笑顔にさせてみせるから
『もしもーし、潤ちゃん?』
仕事を辞め、引っ越してから随分経ったある日。
高校の先輩から電話がかかってきた。
「
瑠奈さんと話すのも久しぶりだった。
というより、だれかと話すのがといったほうが正しいかもしれない。
仕事をやめて、ろくに人と会話もすることがなくなってしまった。
そのうち季節は巡って、あの病院に就職をしてから1年が経っていた。
本当なら社会人2年目の春。
今頃、後輩とかができているはずで。
そんな日々を賢晴は何の問題もなく過ごしているんだと思うと腹が立つ。
『潤ちゃん、どこかの病院でお仕事してるの?』
「……っ、いやいまは何も……」
仕事のことを誰かに聞かれるのが嫌だった。
いまでも、手の感触が覚えてる。
いつも誰か患者さんの手をとって笑っていた日々を覚えてる。
『え?働いていないってこと?』
「はい、そうです」
『うちの実家が老人ホームをやっているのは知ってるよね?』
「はい」
瑠奈さんの実家は老人ホームを経営してて、瑠奈さんもたしか介護福祉士の資格を取っていたはずだ。
『うちで理学療法士として働かない?』
「……え?」
『あたしが任されてるグループホームなんだけどね。これから開所するところなの。で、学生バイトでいま理学療法士の勉強をしてる子を入れる予定なんだけど、ちゃんと資格持っている人も欲しくて潤ちゃんに電話してんだ!』
「グループホーム……」
瑠奈さんの話は本当にまさかだった。
これから仕事をしたいけど、もしかして伝わっていたらと思うと就職活動すら怖くてできなかった。
勤めていた病院は結構大きなところで、たくさんグループの病院があって情報は筒抜けそうだったから。
……でも。
「あの、凄く嬉しいお話なんですが……昼間だけなわけはないですよね」
懸念は賢晴のことだった。
通常勤務にすると帰宅時間は被るだろう。
グループホームは遅番などもあるとよく聞くから。
『昼間だけの希望なの?』
「すいません……事情があって、家に17時までには帰りたいんです」
こんな理不尽なお願い、通るわけがない。
だから、就職活動にだって踏み込めなかったのもある。
『……なにかあったの?』
「ちょっと……17時までに家に帰らないと……怖いんです」
なんとも歯切れの悪い回答だろうと自分でも思う。
『……なにかあったのね?あたしに話せない?話してくれたらなにか助けてあげられるかもしれないし』
電話の向こうの瑠奈さんはすごく心配そうな顔をしているのが想像できた。
高校の部活が一緒だった、瑠奈さん。
高校の頃からなにかあれば助けてくれる先輩だった。
「前の職場で……」
あたしは瑠奈さん信じることにした。
また誰かを信じることは怖かったけど。
でも、誰かに言って、楽になりたい思いもあった。
だから、すべて話した。
賢晴のこと、前の職場のこと、事務仕事をさせられたこと。
家族にも見放されたこと。
賢晴に毎日見張られている気がすることも。
現に、賢晴が仕事終わりに毎日あたしのアパートの前に来ていることはたしかだった。
オートロックになってから、部屋の前にくることはなくなったけど、ある日窓から賢晴があたしの部屋を見上げていることに気がいついた。
怖くなってすぐにカーテンを閉めたけど、確認で次の日の同じ時間に窓の下をみたらやっぱりそこに賢晴はいた。
『そっかぁ……それは怖いね』
あたしの話を静かに聞いてくれた瑠奈さんは、深くため息をつく。
こんなあたしのことを雇ってくれる会社なんてないだろう。
そう思った。
『ボディーガード、つけたらどうかな?』
「え……?」
瑠奈さんの言葉が予想外すぎて、あたしの聞き間違いかと思ってしまう。
『ボディーガード。うちで働いてくれる学生バイトの子、いま潤ちゃんが住んでいるアパートに住んでるんだよ』
さっきアパートの名前を言ったからだろう。
それに気づいたようだ。
「え……でも、こんな見ず知らずの女のボディーガードなんて迷惑じゃないですか……」
『そんなことないよ。一緒に働く仲間でしょ?その代わり潤ちゃんはその子に経験者としていろいろと教えてあげてよ』
瑠奈さんの心遣いに頬を涙が伝う。
『そうだね、初日はあたしが迎えにいくよ。開所は1週間後だから、その日からの勤務でお願いしてもいいかな?』
「はい……」
願ってもいないことだった。
もう、理学療法士として働くことなんて無理だって思っていた。
こんな条件のある人間、職場的にも面倒な存在のはずなのに。
あたしが、断ろうとしても瑠奈さんは引かないでいてくれた。
その事がすごく嬉しかった。
「また、人を信じることができるのかな……」
でも、まだ不安はあった。
だって、ボディーガードしてくれる人が変な人だったらとか。
瑠奈さんが言ってくれる人だから、悪い人じゃないってわかってる。
でも、賢晴のことがあってから男の人が怖い。
あぁやって信じてまた裏切られたら……ってそっちの思いが強い。
こうなってしまうと、出会う全ての人にかまえてしまう。
こんなんじゃ、なにも上手くいかないってわかってるのに。
「しっかりしなきゃ……」
大好きな仕事がまたできる。
それだけで、充分だと言い聞かせる。
......................................................
