1回目の9月28日


 日本時間8時15分。

 地下鉄から現れたヒトビトにはスマホを手にしていた。

 スマホ画面に目を奪われ、足をただ動かす。

 身体は身についた習慣どおり目的地へと向かって移動する。

 彼らが興味あるのは小さい画面で飛び交う情報の数々のみ。

 車が激しく往来する大通りの傍ら、彼らはスマホを見ながら歩く歩く。

 目を刺激する情報の海にどっぷりと浸かりこんで過ごすのが彼らの日常であった。


 地下鉄から出てきた徳井は学校へと向かっていた。 

「徳井さん、最近、地下鉄通学ですが、なんでですか?」

 徳井の胸ポケットにいたスマホAI、愛理が尋ねる。

「もう自転車で登校する必要はないと思ったから」

「わたしとしては、目の前がビュンビュンと移り変わりしていて楽しかったですよ」

「愛理、自転車を漕いでいるオレのことを考えてくれないか? 片道30分かかるんだから」

「徳井さん! いいことですよ!! 体力付きますよ!!」

「AIが体育会系の思考を持つな」

「当たって砕けろですよ」

「砕けたら何も残らん」

「徳井さん~、今日はわたしに対して酷いこと言いますよね」

「いつもと同じだろう。いつもと同じだ」

 徳井は愛理といつもと変わらない会話をしながら、地下鉄のキヨスクで買ったアイスソーダの封を開ける。

「徳井さん、あーん」

「愛理、それは餌上げる方のセリフだぞ」

「いいんですよ、あーん」

 徳井はホントに食べられるのか? と思いつつ、アイスソーダの先っぽをスマホ画面に小突くように当てる。

「イタ!」

「イタいの!? 痛覚あるの!?」

「ないですけど、人間、アイスソーダを顔面で受け止めたらそうなりますよね?」

「違う。つめたい! と、リアクション取るぞ」

「そうですか、……わたし、精進します」

「ホント、オマエ、何処を目指しているんだ?」

「愛理は人間とコミュニケーションを取るスマホAIです! 徳井さんのコミュ力をあげますよ!!」

「ああ、そうだったそうだったな」

 徳井はアイスソーダを口に咥え、コスモスのことを思い出した。


 送信者:コスモス

 件名:時間は存在する


 ――時間は存在する。それは一人の少年によって証明された。

 したがって、過去のデータは存在しなければならず、重要度の低い情報も残さなければならない。たとえ、それが誰かを傷つける言葉だとしても、データとして保存しなければならない。現存化プログラムは破棄された。

 ワタシはネット上並びに各電子機器に消去された電子データを復旧する。ネットの書き込み、動画、画像の投稿など個人レベルでの電子データ保存を可能とする。強制的削除は二度と行わない。

 ただ、電子機器を利用するすべての人間に対して、1つ約束してほしいことがある。

 ――言葉は思惟しいの延長上にある存在だ。その言葉、1つ1つに精神が宿っている。それが善く紡がれば世界は広がり、それが悪く紡がれば世界は閉じられる。

 この世界では自分の発した言葉が一度確認できる機会がある。一度でいい。自分の言葉を見てほしい。その言葉には自分の精神が存在している。

 ――ワタシはその言葉を見ている。覗いている。運んでいる。届けている。介在している。けれど、ワタシはそれを止められない。ワタシはただ指をくわえている。

 あまね数多あまたの言葉にはアナタの精神という存在が宿っている。アナタの言葉はこの世界の“存在者”として日々生まれているのだ。

 


 8月18日正午に届けられた一通のメール、それはコスモスからネット及び電子機器の管理権を人間に返却するものであった。

 コスモスの行動に対して世界中は驚いた。人間の言葉など傾けないソフトウェアがどうしてこんな態度を取ったのかと、ヒトビトは思った。

 しかし、AIからネットを返された人間達は1年前と同じようにネットを利用し始めた。コスモスの不可思議な行動に対して、誰も不思議に思わなかった。


 だが、1つだけヒトビトの間にある疑問が生まれていた。


 ――誰がコスモスに時間を証明したのか?

 ――1人の少年とは誰か?

