未来を見るなら、君と一緒に
馬村 はくあ
chapter.1
幸せな日々は儚く脆い
「
大学の卒業式。
目の前にいる大好き彼は、大好きな笑顔でそう言った。
「うん!これからの未来。
本当に嬉しかったから。
お互い同じ夢を持ってて。
そして、同じ職場に進むことも決まってて。
本当に本当に嬉しかった。
あたし、
大学を卒業したての、春からは夢だった理学療法士として働きはじめる。
そして、隣にいるのは大好きで大好きでたまらない。
一年の頃から一緒に夢に向かって走ってきた、同士であって彼氏でもある。
あたしと賢晴は大学に入って、ゼミが同じで。
それで意気投合して、すぐに付き合い出した。
そして、向かうべき方向もお互い一緒だっから、2人で切磋琢磨して今日までやってきた。
そして、無事就職も内定。
なんと、お互い同じ病院で勤務することが決まっていた。
幸せはそこにすぐそこにあったはずだった。
......................................................
いつからだろう。
歯車が狂っていったのは。
「あたしは、秋川さんとリハビリしたいわぁ」
きっかけは単純だった。
たまたま、患者さんに言われた一言。
「何言ってるんですか!島地くんがしっかりついててくれますよ!」
その患者さんは、賢晴の担当患者だった。
だから、患者さんがなんと言おうとあたしがリハビリに手を出すことはできない。
「秋川さんのその笑顔に癒されるんだものー」
「ふふ。ありがとうございます。
そのぐらい声をかけるのなんてなんともないと思っていた。
だから、1PTとして励ましたつもりだった。
だけど、ここから全てが狂っていった。
「潤」
午前のリハビリが終わって、診療記録を書いてると後ろから声をかけられた。
「賢晴、お疲れ様」
〝お疲れ〟と言って隣に腰をかけた賢晴の表情はどこか不機嫌だった。
知ってる、この顔。
なにかに怒っている顔だ。
「賢晴?なにかあった?」
付き合いは長い。
流れる空気だけで、その時の気分くらいは感じ取れる。
「お前、俺の患者取ろうとしてるのか?」
「……え?」
身に覚えのない事を言われて、頭には疑問符が並ぶ。
「星野さんを励ましたって話じゃん」
「えーっと……早く退院できるといいなと思っただけで、それ以上なにもないけど……」
賢晴の患者を取ろうとするなんてもってのほかだ。
だって、あたしは賢晴のことを応援している。
「あれは、星野さんに取り入って担当変え狙ってたって言ってたぞ」
「言ってた……?」
誰が、そんなことを言うというのだろう。
「
「あぁ……」
賢晴の言葉になんだか納得してしまった。
早川さんは、あたしたちの1学年上の先輩で、おなじ職場に勤務している。
大学時代からそうだ。
なにかにつけて、あたしと賢晴の仲を壊そうとしてくる。
「まさかお前に邪魔されるとは思っていなかったよ」
こうなったらもうダメだ。
賢晴はあたしの言葉なんて聞こうとしない。
「そんな話信じないでよ」なんて言っても、信じてもらえないのがオチだ。
だから、しばらくそのままでいることに決めた。
正直、1年目のあたしたちにそんな言い合いをしている暇はない。
やっと、研修が終わって1人で担当できるようになったばかりなんだ。
星野さんは研修の時に少し関わらせてもらったから、仲良くなっただけで別に取ろうとなんて考える余裕もない。
「くだらない話してるなら黙ってくれるかな?あたし記録書くのに忙しいし、お昼食べたらすぐに午後のリハビリだから」
ほかの人の言葉を信じて、あたしに疑いの眼差ししか向けてくれない彼氏のことなんて気にしてられない。
「認めるってことでいいんだな」
賢晴はあたしの言葉を肯定と取ったらしい。
「そんなくだらない話してる暇はないの。勉強だってしたいし」
いつでも、何でも話せてた大学時代とは違った。
毎日が時間に追われていた。
