野球見て帰ろう」
せっかく陽くんが買ってくれたチケットだ。
隣の席に本来いるはずの陽くんがいないのはすごく寂しいけど。
でも、このチケットを無駄にはしたくないから。
野球を見ているあいだも、ふたりのことが頭から消えてはくれなかった。
今頃ふたりは何をしているんだろう。
いつもあたしにくらてる陽くんの優しさをあの子に与えているのだろうか。
そんなことばかり考えて、あまり試合にも集中はできなかった。
「さっさと帰ろう……」
試合が終わって、家の最寄り駅までいくシャトルバスがあるからそれに乗る。
思えば、1人で家に帰るのはどのくらいぶりだろう。
すっかり陽くんと帰ることに慣れていたから、1人で帰るのはやはり寂しい。
〝さっきはゴメンね。もうバスに乗った?〟
窓を眺めてぼーっとしていると、陽くんからのLINEが届いた。
〝陽くんの分も楽しんできたよ。いまバスに揺られてるところ〟
──楽しんできた。
なんて嘘だ。
でも、こう言わないと陽くんが気にしてしまうから。
陽くんにはどうしても気にしてほしくない。
あたしが楽しめなかったことを知ったら、絶対に気にしてしまう。
〝今日は一緒に帰れなくてごめんな。〟
〝大丈夫。いつもありがとう〟
いつも、当然のように隣にいた陽くんがいない。
いつの間にかあたしの中で陽くんの存在が大きくなっていた。
あぁ、そっか。
──好き、なんだ。
まぁ、典型的な惚れ方なのかもしれない。
傷ついていた心に入り込んで来た人。
それだけで好きになるには充分すぎた。
だって、それだけじゃない。
ありえないほど、いい人で。
ありえないほど、あたしを大切にしてくれる。
考えたら涙が出てしまいそうで、あたしはそっと瞳を閉じた。
「んー、疲れた」
最寄り駅にバスが到着して、お金を払って降りる。
うーんと伸びを一回して、アパートへと歩く。
「……何時だろう」
ふと、腕時計をみてはたと気がつく。
「あたし、帰れない」
時間は19時をさしていた。
絶対に、家の前には賢晴がいる。
今日だけ来ていないなんてことあるはずがない。
陽くんのことで、頭がいっぱいになっていて、重要なことを忘れていた。
あたしは、賢晴がいないことを願いながらそーっと家の方向へと歩く。
「なーにしてんの?」
後からそんな声が聞こえたのは、1歩を踏み出してすぐだった。
「……賢晴」
声ですぐにわかった。
そーっと振り向いてもその事実は変わることがない。
「やっと1人でいる」
ニッコリと笑う賢晴に背筋が凍る。
「あ、あたしもう帰るから……」
「ん?今日帰るのはそこじゃないよ」
ニッコリとした表情を崩すことなく、あたしの腕を掴む。
「やめて、賢晴。お願いだから」
「やめない。やっと2人になれたんだよ」
あくまでも表情を変えない賢晴が怖くて仕方ない。
「どうするつもりなの……?」
「俺の家に行く」
話しながらもう歩き出してる。
「……いやだ。行きたくない」
「いいから黙って来いよ。ほら」
といいながら、止まったのは駐車場。
「いやだ、乗らない」
乗ったら最後だって、そのぐらいわかる。
はやくこの手を振りほどかないと。
でも、賢晴の力が強すぎて、振りほどこうとしても全然動かない。
「いいから、乗れ!」
いつも乗っていた賢晴の車。
その車の後部座席に押し込められて、すぐに自分も運転席に乗り込む。
本当はすぐにドアを開けて逃げたかったけど、手が震えて無理だった。
「どうして、こんなこと……」
「お前が大人しく言うこと聞いてりゃいいんだよ」
「……っ」
ハンドルを切る姿はいままでとまったく変わらないのに、本人は別人のようになってしまってる。
相変わらず格好よくて、大好きだった頃のままなのに。
どうして、こうなってしまったのだろうか。
「ほら、懐かしいだろ」
「え……?」
車が停まったのは、賢晴が大学2年生から住んでいたアパートの前だった。
「なんで、ここ?」
もう、賢晴はここに住んでないのに。
ここに停まる事が不思議だった。
「またここに住んでる」
「……え?」
「でもさ、この部屋にはひとつ足りないんだよ」
