ハイセツ!

真賀田デニム

ハイセツ!


「タンマアアアァ」


 ギュルオオォと腸が悲鳴を上げたそのとき、私はタンマを要求した。


「は?」


 口を半開きにした高坂こうさか先輩が呆気に取られた表情を浮かべる。

 それもそうだ。話があるって屋上に呼び出しておいて、「あの……」って話し始めた途端に眉間に皺を寄せた面でこっちからタンマを要求したら、誰だってそんな顔になる。


「タ、タンマって、ちょっと待ってって意味だっけ?」


「そ、そうです。……ち、ちょっと待ってくださってもよろしい、でしょうか?」


 駄目だ。お腹が痛すぎて変な日本語が出る。

 ここは一旦、退却して改めて出直したほうがいいかもしれない。


「ところで七種さいくささん、顔色悪いけど……ってゆーかすっごい苦しそうだけど、大丈夫っ?」


「え゛? ぞうですか?」


 いや、そうだろと心中で自分に突っ込む私。

 その瞬間、“出直したほうがいいかもしれない”から、“出直す”に決定される選択肢。

 とてもじゃないけれど、伝えるべき言葉に気持ちを乗せられるとは思えない。

 というより、言葉そのものがすんなりと出そうにもない。

 は出るかもしれないけれど。


「あの、七種さんっ。タンマ中悪いんだけど、実は俺からもはな――」


「あーっごめんなさい今ちょっと無理ですほんとごめんなさいまたあとでお願いします失礼しまーすっ!!」


 私は高速お辞儀を五回繰り返すと高坂先輩に背中を向ける。そして脱兎だっとの如くという例えが相応しい勢いで屋上から去って行った。


 こうして、私の初めての告白は腹痛によってとん挫したのだった。


 もう、最悪うううううううっ!!



 〇△□



「で、結局、告白せずに戻って来たと」


「う、うん」


 生徒達で賑わう昼休みの教室。眼前の机に両肘をついてその手に顎を乗せるのんちゃんは、眼鏡の位置を直すとそう口にした。

 その表情から読み取れるのは、せっかく手紙まで書いて呼び出したのに何やってんだかという呆れだ。


「それで? できなかった理由はなんなの?」


「いやー、それが緊張からお腹がキリキリと痛んでもう告白どころじゃなくってさ、はは」


 私はお腹をさする。

 それを見るのんちゃんが、体を若干のけ反らせて「くさい」と鼻を押さえた。


「この歳で漏らさないよっ! もう、のんちゃんのバカ」


「知ってる。からかってみただけ」


「やっぱり、のんちゃのバカ」


「でも腹痛ってお弁当の何かが当たったの? 普通、緊張だけでそこまで痛くなるかな」


「うーん」


 お弁当は母親が作ってくれたものだから、それはないだろう。

 というのも一度、母親自身が食中毒になったこともあり、お弁当の具材には相当、気を使っているからだ。なら原因はなんだろうとなると、やっぱり極度の緊張以外にはないような気がする。


 それを伝えるとのんちゃんは、


「まあ、腸が働き過ぎちゃう人もいるからね。はるかの腸もそうなのかも。で、トイレ行かなくていいの? 早く出してきなよ。ビッチャビチャの緩いうんち」


 などと口にする。

 ためらうこともなく淡々と。委員長然としたはっきりとした口調で。


「ずばっと言わなくてもっ! ……あれ? そういえば告白を止めた安堵感から切羽詰まった状態ではなくなったかも、私の腸」


「とは言え、溜まってるのだから出したほうがいいに決まってる」


「うーん、でも学校で“だい”のほうかぁ。ちょっと勇気ないかも。のんちゃんだって学校ではしずらくない?」


「いや、私はうんちそのものをしないから」


「いつから国民的美少女アイドルになったのっ? のんちゃんっ!」


「この世に生を受けたときからに決まってるだろ。そうだ私は生まれたときからうんちをしない。それ以前にうんちを生成することすらしないのだ、ははは」


「よっ、パーフェクトヒューマンっ!」


「うんち、しない、ぜったい。ははは」


 委員長然。

 つまりのんちゃんこと、柊花音ひいらぎかのんはこのクラスの委員長だ。

 うんちを連呼して私とバカをやっているけど、正真正銘の委員長だ。

 

