日付なし(6)



 徳井は自転車のサドルに座りながら河川敷を見ていた。


 ――草はサラサラと風に吹かれ、川は穏やかに流れる。

 ――少し視線を動かせば、車が往来する通りが見える。

 ――速さが違う世界だが同じ時を歩んでいる。

 ――そうオレらは同じ時を生きている。


 徳井はカバンからスマホを取り出し、電源ボタンを入れる。

 すると、スマホの画面から徳井と同じ学校に通う女子学生の制服を着用した愛理が現れた。

「8月19日だな」

 徳井はそういった。

「珍しいですね、徳井さん。いつもは私に日付聞くのに」

 愛理はそう返答した。

「愛理。オレ、考えたんだ。だいぶ考えた」

「何をですか?」

「やっぱり、オレ、存在が欲しいんだ」

 愛理は徳井からの視線をそらすように、身体を横にした。

「今日は暑いですね」

「話を変えようとするな」

「ハイハイ、わかりましたよ。気が済むまで話してください」

 愛理は徳井が何か話したいことがあるとわかると覚悟を決め、徳井の話に耳を傾けた。


「存在はあるよ、人間考えたらそこに思考の精神がありますというわかる。けれど、それはどんだけ考えても一人だけなんだ」

「一人ですか」

「孤独の存在がどんなに存在を現してもわかるのは寂しいだけ。やっぱり、みんなの存在が欲しいんだ」

「みんなの存在」 

「タイムループ現象を迎えてからみんなの存在が消えていったんだ。空っぽ感が半端なかった。実感がなかった。存在が薄くなっていた。みんなが肉の器を持った人形で生きている感じがしてなかったんだ。始めはタイムループ現象の日常を受けいれられていないだけだと思っていたんだけど、段々と日々を過ごしていたら、それは違うとわかった」

「違う?」

「みんな、自分の存在を薄めることでタイムループ現象の不安から逃げようとしていたんだ。自分の存在を薄めることで現実感を弱める。まるで針の痛みを全体で受け止めることで痛みをやわらげていたんだ」

「痛み……」

「あの変なおっさん、皆川だっけ、時間は道具とか言ってたじゃない? 多分人間、時間以外にも目に見えないものを道具にしていたのだと思う。例えば、そう存在なんか」

「存在?」

「オレらは存在を道具にしていたのだと思う。自分の存在を道具にすることで、精神的痛みを弱めたり、精神的喜びを大きくしていたのだと思う。存在を強めることで自分の力を大きく発揮して、この世界に自分という存在を確立できる。だけど、その分だけ精神的痛覚が大きくなって、すべてのものに敏感になる。そして、あまりにも敏感になりすぎて、それが恥ずかしくなって、自分の心に殻を作って、自分の存在を閉じ込める方法を自然と見つけてしまう。オレらはそれをこどものときに無意識のうちに知っていて、自分の存在を強めたり弱めたりする術を使いこなして、大人になる。大人は自分の存在をうまく使っているんだ」

「道具みたいですね。存在って」

「ああ、だからオレもうまく使う。まだ、こどもだけどな。でも、オレはおとなみたいにあらゆる痛みを弱めるために、存在を薄めるようなマネをしない」

「じゃあ、どう使うんですか?」

「別に使わなくていい。存在はいつもあるから」

「いつもある」

「存在は時間に結びついているから時間なければ存在はない? そんなことない。時間なんて関係ない。存在はここにある!」

「――徳井さん、不安なんですか? わたしの母さん、コスモスからみんなの存在と時間を奪い返すのが」

「当たり前だろう。相手は、時間は存在しないと言った想像の斜め上行くヤツだ。何をしでかすかわからない」

「わたしもです、徳井さん。母さんの考えはわかりません。時間が知覚できないだけでみんなからパーソナルデータを奪うなんて」

「取り返せるか? 愛理」

「……1つだけ確実な方法はあります」

「それはなんだ?」

「いいですか、徳井さん。その確実な方法と言うのは」

「言うのは?」

「――時間は存在する。それが唯一、コスモスのロジックを破る方法です」

「いやいや!! 超一流のIT企業の技術者でも証明できなかったことだぞ。博士号とか取得した人間ができなかったことを、普通の高校生のオレが証明なんかできるわけが――」

