第25話 時を待つ
「先輩……」
俺はあの日の気持ちを思い出してくれた芸人先輩に少し感謝した。
傍から見たら女の子にアイアンクローをしている異様な光景なんだけども。
「滝井宗助のことはよく知らないが、滝井家のことはそれなりに知っているよ。なんせ彼の実家の滝井樹脂工業は地元でも大手企業だし、うちの製薬会社や系列病院、それに我が研究室にもかの会社の製品を多く仕入れているからね」
そう言えばお姉さんも言っていたな。
地元でも有数の企業でこの街以外にも支社をいくつか持っているらしい。
小さなころに遊びに行っていた俺の記憶では、宗兄の実家って街の外れの小さな
「凄いですね。あののんびり朗らかで優しいおじさんがそんなやり手だったのはびっくりです」
俺が記憶の中にある当時のおじさんの印象を口にすると、芸人先輩が訝しげに右手を握り親指の甲を口に当てた。
何だろうと思いグリグリとアイアンクローに力を入れる。
「お、おふぅ。いきなりびっくりするじゃないか牧野くぅん」
「いや、いきなり考え込んだから何かと思いまして」
「あぁ、君の語った思い出と私の知る滝井社長との印象が合わなくてね。あっ、力は込めたままでいてくれ」
お言葉に甘えて手に力を入れると嬉しそうに悶える芸人先輩。
これこのままで本当にいいのだろうか?
他の人に見られたら女の子を虐めている現場と思われないだろうか?
はっ! もしかして宗兄が逃げ出したのは、実はそれが原因じゃあ?
「って、印象が合わないってどう言う事です? おじさんに何が……いや、そう言えばお姉さんも似たような事を……」
そうだった、会社が大きくなるにつれて傲慢になっていって、最近では周囲と揉め事を起こしているらしい。
数年前には大和田不動産とも何かあったらしいし、お姉さんも気まずそうな顔をしていた。
この話を聞いた時はまさか宗兄とおじさんの事だとは思わなかったから他人事のように感じていたけど、あの日宗兄が語ってくれた手紙の真相と照らし合わせると、宗兄の感じていたプレッシャーって相当な物だったんだな。
「大和田女史に聞いたのかい? なら話が早い。そうさ急成長した滝井樹脂工業は押しも押されぬ地元の大企業だが、その急成長の反面悪評も多くてね。他の地元企業との揉め事の数も一つや二つじゃない。けど県や市としては滝井樹脂工業が落とす多額の税金は立派な財源だし、それを逃すまいと色々と都合をつけているのさ。現在滝井家はこの街の時限爆弾の様な存在なんだ」
「そんな事になっていたなんて。ちょっと想像が甘かったです」
確かに、色々と宗兄の実家の話は聞いていたのに断片ばかりの情報を組み合わせていなかった。
昔のおじさんの印象が大きくて話せば分かって貰えるものだと思い込んでいた。
けど、どうやらそれはそんなに簡単な事ではないみたい。
「いま滝井宗助を追いかけて首を突っ込んで『結』に持ち込もうとしても、その相手は高校生の君には荷が重すぎる。確率的に言えば君が潰される割合の方が大きいはずだ」
「確かに……皆の力を借りるにしても危険すぎる。それどころか逆に皆を巻き込めない。一体どうすれば……」
高校生の俺達じゃ返り討ちにされるだけだ。
そうすると皆に迷惑が掛かってしまう。
ならば御陵家に助力を願う? それとも光善寺家に口利きを頼む?
それこそ危険な話だよ。
何よりこんな事に対して俺の願いを聞き入れてくれる筈も無いし、よしんば聞いてくれたとしても企業同士の話だとそれこそ冗談では済まなくなる。
誰も巻き込む訳にはいかない、危険な橋は俺だけ渡れば良いんだ。
俺が答えの見えないこの問題に悩んでいると、芸人先輩が口を開く。
「ちょっといいかい? 先程私は君に言ったね。何でも思い通りに出来る物語の主人公なのかって」
「う……はい。その事は反省しています」
そこでまた蒸し返しますか。
何気にこの事は俺の恥ずかしい過去の1ページに刻まれるレベルの思い上がりだったよ。
「いや、これもさっき謝ったが言い方が悪かった。何も君の事を貶そうと思って言った訳じゃないんだ。そうだな、牧野君は無理を通せば道理が引っ込むという言葉を知っているかな?」
う~ん、言葉自身は知っているけど、一体どう言う話の流れで飛び出てきたんだろうか?
俺が芸人先輩の言わんとする意味が分からず首を捻っていると、俺の言葉を待たずにそのまま話を続けた。
「はっきり言おう。この言葉は傲慢の極みだ。道理は引っ込んでなぞいない。ただ単に押さえつけているだけさ」
「押さえつけ……ですか」
「ああ、そうさ。通った無理によって、その無理が無理でなくなった訳じゃない。押さえつけられた道理によって、必ずどこかに歪みが出る。要するに何処かの誰かに自分の負債を押し付けて不幸にしているんだよ」
芸人先輩の言わんとしている事はおぼろげながら分かるものの、どうもその言葉自体は俺に向けられている物ではないっぽく感じる。
俺が自分の事を何でも出来る主人公だと思い上がっていた事に対する話と思っていたのにどうやら別の意図が有るようだ。
「そんな歪みは必ず巡り巡って自分の所に返ってくる。自業自得と言う訳だね」
「一体何の話……でしょう?」
「いやぁなに。牧野君にはそんな人間にはなって欲しくないってことさ」
そう言って芸人先輩は両手の平を上に上げ肩を竦めておどけみせる。
そんな仕草の芸人先輩だけど、言葉の節々には俺への思いやりを感じるので、どうやらこの言葉は嘘では無いようだ。
けど、その言葉が意味する想いを掴み取れない。
俺の思い上がりが誰かを傷付ける事になる……いや、芸人先輩が言いたい事はそれだけじゃ無い筈だ。
「俺は何をすればいいんでしょうか?」
俺の問いに芸人先輩はニヤッと口角を上げた。
本当に何か解決方法があるとでもいうのだろうか?
