喝 采 (ちあきなおみ)

フカイ

掌編(読み切り)

 若いひとは知らないと思うけど。


 その昔、一世を風靡した歌謡曲。


 雰囲気のある女性歌手が、実人生を匂わせながら歌うこの歌は、リリースから30年以上を経ても、色あせない。


 今朝、通勤中のi-Podからこの曲が流れてきた時、フラッシュバックしたのは、年上のひとのこと。

 結婚している彼女と付き合った時間は短かったけど、深く甘いセックスの歓びを教えてくれたひと。上手な別れ方ができず、彼女を苦しめてしまったのは、自分自身の幼さ故か。





 ともあれ。

 それは、親密な思い出。





 秋深まる日曜日の午後だった。


 午前中からぼくの部屋を訪ねてくれた彼女と、ゆっくりと性交した。

 白い日差しが差し込む窓辺のベッドで、大柄な彼女の身体を抱き、ふたりで呼吸を合わせて性器をこすりあった。こころが昂ぶり、何度も名前を呼びながら、避妊具のゴムのなかに激しい射精をした。気持ちの通い合う、良いセックスだった。


 事が終わってゆるやかなまどろみの中、ベッドのヘッドボードにもたれかかった彼女は、なんとはなしに、「喝采」を歌い始めた。

 原曲のように情感のこもった歌謡の熱いトーンではなく、サラリと、軽い雰囲気で彼女はそれを口ずさんだ。

 こんな歌だ。





  いつものように 幕があき


  恋の歌うたう私に


  届いたしらせは


  黒いふちどりが


  ありました




  ―――あれは三年前


  止めるあなた 駅に残し


  動きはじめた汽車に


  ひとり飛び乗った




  ひなびた町の 昼下がり


  教会の前に たたずみ


  喪服の わたしは


  祈る言葉さえ なくしてた



  (ちあきなおみ「喝采」作詞:吉田旺)





 こうして歌詞を書き出してみると、それは性交の後の甘いまどろみにはあまり似つかわしくない曲のようにも思える。

 だけど、その時の部屋の空気、白いカーテン越しに差し込んでくる秋の清潔な光の色に、その歌声はとてもマッチしていた。

 イノセントで、透明感があった。


 昭和の時代。まだセックスのなんたるかも知らない子どもだった頃。

 意味も判らずテレビから流れていたあの歌は、なるほどこんな意味だったのかと、その時はじめて知った。その胸をしめつけるように切なく、哀愁の漂う大人たちの世界観が、多くの人々の心をとらえ、そして愛された理由を理解した。


 と同時に、激しい性行為の後のとても静かな時間に、そんな歌をサラリと唄う彼女の心に、自然に寄り添うことができた。そのつかの間の時間のなかで確かに、言葉を越えた静かな気持ちのつながりを、我々は持つことができた。

 その親密さ。心を許しあったものがほんのわずかな時間だけ共有することができる、満たされた幸福な瞬間―――。


 人は、それに伴う危険を考慮もせず、誰もが気軽に恋に落ちる。そしてそれを終える苦しみや痛みを経験する。

 しかしそれと引き換えに手に入れることのできる歓びとは、あるいはこんなささやかな瞬間なのかもしれない。最初は胸高まる時めきや、性交の快楽を求めて恋を手に入れようと奔走するが、何年も経ったあと心にぽつり残ったのは、そんなささいな瞬間の断片だったりする。



 若いひとにはわからないと思うけど。

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喝 采 (ちあきなおみ) フカイ @fukai

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