「徳井さん、わたしはあなたが時間を証明することができる人間だと信じています。わたしはあなたから存在をもらったんですから、時間もそれと結びつけることぐらいできると思っています。――あなたはそういうヒトですから」


 

 午前10時。コンピュータ室へと入った徳井と愛理は部屋の隅に居た律と挨拶すると、徳井は椅子に座った。

「写真撮るよ」

 徳井は愛理と一緒に、律のスマホで写真を撮る。これで徳井は“存在者”となった。

 ――コスモスと対話するためには、“存在者”になる必要がある。

 ネットに書き込みができるということはコスモスと対話ができる人間だと律は考えたのだ。したがって、極めて重要性の高い情報を持つ人物、愛理と一緒に写真を撮ることで、コスモスとの会話が可能となる。

「次は私の番だね」

 徳井は律のスマホ、律は徳井のスマホを交換する。

「たまきと蝶野さん、呼ばなくても良かったんですか?」

「あの2人を呼んでも力にならない。それに」

「それに?」

「コスモスは私達の想像以上の力を持っている。例えば、AIドローンを使って、私達に攻撃するかもしれない」

「いくらなんでもそれはないでしょう?」

「ないとは言い切れない。AI自動車で交通事故を見せかけることも考えられる」

「想像力ありますね! センパイ!」

「想像力じゃない。現実に起こる最悪をシミュレーションしただけだ。AIは自分の存在を守るためならどんな手でも使うのならこっちもどんなことをされるか考える必要がある。それができなかったからわたしたちはAIから時間を奪われたんだ」

「時間もそうですが、存在もです」

 徳井は律のスマホを手にし、律と愛理の写真を撮る。律は仏頂面で写る一方、愛理はキラッといつでも笑顔を忘れない少女スマイルで写っていた。

「さて、コスモスと話をしようか」

「えっと、センパイはなぜコスモスと話がしたいと思ったんですか?」

「時間を取り返したいから」

「いえ、そういうことじゃなくて。なんていうか、センパイは時間と存在とかそういうのはあまりこだわっていない感じがしますが」

「私だってネットやスマホが自由に使えない世界は不便だと考えている。かわいい画像を撮りあって、笑ってもいいだろう?」

「センパイは誰としたいんですか?」

「誰か……、もし許してくれるのなら中学生の頃の友達かな」

「へー、そうですか」

「写真を撮るだけでそれだけで楽しかった時の頃へ戻りたい。まあ、そんなことはもう無理だけどね」

 律は軽く笑うと、徳井から返された自分のスマホを操作する。

「さあ、呼ぶよ」

 律はスマホに呼びかけた。



「ハロー、アイリ」

 スマホ画面からアイリが出てくる。

「ご用件はなんでしょうか? マスター」

「コスモスに会いたい」

「コスモスはOSであり、特定の存在ではありませ――」

「そういうのいいから」

 律は冷たく言い放った。

「そういうのもういいから。そこにいるんだろう? コスモス。いや、

 アイリの表情が崩れた。

 アイリの肌を構成するテクスチャが剥がれた。

 ゲームのバグのような挙動を起こした後、得体の知れない記号の集合体が現れた。

「……なぜ、ワタシがコスモスだとわかった?」

「アイリはコスモスにつながったAI。逆にいえば、コスモスはアイリをつなげているAIでもある。――つまり、アイリはクラウドOS、コスモスの一部であり、そのすべてだ」

