最終話 はつかねずみの結婚式

 式は、レストラン街にある小さな店で開かれる。貸しきりになった店は、色鮮やかな服を着た多くの客でにぎわっていた。ピイは裏口から中に入ると、いきなりイリアにぶつかった。

「待ってたのよ。早く」

 イリアがピイの手を引っ張る。何事かと思って控え室を覗くと、ドレスが一着、置いてあった。チューリップの形の、あのドレスではない。裾が広くて袖が膨らんだ、シンプルなドレスだ。裾には丁寧なれんげの花の刺繍がある。とても美しいドレス。

「イリア、これは?」

 呆然としたピイが尋ねると、イリアがくすくす笑う。そこにサラと、シムリが入ってきた。

「あら、来たのね」

 サラがふわふわと笑うと、シムリがにっこり微笑む。ピイは二人の笑顔に呆気に取られている。

「びっくりしてるみたい」

 イリアが言うと、サラはピイに近づき、シムリはがりがりと頭を掻いた。サラがささやく。

「これ、シムリがあなたのためにわたしに注文したのよ。あなたがわたしのところに来る前にね。イリアがあなたを連れてきたのは、サイズを測るためでもあるのよ」

 ピイはぽかんとシムリを見つめる。

「そうなんだ」

 シムリが言うと、ピイはうつむいた。シムリが慌てて近づいてくる。

「ごめん。余計なことしたかな。怒った?」

 ピイはいきなりシムリに抱きつく。

「シムリって、いつもそんなことばっかりするのね!」

「ごめん」

「ありがとう。嬉しいわ」

 ピイが顔を隠したままつぶやくと、シムリは満足げに笑った。

「それでね、シムリのドレスには劣るけど、これはわたしが作ったヴェールよ」

 ピイが潤んだ目で振り向くと、イリアが長いヴェールを持って、笑っていた。ピイはまた泣きそうになる。丁寧に刺繍とレースが施されたヴェール。どれほど時間がかかっただろう。

「本当に、ありがとう。わたし、また泣きそう」

「泣くのは結婚式が始まってからにしましょう。新郎は早く着替えてきて。今からピイの着替えと、お化粧をするから」

 サラがシムリを追い出しにかかる。シムリがにこにこと笑いながら出て行くと、さて、とサラが腕まくりをした。

「わたしが作った素敵なドレス、きれいに着こなしてもらわなければね」

 白いスーツに白い蝶ネクタイの姿のシムリが、ピイの控え室にやって来た。扉をそっと開けていると、ピイが見つけて、笑う。

「どうしてこそこそしてるの? 入ってきていいのよ」

 シムリは扉を大きく開き、今度は堂々とした態度で入ってきた。しかし、笑みを隠せなくなったシムリは次第に相好を崩し、

「きれいだなあ」

 とつぶやいた。ピイは照れ笑いをする。

 白い絹のドレスに、半透明のマリアヴェール。ひげは純白に染められていた。ピイは視線をどこにやっていいのかわからずに、あちこちに目を移した。そこに、シムリがどんどんと近づいてきて、

「ぼくの花嫁だ」

 と抱きしめた。ピイは我慢できずに、くすくすと笑い出した。シムリも笑う。イリアとサラは、シムリを引き離しにかかる。ドレスとヴェールが乱れてしまったのだ。

「幸せだなあ。すごく幸せだ」

 少し離れたところに立たされたシムリが、ため息をつきながらピイを眺める。ピイは笑っていたが、ふと、笑顔を消した。シムリが気遣わしげな顔になる。

「あのね、シムリ」

「何?」

「君は変らないでって言ったわよね」

「うん」

「わたし、変わったわ。あなたとの結婚が決まって、変わった」

 シムリが黙り込む。

「とても、幸福になったの。わたしの根底にあるものがね、完全に変ってしまった。わたし、昔はとても孤独だったの。一人で生きていこうと、必死だったの。だけど、あなたと一緒に生きていけるとわかって、変わったの。わたしは一人じゃないもの」

「うん」

「だからね、これ」

 ピイは持ってきた鞄から原稿用紙の束を取り出した。

「『百年の旅』の最終巻よ」

「え?」

「わたしの根本にあるものは変わってしまって、孤独な主人公が孤独でい続けることに、わたしは耐えられなくなってしまったの。だからね、彼はこの巻で、友達と家族を持つことになったのよ。それは旅の終わりを意味するわ。旅しなければ、この物語は終わり。だから、これは最終巻の原稿なの」

「ぼくたち、そこから始まったのに」

 シムリは残念そうに、原稿用紙の束を見つめた。ピイはこう続ける。

「でも、また始まるんでしょう? わたし、新しい小説を書くつもりなのよ。幸せと希望に満ちた、素晴らしい物語。きっとあなたも好きになるわ。わたし、自信があるのよ」

「本当に?」

「本当よ」

 シムリに笑顔が戻ってきた。ピイもにっこり笑う。シムリが陽気な調子でこう言う。

「じゃあ、ぼくたちもそうしようか」

「どういう意味?」

「今から、お互いの人生をまた始めるんだよ」

 シムリはピイの手を取る。ピイはシムリの目を見つめる。

「君は、これからぼくの奥さんだ!」

 ピイは、ふふふ、と嬉しそうに笑った。


『ピイへ。元気? わたしは元気よ。それどころか、幸せ。この間は病院に付き合ってくれてありがとう。あれをきっかけに、リムさんへの気持ちが変わったの。とても素敵なひとだって思うのよ。ハンサムで、背が高くて、頭がいいの。結婚したらしいわね。でもごめんなさい。あなたのお相手より素敵な相手を見つけてしまって。それじゃあね。ミリイ』

                                  おわり

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はつかねずみの小説家 酒田青 @camel826

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