世界がおわる前に、きみと辿りたい幾つかの場所

星崎ゆうき

第6話 過去が再起動するとき

 凪いでいる海に向かって、いくつもの作業用クレーンが立ち並ぶ。錆びついた鋼鉄製のアームが灰色の空を掴んで離さない。過去の出来事は、どれだけ時間を経ても現在という世界に、その痕跡を残している。


「昨日の場所?」


 シラツユは少しだけ首をかしげながら、造船施設の前に立つクロハを見上げた。灰色の空がクロハとシラツユをも包み込んでいる。地表も、海面も、鮮やかさを失った光に照らされ、鈍いモノクロを反射していた。


「なあ、シラツユ。非常電源装置の脇に、何かをはめ込むような、小さな穴があっただろう? 覚えてないか?」


「そんなのあったっけかなぁ。全然、覚えてないやぁ」


 昨日、造船所地下の一室で、床になぞられた『ナイジェル』の文字を発見した二人は、あの場所からすぐに離れた。周囲が暗闇に包まれていたこともあり、身の安全を優先したクロハの判断だった。


 「そうか……」と、小さくため息をついたクロハは「携帯電燈の充電は大丈夫か?」とシラツユに向き直る。


「うん、車の燃料にも余裕があったから、フル充電できたよ」


 シラツユが両手に持ってる携帯電燈は、小型のペン型様の照明器具である。以前、寺院の廃墟で見つけたもので、小さいながらも光度は高く、陽の光が十分に届かない地下施設の探索にはちょうど良い道具だった。


 携帯電燈のスイッチを入れたクロハは、造船施設の奥へ向かう。昨日は気づかなかったが、沢山の配管や通気ダクトが、うねりながら壁を伝い、地下へ延びていることが分かった。時折、水の滴る音が聞こえてくる。きっと、雨水がどこからともなく漏れだし、水滴となって金属の床に断続的に落下しているのだろう。


「あそこか……」


 階段を下りた先の通路奥に、半開きとなっている扉が見えた。天井にあるだろう微かな隙間や、壁に開いた穴から、外の光がわずかに差し込んできている。とはいえ、携帯電燈が無ければ周囲の様子はよく分からない。クロハは扉の前に立つと、埃にまみれているそれを指でなぞった。


「何か文字が書いてあるねぇ。読める?」


 シラツユはクロハの隣で扉に刻まれた文字を見つめている。


「きっと僕らには読めない。たぶん、人間の言葉じゃないんだ……」


 クロハがそう言い終らないうちに、彼の脇をすり抜けるようにして、シラツユは部屋の中に入ってしまった。


「おいっ、気を付けろ。ここは決して安全じゃない」


 クロハも慌てて彼女の後を追う。携帯電燈で周囲を照らしてみると、部屋は思いのほか広く、頭上を覆っている天井も高かった。


「ここは……」


「クロハっ!! ほんとだ、小さなくぼみがあるよ」


 非常電源装置に駆け寄ったクロハは、携帯電燈で壁に彫り込まれた正方形の穴を照らす。中には小さな銀色のプレートが置かれていた。


「ラピス・ラズリ……。目覚めさせるもの……」


「え!?」


「ナイジェルからもらった古文書に書いてあったんだ。“青の石は眠りを目覚めさせるもの”ってね」


「眠りを……目覚めさせる?」


 シラツユは目をぱちくりさせながらクロハの手の中のラピス・ラズリを見つめている。携帯電燈に照らされたラピス・ラズリは強い青に輝いていて、その色彩はまるで闇に抗っているかのようだった。


「あの鉱山、今でも採掘されている形跡があったのに気が付かなかったか? この何もない世界で、ラピス・ラズリが装飾品や顔料だけに使われるなんて、やっぱりおかしい」


「うーん、確かにあの鉱山、放置されていたと言うよりは、今でも採掘作業が行われているような雰囲気あったよねぇ。だってちゃんと立ち入り禁止の看板とか、ぜんぜん錆びてない鉄柵とか……。はっ!! 今思えば、かなり不自然だよっ」


 真ん丸の瞳をクロハに向けながら、相変わらず首をかしげているシラツユに「きっと、こういうことだと思う」と呟いたクロハは、青く光るラピス・ラズリを、四角いくぼみの銀色のプレートに置いた。すると銀色のプレートがゆっくりと沈み、穴の上部の壁が青白く光り出したのだ。


