第8話



 魔女の料理。今まで何度か言及してきたため、もう分かっているとは思うが、魔女の料理はとてつもなく不味い。というかあれを料理と呼ぶのは世界で腕を振るう料理人たちへの侮辱に当たるとさえ言ってもいいだろう。

 魔女の餌を食べ始めてから吾輩の食欲は6割減、味覚は7割減だ。最近は濃いものでないと味が分からなくなった。舌の上の味蕾がことごとく破壊されるのを感じる。きっと吾輩の味覚にほとんど未来は残されていない。


 可能であれば吾輩が魔女の代わりに料理をしたいのだが、吾輩の手でそれは困難だ。包丁を持つときは猫の手が重要だと聞いたことがあるが、吾輩はその重要性を認識したことがない。


 そんなことを考えているうちに目の前に魔女の料理が運ばれてきた。魔女の料理の最も質の悪いところ、それは、味は悪いが体にはいいというところだ。

 食べれば体調が良くなるのだから苦言を呈しづらい。如何に不味くとも、魔女の料理は食べても死なない。死にたくても死ねないので、魔女の料理を前にして吾輩は考えるのをやめた。


「今日のは自信作だ。それでは諸君、遠慮なく召し上がってくれたまえ」

 どこからその自信が出てくるのか。吾輩は目の前に運ばれてきたものをみて嗚咽する。


「え、えっと魔女様、これはなんなのですか?」

 嘘みたいだろ。お前の食事なんだぞ。それ。


「これかい? 葛根や丁子、馬芹等の漢方を、煎じた薬草で作ったペーストに練りこんで、それにコガネニカワタケにブリーディング・トゥース、あとはせっかくのお客だからと奮発して入れた冬虫夏草と、その他14種のキノコを混ぜ込んで作ったんだ。ぜひ食べて感想を聞かせてくれ」

 魔女の目はキラキラと煌めいている。自身の料理が褒められると信じて疑っていない自信に溢れた愚かな目だ。

 材料によく分からないものが混ざっているが、いつものことだ。毒はないので食べられはする。


「そ、そうですか。それではいただきます」

 先に料理に口を出している吾輩を一目見て安心したのか、それとも覚悟が決まったのか。レイナは魔女の料理を口に運んだ。瞬間。


「ぐふう……!」


 レイナは口に含んだものを即座に吹き出した。

 淑女としての慎みはないのか、乙女としての恥じらいはないのか。否、出てきたものが料理ではなかっただけだ。責めるのは酷な話だ。


 彼女の口の中における魔女の料理の滞在時間はおよそ0.01秒。それでもダメージは絶大で、彼女の体は小刻みに震えている。というか痙攣している。


「僕の料理、震えるほどおいしいんだね」

 よく分かっているじゃないか。確かに魔女の料理は胃が震えるレベルの味だ。


「まずいんです! こんなの料理ではありません。少し待っていてください。これから私が本物の料理というものを教えてさしあげます」

 すごい剣幕で捲したてて、レイナは外へ飛び出していった。


 そして、残された魔女はというと。

「そんなに僕の料理はおいしくなかったのかい? きみも本当はまずいって思いながら僕の料理を食べてたのかい?」


 魔女は大粒の涙を目に溜めてこちらに縋る。


『…………』

 吾輩は何も答えない。会話をする者がいなくなった部屋の中には、ただ魔女の嗚咽が響きわたるのみであった。



 しばらくしてレイナは食材を抱えて帰ってきた。泣き疲れた魔女は部屋の隅で膝を抱えて呆然自失としている。


「あれ? ちょうちょがいるよ。奇麗だなあ、ムラサキアゲハかな?」

 訂正、呆然自失ではなく心身喪失しているようだ。よほどショックだったのだろう。心の防衛機構がフルスロットルだ。

 可哀そうに。だがあれを食べる吾輩たちの方がもっと可哀そうだし、どうせいつかは至る結末であったため、同情はすまい。


「皿に残っているものをください。もったいないですからそれも料理に使います」

 吾輩が聞き間違えたのだろうか。どうやら魔女の作った料理も材料に使うようだ。魔女の料理に頭をやられたのか、それとも元からおかしかったのか、まともな思考じゃない。狂気の沙汰だ。