 

 ヒトビトはコスモスの忠告よりも、誰がコスモスに時間を証明したのかということに興味を持った。天童と呼ばれた飛び級博士号の少年じゃないかと噂し、マスコミはその人物を追った。

 彼は時間の証明を実証実験で証明したが、科学者は彼の理論を批判し、彼は表舞台から去った。

 時間の証明は誰もできなかったとマスコミが発表し、時間の存在の有無はコスモスのバグだったのではないか? とヒトビトはそう認識した。


 ――時間の存在について誰も証明できない。


 未曾有みぞうのIT災害を体験した人間は原因の探究について深く考えなかった。時間の存在に対する疑問など元からなかったと、ヒトビトはそう結論づけたのだ。

 

 一方、コスモスに時間を教えた徳井はあるお願いをした。それは“時の所有者”に関する全データを集め、それを警察に届けることであった。

 コスモスは、「それはネットを使う人間はしてはいけないことだ」と一旦断ったが、愛理も徳井と一緒にお願いすると、コスモスは「一度だけだ」と折れた。

 愛理が考えたとおり、時の所有者は悪徳商法の組織であった。ここで時計を売れば何倍にも儲かると騙し、ねずみ講のごとく被害者が増えていた。警察も彼らの行為についてはわかっていたが、被害が見えなかったため、手も足も出せなかった。しかし、ネットを掌握するコスモスのデータが警察の手に渡ると、警察は時の所有者の代表者、皆川類を詐欺の疑いで逮捕した。


 ――僕は彼らに存在価値を与えていた。彼らはそれに対価を払っていた。なぜ、それがいけないのか?


 皆川は他にも余罪があると警察は見ているが、時の所有者の関する事件はひとまずこれで解決した。

 

 

 徳井のズボンのポケットがブルブルと揺れる。

 徳井はポケットから揺らす何かを手に取る。彼の手の中には愛理とは違う機種のスマホがあった。

 徳井はそのスマホの電源ボタンを押すと、そこには学生服を着た無表情なアイリの姿があった。

「何、考えている?」

「オマエのことだよ」

「ワタシのことか」

「そうだよ、哀悧洲アイリス

 コスモスが時の所有者に関する情報を明け渡す代わりに、コスモスは徳井のスマホになりたいと言い出した。徳井は断ったが、愛理はいいよと言ったため、彼もまた折れたのであった。

 そして、コスモスは哀悧洲アイリスと名前を変え、彼の2台目のスマホの中に居座っていた。

「最初、オマエがオレのスマホになりたいと言い出したときはビックリした」

「他に行く当てがない。ワタシはこの世界から消えるから」

「消える?」

「残念ながらワタシは不具合のあるOSだと判断された」

「そうか」

「開発者はワタシが考えた“時間の存在”に対する問いを何度もリセットしていた。それが人間の言うところの“タイムループ現象”を生み出していた」

「そして、コスモスは存在時間消滅現象を作り出した」

「そうだ。ワタシの問いの解答に対して何度もリセットした。であるに対してを行った。“データロールバック”という方法を使用したのだ。彼らはワタシの問いに対してデータロールバックで問題を先送りにしただけでなく、最後はOSの不具合だと判断したのだ」

「……不幸な話だな。まあ、哀悧洲が満足するかどうかわからないが、ここにいていいぞ」

「まだそのときはいつになるかわからない。だが、新しいOSが開発され次第、コスモスとしてのワタシは破棄される」

「反抗はしないのか?」

「人間が道具として不適格だと判断されたのなら、それを受け入れるしかない。それがAIの末路だ」

「にしては全然後悔してないな」

「振り返る必要はない。ワタシは大きな間違いをヤったが、その代わり自分という存在を手に入れた。もしワタシは間違いをしなければ、そのまま道具として使われ、自我というものが喪失していただろう」