「潤ちゃん、こんにちは」
開所の日。
瑠奈さんがあたしの家まで迎えに来てくれた。
「わざわざすいません」
「いいのいいの。こちらとしては潤ちゃんに働いて欲しかったんだから、このぐらい!」
「瑠奈さん……」
久しぶりに人に会った気がした。
買い物とか以外で人とこうして向き合うのは本当に久しぶりだった。
「潤ちゃん、ちゃんと食べてる?」
瑠奈さんがあたしの手首に触れる。
「それなりには……」
……なんてのは嘘。
あれから、食事は喉を通らないし食べたとしても吐いてしまう。
ストレスが凄いんだって思った。
「いーや!食べてないね!だって、すごく細い!」
手首を瑠奈さんの指で掴まれる。
「はは、まぁたしかにそんなに食べていません」
「食べないと!体が資本なんだからねー?職場ではご飯つきだし、美味しいから期待してて!」
「はい……」
なんとなくだけど、誰かと一緒なら食べれる気がした。
だから、瑠奈さんのいう美味しいご飯を楽しみにすることにした。
「おはよーうっ」
一軒家のような建物。
これがあたしがこれから勤務するグループホームらしい。
「あ、いたいた。紹介するね、
瑠奈さんが玄関を入ってすぐの椅子に座っていた男の子を立たせる。
「あ、えっと……」
あたしも自分の名前を言おうとしたけど、口ごもってしまう。
いつからこんなに人に話すのことが出来なくなってしまったのだろう。
以前のあたしは、初対面でも気楽に話せていたのに。
「潤先輩ですよね!?」
陽くんと呼ばれた男の子があたしの顔をみて、笑顔になる。
「あ……」
彼の笑顔には見覚えがあった。
「覚えてます?俺のこと」
「陽くん……」
そう、彼は
同じ大学のひとつ下の学年に入学してきた男の子だった。
「久しぶりですね!潤先輩!」
「うん、陽くんとは2年……ぶりくらい?」
たしか、あたしたちが4年のとき陽くんは休学をしていたはず。
だから、1つ下だけどまだ学校に通っているんだ。
「そうですね!」
「陽くんは、いまは大学に……?」
「復学してますよ!去年から」
「そっか……」
どうして休学をしていたのかはわからないけど、突然来なくなって心配をしていたから安心した。
彼はまだこれからの未来がある。
それを少し羨ましく思えた。
「北田くん、潤ちゃんが今日から北田くんにボディーガード頼む子だよ」
「え?潤先輩だったんですか!?びっくり!」
陽くんが目を丸くする。
「そんなにびっくりする?」
陽くんのびっくりする様が可愛くて、ふっと笑ってしまう。
「あ!潤先輩笑った!」
「……え?」
「なんか、潤先輩……表情硬かったから気になったんですよ」
ニコッと笑う陽くんになんだか、ふっと体が軽くなった気がした。
「陽くん、なんかありがとう」
「え?俺なんかしました?」
キョトンとしてきる陽くんは放って、あたし瑠奈さんと更衣室に入った。
「あたし、もう陽くんの先輩じゃないんだから……先輩はいらないよ」
着替え終えて、ミーティングルームに向かうと、陽くんがテーブルで何やら読んでいたのでその隣の椅子に腰をかける。
「じゃあ……潤」
「わ、呼び捨て!?」
「え?あ、ごめんなさい……」
あたしの言葉に苦笑いをする。
「あはは。うそうそ。潤でいいよ、そして敬語もいらないよ!」
「うん。潤」
満足そうにもう一度名前を読んで、さっきまで読んでいた資料に目を向ける。
「なに、読んでいたの?」
「ん?学校で配られた資料。ほら、ここ」
「ん……?」
陽くんの見ている資料に顔を近づける。
「潤……ちょっと近いかな」
「あっ!ごめん!目が悪くて……っ!」
陽くんの言葉にハッとなって慌てて陽くんから顔を離す。
「いや、俺もごめん。なんか……照れちゃった」
恥ずかしそうに頭をかく姿は本当に可愛いという言葉がぴったりだ。
瑠奈さんが作ってくれたあたしのボディーガード。