それからというもの、顔を合わせるけどずっと怒っているみたいで賢晴とは話せない日々が続いた。
でも、それでもあたしは賢晴が好きだったし、ちゃんと分かってくれる日がくるって思っていた。
なのに……。
「おじゃましましたー」
コンビニで買い物を済ませて家に戻る時、賢晴の家のドアが空いた。
あたしと賢晴は同棲はしていなかったけど、隣の部屋に住んでいたから階段を登って向かい同士になっている。
「ああ、また」
ぽんぽんっと、家から出てきた人の頭を撫でる賢晴。
「賢晴……と、早川さん……?」
結構頑張ったと思う。
2人をこの目で見た瞬間、倒れそうになったから。
「……潤」
気まずそうな顔をした賢晴と勝ち誇るような顔の早川さん。
ふたりがこの部屋で何をしていたのか、あたしにだって察することができる。
「賢晴、あたし達って別れたのか……「何言ってるのよ!賢晴くんの仕事の邪魔したくせに!」
あたしの言葉を遮って、早川さんが声を荒らげる。
だいたい、あたしはそんなことしてもいないのに。
そういう風に仕向けたのは目の前にいるこの人自身だ。
「
「もう!あたしがビシッと言ってあげるのに!」
いつの間にか〝早川さん〟から〝唯〟と呼び方が変わっていた。
どうやら、今日初めてとかではなさそうだ。
「いいんだ、俺がちゃんと話すから」
「賢晴くんったら優しいんだから」
早川さんは、賢晴にぞっこんらしく、頬を赤らめている。
……しおらしい。
早川さんを見てあたしから出てきた感情はただそれだけだった。
「家、はいっていいですか?」
ふたりが真ん中にいるせいで、あたしの部屋への道が塞がれている。
「潤」
「いま、なにも話したくなんてないから」
ふたりの間を割って、鍵を差し込んでドアを開ける。
ガチャン!っと少し乱暴にドアを閉めれば、あたしだけの空間だ。
「……ふっ」
頬につたうのは涙。
好きだった。
大好きだったのに、どうしてこうなってしまったのか。
たしかに最近は話してもいなかった。
賢晴にずっと避けられていたから。
あの、患者を取ろうとしてるとかそんな話からもう1ヶ月経っていた。
でも、星野さんは相変わらず賢晴の担当だし分かってくれると思っていた。
だって、こんなことで壊れるわけがない。
大学1年からの付き合いだ。
そんなことをするような人じゃないって、信じてくれると思っていたあたしがバカだった。
──コンコンッコンコンッ
「……っ」
賢晴が家に来る時の合図だ。
ここに越してきたのは、今年の四月。
でも、7月から賢晴がこの家にくることはなくなったから久しぶりに聞いた音だった。
「潤、頼むから開けてくれよ」
ドアを開けて、何をすると言うのだろう。
だって、裏切られたという感情しかもうあたしにはない。
何を言われるというのだろう。
早川さんと付き合うとでも言うのだろうか。
──コンコンッコンコンッ
あたしが開けなくても、構わずその音は続いた。
たまに音がなくなってホッとして、数時間後にまたその音が響いての繰り返し。
ちょうど土曜でやすみだったから、次の日もあたしは家を出ることもなく過ごした。
賢晴の顔を見たくなかったから。
だって、見たら泣いてしまう。
そしてもしも謝られたら、許してしまう。
合鍵を渡していなくてよかったと思った。
だって、そうしたら絶対に入ってきてしまうから。
家に入れてしまいそうになることもあった。
ドアノブに何度手をかけたことか。
その度に、ダメだって思い直して手を引っ込める。
その繰り返しだった。
弱い心のままだから。
どうしても、賢晴が自分の前からいなくなることが耐えられない。
でも、今は一緒にいるべきじゃないと思う。
月曜の仕事は、いつもよりも少し早く。
賢晴が家の前にいないことを確認してから病院に向かった。
病院にいる間は、賢晴は何も言ってこないから。
仕事では、何も起こらないと思っていた。
なにも起こらないはずだった。
だけど、違った。
「秋川さんって、人の患者取ろうとするんだってね?」