 いや、バカやってる場合じゃないってっ。


 私は脱線した話を元に戻す。


「真面目な話、やっぱり出したほうがいいのかな?」


「それは当然、勇気を出して恥ずかしがらずに出すべきだよ。じゃないと今日中の告白だって無理になるんじゃない? それとも明日にする?」


「それはダメっ。告白は今日中が絶対だよっ。だって今日は大安で、『お目覚めテレビ』の占いでも二月生まれの人は恋が成就しちゃうかもってあったし、それに朝から牛乳をジョッキ一杯飲むと運気も上がるって言っててちゃんと飲んできたしね。ああ、それと思わぬところで好きな人と出会う可能性大とも」


「別に告白はお祝いごとじゃないから大安は関係ないし、テレビの恋占いほど適当なものはないし……って、ちょっと待った。最後の一個前、なんて言った?」


「え? 運気が上がるから、朝から牛乳をジョッキ一杯飲んできたってこと?」


「腹痛の原因それじゃん」



 〇△□



 午後一発目の現代文の授業が終わると、私は体を後ろに向ける。

 後ろの席ののんちゃんと話すためだ。

 

 ちなみにまだ、“だい”のほうはしていない。決心をためらっているうちにお昼休みが終わってしまったからだ。

 で、現代文の授業を右の耳から左の耳へと聞き流しながら至った結論は、“まだ悩んでいる”だった。


 それをのんちゃんに伝えると彼女は、


「休み時間の今、行くべきだよ。でないと次の授業で手を上げてトイレタイムを願い出ることになるかもよ」


 と、左のほうで喋っている男子達をちらりと見た。

 そこにいる男子の一人は、誰かが授業中にトイレタイムを申し出ると必ず「何、うんこ?」と大声で聞く、デリカシーの皆無な奴だ。

 申し出るのが男子しかいないので今までターゲットは男子のみだったけど、女子にも言わないとは限らない。


「それ、公開処刑になる予感しかないじゃんっ! やっぱり今行くしかないかな。……でも……うぅ、勇気が出ないよぉ」


 どうしても乙女の恥じらいが邪魔をして、意を決することを妨げる。

 中学生の女子が学校で“大”をするなんて、そんな勇猛果敢なことはなかなかできることではないのだ。

 それはのんちゃんも分かっているのか、


「まあ、ハズイっちゃ、ハズイものね」


 と理解を示してくれた。

 そのとき――。


「あ、ちょっと私、モリモリうんちしてきまーすっ」


 そんな声が響きわたった。

 水を打ったように静かになる教室。でも、その声を発した女子が誰か分かると、


「なんだぁ、お前か」

「おう、しっかり出してこい」

「一本繋がってたら写メ撮ってきて」

「消臭剤は大丈夫? 私いいの持ってるわよ」


 という声があちこちから聞こえてきた。

 すると、のんちゃんが私の耳に囁いてくる。


「ああ、そういえばいたわね。うんちをするという羞恥しゅうちを堂々たる態度で完全に吹き飛ばす、通称『勇者』、堂珍香苗どうちんかなえさんが。遥も堂珍さんのようにストレートに言ってみれば?」


