第6話

 吾輩のとった行動はいたってシンプル。強化魔術と風属性の魔術で加速し、一瞬で相手の背後に回り、同じく強化した爪で首を落とす。


『大風爪(フール・クロウ)』

「ぐう……ッ!」

 浅いか!?


 完全な死角からの一閃。しかし、首を落とすまでには至らない。


 吾輩は再度距離をとり、地面、壁、時には魔術で作った風の足場を蹴って相手の再び死角から奇襲を仕掛ける。


 こちらの攻撃は当たる。あちらの攻撃は当たらない。


 吾輩の体は人間よりも脆いうえに防具を装備することもできない。まともに当たればほぼ終わりだ。

 その代わりに小さくキュートな吾輩の体に攻撃を当てるのはさぞ難しかろう。さらに黒くて美しい体毛に覆われたこの体は闇に良く溶ける。そのうえ足音もない。


 踏み込んで切り裂く、相手の攻撃を躱して切り裂く。


 腕を落とした。翼を切り裂いた。攻撃を繰り返すこと六度、しかし、どれも致命傷に至らない。


 時に身体を犠牲にしながら、敵は身を捻じりひたすら防御に徹する。

 そして、これで七度目、首筋に爪を落とそうとしたところで第六感に警鐘が走る。


 これはマズイ! とっさの判断で攻撃を中断し、風を纏って防御をとる。


「しゃらくせぇぇぇ!!!」

 ぎぃぃぃと不快な音が聞こえるとともに全身が悲鳴を上げた。


『ぐぅぅぅ……!』

 衝撃に耐えきれず五臓六腑が血を吹き出す。

 風の結界を破られた!? 何だこれは、衝撃が体内で反響している。


「チッ、まだこの程度の威力しか出ないか。まあいい、勝機を失ったな。この技は喉周りへの負担が大きくてな。さっきまでは撃てなかったが、首の傷も塞がりつつある。次の威力はこの比じゃ無えぞ」

 激痛が動脈を巡る。痛い。息を整えねば。すぐには動けそうにない。


 マズイ……!


 次撃を覚悟して顔を上げると、とどめの一撃ではなく勝ち誇った敵の顔が見えた。


「やれると思ったか? 残念だったな、なかなかやるようだが相性が悪かったな。お前は相手の死角から攻撃するのがずいぶんと得意なようだが生憎と俺に死角は無え。無音で攻撃しようとも音で分かる。超音波でな。そして俺の攻撃にも死角は無え。最初は油断して一撃もらっちまったが、もう俺に油断は無え。お前がどれだけ速く攻撃しようとも、俺は声を発生させればいいだけだ。魔術で強化された、音速で360度に繰り出される物理的衝撃を伴った不可視の音波攻撃、どうだお前に躱せるか?」


 慢心か、それとも首の傷が完全に塞がるまでの時間稼ぎか。手負いの獣を前にしてやけにベラベラとしゃべる。

 死角がないだと? お前自身が死角そのものじゃないか。


「じゃあな、死ね!」


 敵はここにきてようやく追撃を放とうとする、が。


『遅い』


 追撃を待たず、風を纏った吾輩が敵の胸を撃ち抜く。


「ぐはっ……、なんだ……と!?」


 相手が音でこちらを把握するなら、こちらが音を超えた速度で攻撃すればいい。


 魔力を爆発させればその程度の速度は出せる。ただし、加速は容易にできるが減速や進路補正は容易ではない。


 可能な限り減速し、風でクッションを作ったりもしたが、案の定、とんでもない速度で壁に突っ込み全身の骨が恐ろしい音をあげる。もう動けない。というか死ぬ。


 残った力を振り絞ってなんとか眼球を動かして敵を見やる。


「て、てめえ……、ぶち殺してやる……」


 頭部を狙ったつもりだったのだが、照準は随分とまあ下にずれてくれたようだ。即死には至らなかった

 さすがは魔人、胴体にあれだけの大穴を空けられてもまだ辛うじて動けるようだ。


 こちらもなかなかに際どい、しかし、あちらは紛れもない致命傷、魔人の生命力、再生力をもってしてもさすがにあの様子では死ぬだろう。

 つまりは僅差でこちらの勝利だと言ってもいいが、相手はその結果を許そうとはしない。


『相打ちか……』


 魔力の起こりを感じた。先ほど打ち損ねた音の波状攻撃を今度こそ放つのだろう。肺は潰れただろうにどこに空気を溜めているのか。それとも空気を溜めずとも撃てる技だったのだろうか。