「魔女様の料理は苦みとえぐみと香りとぬめりがひどいだけで、それをなんとかすれば十分に食べられます」

 だけですませられる量の欠点ではないのだが。

「香辛料で香りを整え、苦みとえぐみは野菜の甘みと果物の爽やかさ、あとは隠し味でごまかします。そしてぬめりは、ぬめりはどうしましょう!?」

 やはりダメではないか。


「とりあえずこれで完成です。どうぞ召し上がってください。」

「いいにおいがする。このいいにおいのする泥はなに?」

 これが泥だと言うのなら、お前の料理はヘドロか何かだ。


「これはカレーといいます。作り方はシンプルですけどおいしくて市民の間でも人気な料理なんです。ご飯も炊いておいたのでご一緒にお召し上がりください」

 ふむ、確かに美味そうだ。具材に玉ねぎが入っているな。せっかく作ってくれたところ申し訳ないが分けてから食べさせてもらおう。


「おいしい、おいしいよこれ」

 魔女が無邪気にはしゃいでいる。魔女に美味しいものを美味しいと言えるだけの味覚があったとは驚きだ。


『たしかに美味い。あの料理をここまで持ち直させるとは、何を入れたのだ?』

 吾輩の薄い味覚にも届く素晴らしい料理だ。少しぬめりがあるのは気になるが。


「やっぱり一番は野菜の甘みですね。あめ色になるまで炒めた玉ねぎが溶け込むまで煮込んだんです。それにリンゴとブドウのペーストを入れて、隠し味としてチョコレートを入れました」

 玉ねぎ? 葡萄? チョコレート?


 一瞬視界が歪む。



 あれ? ここはどこだ。先ほどまで吾輩は魔女の家で食事を摂っていたはずだが、気がつけば目の前には川があった。霧が立ち込めていて対岸は見通せない。何故か河原にはいくつも石が積み上げられていた。辺りを見渡していると突然老婆が現れた。


 何? 金を持っているかだと? 何だこいつ強盗か? 持っているわけないだろうが。ならお前の着ているものをもらうだと? やはり強盗か。待て、やめろ、吾輩は何も着ていない。これは地毛だ。毛皮ではない。………………。



『やめろ! 脱げないと言っているだろうが!』


「あっ、目を覚ました。よかったよー、死んじゃったかと思ったんだから」

 そう言うレイナの目は潤んでいて、頬にはその雫の零れ落ちた跡のようなものが残っていた。


 確か吾輩はカレーを食べて、……そうか死んだのか。吾輩の7度目の死因はレイナの作ったカレーか。美味かったから良しとしよう。


『言い忘れていたが吾輩はねぎと葡萄とカカオは食べられないのだ』

「ごめんね。次からは気をつけるから、もしよかったら次からもまた、私の料理を食べてくれますか?」

 まるで懇願するように、潤んだままの瞳でこちらを見つめてくる。

『構わん。寧ろこちらからお願いしたい。吾輩に料理を作ってくれないか?』

「はい、よろこんで」

 レイナは微笑む。閉じた瞳に押し出され、再び頬に一筋、空を知らぬ雨が降った。


「僕の料理はどうなるのさ」

『お前もどうせ食べるなら美味しい料理の方がいいだろう?』

「そりゃそうだけどさ。あれっ? それってもしかして僕の料理がまずいって言ってるの?」

 どうやらレイナとのやり取りはすっかり忘れているようだ。本当に心の防衛機構が働いていたのだろうか。吾輩が言うのもあれだが、ずいぶんと都合のいい記憶力をしているな。


「そんなことよりも、あの魔女様、もしよろしければ今日はここに泊まっていっていいですか? 私、友達の家にお泊りするのが子どものころからの夢だったんですよ」

「(そんなこと……)、えっと、友達の家? もしかして僕ときみの関係を誤解しているのか。僕ときみは主と小間使い、主従であって友達なんて関係じゃない。で、でもきみが本当に僕と友達になりたいというのであれば、その、考えてやらんこともないぞ!?」

 魔女は仲間になりたそうにこちらを見ている。


「なに言ってるんですか、魔女様。友達っていうのは私とクロのことですよ。わあ、クロの家に泊まる楽しみだなぁ」

 浮かれていた魔女の表情は急転直下、恥辱に満ちたものとなった。


「ここは僕の家だ! さっさと帰れ、このおたんこなす!」

「そうですか、残念です。それでは魔女様、クロ。また明日会いましょう」

 顔を真っ赤にした魔女に見送られレイナは帰っていった。



 また明日か。この魔女の家を二度訪れる客は滅多にいない。

 また明日と言ったがきっと、明後日も、明々後日も魔女の家を訪れ、こうして騒いで帰っていくのだろう。吾輩はそれを面倒だと思った。そして、楽しそうだとも思ってしまった。きっと一時の気の迷いであろう。


 まだ眠い。吾輩はこれから訪れるであろう騒がしい日々を想像し、辟易しながらまぶたを落とした。



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猫である 雛木景太郎 @hinaki_k

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