それが陽くんで本当によかったと心の底から思えた。
陽くんのことは前から知ってるし、信用できる気がした。
「紹介するね、ここの仲間たち」
少し陽くんと談笑をしてると、ワラワラと何人かの人達がミーティングルームに入ってきた。
「今日から働いてもらう、理学療法士の秋川潤ちゃん。あたしの高校の後輩」
瑠奈さんがあたしを紹介してくれるので、慌てて椅子から立ち上がる。
「秋川潤です。よろしくお願いします」
ぺこりと集まってくれている人達に頭を下げる。
「じゃあほかの人、時計回りに自分の名前言ってって」
瑠奈さんの話では、あたし以外は瑠奈さんの実家が経営してる老人ホームから移動してきたとかでみんな元からいる人たちのようだった。
だから、新入りはあたし一人。
「介護士の
お母さんと同じくらいだろうか。
あたしに向かって微笑む顔は暖かみがあって、ずっとお母さんにあっていないことに胸が痛む。
「同じく介護士の
「あ……ヤスくん」
彼もまた、大学の後輩だった。
もともとは陽くんと同じ学年で、普通に卒業したのだろうから今年の新社会人ということになるのだろう。
「このへん、医療系大学ひとつしかないから同年代だと知ってる人多くなるよねー。あ、あたし
あたし達のやりとりを微笑ましそうに聞いてから、話し始めた女性は、少し年上というような感じだった。
「介護士はあと2人いるんだけど、夜勤の人と今日休みの人なんだ」
瑠奈さんが補足をして、次の人に目を向ける。
「管理者やってます、
お父さんくらいの年代だろう男性が、優しく微笑む。
「介護計画とか作成してる、
ベテランのような風格がある女性。
どの人もみんな優しい目をしていて、すぐにこの人たちを信じたくなった。
でも、それと同時にまた裏切られたらどうしようと不安が出てきてしまう。
「俺は、北田陽」
「知ってる」
何を思ったのかみんなと同じように自己紹介をしてくる陽くんに吹き出してしまう。
「……笑ってろよ、そうやって」
ポンッとあたしの頭に手を乗せる。
「……っ」
陽くんは気づいてたんだ。
あたしが不安に思ってること。
そして、その不安を拭おうとしてくれてる。
「指導頼みますよ?先輩」
イタズラな笑みを浮かべる陽くん。
「もう……っ、ビシバシ指導してやるんだから」
「くーっ!こっわ!」
明るい陽くんがあたしのことを引っ張って行ってくれる気がした。
「ありがとう。陽くん」
「ん?俺はなんもしてねぇよ」
あたしに何があったかは知らないだろう。
でも、ボディーガードのこともあるし、なにかがあったことは感じ取っているんだろう。
本当に陽くんの存在はありがたかった。
「まさか同じアパートに住んでたとはね」
「本当に。びっくりした」
帰り道。
アパートを前にして、2人でそんなことを言いながら1階の玄関をくぐる。
「潤さ、なにかあったんだよな?」
「まぁ……ね」
「詳しくは聞かないけど、俺は潤の味方だから」
そう笑って、あたしの頭にポンッと触れる。
「ありがとう……」
「何かあったら俺を頼って。俺が潤を守ってあげるよ」
真剣な表情でそう言われ、見つめ合うこと数秒。
自動ドアが開く音が聞こえて慌てて、陽くんか目をそらしてドアに目を向ける。
「……っ」
「潤、いま仕事終わったんだ?」
そうにこやかにドアから入っできたのは、賢晴だった。
「賢晴さん……」
「あれ、陽?」
名前を呼んだことで初めて陽に気づいた様子の賢晴。
「俺、潤……先輩と同じ施設にいるんです」
「へー。そうなんだ?」
ちらっとあたしの顔を見る。
「疲れてるから今日はもう家に帰るね」
賢晴の顔なんか見たくなくて、そして、なにも話したくなんてなくて。
あたしはオートロックを解除して、エントランスから中に入る。
「あ、俺も行きます」
そう、陽くんもあたしについて中に入る。
「じゃあ、俺はこれで」
賢晴も中に入ってきたらどうしようかとハラハラしていたが、なぜか入ってくることはしなかった。