「わっ、すごいっ! すごいよクロハっ!」


 壁には、文字が浮かんでいるが、何が書かれているのかは分からない。


「これは……。シラツユ、逃げるぞ」


「えっと、何で?」


「いいからっ」


 クロハはシラツユの細い腕を掴むと、踵を返して部屋の出口に向かった。その時、出口の扉上部が赤く点滅を始め、同時に半開きの扉がガチャリと音をたて閉じられてしまった。


「くそっ」


 クロハはあわてて駆け寄るが、ロックがかかってしまったらしく、重たい扉はびくともしない。


「私たち、閉じ込められちゃったの?」


 シラツユは今にも泣きそうでクロハの左腕を掴む。


『外部電源、使用許諾確認……』


「何だこの声は……」


 突如、部屋に鳴り響いた音声に、二人は顔を見合わせて辺りを警戒する。


『通信エラー。主電源はオフラインです。予備電源稼働スタンバイ』


 木刀を手に取り、ゆっくりと構えるクロハ。その背中越しに立つシラツユは、携帯電燈で周囲を照らす。


『予備電源再稼働シークエンスを起動します』


「ねえ、デンゲンってなんだろう」


 シラツユの体が微かに震えているのがわかる。暗闇の中での異常事態は、ただただ恐怖でしかない。


『警告。配電設備を確認し、通電による漏電及び火災に警戒してください』


「きっと、この施設を動かすための動力源のようなものだと思う」


『警告。本施設は予備電源による再稼働準備シークエンスを継続中です。通電による漏電及び火災に警戒してください』


 その時、ビーンという鈍い音と共に、頭上に設置されていた照明設備が一斉に点灯した。どこか遠くの方で何かが爆発した様な大きな音も聞こえ、シラツユは耳を塞いでその場にしゃがみこむ。


「眩しい……」


 右手で木刀を構え、左手で目を覆うようにして、必死に明るさに慣れようとしていたクロハの先には、コンピューター制御卓と、それを取り囲むように配置された巨大なモニターがあった。


「これは一体……」


 朽ち果てた建造物、土に埋もれ、原型をとどめていない機械類などはいくつも目にしてきた。しかし、ここまで完全な状態で残っている設備を見たのは初めてだ。


「あそこに人がいる」


 シラツユの指さす方向には、コンソールに向かう小さな椅子に腰かけた男性のような後ろ姿があった。首はうなだれており微動だにしていない。


「死んでいるのかな……」


「いや……。気を付けろ」


 クロハは周囲を見回し、この部屋から脱出できる場所を探す。入ってきたドアは完全にロックされているようで、赤い警告灯は相変わらず点灯し続けていた。残るはコンソール横にある灰色の扉だけだが、地上に出ることができるか分からない。


 その時、巨大なモニターの下部から、何かが回転するような音が鳴り響き、コンソールに配置された無数のボタン類が青く光り出した。


「これが、消え去った文明の科学技術か……」


 クロハがそう言った直後、うなだれていた男の背中が動き出し、ゆっくりと椅子から立ちあがった。


「お前……何者だ?」


 木刀を構え直したクロハに、男は「神を慕う非合理主義者の生き残りか……」と小声でつぶやきながら振り返る。


「クロハ。あの人の目……」


 男の目は人間のそれとは異なり、赤い光を帯びていた。おびえるシラツユをかばうようにして一歩前に進んだクロハは「アンドロイドか?」と問いかける。


「アンドロイド? 非合理主義者どもに屈服した人間モドキと我々は違う。わが名はタルロス。入り口を見張るもの。ここは人間の来る場所ではない」


 タルロスと名乗った赤い目のアンドロイドは、右腕をクロハに向ける。その腕は瞬時に筒状に変形し、その内部から真っ白な閃光を発射した。


「危ないっ」


 全てが一瞬の出来事だった。シラツユに突き飛ばされたクロハは、間一髪で光線の直撃を免れたが、彼の頬からスッと血が流れ、冷たい床にポトリと落下した。


 クロハは木刀を手に取りすぐさま反撃に出たが、木刀の軌跡を軽々とよけたタルロスは、その勢いのまま真上に跳躍し、あっという間にシラツユの背後に回ると、彼女のこめかみに右手を押し当てた。


