第7話



「なんできみは魔獣ごときを相手にしてそんなにぼろぼろになって帰って来るんだい? まったく、使い魔としての自覚が足りないよ」

 魔女の家に帰り、治療を終えた我々へ突然魔女の説教が始まった。


 魔獣ごときとはずいぶんな言いようだ。そのごときに襲われて死ぬ人間が年に何人いると思っているのだ。そもそも十把一絡げに魔獣というが、魔獣にも様々な種類が存在する。中には簡易的にではあるが魔術を使用する個体や第六感の異常に優れた個体も存在する。


 まあ、確かに吾輩ほどの実力があれば並大抵の魔獣は倒せるだろう。ただし、それは先手をとれる場合、及びこちらの爪が通用する場合に限る。こちらが後手に回らざるを得ない場合、異常に硬い魔獣と相対した場合は迷わず逃げる。

 吾輩、足の速さと隠密性には自信がある。足音はないし、臭いも風魔術でごまかせる。それは敗走ではない。戦略的撤退というものであり、吾輩は負けたわけではない。尻尾を巻いて逃げたわけではない。そこは誤解しないでもらいたい。

 実際吾輩が逃げるとき、尻尾はこれでもかと天を衝かんばかりに屹立している。巻くどころかまったくたるんですらいない。バランスを崩さないように伸ばしているだけだとか、緊張して棒になっているだけだとか、いろいろ言ってくる奴もいるがそれは違う。

 例えば、人間の男にも尻尾があると聞いたことがあるのだが(実際に尻尾がある人間を見たことがないため眉唾な話ではあるが)、それは男が男の戦場に向かうとき、あるいは戦意が高まったときに屹立するらしい。吾輩の尻尾もそれと同様である。吾輩は負けてはいないし、仮に負けていたとしても心は負けていない。そこは勘違いしないでもらいたい。


「ねえ、ちゃんと聞いてる?」

 聞いてない。


「そして、それとは逆になんできみは無傷なんだい?」

「無傷ではありませんよ。頭に大きなたんこぶができちゃいました。さわってみます?」

 あれだけの勢いで吹き飛ばされた癖にそれだけで済んだらしい。片や吾輩は骨の髄までボロボロだ。まあ、飛んでいった速度に大きな違いがあるから一概に比較はできないがなんとも言えない気持ちになる

 吾輩結構カルシウムを摂っているつもりだったんだがなあ。ほら、小魚とか好きだし? やっぱりミルクを飲まないのがダメなのだろうか。お腹が緩くなるから苦手なのだが、仕方ない。明日からミルクを飲もう。


「じゃあ、お言葉にあまえて」

 たん瘤を狙って魔女が拳を振り下ろす

「痛っ!」

 悲鳴を上げたのは魔女の方だった。


「なんで、なんでそんなに頭が硬いの? この石頭! いや、岩石頭!」

「石頭じゃありませんよ。私けっこう頭やわらかいんですよ!? なぞなぞとか得意ですし」

「そうだろうね。それだけ硬い頭蓋で守らなきゃならないなんて中には大層やわらかいぐずぐずの脳みそが入ってるんだろうね」

「えへへ、さすがにそこまではやわらかくないですよー」

 嘘だ。この程度の皮肉(というかむしろストレートな悪口)すら理解できず素直に頬を緩めて喜んでいるやつの頭が柔軟であるはずがない。


「クロもそう思ってくれてますか?」

『長いものも短いものもあって、太いものも細いものもあって、つかむとヌルヌルするものは何か知っているか?』

「知りません。なんですか? それ?」

 お前の大好きななぞなぞだ。


『さあな。考えてみろ。答えは一つじゃないぞ』

 いきなり聞き返すな。少しは考えろ石頭。


「あっ、わかりました。友情のことですね? 長く続くものもあれば短い期間で終わってしまうものもある。太く結ばれた友情もあれば、細くちぎれてしまう友情もある。いざ掴もうと思ってもヌルッと手のひらからとり逃してしまう掴み難きもの。友情に定型はありません。友情とは何かと人に問うてもその答えは一つではありません。あってますか?」

 ……大外れだ。吾輩の思惑では、本来ならここは例えば、ウナギやヘビ、あるいはその両方を答えたところで吾輩が答えはアナゴのから抜けだ、と言う予定だった。相手の答えを待ち、さらにとんちの利いた答えで返して、してやったりという風に優位性をとろうと思ったのだが。そんな奇麗な返答にアナゴのから抜けなどと返したら吾輩の方が阿呆みたいではないか。吾輩の方がしてやられた。


『………………。……当たりだ』

 認めるのは癪だが頭が柔らかいというのは本当なのかもしれない。

「やったー! 私たちの友情は太くて長いものにしましょう。私は太くて長い方がいいです」

 吾輩は太くて長くてヌルヌルな友情は嫌だ。


『吾輩とレイナの友情がどうなるか。それはレイナ次第だ』

「名前覚えてくれてないじゃないですか!? もうすでに二人の友情に翳が差しているじゃないですか! 私の名前はレイラです!」

『ああ、分かった。すまなかった。レイタ』

「レイラです! レイタって誰ですか!? レイタって名前の方ってきっと男性ですよね? 私、女ですよ。魔女様とは違って間違われたことはありません」

 おっとそれは吾輩が掘り起こしてわざわざ脇に隠しておいた地雷だ。あまり刺激するな。


『むっ、発音が難しいな。レイチェル』

「レイラです! さっきまでは三文字だったのに今度は文字数すら違うじゃないですか。絶対発音の問題じゃないですよね? レイラです。忘れないように毎日ノートに鉛筆で100回清書してください」