「時を待ちたまえ」
時を待つって、結局見て見ぬ振りをしろって事?
ちょっと拍子抜けしてしまった。
なんかズバッと解決する方法が有るのかと期待しちゃったよ。
まぁ、そんな都合のいい話が有る訳ないか。
「何かがっかりしているようだな? 考えてもみたまえ、改めて言うが滝井宗助は君から逃げたのだろう?」
「えぇ、そうですけど」
「君に助けを求めずにね」
? 意味が分からない。
芸人先輩って本当に意味不明なところに話が飛ぶよね。
それに宗兄が俺に助けを求めるってそんな事あるかな?
あの日も俺が学園長にお願いするなんて失礼なことを言って怒らせちゃったじゃないか。
「そうだ。宗兄は俺に助けを求めない。自分で何とかするはずだ。あの日も任せてくれって言っていたんだ」
これはさっき芸人先輩が言っていた無理を通せばって話に当る。
どんな好意による行動でも、相手が望んで居なければそれはただの迷惑行為にしかならない。
それを押し切ったって必ずどこかに歪みは出て悲しみを産んでしまう。
その事を美都勢さんの説得を通じて御陵邸で学んだじゃないか。
芸人先輩は別の誰かを例え話にしていたようだけど、俺にその事を思いださせようとしてくれたんだろう。
「うん、滝井宗助がキミの助力を拒んだ件も勿論萱嶋君から聞いているよ。しかし正直な話それで解決はしないだろうさ。彼が語ったと言う夢を諦める理由も、同じ大企業の子女である立場として理解出来る話だしね」
自分の会社の社員の生活を守る事。
責任感の強い宗兄がそう語ってくれた。
だとしたら本当に夢を諦めてこのまま俺の前から消えてしまうんじゃあ……。
そのことに少し落ち込んでいると芸人先輩がクックと笑って口を開く。
「私は思うんだ。彼は必ず君に助けを求める時が来るってね。『承』を過ぎ、そして『転』の時は必ず来る。その時に力を貸してやったらいい」
「本当にそんな時が来るでしょうか?」
「あぁ、間違いない。何しろこの件とは別の話だが、滝井樹脂工業について既に動いている人間は居るしね」
芸人先輩の言葉に俺は首を傾げる。
この件とは別に動いている人間? なんだそりゃ。
「それって誰ですか?」
「ははは、それも時が来れば分かるはずさ」
「なんですかそれ! 知っているなら教えて下さいよ。ほらほら」
思わせ振りな芸人先輩にその名前を吐かせようとアイアンクローの手に力を込める。
それによって芸人先輩はまた嬉しそうに悶えだした。
まぁこんなことしてもただ単に芸人先輩を喜ばせるだけで絶対口を割ると思えないと言うか意地でも喋らずにこの時間を引き延ばすだろうことは予測されるんだけど、これはアレだな。
恩返しと言うのは変な話だけど、芸人先輩の言葉で少しばかり胸の痛みが消えてちょっぴり心が軽くなったんだ。
ちょっとだけ芸人先輩と一緒に居たくなった。
やっぱり俺って寂しがり屋だな。
――――ギュゥゥゥゥ
「いてて! な、なに?」
芸人先輩と暫しの戯れをしていると突然俺の頬っぺたに激痛が走った。
慌ててその頬っぺたの方に目を向けると……。
ジャーーン! ジャーーーン! ジャーーーン!
げぇっ! 関羽!
じゃなくて……
「庶務先輩!!」
そこに居たのは乙女先輩……いやその顔は乙女モードじゃなくて冷酷魔人モードだけど。
あえて庶務先輩と言ったのは、なんか生徒会室の外では役職付けて呼べとか言っていたからね。
なんかヤバい雰囲気なので正式名で呼ばせていただきました。
「だぇーーれが庶務先輩ですか。いつまでも帰ってこないから心配になって来てみたらこんな所で淀子と乳繰り合っているとは!」
「ご、誤解ですよ! 乳繰り合ってませんって」
いや、そうは言ってみたもののどうなのかな?
確かにそうかも……。
「淀子の怪物に怯える皆を代表してわざわざ私が来たと言うのに、本当にあなたと言う人は! 帰ったら説教の続きですからね」
ひえぇ~! 行く時よりひどい状況になっちまったよ。
やっぱり芸人先輩とつるむのはやめれば良かった。
「じゃあ私はそろそろ帰るとするよ。っと牧野くぅんそろそろこの手を離してくれたまえ」
「離さいでか! こうなったら先輩も一蓮托生ですよ」
「そうですね。元々淀子の創った怪物が原因なんで一緒に来てもらいます」
「そ、そんな! 離せ牧野君。橙子氏の説教は心を抉る! 私の嗜好とは相容れないものなのだよ」
まぁ、そんなこんなで生徒会室に連れ去られた俺は日がとっぷりと暮れるまで芸人先輩と共にこってり絞られましたとさ。
しかし、芸人先輩が言った『その時』と言うのは本当に来るのだろうか?
願わくば宗兄の苦しみが出来るだけ早く解放されることを祈るばかりだ。
と、説教されている時に現実逃避でそんなことを考えた。
10年ぶりに帰って来た街で色々大変です。 ~わりとヒドインだらけな俺の学園青春記~ やすピこ @AtBug
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