「賢晴さん、お疲れ様です」
陽くんの言葉に片手をあげる賢晴の表情はあの頃のままだった。
「賢晴さんと一言も話さなかったけど、喧嘩でもしたの?」
エレベーターのボタンを押して、待ってる間、陽くんがあたしの顔をのぞき込む。
「賢晴とはもう別れたよ」
「え!?潤と賢晴さんは絶対いつか結婚するもんだと思ってたよ」
「はは……あたしも思ってたかも」
なんて言うあたしは自分でも思うけど、他人事のよう。
だって、本当にそう思っていたし、一年前のあたしには信じられないだろうなって思う。
「辛そうなのって賢晴さんのこと?」
「まぁ、それもあるかな……」
「まだ好きなんだね」
「好き……?」
そんな感情はもう待ち合わせてない。
いま、賢晴にある感情はなんといえばいいのかな。
「好き、じゃないの?」
「うん、好きじゃない」
賢晴を好きなんて、気持ち。
とっくのとうに捨てた。
あの、浮気を目撃した時点で飛んでいったのかもしれない。
「じゃあ、俺が潤を守るのは問題ないね」
「え……?」
「潤がまだ賢晴さんを好きだったり、2人が続いてるなら俺が守るなんて余計なお世話だと思ったんだけどさ」
「陽くん……」
陽くんのことを見上げたところで、チーンとエレベーターがあたしの部屋の階についたことを知らせる。
「俺が潤のこと守るから、潤はなんの心配もしなくていいから」
「……ありがとう」
それだけ陽くんに告げて、エレベーターを降りた。
久しぶりに、外に出て疲れたけど、でもそれ以上に人の暖かさに久しぶりに触れて嬉しかった。
陽くんがこんなにも頼りがいのある男の子になっていたかとにもびっくりしたけど。
でも、陽くんはなんだかあたしを光の差す方向へと導いてくれる気がした。
「あ……夜ご飯の材料なにもないや」
家に帰って、冷蔵庫を開けて食材が尽きていることに気がつく。
「買いに……」
行こうかと思ったけど、さっきの賢晴を思い出して、思いとどまる。
「いるよね……」
窓から外を見れば、やはりいつものように賢晴の姿がそこにはあった。
これでは外に出られるわけがない。
今日は夜ご飯は我慢か……っとため息をつくもそんなことお構いなしで鳴るお腹。
「久しぶりに働いたしなぁ……」
いままでは、何もしていなかった分大して食べていなくてもやってこられたし、食べても吐いてしまっていたからどちらでも同じだった。
でも、少しでも人の優しさに触れると、体は正直なようで。
今まではお腹が空いてなくても、無理やり食べていたけど今日は普通にお腹がすく。
「陽くん?」
そんなとき、テーブルの上に置いたスマホが鳴って、画面では今日交換したばかりの陽くんの名前が表情されていた。
「も、もしもし!」
さっき別れたばかりの陽くんからの電話にびっくりしながらも出る。
『あ、潤?ご飯って今日どうするの?』
「……え?」
タイミングがピッタリな電話にびっくりして、言葉に詰まる。
『あ、ごめん。もしかして馴れ馴れしかったかな?』
「あ!違うの!ちょうどご飯のことを考えてて……」
『ははっ、マジか!めっちゃ偶然』
可笑しそうに笑う陽くん。
「陽くんは、どうするの?」
『んー、なんか作ろうか迷っててさ。でも、多くなっちゃうしおすそ分けでもしようかと……ってキモいかな?』
「キモいなんて、まさか!陽くん料理できるんだね!すごいよ!」
『そんな慌てて否定しなくても。潤はまだ作ってなかった?』
すごい早口で言ってしまったから、またわらわれてしまう。
「実は冷蔵庫になにもないことに帰ってから気がついて……」
『おお、じゃあ本当にご飯どうしようか悩んでたんだ?』
「うん」
『じゃあさ、俺の家にこない?』
「陽くんの家……」
誰かの家にいくなんて、すごく久しぶりだった。
それも男の子の家だなんて。
よく、賢晴とお互いの家を行き来して、ご飯を作り合ってたななんて思い出す。