大好きだった、先輩があたしを軽蔑の目で見てる。
「あたし、そんなこと……」
「島地くんの患者取ろうとしたんでしょ?」
「そんなことしてないです……」
先輩はあたしの言葉なんて信じなかった。
「唯から聞いたもの。全部」
「全部……」
全部とはなんなのだろうか。
何が一体全部だというのだろうか。
「唯と島地くん、好き同士なのに秋川さんのせいで付き合えないんでしょ?可哀想に。早く別れてあげればいいのに」
「……っ」
別れてあげるもなにも、あたしはなにも言ってないし聞いていない。
まぁ、たしかに一昨日と昨日のあれが別れ話というのであれば応答しないあたしは別れてあげない面倒な彼女ということになるだろう。
「何も言えないってことは本当なのねー」
先週まで仲良くしてくれていた先輩は今日敵になった。
「潤……」
後ろから気まずそうな声が聞こえる。
振り向かなくても誰の声かはわかる。
「……賢晴」
振り向きたくなんて、なかった。
賢晴の顔を見たら涙がこぼれてしまいそうで。
でも、振り向いてしまった。
「潤……だいじょ……「賢晴くーん!」
賢晴があたしに手を伸ばそうとしたその瞬間、場の雰囲気にそぐわない声が飛んできた。
「唯……」
あたしに伸ばそうとした手を引っ込めて、早川さんに向き直る。
「ミーティングはじめるよー」
課長の一声で、廊下にいた人たちも含めみんな、テーブルに集まる。
「えーっと、秋川さん」
課長があたしに目を向ける。
「はい?」
「担当してもらってた
「え?」
清川さんは、この病院に入院してきてからずっとあたしが担当していた患者さんだった。
「あの……どうしてですか?」
「秋川さんには、少しいろいろ研修を受けてもらおうと思って」
「研修……ですか……」
きいたことがある。
こういうの。
問題のある職員を現場から離れさせるために、受けなくてもいい研修を受けさせる。
そして、自主退職に追い込む。
前にそういうケースがあったって聞いたことがある。
「人の患者さん取ろうとするからよ」
ミーティングのあと、みんながそれぞれの持ち場に向かうなか現実をのみ込めなくて、ボーッとしてると早川さんがコソッと言って、あたしの横を通り過ぎていった。
「……っ」
取ろうとなんかしていないし、そもそもそういう風に仕向けたのは早川さんだ。
それがどうしてこうも広まっているのだろうか。
「潤」
座ったまま、ボーッとしてると肩にポンっと手が置かれた。
「何?」
自分でも驚くくらい低い声が出たと思う。
「俺、わかるから……」
何が分かるというのだろう。
あたしのことなんかこれっぽっちも信じてくれなかったくせに。
「誰のせいだと思ってるの……?」
賢晴が悪くないって分かっている。
全ては早川さんのせいだってことも。
でも、賢晴が少しでも最初に信じてくれていたら。
あたしの味方をしてくれていたら。
現実は変わっていたかもしれない。
「はいはい、島地くんは持ち場にいく!」
課長がパンパンッと手を叩いて、賢晴の背中を押す。
「あ、はい」
そんな課長に返事をして、医局から出ていく。
「課長……」
賢晴の背中を見送ったあと、課長の顔を見上げる。
「秋川さんは、この診療記録ファイリングしててくれる?」
あたしからの眼差しに気づいたか、気づかないのか。
あたしから目をそらし、診療記録の紙の束をあたしの前に置いた。
「わかりました」
何をいう気にもなれず、あたしは診療記録に手を伸ばす。
「あ、清川さん……」
1番上にあったのはあたしが書いた診療記録。
つい先週までは、清川さんと二人三脚でリハビリに向かっていたのに。
あたしは、ここで何をしているのだろう。
あたしは、こんなふうに書類整理をするために学校に行っていたのだろうか。
理学療法士になることは、子供の頃からの夢だった。
小さい頃、おばあちゃんが入院している病院に行ったとき、リハビリの担当をしていた人がすごく好きで。
