悪役令嬢は決意を胸に淑女の仮面をかぶる

楠木千佳

01:悪役令嬢は思い出す



 エステルは学園の食堂に併設されたカフェで紅茶を飲みながら一人読書をしていた。巷で流行りの恋愛小説だ。メイドたちがあまりに勧めてくるので読み始めたのだが、これが意外と面白い。一定のリズムでページをめくる手は止まらず、このまま最後まで一気に読み切ってしまおうとしていた彼女に、しかしそれを阻むようにカフェに新たな集団が訪れた。

 カフェ内が一気に騒がしくなり、エステルもつられて顔を上げる。絶対に無視できない人物を先頭にしたその集団が迷いなく自分に向かってくるのを察して、彼女は仕方なしに本を閉じて立ち上がった。


「やぁ、エステル。少し時間を貰ってもいいかな」

「ごきげんよう、ジェラルド殿下。いかがされましたか?」


 にっこりと淑女の笑みを浮かべた裏で、あ、ついにか、と思ったのはここだけの話。



◆◆◆



 きっかけは、この国の王位継承者第一位であるジェラルド・アトライデル殿下との初めての顔合わせだった。

 七歳とは思えぬ大人びた微笑みを浮かべた彼の顔を見た瞬間、頭の中に「恋する乙女は運命をたぐり寄せる」、略して「恋乙女」という乙女ゲームのオープニング映像が脳内で再生された。その映像の最後に登場キャラたちが勢揃いし、中心に描かれるヒロインの次に目立つように描かれるのがまさに今目の前にいるジェラルドの青年版だ。

 おとめげーむってなに!?と思う反面、主人公の女の子が様々な男の子と恋愛ができる恋愛シミュレーションのようなものだと理解する。

 ひくり、と息を飲んだ。

 バレンティーヌ公爵家の第一子エステル・バレンティーヌは、長らく鏡に映る自分の顔に既視感を抱いていた理由をようやく知ったのである。


『エステル、……エステル? ご挨拶しなさい?』

『っ、……もうしわけありません。はじめまして、エステル・バレンティーヌともうします。お会いできてこうえいですわ』


 隣に立つ父に背を叩かれ、我に返る。頭の中に川のように絶えず流れ続けるゲームスチルやキャラ情報を無理矢理意識から追い出して、マナーの教師に教わった通りに挨拶をした。

 その後どんなやり取りをしたかはほとんど記憶にないが、帰路に着く馬車の中の父の機嫌は上々だった。

 エステルは家に着いて部屋に戻ると、適当な理由をつけて侍女を下がらせる。一心不乱に頭の中の情報を紙へ書き出した。

 ――恋乙女の舞台は魔法が使える世界の、貴族の子供たちが通う学園。会話や行動を選択しながら、複数いる攻略対象者の内の誰かとのエンディングを目指すゲームだ。男爵令嬢であるヒロインは子供の頃は体が弱かったのでずっと領地で療養していたが、学園に通うために王都へ戻ってきた。透き通るようなふわふわな銀糸と紫の瞳の持ち主で、平均よりも小さな背と細い肩は男性達の庇護欲をそそる。要はヒロイン超可愛い。

 攻略対象者たちがそれぞれ抱える暗い過去やコンプレックスをヒロインが癒すことで彼らは彼女を意識していくわけだが、ストーリーを進めていくうえでヒロインと攻略対象者たち以外にも重要な人物がいる。それがエステルを筆頭とした悪役キャラだ。

 婚約者のジェラルドと、後にバレンティーヌ家に引き取られるはずの弟ライオのルートを選択した時にエステルは悪役キャラとして登場する。

 二人に近付くヒロインに嫌がらせを繰り返す彼女だが、最後にはそれらが露呈してしまう。ジェラルドルートでは王妃に相応しくないと婚約破棄をされたうえで学園追放、家に戻っても父親に見限られ追い出されるように隣国へ嫁がされる。ライオルートでも学園追放は免れず、国で最も厳しいとされる修道院行きが待っている。


『どっちもいやよおおぉおおぉ……!』


 川のように頭の中を流れていた情報を乱れた筆跡ですべて書き出した後、自分に待ち受けている未来の可能性に咽び泣いた。

 泣いて泣いて泣いて、気の済むまで泣いて。ようやく顔を上げたエステルはよし、と決意する。


『ヒロインがだれをえらんでもいいように、ぜぇったいトラウマはクラッシュ! ノットいじめ! だめ、ぜったい! あとはじぶんみがき!』


 そうして、エステルの多忙で苦労な日々が幕を開けたのであった。


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