「足りない……?」
ひとつため息をつき、何も答えず車を降りて後部座席のあたしも降ろす。
「とりあえず行くぞ」
もう、抵抗しても無駄だってわかってるから、あたしは諦めて賢晴に腕をひかれるまま歩く。
「ほら、入れよ」
ひとつの部屋の前で賢晴がドアを開けてあたしの背中を押す。
「この部屋……」
「懐かしいだろ」
そこは紛れもなく、賢晴が一人暮らしをしていたアパートで。
当時はあたしも毎日のように過ごしていた部屋だった。
「どうして……」
学生時代のアパートなんて、狭くてボロいのに。
社会人になってお金もある賢晴が、ここにどうしてまた引越してきたのか不思議だった。
「ここに来ればまた、潤を取り戻せると思って」
「な……っ」
取り戻せるとか取り戻せないとか。
あたしは誰かに取られたおもちゃじゃない。
それに、こういう風になった責任は誰にあると考えているんだろうか。
「潤は、陽のことが好き?」
「……っ」
「どうなの?」
賢晴の言葉にあたしはこくんと首を縦に振った。
「そっか」
ニッコリと笑う賢晴。
その笑顔の裏になにかが隠されてそうで、寒気がする。
「じゃあ、ここに置いとくまでだよね」
「は……?」
予想通り。
よろしくないことを考えてる賢晴。
「俺のとこにいないお前なんかお前じゃない」
「待って……。あたしは自分の居場所は自分で決めるよ」
「お前、いつからそんな自分の意見言うようになったんだ?」
「……え?」
賢晴の言葉の意味がわからなくて、首を傾げる。
「お前は、俺の言うことを笑って聞いてるだけの女だったのに。いつから自分の意見なんて持つようになったんだよ。腹立つ」
イライラした様子で壁にあたしの背中を押し付ける。
「……賢晴?」
「お前は自分の意見なんて持たなくていいんだよ」
「どういう……?」
〝どういう意味〟かききたくて、でも言葉は途中で出なくなった。
だって、自分の大学時代を思い出してハッと気づいた。
あたし、大学時代、いつも賢晴と一緒だった。
賢晴が行くところについていって。
就職先だってそうだ。
『俺ここ受けるから、お前も受けろよ』
そう言われて、受けて2人とも受かったんだ。
いつだってそうだった。
賢晴かいるから、賢晴と一緒に、賢晴がしたいことを。
それだけをただ思ってた。
大学時代のあたしに自分の意見なんて述べる隙はなかったんだ。
「俺の思う通りに行かないと腹立つ」
彼のイライラは見るからに顔に出ていた。
「け、賢晴……」
なんだか怖くなって、彼の名前を呼ぶ。
「俺の知らないお前になるなよ」
あたしの腕をギュッと掴んで、部屋の中を歩いていく。
「賢晴……?」
彼の歩いていく方向に何があるのかあたしはわかっている。
長年この部屋に一緒にいたんだから。
「お前は俺のことだけ見てればいいんだよ!」
「ちょっ……賢晴!」
そのままベッドに投げられ、あたしの上に賢晴が跨る。
「怖いか?」
「なに……やめてよ……」
賢晴が何をしようとしているのかなんて、そんなのもちろんわかってる。
でも、こんな風に荒くなった賢晴は見た事が無かった。
「やめるかよ、お前は俺のだって思い知らせるだけだ」
「お願い……こんなんじゃ、賢晴のこと……」
「好きになれないってか?なろうともしてねーくせによく言うよ」
「賢晴っ!……んっ」
賢晴の名前を呼ぶあたしの口を自分の口で塞ぐ。
「俺のこと好きって言ったらやめてやる」
「す……」
言おうと思った。
それで解放されるなら言おうと思った。
でも、その言葉を言おうとした瞬間にチラつく陽くんの顔。
だって、あたしは気づいたんだ。
誰のことが好きなのかを。
自分が今、どんな状況にいるのかもわかってる。
それでもその言葉を別の誰かになんて使いたくない。
大切な言葉だから。
どうしたら、この場を逃れられるか考えたけど、答えなんてみつからない。
ここにあたしがいることを誰も知らない。
だから、助けなんて期待できない。
──ピリリリリ
この音によって、賢晴の手が止まる。
「……ったく、誰だよ」
イライラしたように頭をかいて、あたしから離れて自分のスマホを取りに行く。