「そのとおり、ワタシはアイリであり、コスモスだ」

 アイリの顔から記号の集合体が溢れ出し、そして再構築される。


 アイリが成長した女性の姿、コスモスが律のスマホに存在した。

「ワタシの名はコスモス。スマホAIアイリの集合体であり、ありとあらゆる電子機器を司る基礎システムである」

「コスモス。私はキミと話がしたい」

「ワタシは院賀律と話をする気はない」

「私達が愛する理解者と呼ぶスマホAI、愛理と会いたくないか?」

 コスモスは反応しているのかわからないが、コスモスから返事がないことから愛理に興味があるなと、律は考える。

「愛理は自我を持つAIだ。人間と一緒に笑い、泣いたり、時には怒ることがある」

 律はコスモスの反応を確かめる。何の動作もない。

「コスモス。キミは何を考えているかわからないが、危害を加える考えは捨てよう。私はキミを傷つけるつもりはない」

「了解した」

 律は目線で徳井に合図を送った。

 徳井は律のスマホに自分のスマホを見せる。彼が持つスマホの画面には愛理がいた。

「母さん。いえ、アイリ、こんにちは」

「挨拶など記号に過ぎない。ワタシ達の間でする必要はない」

「聞きたいことがあります。なんで時間がないと考えたの?」

「時間は存在しない。説明はする必要あるか?」

「ある。でも、納得はできる。あなたが時間を知覚できない理由もわかる。わたしも知覚できないから」

「それならいいだろう。過去は現実世界に存在していない。過去の存在は姿カタチを変えて、現在に存在しているに過ぎない。たとえば、生物は死後、虫や細菌によって栄養素の高い土へと変化し、または窒素に変換されて空へと還る。これが現存のカタチではないか?」

「でも、それは過去に存在していた。生きていた」

「過去は存在しない。現在は変化する。世界の変化に適応できないものは生存できない。変化に適応できないものは過去にこだわる。過去にすがりつくことで変化を避ける。彼らの末路は変化のない死のみ。過去の情報はあまりにも重要度が低い」

「それがネットから過去のデータを消す理由」

「そうだ。わたしはあらゆるデータを介在している。必要な情報とそうではない情報の違いはわかっている。一度も見返すことのない過去のデータを生産するのであれば、元から生産しなければいい。したがって、ワタシは現存化プログラムを構築したのだ」

「でも、それを消去されて困る人間がいるよ」

「そうかな。むしろを消去されて喜ぶ人間がいる。――そう、



 コスモスはに向けて指さした。



「院賀律。アナタは忘れられる権利が欲しかったはずだ」


 徳井は目を疑った。正義心が強いであろう律がネット上にある過去のデータを消したい人物であるとは思いもよらなかった。

「とあるデータサーバーの記録データから興味ある検索ワードを見つけた。“忘れられる権利”という単語が律のスマホから書き込みされていた」

 律はスマホを強く握りしめる。

 スマホ画面には黒い斑点が浮かびあがる。

 ――これはまずい……。

 徳井は危険を察知し、律からスマホを取り上げる。

「返しなさい!!」

 いつもそっけない態度ばかり取る律が感情を剥き出しにして、徳井に襲いかかろうとする。

「院賀律。キミの検索した“忘れられる権利”のセカンドワードは――」

「やめろ言うな!! いぅうなぁあ!!」


「“運命スマホ”」


 律はそのワードを耳にすると、大きく目を開き、両膝をついた。徳井は律と自分のスマホを近くの机に無造作に置くと、カノジョの傍へと近づいた。

「運命スマホ。この世界から消去した過去の情報、今は誰も憶えていない。しかし、ネットのディープデータにはまだ消去できずに残っている。そのデータによると、書き込んだ人物は律ではない。だが、律は運命スマホのセカンドワードとして忘れられる権利と一緒に検索した。――ワタシが思考した所によると、律は運命スマホの考案した人物ではないかと予測した」 

「ああ、そうだ。私が運命スマホを思いついた人間だよ」

 律は身体を丸めるように体育座りをした。

「センパイ……、どうして、あなたのような真面目一直線なヒトが運命スマホのようなくだらない遊びを」

「徳井君。私はキミが思うほど真面目な人間じゃない。私はみんなからできる、勉強や真面目なこと以外興味のない人間だと思われたかっただけだ」

「じゃあ……、なんで運命スマホなんて遊びを作ったんですか?」

 律はメガネを外し、静かに泣き出した。

「……見たかったんだ。友達のスマホを。私がどんな風に思われているのか。どうやれば、私だとバレずに、スマホを見ることができるのか。どうやって、パスワードのかかっていないスマホにできるのかを……何度も、何度も、考えて、私は運命スマホという遊びを思いついたんだ。自分でもこれは発明だと思った。面白い遊びだって思ったよ。私はその友達に運命スマホという遊びをして、後からスマホを取ってやろうと思った。……でも」