「やめろっ」


「生身の人間が私を倒せるはずもない。信仰が故に合理性を受け入れず、我々に抗った人類の生き残りよ。知りたいか? 世界が消滅した理由を」


「シラツユを離せっ!」


「なぜ生きようとする。こいつも、お前も、まだこの世界に未練があると言うのか? この何もない世界に」


 どんな世界なら生きる価値があるのか……。そんな問いかけにどんな意味があるだろう。たとえどんな世界でも、そこで生きている限り、そこには無限の価値がある。


「クロハ。私のことはいいから逃げてっ。お願いっ」


 タルロスの左腕に抱えられたシラツユが叫ぶ。


「クソっどうすれば……」


「この場で消えろっ」


タルロスの右腕が、再びクロハに向けられる。


「お願い、逃げてっ。生きて……」


 それは、タルロスの右腕が怪しく光はじめたのと同時だった。上層から飛び降りてきた何者かが、巨大な銀色の剣を振り下ろし、タルロスの右腕に突き立てたのだ。ゴロリと音を立てて床に転がるタルロスの腕。その脇に立っていたのは青い目をした少女だった。あまりにも一瞬の出来事に、タルロスでさえ何が起こったのか理解できなかったようだ。


「き、貴様は……」


 右腕を失ったタルロスに向かって、青い目の少女は「一般意志執行インターフェイスエンフォーサー。 国家安全保障局 登録番号070」とだけ答え、銀色の大剣を構え直した。


「おのれ、人間モドキめっ」と叫んだタルロスの顔は激しくゆがみ、シラツユを抱えたまま大きく跳躍すると、一瞬にしてコンソール脇の扉の前に立つ。


「エンフォーサーがまだ起動していたとは想定していなかったよ。ああ、そうか。非常電源設備が使われた形跡を感知していたが、お前の仕業か。ふん、ここでは不利……」


タルロスはそういうと、シラツユと共に扉の内部に溶け込むように消えてしまった。


「シラツユっ」


 巨大なコンピュータの稼働音だけが静かに響く冷たい部屋で、クロハは木刀を床に突き立て、歯を食いしばることしかできない。


「クソっ、俺は……。俺は何もできなかった……」


「ラピス・ラズリ、あなたが持ってきたのね」


 アンドロイドの少女はそう言ってクロハに近づく。彼女の瞳に宿る青い光は、ナイジェルのそれと同じだった。


「お前は……ナオか?」


「どうして、私の通称を知っているの?」


「やっぱり、そうか。ナイジェルに会ったんだ」


「そう。彼はまだあの場所に……」


「お前が帰るのをずっと待っている」


「この世界を滅ぼしたのは、人間であり、そしてアンドロイドだということさえ、彼はもう忘れていることでしょう。電子頭脳に保持されている記憶は少しずつ、だけれど確実に劣化していく。壊れた記憶は、理性や人格こそ保つのだけれど、目的や意図を見失い、その後はただ信仰に従うのみ。私たちはそうプログラムされている」


「お前はさっきのアンドロイドとは違うのか?」


「私はアンドロイドを排除するために作られたアンドロイド。正式名称はヒト型一般意志執行インターフェイス。人類はエンフォーサーと呼んでいた」


「この世界が消滅したのはバイオ戦争だって、そう聞いていたが……。人間とアンドロイドが世界を滅ぼしたって、いったい……」


 ナオは少し考えている様子だったが、ゆっくりと話を続けた。


「バイオ戦争、なるほどね。そう、アンドロイドが作った生物化学兵器と、人類が作ったコンピューターウイルスとの戦いだったと言ってもいい。高い技術力を有しながらも信仰を、そして神の存在を重んじた人類は、合理主義のもとに神をないがしろに……、いえ、むしろ神を自称したアンドロイドと長きにわたって戦争を続けていたのよ」


「そうだったのか……。そして世界が。世界が消えた」


 クロハは木刀を背中にしまうと、ナオに向き直る。


「シラツユを助けたい。協力してほしい。お願いだ」


「もとより、そのつもり。タルロスを追うわよ。私も星の中心に行かなくてはいけなので」


「星の中心……」

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