紅葉と紺色の狐27

 カモメの群みたいな新聞やらの記者たちに捕まって窮屈な取材を受けていたせいで、火葬場へ向かった一行から完全に出遅れてしまった。気付いた時には警護の軍警察すら居なくなっている有様だった。一服吹かしたい気分だったけれど、なんだか不謹慎な気がしたのでやめておいて、伸びをしながら周りを見渡した。植え込みの石垣に佳折とタリスのアンドロイドが並んで座っていてこちらに手を振った。待っていたみたいだ。佳折はひらひらとしたブラウスタイプの礼服、髪は下ろしていた。タリスはもう少し硬い感じで、立ち襟のジャケットだった。無線機は外していた。贋と同じように首筋に窩があるわけだけど、髪は結っておいて襟で隠しているのがいかにも天の邪鬼だった。

 二人は僕が来ても立ち上がらない。僕を待っていたわけじゃないのだろうか。

「ずっとじっとしていたからなんだか気分が悪くなっちゃって」と佳折は言った。

 僕は彼女の隣に座って軽く背中をさすった。

「タリスは、どうだった?」

「やはり千歳ではフォーマットが行われたようです。あんなに貴重な資料の数々を人間はいとも容易く削除してしまいました」

「記憶は?」

「私はあなたたちのことは憶えていますよ」

「それはそうだろうね」僕は頷いた。肢闘と違ってアンドロイド単体に通信機能は無い。無線機を外していれば外部から電子的に侵入される心配はしなくていいということだ。彼女はポシェットからリング式の分厚いノートを取り出した。

「とうとう私も自伝を書くことにしました。当然こんな薄い書物の中に収められるのはほんのあらすじ程度のものです。他の書物について書くことはできませんでしたし、有益な実験の数々も失われてしまいました。サキのことも忘れてしまったかもしれません。そういう名前の、私にとって大切な子供がいたということは憶えていますけど、細かいことは思い出せなくなってしまった」

 佳折はその左手を取って自分の手の中で温めるようにした。

「そうか。僕はまだサキのことを知ってもいないのにな」

「でも、あなたはこれから、もちろんすぐにではありませんが、彼女のことを知っていた人達と会うことができます」

 その時斎場の建物の方から誰かが歩いてきた。我々に向ってきているというよりは門に向って敷地の外に出ようとしているようだった。見覚えはなかったけれど、さっき僕に取材をしたうちの一人であったらしく、軽く挨拶をした。一人で出てくるなんて、手洗いでも借りていたのだろうか。

「あら、そちらは?」彼は立ち止まって首を伸ばした。まるで街中で見つけた芸能人を見破るみたいな目だった。僕ではない。佳折を見ているのだ。記者は斜め走りでやってきて腰を低くすると「司馬佳折さんですか」と訊いた。

「そうです。軍師の司馬です」佳折は拳で胸の上をさすりながら答えた。

「そうですか、これは失礼。いやはや、もう十年以上前の話になりますか。私もあなたのスピーチを生で聞かせていただいたので、それで憶えていたんですよ」彼は喋りながら器用に名刺を取り出して見せた。大手の新聞社だった。「それにしても、いや、お二人のご関係は」

「付き合ってるんです」佳折が答えた。「諏訪野くんの話はとてもよかったと思います。突飛でもなく、しっかりしたことを言える人が私は好きなんです」

 記者はその答えに心底驚いていくつか新しい質問をしたが、佳折の言ったことで大事なのはそれくらいだった。タリスは僕の妹だと嘘をついて、それからろくに槍玉にも挙げられなかったので記者の横に立って僕たちを観察していた。記者は最後に写真でも撮っておきましょうかと言った。記事に使わせてもらえたら万々歳だと。それで僕たちは座ったまま光の具合の良い方に顔を向けた。佳折は僕の肘に腕を引っかけていかにも恋人とわかるポーズをとって、それから追悼記事に相応しくなるように僕との距離感と表情を調節した。これで良いかとカメラの液晶で確認させてもらったのだけど、佳折が先に見て勝手に完璧だと言ってしまうので僕はほとんど見られなかった。

「明日の朝刊ですからね。社会面になると思います。三十八か九面ですよ。乞うご期待」記者はそう言って帰っていった。

 僕は彼の言葉にどこか引っかかりを覚えた。そうだ、冴の手紙だ。まだ鞄に仕舞ったまま開けていないじゃないか。

 とはいえ佳折が取材のせいでまたちょっと調子を崩してしまっていた。車は彼女のプリウスが置いてあるのだけど、問題は誰が運転するかだった。タリスは「私にはできませんよ、合法的には」と言った。アンドロイドも機械だから自動航行と同じ扱いにはなるのだけど、その場合には運転席に人が乗って監視をしていなければならない。僕はバイクなら散々乗り回しているが、普通自動車の免許は持っていない。

「仕方ありませんね。誰かに電話して迎えに戻ってもらいますか。それともひとまずタクシーで火葬場まで移動して様子を見ますか」とタリスは提案した。

 その言葉で僕の心は思い切り背中を突かれたみたいにぐらついた。情けなさ、それにいっそ僕が運転してやりたいという衝動だった。ほとんど初めて車を運転できないことの不便を感じた。結局タクシーを捕まえて火葬場へ向かいながら、その後席で僕はそんな自分の心と向き合っていた。

 大きく溜息を吐いて冴の手紙を開く。



 兄上


 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。本当はこの手紙に年賀の挨拶を書くつもりはありませんでした。というのも、お手紙を貰ってからすぐにお返事を書いたのですが(ちなみに小包が届いたのが十二月十一日、その後のお手紙が届いたのが十六日でした。いつの着になるか気にされていたようですので)、郵便局の馴染みの方が長期休暇で遠くへ行っているとかで、他の方に頼むのでは話が通じるか不安でしたので、已むを得ず私の方でしばらく温めておくことにしました。送ったのに届いたかどうかわからないというのは私なりには我慢ならないことなのです。お返事が遅れたことはどうかお許しください。

 この手紙はプレゼントの万年筆で書いています。とても気に入っています。司馬さんにもどうぞお伝えください。二通目の長い手紙もきちんと読みました。お父さんお母さんには見せていません。二人には伝えない方がいいというのは私も同感です。それから、お父さんの仕事が一段落するので四月にはそちらに帰れると思います。今から楽しみです。お母さんもカレンダーに赤丸をつけています。お父さんはそれを時々めくって眺めています。夕兄も楽しみですか? 久々に帰ったらもう「おじさん」と「おばさん」はやめてくださいね。二人ともきっとしょんぼりするから。夕兄には周りと違うって自負があるのかもしれませんが、私だって「お父さん」「お母さん」と呼ぶことができます。二人から見たら夕兄も私も同じ兄妹です。もしかして、私から頼まれなくてもそのつもりでした? もしそうなら謝ります。それではお楽しみに。

                                 諏訪野 冴


 追伸 三堂さんに、次はもっと別なプレゼントにしてくださるようよろしくお伝えください(くれぐれも私が欲しがっているような伝え方はしないでください)。

 


 僕は手紙を畳んで紙芝居の要領で同封の写真を繰った。雪掻きをする諏訪野夫妻、近所猫の雪上集会……。最後の一葉が蝋梅の薄く透き通った花を写していて、なぜだか一番長く見入ってしまった。手紙と写真を封筒に収めて、さっきから肩に押しつけられている佳折の頭を膝の上に移して、冬に咲く花が庭にあるのも良いだろうなと思った。

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狐の家族(心水体器) 前河涼介 @R-Maekawa

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