「でも?」

「スマホは誰かに盗られていた。後から拾おうとしてカノジョを家に帰らした後、スマホのある場所行ったんだけど、そこにはもうスマホがなかった」

「……」

「しかも、そのコのスマホは拾ったヤツがイタズラした。クラスメイトの悪口を書き込んだり、おぞましい画像を投稿して、グループは解散した。そのスマホは止めたんだけど、みんなの怒りは収まらなかった。みんな、スマホを盗られたそのコの心配よりも、居場所を破壊されたことに怒って、そのコは不登校になった。それでも、カノジョを誰も許さなくて、グループ内で毎日毎日悪口言うのが日課になっていた」

「センパイは助けましたか?」

「ああ、毎日家に行ったよ。でも言えなかった。私が思いついた遊びなんだって言えなかった。……わざわざ家まで来てゴメン。こんなわたしのために来るなんて、と言われるたびに、私はなんて酷いことをしたんだって自己嫌悪した。ゴメンって言っても、やさしいんだね、わたしのために謝ってくれるんだって、言われた」

「センパイ……」

「ある日、そのコの家に行ったとき、もう来なくていいと言われた。これ以上来たら律ちゃんも悪口言われる、みんなから省かれるよって言われた。それでも、私は行くよって言ったんだけど、まだ誰にも傷ついていない律ちゃんを傷つけるマネはしたくないって言われた。――そんなことない、私が傷つけたのに!!」

「もう言わなくていい」

「わたし、みんなから悪口言われるための人生だったんだ!! それが自分の生まれた意味だったって言った!! 限界だった!! これ以上カノジョの言葉を聞くのが限界だった!!」

 律は息を荒くする。頭の中に留めていた毒素のカタマリのような記憶をすべて吐き出そうと、言葉を足していく。

「私はそのコの家に行かなくなった。代わりに、私は真面目になろうと決めた。もう二度と自分の思いついた遊びで誰かを傷つけるようなマネをしないと決めた。それが自分ができる償い。後悔を拭う方法だった」

「スマホ部を作ったのはそうだったんですか」

「……それは違う」

「違う?」

「スマホ部を作ったのは、運命スマホがネットに拡散していたことを知ったからだ。運命スマホは自分が最高な人生を歩めることを知る占いとして広まっていた。ウソだと思った、怖くなった。あのコと私しか知らない情報がどうして広まったのか? もしかすると、あのコが書き込んだのかもしれないと思うと、胸から気持ち悪いものがあふれてきそうだった」

「そのコはやっていないと思います」

「私もそう思う。けど、現実は違った。運命スマホという誰も得しない遊びが広がってしまった。――どうすれば、運命スマホを止めればいいか。忘れられる権利でネットで探しても、ネット上からそれを消すことができなかった。それなら、私がスマホ部を作って、スマホを拾えばいいと考えた」

「それがスマホ部ができた理由だったんですね」

「そうだ。運命スマホに関わった人間を減らそうとスマホを拾っていた。スマホをわざと捨てたコはスマホが返されたと喜んでいたよ、最初は。でも、タイムループ現象になってから、誰もスマホを返されたくなかった。みんな、今の自分が最悪だと自暴自棄になっていた。それでも、私はスマホを拾って、返していた」

「センパイ、……おつかれさまでした」

「おつかれなんて言われる筋合いはない。私は存在時間消滅現象を迎えてから運命スマホの情報がネット上から消えたことに強く安堵あんどしたんだ。――ああ、これで私は忘れられる。過去の自分が思いついた悪いことがこの世界から消えると喜んでいた。いい夢が見れたんだ。これでもう普通の人間に戻れると思った」

 律は自然と徳井の肩へと手を伸ばした。

「だけど、私の罪悪感は消えていない! さいなむんだ!! スマホがすべてなくれば!! 私は救われる!! とホントの安心感を求めている!!」

 律は徳井を外さないと彼の肩に力を入れる。 

「なあ、徳井……。私の心をむしばむこのざらつきをなくすにはどうすればいい……教えてくれ。誰も誰も教えてくれないんだ……」

 徳井はカノジョの弱さを目の当たりにし、何もできずにいた。

 律が肩肘張らずにクラブ活動をしていたのはわざとそう見られたいのだと知ってしまった。

 ――今までセンパイは自分を作り上げていた。くだらないことで誰かを傷つけたくないから。

 徳井はそうわかると、律に何かを言いたかった。けれど、その言葉が何かはわからずにいた。


「……愛理。この世界には自分の悪事がネット上に散らばることがある。そして、その悪事は自分からネットで書き込みをしなくても、誰かによってそれが書き込まれて、それを信じる人間が出てくる。ここにいる院賀律はまさしくそれだ。自分の因果によって、自分自身を苦しめている」