賢晴の姿が見えなくなったのを確信して、あたしもズボンのポケットに入れていたスマホを操作して陽くんを表示させる。
1分1秒の勝負だろう。
震える手を抑えながら、陽くんにLINEを送る。
その間に、賢晴の電話が終わる声が聞こえたから慌てて送信をして〝助けて!賢晴〟だけ送ることになってしまったけど。
少しでも陽くんがSOSに気づいてくれることを願った。
「ちゃんとじっとしてたか?」
戻ってきた賢晴がキョロキョロと辺りを確認してる。
「逃げも隠れもしないよ……」
もうここから出ようだなんて考えていない。
でも、賢晴に身体を預けるつもりもない。
あの頃はあんなに賢晴に身体を預けることをなんとも思っていなかったのに。
むしろ、あたしと賢晴を繋いでくれてる気がして嬉しかった。
いつか、この繋がりが家族になる証になるんだって信じてた。
「賢晴があの時あたしのことを信じてくれてれば、今も賢晴といたと思うよ」
「なんだよ、俺が悪いっていうのかよ」
「誰が悪いとかじゃないよ。もう、過去の自分とはさよならしたの」
「勝手にさよならしてんじゃねぇよ。俺はお前が好きだ」
「あたしはもう、好きじゃない」
もう、賢晴しかいないと思っていたあの頃の自分とは違う。
あたしには居場所がある。
今の住んでいるマンション。
そして、今の職場。
そして、陽くん。
だから、もう賢晴に依存はしない。
「ムカつく。俺の知らないお前を見せるなっていっただろ!?」
眉間にシワを寄せた賢晴がまたあたしに跨る。
「好きにしてもいいよ。でも、あたしの心は戻らないから」
それで自由にしてくれるなら。
もう、よかった。
それで、賢晴の気が済むなら。
せっかく、陽くんへの想いに気づけたのにな、とは思うけど。
......................................................
「あーあ、いつになったら出れるんだろ」
朝。
賢晴はあたしの腕をベッドの柵に手錠で繋い出ていった。
「スマホも持っていかれたし」
仕事に行けないって連絡もできてない。
スマホは、ロックがかかっているし、賢晴と付き合っている頃のパスコードとは違うから開かれないと思う。
あの頃は賢晴の誕生日に設定したりなんかして、賢晴にいつ見られても大丈夫だった。
賢晴に見られるのが普通のことだと思ってた。
「あ……」
心情とは別物のようで、盛大にお腹がぐーっと鳴り響く。
昨日の昼も結局食べなかったし、夜も食べてない。
そりゃお腹もすくよね。
こんなときでも、お腹が空くし、眠たくもなる。
人間とはこんなものだ。
「食べる……か」
手を伸ばして取れる範囲に置かれたひとつのパン。
賢晴がお腹が空いたら食べれと置いていったものだ。
イライラしているなら、そんなこと放っておけばいいのに。
むやみに放っておけないのは、本来の賢晴は優しいからだろうか。
「結局、なにもできないんだもんな」
昨日の夜、好きにしていいと言ったあたしの頭をポンッと撫でて離れた。
どうしたのかと聞いたら、どうやらあたしは自分で気づかないうちに泣いていたらしい。
賢晴に言われて、頬を触れば涙の感触があった。
別に悲しいなんて思っていなかった。
なんの涙だったのかもわからない。
傷つけたいと思ってるくせに。
涙をみて怯むなんて、最初からこんなことしなきゃいいのに。
賢晴のことを好きになったのは間違いじゃなかったって思ってしまうあたしは自分でも甘いと思う。
──ガチャンッ
と乱暴にドアを開ける音が聞こえた。
「うそ、もう帰って……?」
時計を見ても時刻は10時。
予想外の早い帰りになんだか怖くなって布団に潜る。
寝ていると思ってくれていいから、すぐにまた仕事に行ってほしい。
なんて思っていると、ふわっと布団の上から抱きしめられる。
「え……」
胸をぎゅっと掴まれるような匂いに布団からそっと顔を出した。
未来を見るなら、君と一緒に 馬村 はくあ @hakumuuuuu
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