 猫である吾輩に鉛筆で文字を書くことを強要するとはとんだド畜生だ。まあ、本当に畜生なのは吾輩の方だが。


「うるさーい!」

 なかなか会話に入れず寂しそうにしていた魔女がとうとう口を開いた。

「なんなの? 本当になんなの? きみ? 友情ってなに? な、名前で呼びあうなんて、なんでそんなに仲良くなってるの? 僕なんて初めて言葉を交わしてくれるようになるまで30年かかったのにいぃぃぃ!!!」

 お前の方がよほどうるさい。仕方がないだろう。言葉を覚えるのに、言葉を発するための空気の振動魔法を覚えるのに、それだけの時間がかかったのだから。人間に比べ、圧倒的に脳の容積が少ない吾輩としてはこれでも頑張ったつもりなのだが。


「えぐっ。……で、結局なにがあってそんなざまになったの? よっぽど強力な魔獣でもいた?」

 涙を流しながらこちらに問うてくる。大号泣だ。

 よし、吾輩とレイ……、レイナ? そう、吾輩とレイナの仲良しアピールに気をとられて男に間違えられるうんぬんの話は聞き流している。まあ30年の溝の方がダメージは大きいだろうが、泣きっ面に蜂が飛んでこなかっただけまだマシだ。夜、ベッドで抱かれて慰めればいい。


 ……曲解するな、変な意味ではないぞ。そのままの素直な意味だ。魔女は夜寝るとき吾輩を抱き枕にして眠る習性がある。吾輩を抱くと寝心地がいいらしい。逆に吾輩の方は寝心地が悪い。のびのび眠れるのが一番だ。

 魔女は裸で眠るため、衣擦れなどが気にならないのは幸いだが、人間は寝ているときにはコップ一杯ほどの寝汗をかくという。本来であればそれは寝間着が吸い取ってくれるのだろうが裸で眠るものは何が汗を吸い取ってくれるのか。

 寝汗は別名で盗汗とも呼ばれる。きっと、この場合魔女の汗を盗んでいるのは吾輩なのだろう。このことを魔女に訴えてみたところ、顔を真っ赤にしながら魔女は汗をかかないと言い放った。

 真偽の程は不明だが、吾輩はその言葉を信じている。その方が精神安定上よいと判断したからだ。涙は流しても汗は流さない。ベソはかくが汗はかかない。うむ、なんらおかしなことではないな。


『魔人がいた。まさか音波でこちらを把握しているとは思わず油断してこの様だ』

 魔女に事の顛末を説明する。


「コウモリみたいな魔人だね」

『コウモリ?』

 聞いたことあるようなないような響きに首を傾げる。


「えっ、知らないの? おかしいな、昔コウモリの魔獣は超音波で物を把握するから気をつけろって教えたことがあるはずなのに」

『ああ、思い出した。コウモリとはあれか、夜中によく空を飛んでいるおいしくないやつか』

「きみは魔獣のことを味で憶えてるの!? というか僕の教えたことをちゃんと憶えていればこんなひどい怪我を負わずにすんだんじゃない?」

 確かに相手が超音波を用いることを知っていれば他に戦いようもあっただろう。しかし

『吾輩は吾輩の興味のあるものしか覚えようとは思わん』


「えっ、それって私には興味がないってことですか? クロが私の名前を憶えてくれないのって私に興味がないからなんですか!?」

『馬鹿者め。吾輩の脳の容積を考えてみろ。余計なものを詰め込む余裕などないということが分からんのか』

「す、すみません。ってあれ? つまり私はクロにとっては余計なものなんですか!?」

 肯定はしないが否定もしない。


「まあ、使い魔には後で説教するとして、よかったじゃないか。魔人の死体を持っていけばきみの家も元の地位まで戻れるんじゃないか?」

「それなんですが、魔人は死体も残さず消滅してしまったので魔人を倒したと証明する方法がないんです」

「残念だったね。それじゃあ契約は続行だ。ちゃんと小間使いとして働いてもらう。これを渡しておくから明日の朝、ちゃんとここにくるように」

「わあ、クロとおそろいのチョーカーだ。これでペアルックですね」

 チョーカーではない。首輪だ。この首輪には結界抜けの魔術がかかっており、これを装備すると魔女の結界を迷わずに抜けることができる。


「ところで魔女様、今日は……」

 レイ……ナが何か言いかけたところで、ぐぅ、と気の抜けた音が部屋に響いた。


「まったく、この僕に食事の要求をするなんてずいぶんと卑しい勇者様だ」

「すみません。大量に魔力を使ったものでお腹が……」

「仕方ない。今日は僕が手料理を振る舞ってやろう。光栄に思いなよ」

 斯くして地獄の窯は開かれた。



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