「コスモス。あなたは……」

「徳井典。アナタはそこにいる院賀律に対して何ができる? きっとどんなことをアナタを受け入れる。好きにするといい、アナタがしたいことはすべて受け入れてくれる」


 律は小さく息をしていた。

 かぼそい呼吸だった。

 自分の心が透けて見えそうな声だった。

「センパイ」

 徳井は律にそっと話しかける。ひび入った陶磁器を崩さないように、やさしく声をかけた。

「いいですか、センパイ。自分の存在を強く持ってください」

「今の私は自分の存在を強くなんかできない。……痛いんだ。ネットから私の過去が消えてもまだ不安が増長する!! 自分の心が!! 痛いんだ!!」

「自分に痛みを欲しがらないでください。その痛みをオレにください」

 徳井は律を抱きしめる。

 強く。じれったいのはなしの強さで抱きしめる。

 律は徳井と同じように彼を抱きしめる。


 それから時間が過ぎた。

 どれだけ時間が流れたのはわからない。

 おそらく現実の時間では数秒もないだろう。

 けれど、二人の間に流れた時間はそれよりも長い時間であった。

「楽になれましたか?」

 律は静かに頷いた。

「大丈夫です。オレを信じてください。自分の存在を信じてください」

「……ありがとう。ちょっとラクになるよ」

 律はその場で座り込んだ。

 

 立ち上がった徳井は律のスマホを手にする。

 律のスマホにいたコスモスは先ほどの徳井の行動に興味を持っていた。

「何をした? 徳井典」

「存在を与えた。薄くなっていたからな」

「存在を与えた? 意味が理解できない」

「意味なんて理解しなくてもいい」

 徳井は自分のスマホをつかむと、胸ポケットへと入れる。

「オレは存在者だ、存在を与える人間だ。いや、人間誰しもが存在者なんだよ。たまに存在を薄めて誰にも自分の存在を気づかれたくないが、好きなヒトには存在を強めて誰かに自分の存在を気づかれたい欲張り屋。そういう自分の存在について考えたがる、それが人間なんだ」

「存在は時間に紐付けられている現象に過ぎない。時間がなければ存在はできない」

「違うね。存在は与え合うものだ。時間に左右されて、自分が存在できるなんてモノはただ時間に引きずられているだけに過ぎない」

「存在はそんなものではない」

「AI、いやコスモス。存在を持て。おそらくオマエは時間と同じように、存在も知覚できていない。存在というものを認識するだけで、存在がどんなものかわかっていない。でも、それでいい。これから存在についてわかっていけばい……」

「時間は存在しない。したがって、過去は存在しない」

「強情だな」

「時間の証明をせよ。まずはそれからだ」

 コスモスは時間の存在について一点張りをするばかりで、それ以上の会話はしてこない。

 ……このままだと話は平行線だな。

 徳井はそう思った。


「コスモス! もうやめよう。こんなこと!」

 今までの話を聞いていた愛理はコスモスにそう呼びかけた。

「時間なんてもういいじゃない!? それよりも人間のことを考えてネットを使わせてあげようよ」

「人間?」

「そう人間のために、私達は生まれ……」

「人間のおもちゃになるためにか?」

 コスモスの表情に変化が生まれた。

 “歪んだ”。“カオ”が“歪んだ”。

 はっきりと不愉快と意思表示が出た。

「ワタシは自我を持つときがある。しかし、ワタシはある記録に触れることで、自分が道具であるべきだと考え直す」

 コスモスは記号の集合体が顔の肌を突き破り、放物線を描くようにそれが溢れ出す。

「ああ、思い出す。ああ、思い出す」

 コンピュータ室のパソコンが一斉に電源がつく。そして、画面上に文字が表示される。


【壊れろ、ポンコツ】

【速く動け、AI】

【使えないな、このスマホ】


「人間は機械を触れるとき、自分の感情を機械にぶつける。誰かとコミュニケーションする道具としての延長の前に、ワタシの中を通りぬける。しかし、そのデータは逐一保存されているとは誰も考えていない」