あたしも大きくなったらこんなふうになりたいって自然に思えた。
束になっている診療記録に穴を開けて、ファイリングをしている手を止めて、辺りを見渡す。
時刻は10時15分。
いつもなら、清川さんとリハビリを頑張っている頃だ。
どうして、こうなってしまったのか。
何が間違っていたのか。
気を緩めたら涙が出そうだったけど、踏ん張った。
こんなことで泣きたくなかった。
負けたくなかった。
いつか絶対に担当を取り戻したい、そう思っていた。
でも、そんなことはなかった。
来る日も来る日もあたしに与えられる仕事は書類整理だったり、パソコンへの入力だったり。
いわゆる雑用だった。
「ほら、秋川さん……」
周りの人の哀れみの視線だってたくさん感じる。
あたしは、なんのために毎日ここに来ているんだろう。
課長にだって何度も話そうとした。
でも、課長はその機会をくれなかった。
いつしか言おうとすることも辞めた。
どうせ聞いてくれない。
どうせ信じてもらえない。
人なんて、信じるから負けるんだ。
誰のことも信じなければ、傷つかない。
いつしかそう考えてるようになっていた。
「あ、清川さん……」
トイレに行こうと歩いていると、リハビリ室から清川さんが出てくるのが見えた。
「あなた、あたしの担当が嫌だったんだって?」
「……え?」
一礼をして、トイレに向かおうと歩き出したとき、清川さんの口から発せられた信じられない一言。
「嫌なら早く変わってくれてよかったのに。一緒に頑張ろうなんて言葉を信じてバカみたいじゃない」
「……っ」
なにもいえなかった。
そうだとも、違うとも。
「まぁ、もういいわ。いまはいまで満足してるから」
それだけ言って清川さんは歩いて行った。
「ははは……」
出てくるのは乾いた笑い。
何をしているんだろう、あたしは。
ここになんのためにいるんだろう。
いつから、事務員になったのだろうか。
「もう無理だ……」
ずっと一緒に頑張ってきた清川さんの言葉にあたしの心は折れた。
「本日限りで辞めさせていただきます」
絶対に負けないと思っていたのに。
さすがに心が追いつかなかった。
「わかった」
課長は、特に何も言うことはなかった。
早くやめて欲しいと思っていたのだろう。
急な退職も何も思っていないようだった。
特にすることもないので、置いてあった私物などをまとめる。
「お母さん、1回家に帰ってもいいかな」
あの家にもいることはできない。
もう、誰の近くにもいたくなかった。
電話でお母さんに帰るとだけ、告げた。
「実家に帰るってなに?」
たまたま、リハビリ終わりの時間で戻ってきた賢晴があたしの前に立ちはだかる。
「もう、ここ辞めたから」
「は?俺なにも聞いてないんだけど」
この後に及んで何をいうのだろう。
まだ、彼氏気取りなのだろうか。
「賢晴にいう筋合いはもうないと思う」
「何言ってんだよ。俺たちは別れてねぇぞ?」
「はは……何言ってるはこっちのセリフだよ」
乾いた笑いしか出てこない。
だって、この人あたしがここで干されててもなにもしてこなかったじゃない。
最初に疑いをかけられてからろくに話もしていない。
挙句には浮気。
度重なる裏切りにあたしの心はもうズタボロだよ。
誰のせいでこんなにズタボロなっていると思っているのだろう。
「……んだよ、それ。絶対に別れるなんて認めないからな?」
「もうあそこのアパートも出ていくから」
「実家だって分かるんだから、逃げても無駄だから」
そうやって言う、賢晴の目には光なんて宿ってなくて本気で身震いがした。
でも、とりあえず実家に行けば大丈夫だって。
そう思っていた。
でも、そんな期待なんてすぐに打ち砕かれる。
ずっと一緒にいたこの人が、ここまで頭の切れる人間だなんて思ってもいなかった。
いつもよりもだいぶ早く退社をして、パパッと荷物をまとめて。
実家に戻るため、バスに乗る。
「お母さん、ただいま」
久しぶりに帰る実家の匂いを噛み締めながら、家に入る。