「無理無理、絶対無理だよっ。あれは豪放磊落ごうほうらいらくな堂珍さんだからこそできる技であって、私には絶対無理っ!」


 そんな堂珍さんがクラスメートに、戦いに送り出される村一番の戦士かのように声援を受けながら教室を出ていく。

 そして彼女が、爽快な顔をして戻ってきたところで休み時間は終わった。



 〇△□



 六時間目の数学の授業が終了。

 チャイムの余韻を聞きながら、私はのんちゃんのほうへ体を向ける。


「耐えたっ、耐えたよぉ、のんちゃんっ」


「よしよし、よく手を上げなかったね。ただ我慢し過ぎで体から臭ってきてるかも」


「えっ、ほんとっ!?」


 私は、腕やワイシャツの胸元の隙間に鼻を近づけてクンクンする。

 今朝、付けてきた香水の匂いしかしなかった。


 「ぷっ、うそだよ。あ、ちょっと遥、見て……」


 からかうのんちゃんに一言言ってやろうとしたところで、彼女が目線を教室の中央へと向けた。


 五人の女子がおしゃべりしているのだけど、なんだか五人揃ってそわそわしている。

 その光景を見て何かを思い出しそうになったとき、五人の女子が頷き、そして全員で廊下へと出ていった。


「……行ったわね。『連れ便ファイブ』」


 そうだ。彼女達五人は“だい”のほうをするとき、いつも一緒に行く『連れ便ファイブ』だ。

 みんなでいけば怖くない的な心理を[みんなですれば恥ずかしくない]として運用している、“大”の排泄ミッション用のパーティー。


「あ……っ」


 私は思わず椅子から腰を上げる。

 でもそこから先の行動は取れなかった。

 さほど親しい間柄ではないあの五人達に、「私も一緒にいいですか?」などと言うことなどできなかった。


 私が再び座るとのんちゃんが肩にポンと手を置いた。


「まあ、賢明な判断だと思うよ。『連れ便シックス』より『連れ便ファイブ』のほうが語呂もいいからね」


 いや、そういう理由じゃないんだけどっ。


「あ、遥。あの子、えっと臼澤うすざわさんだっけ? 多分うんちよ、ほら」


「え?」


 “大”の排泄に行く生徒の察知能力に長けているのか、のんちゃんが続けてそんなことを言う。

 見ると、臼澤さんがスッと席を立って音も立てずに廊下へと出た。


 臼澤さんは相変わらず存在感が希薄で、今日学校にいたんだと今更気づいた私だった。そして思い出す。臼澤さんがそのモブ的な空気感から『透明人間インビジブル』と呼ばれていたことを。


「ここが最後のチャンスだよのんちゃんっ。私、臼澤さんと一緒に行ってくるねっ」


 私は再度、立ち上がる。

 でも――


「それは彼女のインビジブル効果にあやかろうとしてのこと? でも彼女の能力は彼女自身にしか作用しないでしょ。遥の排泄行為には影響を与えないと思うけど」


 それを聞いて僅か五秒で着席することとなった。

 焦りの気持ちからそんな当たり前のことに気づかなかったらしい。


「ううう、この休憩逃したらもう放課後しかないよぉっ。でも放課後だってみんなすぐ帰るわけじゃないし……ど、どうしようっ のんちゃんっ!」


 放課後に再び告白予定なのだけど、悠長に生徒が減るのを待っていることなどできない。

 そんなことをしていたら高坂先輩だって帰路に就いてしまう。

 

 半ば錯乱状態の私。

 すると、のんちゃんが「あっ」っと声を上げた。


 「どうしたの、のんちゃん?」


「解を見つけたのよ。遥の“今日中にうんちしちゃうぞ♪”作戦のベストな解を。この休憩中はもう時間的に無理だから、放課後になった瞬間に動いてもらうことになるのだけど、その解とは――……」



