第5話



 魔獣たちの巣食う西の洞窟に赴き、その最奥で潤沢な魔力と瘴気を吸った鉱石を集めてこいというのが魔女が勇者に下した最初の命令だった。吾輩が命じられたのはその洞窟の案内役だ。


 洞窟内では魔力を含んだ鉱石が燐光を放っているため、夜目の利かない人間でも進むことはできるが、如何せんいり組んでいるため、たいへん迷いやすい。

 その点吾輩は猫であるから夜目が利き迷うことがない。そのうえ、仮に迷っても僅かな風の流れを辿って外に出ることができる。どうだ、猫ってすごいだろう?


『本当に良かったのか? 魔女の契約は強制力を持つ、これからは魔女の命令に容易には逆らえない』

 魔女が用いるのは絶対遵守の契約書。互いの合意をもって血と魔力を混ぜたインクを用いて作られた魂の約定。

 契約内容は「手を貸す代わりにその間は小間使いとして魔女に傅くこと」だ。勇者が契約のために血を流すたびに剣と鎧が異常な魔力を発して怖かった。


「いいんです。私が逆らえないのと同様に魔女様もこの契約には逆らえません。つまり、魔女様は必ず私に力を貸してくださるということです。

 しかし、魔女は猫の手を貸すと言っていた。つまりは本人の代わりに吾輩を使い走りにするつもりなのだろう。


「それに魔女様は優しい人です。ああは言っていましたけど無茶なことは命令しないでしょう」

 優しい? あれが? どこが?

「なんですか、その目は……。私、人を見る目はあるんですよ? 残念ながら猫を見る目はまだ修行中ですが」

 お前の目は深くて暗い節穴だ。人を見る目もまだ修行すべきだと吾輩は思う。


 そういえば、と勇者は続ける。

「今でも猫人やネコ科の魔獣は存在するけど、原種の猫は400年前の“神災”で絶滅したって聞いていたのですが、猫ちゃんってほんとに猫ちゃんなんですか?」



 “神災”、あるいは“神再”


 今から400年ほど前、突如地脈から大量の魔力が吹き出した。それにより空気中の魔力濃度が増え、多くの生物に滅びと進化をもたらした。人間は魔力に順応し魔術を行使できるように進化した。動物たちは知性を求め二足歩行を始めるもの、理性を捨ててより屈強に育つもの、そして滅ぶものに分かたれた。今では二足歩行を始めたものたちは獣人とよばれ、理性を捨てたものは魔獣とよばれるようになった。


 この一連の事件を、神が地上から旧種を根絶するために魔力の洪水を流して起こした災害と考え“神災”。あるいは再び世界が神代に回帰したと考え“神再”とよぶようになった。

 この“神災”は魔王が起こしたのだという者もいる。それは魔王の存在が “神災”以前より確認されていたからだ。魔王は魔人と魔獣の王。魔人と魔獣を遍く統べている。



『吾輩は猫だ。本当も嘘もない。吾輩が生きているには偏にあの魔女に拾われたからだ』

「でも猫の寿命って15年くらいだって図鑑に書いてあったと思うんだけどなあ」

『それはおそらく昔、魔女に食べさせられたくそ不味い餌のせいだろう。あの魔女の二つ名を知っているか?』

「二つ名って丘の上の魔女ってやつ?」

 確かに魔女は小高い丘に住んでいるため、丘の上の魔女とよばれることもある。


『それではない方だ』

「えっと、おかまじょってやつ?」

 それは魔女に頼みを断られた貴族が嫌がらせで流した噂から派生したただの悪口だ。

 一人称が僕で色気も起伏もない貧相な体をしているため実は男なのではないか、などという噂と丘の魔女の名前が合わさりオカマの魔女、おかまじょ。まったく外出しない本人はその名称については知らない。知ったらきっと泣く。


『違う。不老の魔女だ。それとさっきの名称、本人には教えるんじゃないぞ』

 正確な年齢までは知らないが、魔女はあの幼い外見でいて確実に400歳を超えている。なぜそんなに長生きできるのか。その答えは不老の薬を生成し、飲んだからだ。

 魔女の外見は薬を飲んだ瞬間から完全に静止している。本人の話では22歳の時に薬を飲んだそうだ。それでも外見年齢の勘定が合わないが、それを言うと怒られる。


 また、それだけでなく、老化を止めたその体は寿命という枷を取り外した。しかし、老いないだけで死なないわけではない。何も食べなければ餓死するし、血を失えば失血死する。魔女は薬学、医学の知識に富んでいるため、その心配は薄いが病死する場合も往々にある。

 最悪、転んだだけでも死に至るリスクがある。実際に吾輩も転んだことが原因で死に至ったことがある。転んだのは吾輩ではなく八百屋の娘であったが。魔女は家を出ようとしないのはそのリスクを可能な限り避けるためなのかもしれないが、吾輩の所見から言うとただの引きこもりである可能性が極めて高い。


『おそらく吾輩が餌だと思って食べていたのがその薬だったのだろう』

 そう考えるとあの不味さにも納得できる。最も、今でてくる餌も十二分に不味いのだが。餌を与えてくれること自体には感謝しているが、できれば魔女には今すぐに引きこもりをやめてもらって、料理教室にでも通ってもらいたい。


