紅葉と紺色の狐26

 斎場には調整役の関係者が先に到着していた。鹿屋と顔見知りの人々は彼がユリアを連れているのを見てぎょっとした。それで喉仏が動いたりするのだ。ああ、やっぱりこの女はすごいんだなと思った。ユリア本人は相変わらず面白くなさそうだったけれど、僕は面白かった。

 葬儀の打ち合わせは僕にとってはほとんど弔辞の原稿を考えるための時間だった。葬儀屋さんと情報部の士官が一人ずつついて、僕が書いたものに儀礼的に問題がないか、政治的に問題がないかそれぞれ添削してくれた。寺田と吉岡という人だ。二人とも背格好は似ていて、比べるなら寺田がスポーツ系、吉岡がインテリ系だった。吉岡が僕の万年筆を見て自分のかと訊いた。変な質問だなと思ったけれど、他の訊き方を考えるようなことでもなかったのだろう。「自分のを持ってる人なんて回りには居なかったな。どうです、居ましたか」と吉岡は寺田に訊いた。

「いやあ、どうかな、見なかったですね。そりゃあ筆箱一式なら学生時代誰だって持ってましたけどね、そんなかに万年筆っていうのはなかったと思うな。インクがこぼれたりしたら大惨事だもんな」寺田はスーツの腕を組んで答えた。

「うんうん、出が悪かったりしてさ、僕なんかあんまり使いやすいってイメージはないんだけど、やっぱり物が良いのは違うのかもしれないな」吉岡がそう言うので僕は手を止めた。彼は僕から筆を借りて、最初の原稿が既にボツになっていたのでその用紙を裏返して自分の名前と「あいうえお」を書いた。存外テントウムシみたいな可愛らしい字だった。

「今は直前まで書いていたから。僕なんかいつも縦にしているから、最初は少し振ってからじゃないと出ませんよ」僕が簡単にアドバイスすると、確かにさっき振っていたなという感じで二人は頷いた。

「鷲田大将からのプレゼントとか」吉岡が冗談っぽく訊いた。

「違いますよ。一人暮らしを始める時に母親がくれたんです。こういうのが好きなんじゃないかな」僕はハルビンがどうのと説明するのが億劫だったので適当なことを言ってその場を凌いだ。それから吉岡と寺田は各々別の仕事を掛け持ちしながら、僕が原稿を書き上げた時には控室に揃って添削をした。僕自身も納得のいくものにしたかったから、完成にこぎつけたのはようやく五校目の時だった。清書をしたから七回も書いたことになる。その頃にはもう祭壇に飾られる花々が八割方整っていたし、会場の外には制服にヘルメットを被った警護兵が配置を済ませていてた。装輪装甲車や幌付きトラック、軍の車両の他にメディアの車両も見えた。


 当日、外に儀仗隊がずらっと並んで古めかしい剣付き小銃を抱えて棺を迎えた。弔問には軍人も政治家も鷲田大将のファンも大勢が集まっていて、喪主たる夫人をはじめ、他にも何人かが全体の前で話をした。スピーチの時間はそんなに長くは与えられていない。進行側にとしては、まあ故人のわがままだから許してやるかというくらいの気持ちだったのだろう。遺影は僕が坂本千加子と一緒に訪ねた時より前に撮ったものらしかった。まだ頬に肉があって元気そうに見えた。僕が方々にお辞儀をしてその下に立った時、これはまるでマンモス校の卒業式だなと思った。僕はこんなに大きな葬式も学校の卒業式も知らない。だけど僕は全校生徒を背に壇上に向ってマイクを取る生徒会長だった。自分の緊張を紛らわせるためにそんな変な想像をしたのかもしれない。

 鷲田大将の死は僕の生きる社会にとって非常に大きな出来事になった。遺書には彼が立案した肢闘関連技術の移転計画を全て破棄するようにという指示があった。内紛の一因だった移転計画は西部方面軍を統率して鷲田大将と張り合っていた絹川中将が練り直すことになるだろう。近畿以西にも肢闘の開発拠点が置かれるようになり、九木崎の独占的な地位は徐々に消失していく。九木崎が広げたショコネットも肢闘の管制に関して絶対的ではなくなる。タリスが事情もここに端を発している。ショコネットとの接続を前提にした我々端子付きという存在も在り方を問われるのかもしれない。造られた人間でなくとも扱えるような肢闘が求められるのかもしれない。人間だけの社会で普及していけるような肢闘が。それは最初に九木崎を立ち上げた人々やタリスを生み出した人々の理想とする肢闘の在り方とは程遠いものになる。いわば我々やタリスは用済みの烙印を押されることになるのかもしれない。

 鷲田大将は罪を償うために命を賭けようとした。彼の罪の対象は我々のように人間から外れた存在だった。しかし彼が過ちだと悟ったものは、僕たちがそれを正しいと信じていたもの、生きるための糧にしていたものだ。彼の贖罪を赦すべきなのだと思う。けれど彼がさらなる慈悲を持つ人間であったならば、我々のために新しい生き方を示してほしかった。僕は手段さえあればあらゆる電子システム、ネットワークの中に潜って誰よりもその構造を詳細に知ることができる。けれどそれは今までの肢闘を操縦するという僕の目的からは離れすぎている。参列した方々の中にはこれからの我々に居場所を与えるか否か決する権力を持った人も居るだろう。故人の救いのために、そういった人々を始め、できるだけ多くの人にこのことを考えてもらいたい。

 僕はむしろ参列客に向ってスピーチをした。仰いでみると遺影の鷲田大将は心なしか得心したような表情だった。

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