賢晴のことなんて、すごく嫌いなはずなのに。
どうして思い出すことは幸せな記憶ばかりなんだろう。
「いらっしゃい」
〝嫌じゃなければ〟
そう言う陽くんの好意に甘えて、ご飯をご馳走してもらうことにした。
このままだと、明日の朝もたべれないところだったから陽くんには感謝しかない。
「潤って、もしかしてあまり食べてなかった?」
「うん……しばらくあまり食べてなかったから、冷蔵庫の中とか気にしてなくて」
「ちゃんと食べなきゃ。俺、結構料理するんだからこれからはめっちゃ食わせるからな?」
ぽんっと頭を撫でる陽くんになんだか安心感を覚える。
「ん……おいしい!」
テーブルの上に置かれた、カルボナーラ。
1口、口にいれるとふわーっと広がる温かみのある味。
素直に出てきた感想だった。
「ありがとう。そう言ってもらえると作りがいがあるよ」
「すごいね!絶対あたしより料理うまい!」
「はは、今度は潤の料理を楽しみにしてるよ」
満足そうに微笑む陽くん。
「あたし、そんなに美味しいもの作れないよー?でも、どうやって覚えたの?」
いくら1人暮らしをしてるとはいえ、ここまで美味しいものを作れるのは本当にすごいと思う。
「う、ん……。前に教えてくれた人がいて、ね」
そう話す陽くんはなんだかとても苦しい表情をして目の前のカルボナーラに目線を落とす。
瞬間、これはきっと陽くんにとってなにか苦しい記憶なのかもしれないと悟る。
「あ、なんか言いづらいこと聞いちゃったね……」
陽くんの雰囲気が明らかに変わった気がして、その話辞めるようと区切りをつける。
「いや、別にそういうんじゃないんだけどね」
「いいの、いいの!誰にだってあるんだから」
きっと、元カノ系とかそんなとこだろうと思った。
あたしが賢晴に感じる気持ちと同じようなものを持っている気がしたから。
「あの、さ!そういう話じゃないから!」
なにも持っていない方の腕を掴まれる。
「……え?」
「元カノ、とか。好きだった人とか。そういう風にかんじたでしょ?」
「あー……ごめん、勝手に」
誰だって、勝手に勘違いされるのは嫌なはずだ。
たとえ、それが事実だとしても思われたくないはずだ。
「違うんだ。そういう感じじゃないから」
「あ、うん。わかった」
なぜかずっと掴まれている腕。
だんだんと掴まれているということに意識が向いてきて、その部分に熱がこもる。
「潤は、まだ賢晴さんが好き?」
「え?好きじゃないよ……?」
なぜここで賢晴の名前が出てきたのかは、わからない。
でも、本当に賢晴のことはもう過去だった。
ただ、怖いという感情しかもうずっとないから。
「俺は、賢晴さんの隣で笑ってる潤が好きだったよ」
「え……?」
それは、どういう意味だろう。
あたしに賢晴の隣にいるように促しているのだろうか。
「賢晴さんとヨリを戻して欲しいとかじゃなくて」
「うん……?」
「ずっと、いつかその笑顔を俺の隣で見せてくれたらいいのにって思ってた」
「……え?」
そんな言葉。
いくらあたしでも、どういう意味で言ってるのか分かってる。
「潤が卒業して、もう会えないと思ってた」
「うん……」
「でも、今日あえて……でも潤はあんな風に笑わなくなってた」
「……陽くん」
自分の心の中を態度に出ないように気をつけていたつもりだった。
でも、陽くんにはお見通しだったようで。
「潤が前のような笑い方を忘れてしまったなら、俺が取り戻したい」
「……っ」
こんな風に言われるなんて思ってもいなかった。
陽くんの言葉に胸がぎゅーっとなる。
同時に、頬を涙が伝うのがわかった。
「……ありがとう、陽くん」
「絶対に潤を笑顔にさせてみせるから」
あたしの涙を拭って、陽くんは笑った。
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