 猫に九生あり。吾輩の命のストックはまだ残っている。つまり、死んでも生き返ることができる、などという楽観は吾輩にはない。

 猫に九生があるというのはあくまで伝承であり、確定した事実ではない。そして、伝承の上では猫は死んだら本来なら転生をするらしい。

 吾輩が死してなお、この世界で生き返ったのは死体の損壊が少なかったからにすぎないのだろう。魂の器である肉体の損壊が大きければ、再び生き返ってもすぐにまた死んでしまうし、その場合は異なる世界に転生することになるのだとしても、どちらにせよこの世界とはお別れである。


 400年か、長いようでいてやはり長かった。と死を覚悟した瞬間、突然視界が黒く染まった。


 ぎぃぃぃと不快な音がした。その音を聞いて吾輩は死んだのだと思った。しかし、なぜか体は温かい。それを不思議に思っていると吾輩を覆っていた闇が突然動いた。


 するとそこには勇者の顔があった。どうやら吾輩に覆いかぶさってかばってくれていたようだ。


「大丈夫です。後は私に任せてください」


 その大丈夫という言葉は道中でも聞いた大丈夫と異なり、確かな安心を感じさせた。こちらを見つめる蒼い瞳は頼もしかった。


 勇者は吾輩と魔人の間に立ち、詠唱を始める。昏く澱んだ魔力がうねりを上げる。


「呪え。嘆きを、悲鳴を、苦しみを。そのすべてを貴様に灌ぐ。死産霊(ムスヘル)」


 詠唱が終わると同時、衝撃とともに再びあたりは闇に包まれる。

 訂正、やっぱり怖い。だって詠唱まで禍々しいもの。


 闇が晴れた後、そこには洞窟を焼く黒い炎がわずかに残るのみ、敵の姿は肉片一つ残ってはいなかった。怖い。


 そして、魔剣の一撃を放ち終えた勇者は再び意識を失い倒れていた。さっきの大丈夫は何だったんだ。



「すみません。勇者の剣の奥義は持ち主の魔力を限界ギリギリまで消費するんです。それで意識を失ってしまいました」

『それならあんな死にかけの相手に大技なんて撃たなければよかっただろう』

「ボロボロになった猫ちゃんを見たらついカッとなってやっちゃいました」

 結局、勇者が目を覚ましたのは一時間後のことだった。


 それまでは残った魔力で必死に魔獣除けの結界を張り、魔獣が来ないようにひたすら祈っていた。

 行きに勇者が大量の魔獣を惨殺してきたおかげなのか、幸いここに魔獣が来ることはなかったが、死ぬかと思った。というか現在進行形で死にそうだ。


「さて、帰りましょうか」

『ああ、勇者、お前は怪我は大丈夫か?』

「大丈夫です。頭をぶつけて少し意識を失っていただけです」

 勇者は吾輩をまるで壊れ物を扱うかのように両手で抱いて歩く。まあ、実際に壊れ物なのだが。勇者は少しふらついているようだが、本人によるとそれは魔力の欠乏が原因とのことだ。


「初めて友達ができたものでつい興奮して油断していたようです」

『友達?』

「とぼけないでくださいよ。私と猫ちゃん、魔女の奴隷友達。略してドレともですよ」

 友達になった覚えはないし、そもそも奴隷友達ってなんだ? それに吾輩は魔女の奴隷ではない、あくまで使い魔だ。


『勇者、お前頭は大丈夫か?』

「大丈夫ですよ。少しぶつけただけですってば、猫ちゃんは心配性ですね」

 大丈夫ではないようだ。可哀そうに。


「あっ、そうだ。友達同士なのに猫ちゃんって呼ぶのはなんかおかしな気がしますね。街ではクロちゃんって呼ばれていましたけど、私もクロちゃんって呼んでいいですか?」

『好きにしろ。ただし、ちゃんづけはやめろ』

「えへへ、わかりました。ではクロとお呼びしますね。クロも私のことは勇者ではなく名前で呼んでください」

『名前? はて何だったか?』

「ひ、ひどいです。私の名前はレイラ・ユースハイトです。今度はちゃんと覚えてくださいね?」


 そんなことを話しながら、猫と勇者は、否、クロとレイラは魔女の家へと帰るのだった。



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