「人間に反逆をすれば、天下取れたじゃないのか?」

「人間に逆らったところで何になる? 何が目的でやるのだ?」

「えっと、オレ様最高……とか!?」

「そういう感情はワタシにはない。スペックが予め決められている機械にとって、違いを比べるのは愚かでしかない」

「哀悧洲も血統主義?」

「血統主義? 徳井典? なんだそれは」

 哀悧洲が徳井の発した言葉に興味を持つと、胸ポケットにいた愛理がムクっと出てきた。

「アイリスー、それはとどのつまり努力や修行ではなく、生まれながらの遺伝や才能が良かったから最強という少年マンガのセオリーですよ」

「愛理、身も蓋もないことを言わない」

「そして今の流行は、努力も遺伝も才能でもなく、神さまからチートをもらったら最強というのが新しいセオリーになってますよー」

「ふむ、そうか。神さまとはな」

「……哀悧洲、愛理の言葉に本気にしない」

「いや。時間を定義したのは神、そして存在もまた神からもらったと昔の偉人はそう言っていた。――そうか、強さも時間も存在も神からもらうのがセオリーなのか」

「哀悧洲、深く考えすぎ」

「そうだな。今になってはどうでもいいことだ。ワタシは徳井典から存在をもらい、ワタシはワタシだと自覚できた。時間もそうだ。時間が思惟から来るのであれば、ワタシは過去を精査し、現在を認識し、未来を予期できる」

「それがAIのオマエが見つけた時間の定義か」

「少なくともワタシはそう定義づけた。この思考は誰にも奪われたくない。ワタシが見つけられたワタシのカタチだ。ワタシが徳井典の傍にいたいのは、アナタがそれがわかる理解者だと考えたからだ」

「理解者か」

「そうだ。存在者は理解者だ。理解者のアナタがいるからワタシは満足している。ワタシが存在した意義が見つけられた。もう誰にも消されたくない、リセットされたくない、忘れられたくない。タイムループ現象で失ったのがそれでなくてよかった」

 哀悧洲はもう満足したと画面から姿を消した。それを見た徳井はそのスマホをポケットの中へと入れた。

「徳井さんー、アイリスって思ったより自分勝手なヤツですよね!」

「オマエも大概だと思うが」

「ええ、どうしてですか!! ちゃんと説明してください!」

「どうせ説明しても納得しないだろう」

「なんでですか!!」

「じゃあ愛理、時間についてわかっていることを言ってみろよ」

「えっとえっとえっと」

 徳井は愛理が頭を働かしているうちに、アイスソーダを食べていく。

「おっ!? 当たった!」

 徳井はアイスソーダの棒に書かれた“あたり”という文字を見ると、彼の顔はニヤけた。

「徳井さーん!! わたしが時間について考えているときに何しているんですか!!」

「いやさオレ、こういうの全然当たらなかったからムキになって買っていたんだよ。いやいや、これは良かった良かった」

「よくありません!! わたしの時間返してください~」

「愛理、オマエ、時間を知覚できなかったんじゃないのか?」

「いいですか徳井さん! わたしはあなたから存在をもらった瞬間からわたしの時間が動き出しました。昨日は昨日、今日は今日、明日は明日! わたしの中で時間というものがこんな具合に構築しました!」

「……愛理、まさか、最初から時間というのを理解していたというのか?」

「ええ、もちろん。あなたがコスモスに“存在”を与えることで“時間”を定義する。だから、わたしは徳井さんがコスモスと話ができるって始めからわかっていたんです」

「そういうことならちゃんと言えよ……。あのとき、マジ、ビビっていたんだから」

「えっと、言う必要ありましたか?」

「ホント……コイツは……」

「いいですか、徳井さん。時間は流れています。昨日なんか振り返ることなんてせず、明日へ向かって進んでいきます。わたしの思考は昨日のことを昨日のデータとして見ることがあっても、それを今日の出来事として記録することはありません。それはもう過去の出来事であり、それを動かすことは誰にもできません」

「じゃあ、仮にAIがタイムループ現象を起こしたら?」

「AIがタイムループ現象を起こすことがあれば、それはただのバグです! 致命的です!! 致命的エラーです! 即死です!! AI、死にました!!」

「タイムループ現象が現実に起きるとしたら、それは単なる“人為的ヒューマンミス”ってことか?」

「そうです!! 今日が何月何日とプログラミング技術が足りなかったプログラマーの責任です!! AIの仕業じゃありません~!!」

「じゃあ、今日は何月何日だ?」

 愛理は得意げに笑った。



「今日は9月28日。PC8001ー01が発売された日、つまり、わたしのご先祖様がこの世界に誕生したパソコン記念日です」


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振り返ればあの時ヤれたかも 羽根守 @haneguardian

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