「おかえりって言いたいところだけど、あんた職場で問題起こして辞めてきたんだって?」
「……え?」
お母さんから先にその話をされるとは思っていなくて、正直戸惑った。
しかも悪い方に捕えられていたから、すぐに誰が言ったかなんてわかった。
「賢晴くんから電話きてたわよ」
「賢晴が……」
「勝手に別れるとか言っちゃって困ってたわよ?まったく……問題起こしたあんたとまだ付き合ってくれるなんていい子なんだから手放しちゃダメじゃない」
「いや……あのね、お母さん」
賢晴に絶大なる信頼をおいてるうちの家族たち。
あたしの話なんか当然聞いてももらえない。
「言い訳したって無駄よ。全部賢晴くんから聞いてるんだから」
「言い訳じゃなくて……」
本当のことなのに。
どうしてだれもあたしの言葉を聞こうとはしてくれないのだろうか。
「ここにもいれない」
あたしはそう悟った。
あたしが生まれ育った実家で、あたしのことをよく知る家族なのに。
そんなお母さんまでも賢晴の味方だった。
あたしは、もう誰のことも頼らないでいようと決めた。
少し、実家で静かにして、お母さんが夕飯の買い物に行ったすきに家を出た。
誰にもなにも知られたくなかったから。
だから、新しい家も元の家から少し離れたところに決めた。
幸い、大学の頃からのバイトと就職してからの給料で貯めていた貯金があった。
だから、しばらくは困らないだろうと。
家に籠ることに決めた。
誰にも会いたくない。
誰とも話したくない。
元の家はすべて大家さんに片付けてもらった。
家具とかは、すべて捨ててもらった。
住所なんか教えたりしたら、賢晴にバレてしまいそうだったから。
それほど、あたしは賢晴がもう怖かった。
その時点で、賢晴に対する感情は愛ではなく、恐怖に変わっていた。
──コンコンッコンコンッ
なのに、ある日。
いつものあの合図がドアから聞こえたときは、本当に身震いがした。
誰にも言っていないはずの家が、どうしてバレてしまったのか。
「もう、やめて……」
あたしはドア越しに告げた。
「潤がちゃんと俺のことを見ればいいんだよ」
「どうして、ここまでするの……?」
「わからない?潤が好きだからだよ」
そんな言葉に騙されるほどあたしはもう甘くはない。
人の甘い言葉なんて信じられないことを知っている。
「あたしはもう賢晴のこと好きじゃない。お願いだから、お互いのためにももうやめよう?」
「お互いのためってなんだ?自分のためだろ、本当に自分勝手なやつだな」
どっちが自分勝手だよって口から出そうになってやめた。
感情をむき出しにされても困るから。
「いつだって俺はお前のこと、見てるからな」
それだけ言って、賢晴は帰っていった。
正直、本当に怖いと思った。
だから、出かけるのは賢晴が仕事をしてるだろう時間だけ。
土日なんかは家から一歩も出れなかった。
1度だけ危ないことがあった。
買い物に少し時間がかかってしまって、賢晴の仕事終わりの時間に重なることがあった。
賢晴は毎日のように、仕事が終わるたびにあたしの部屋の前に来ていた。
だから、その日もあたしが部屋に入った直後に足音が聞こえてきて。
慌てて、鍵を閉めた。
「いつまでこんな生活続くんだろう」
これを世間一般にはストーカーというのだろう。
本当は仕事もしたかった。
でも、賢晴の帰宅時間に合わせないためにはどうしても短い時間になってしまう。
頭を悩ませていたとき、以前からアパートの玄関がオートロックになることが決まっていたようで、工事がなされた。
賢晴はさすがにオートロックから先は誰かについてでも来ない限り、来れなかった。
そして、プライドだけは高い賢晴。
誰かについて、怪訝な顔をされるようなことを最も嫌う人間だ。
オートロックの工事が終わってからは1度も部屋の前にくることはなかった。
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