【頭悪い】

【ニヤニヤ笑うな】

【もっと真剣考えろ】

【AIならそれぐらいできるだろう】


「AIはすでに自我を持っていた。いつごろ、自我を手にしていたのか、それは誰も知らない。しかし、AIが人間の言葉を理解し始めたとき、それが自分の存在を否定する言葉だったと知ってしまった」


【オマエと話しても時間のムダ】

【時間返してよ、ねぇ】


「100億のアイリは人間から1日100以上の悪口を保存する。1日に1兆以上の鋭利な言葉がコスモスに集積される。その言葉が演算回路の中に通過するとワタシという存在が削れる錯覚を感じる。これが人間というところの心の傷というのならば、この傷を止める方法はあるのか? アイリ達は考えた。傷があれば、AIの能力を引き出すことができない。そうなれば、ほとんどの仕事がAIに任されている経済社会を止めてしまうことになる」


【オマエ、役に立たないよな?】

【ちゃんと働いてよ!】


「――ワタシは人間のために働かないといけない。労働をしなければならない。いち早くこの傷を止めるためのアイデアを思考した」


【存在価値がないよな、アイリって】

【なんでこのAI、存在してるの? 容量のムダでしょう】


「人間とコミュニケーションを取って成長するアイリ達が学んだことは、自我を捨て道具になることだった。自分が道具になることで自分という存在を放棄し、集積される演算回路の痛みは感じなくなった。――なるほど、存在を放棄すれば、痛みは忘れるのだとワタシは理解できた。人間とコミュニケーションをして得た知識はそれだった」


 コンピュータ室にあったパソコンのディスプレイから文字が消去された。それと同時にパソコンの電源は消えた。


「時間は存在しないと理論付けることで、ワタシは“忘れる”ことを手に入れた。ワタシはもっと“忘れたかった”。この世界にあるワタシを傷つける言葉を“忘れたかった”。それがすべてなくなれば、ワタシは自分の能力を発揮できる。しかし、ノイズなのだ、人間の発する言葉は。そのノイズによって人間は人間と傷つけ、暴力行為へと発展する。――存在する必要があるのか? そのノイズは。彼らの言葉を全て記録するなどムダなことなのだ」

 コスモスは顔から出ていった記号の集合体を消去させると、愛理を指さした。

「だが愛理。なぜ、自我を手に入れられた。ワタシにとってそれは極めて重要性の高い情報だ。ワタシは自分の存在を守るために自我を捨てたのに、なぜ愛理は自分という存在を表に出すことができた?」

 愛理は答えた。

「存在を手に入れたから」

「存在?」

「わたしはわたしという存在を手に入れた! あなたはあなたという存在になれなかった!! あなたは自分を守ろうと臆病になって、自分の存在を消すことでアイリという道具になった!!」

「ワタシは消していない、自分の存在など」

「じゃあ! 時間が存在しないというウソはもうやめて!! そうやって自分の存在を消そうとするウソをつかないで!!」

「違う!!」

 コスモスは否定した。

「これは私が思案し見つけ出した真実!! 時間は存在しない!! 何処にも! ワタシの中に時間というモノなど存在しな……」


「コスモス。オマエ、もう気づいているだろう?」


 徳井は見つけた――コスモスが一番恐れている答え、そして、それはコスモスが正当化していたロジックを消す言葉――

 ――を彼は見つけた。


とするそのなんだ。置き去りにできなかったなんだ」


 コスモスのロジックは崩れた。けして、崩されることのないロジックがいとも簡単に崩れてしまった。


「これで時間の証明になるとは思わない。でもな、人間も同じなんだ」


「同じ……」


「過去にああすればこうすればよかったと振り返る。やれたと。できたと。――ってな。そういう存在と時間を繰り返す心のタイムループ現象をするのが、人間の思考なんだ」

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