「でも、本当にそんな薬があるならみんな欲しがりませんか?」

 確かに多くの人間が永遠を求める。


 吾輩は猫であるからして、変に長生きするより自然の摂理で死んでいくのが当たり前だと考えているが、どうやら人間は違うらしい。

 とりわけ力を持つ者、現状に満足している者が永遠を欲しがり、力のない者、現状に満足していない者はあまり永遠を欲しがらない。永遠を手にしたとき、今が永遠に続くと思っているからだ。

 彼らが本当に望んでいるのは老いない自分ではなく、永遠に進まない今日の日付なのだろう。


『薬を欲しがる輩には円満に帰ってもらっている』

 薬を欲しがる人間がやってきたとき、魔女は必ずこう言う。作ってやるから材料を持って来いと。

 その材料というのが毎回珍妙なものばかりで皆それに困惑して帰っていく。

 例えば、猫の足音であったり、岩の根っこであったり、はたまた、蓬莱の玉の枝であったり、火鼠の衣であったり、さらには馬の顔をしたカタツムリなど、存在するのかどうかさえ不明な無理難題を吹っかけてくる。


 中には挑戦した者もいるが結果はどれも散々だった。

 例えば、燕の産んだ子安貝を要求された男は燕の巣まで登り、巣の中の燕の糞を子安貝と見間違えてぬか喜びをした折にバランスを崩して木から転げ落ちて死んだ。死人の出たことのない家のけしの実を要求された男は最初の内は意気揚々と探していたが、家を回るたびに意気消沈し、最後はしょげた顔をして帰っていった。


 死を遠ざけるために難題に挑んだことにより実際に死んでしまったり、より深く死を実感してしまったりなど、なんともやる瀬がない。


 ちなみに吾輩、馬の顔をしたカタツムリであれば見たことがある。魚屋が珍しいものが採れたと言って店で売っていた。詳しくは忘れたが、龍のこどもみたいな無駄に豪勢な名前だったと思う。


『と、おしゃべりはここまでだ。近くに魔獣の臭いがする』

 言うが早いか3体の魔獣が飛び出してきた。すかさず吾輩も臨戦態勢をとるが、それよりも速く飛び出した勇者が同時に切り伏せる。

「私はおしゃべりしたままでも構いませんよ」

 勇者を名乗るだけあって大した実力だ。



 その後も魔獣が出るたびに笑顔で狩り尽くしていく。息を切らすどころか会話すら途切れさせない。強い、しかしそれ以上に怖い。怖すぎる。

 自身に襲い掛かって来る魔獣たちをまるで肩に乗った埃を払うかのように撫で斬りにしていく。

 ここにくるまで彼女が屠った魔獣は40体強、この洞窟にこれだけの魔獣がいたことも異常だが、それらをすべて切り刻んできた彼女の方がよっぽど異常である。


「あのー、ちゃんと話聞いてますー?」

 怖い。敵を倒すごとにどんどん語調が荒くなっていく。鎧を見ても、その下に来ているドレスを見ても、美しいブロンドの長髪を見ても、返り血一つついていない。しかし、その目。出会った時は深い蒼色をしていたその瞳だけが返り血を浴びたかのように真っ赤に染まっていた。


『聞いている。聞いているから、そんな目でこちらを睨むな』

 怖い。敵よりもなによりも味方が怖い。


『それよりもうすぐこの洞窟の最奥だ。気を引き締めろ』

 こういった洞窟の奥地は瘴気の吹き溜まりになっていることが多い。

 あまりに濃い瘴気は人体にとって害になる。それとは逆に濃い瘴気は魔獣たちを強くする。つまり、洞窟の奥地には強大な魔獣がいる可能性が高い。


「大丈ぶ……ッ!」

 大丈夫ですよ、と答えかけた彼女の体は一瞬で壁に叩き付けられた。


「こんなところに人間と……、何だお前?」

 吹き飛んだ勇者を横目に見つつ、突然現れた敵を見極める。


 勇者はひとまず生きてはいるようだ。

 そして、その下手人は人の形をしていた。


 しかし、その背中からは人間にはあるまじきものが生えていた。ビロードのような漆黒の大翼。その姿は悪魔にも似ている。果たしてその正体は、人に似て人にあらざる者、『魔人』。



 魔人とは人間を超える知恵と魔力を持ち、獣を超える膂力と頑健さを持つ人型の怪物のことである。身体の一部に獣のような形質を持つ者がいることから魔獣がさらに進化した姿であるとする説や、その超常性から神代の世から帰ってきた悪魔であるといった説があるが、魔人の正体については詳しくはわかっていない。


 ただ一つわかっているのは、魔人には大隊以上をもって相対すべきという人間と魔人の圧倒的な力の差だけである。


 人間がそれほどの覚悟をもって挑む怪物に対して、猫である吾輩が戦って勝てるのか。そんなことなどどうでもいい。野生の世界は食うか食われるか。吾輩は唯、獲物を見据えて喉を鳴らした。



『「まあいい、殺すか」』




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