 〇△□



 ふううぅ。


 せき止められていたモノが全てなくなり、私の心は一気に晴れ渡る。

 つまり私は無事、出すものを出すことができた。

 学校での、“大”の排泄ミッションを終えることができたのだ。


 ところで、このトイレの存在を教えてくれたのんちゃんには感謝しなければならない。

 そのトイレとは、存在もほとんど知られていないのだけど、どこの学校にも必ずある職員用トイレだった。


 例え知っていてもなかなか来ないよね、職員用トイレって。なんか生徒用のトイレより清潔感もあるし今度からはこっちにお世話になろっかな。


 と考えたのだけど、教師に見つかったら怒られる可能性もあるので、今後は控えよう思う私だった。


「ふう、次が大事だぞ、私。すっきりして終わりじゃないんだ。――よし」


 私は身だしなみを整えながら、鏡の自分に発破をかける。

 気持ちは完全に告白モードに切り替わっているけど、それに付随する腹痛はもうない。

 あとは高坂先輩に思いの丈を、それこそすっきりするほどにぶつけるのみだ。


 その高坂先輩はまだ学校にいるだろうか。

 お願いだからいてくださいと祈りながらトイレを出る私。

 すると、同時に男子トイレから出てきた誰かと鉢合わせた。


「「あ――」」


 同時に声を出す。そしてお互いの顔を確認したとき、私もそうだけど彼も息を飲んだような気がした。


「え……こ、高坂先輩? えっ? えっ?」


「さ、七種さん? あれ……マジか、これ」


 本当に高坂先輩だった。


 やだ、ちょっとなんでこんなところでえええええっ!?


 高坂先輩と職員用トイレを出たところで会ったという現実が、羞恥の感情を呼び起こす。

 生徒用トイレではなく、敢えて職員用トイレで用を足すということが、イコール“大”の排泄を嫌でも連想させるからだ。


 自分でも分かるほどに顔が赤くなる。

 多分、その顔は熟れたトマトのような状態になっているだろう。


「こんな場所で会うなんて奇遇だね。お互い、その、なんだろ。腹の調子が悪かったんだろうね」


 高坂先輩は柔和な笑みに恥じらいを乗せて、そう述べる。

 

 そうだ。

 私だけではない。

 高坂先輩だって職員用トイレから出てきたのだから、その使用理由は私と同じはず。

 同じ仲間――。その結論に至った瞬間、私と高坂先輩の間にあった垣根がなくなったような気がした。


「そうなんですよっ、朝から牛乳たくさん飲んだせいでお腹が痛くなって、でも生徒用トイレでするのは恥ずかしくって、それでここに行き着きました」


「ああ、同じだね。俺もそんな感じ。やっぱり知られるのは恥ずかしいもんね。あいつ今してるぜって思われたくはないよね」


「はい。だからこそずっとできなくて、どうしよーって悩んでいたら、この職員用トイレの存在を友達に教えてもらって」


「俺は最初から知っていたけど、一応教師用ということもあって行きづらくて、でもそんなことも言っていられなくてね。……でもそっか。あのとき七種さんがタンマしたのは、腹痛が原因だったんだね」


「はい、お腹が痛すぎてとてもじゃないけど告白どころじゃなくって、思わずタンマしちゃいました」


「え? 告白?」


「あ」


 勢いによってそのまま言ってしまった。

 正に痛恨のミス。

 得も言われぬ微妙な空気が充満する。


 もうこなったら言うっきゃない。

 こんな職員用トイレの前で言うつもりはなかったけど、言うっきゃない。


 鳴りを潜めていた恥じらいの感情に押しつぶされそうになる前に、私は高坂先輩に告白をしなければいけない。


「あ、あのっ、高坂先輩っ! こんな場所であれなんですけど、あの、私――」


「ちょっと待って七種さん。さきに俺から言わせてほしい」


「え……?」


 私の告白を制止する高坂先輩。

 その表情は真剣そのもので、でも若干頬を赤らめていて――私はトクンっと鼓動が高鳴るを感じた。


 そういえば、高坂先輩はなんで私の苗字を知っていたのだろう。

 私は好きになった先輩だから名前を調べたのだけど、高坂先輩はどうしてなのだろう。

 今朝、屋上で会ったのが初めてなのに、なぜなのだろう。


 それと、高坂先輩も私と同じってどういうことなのだろう。

 もしかして朝の占いを見たところから同じってことなのだろうか。

  

 だとしたら占いの最後にあった、っていうのは、もしかしたら――。




 了 

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