金曜日、時はすでに放課後であり、残された時間はほとんど無いことがわかった。昨日、空澄さんが言っていた次が最後という言葉は、次に僕が現れた時、それが僕にとっての最後の時間であるという意味なのだろうか。


 屋上へ向かう途中、何人もの生徒から合言葉を尋ねられる。どうやらもう一人の僕はとても頼りになるらしい。僕ではここまで人望を集めることはできない。


 屋上に着くと、遅れて朝比奈剣がやってくる。僕は彼女に合言葉を教えてほしいと頼んだ。昨日、朝比奈さんにあんな台詞を言ってもらったにもかかわらず成果なしとなれば、もうこれしかない。


 彼のふりをして空澄奏に告白するのだ。運のよいことに、彼は勉強ができ生活態度もよく、字が綺麗なうえに体力と人望があるので、おそらく空澄さんもYESと言ってくれるだろう。


「……嫌」

 しかし朝比奈剣は合言葉を教えてくれなかった。

「あなたが決めたんだから、考えればわかるんじゃないかしら」

 そう言った朝比奈剣の顔には、できるものなら、と書かれていた。それはそうだ、僕の知っている言葉の数は、あまり本を読まないので少ないにしても、それでも多すぎる。物質か概念か、生物か無生物か、何かヒントでも無い限り合言葉を当てることはできまい。


「諦めなさい、あなたには絶対に無理だから。それに」

 朝比奈剣は言う。

「もし彼女に告白して了承を得たらどうするの」

 もし彼女に告白し了承を得られたのなら、僕は彼女と付き合うだろうけれど――そこで僕は見落としていたことに気が付いた。もし作戦が功を成せば彼は消えてしまうのだから、空澄奏は好きだった相手に会えなくなってしまう事になるのだ。それは悲しすぎる。


 もはや打つ手は無く、雲を眺めていると朝比奈剣が口を開いた。

「私に告白してみてよ」

 彼女の顔を見ると目が合った。


「告白して起きた事件なら、もう一度告白すれば解決するかもしれないでしょ」

 その鋭い目つきを見るに朝比奈剣は真剣だ。告白は減るものではないので、僕は快く承諾する。しかしその言葉を言おうとした時、口が固まった。


 言えない。

 なぜか言葉が出せない。何度も練習したにもかかわらず、僕は告白ができなくなっていた。

「ちょっとどうしたのよ泉くん」

 朝比奈剣が心配するように見つめてくる。なぜか告白できないことを伝えると、朝比奈剣の目つきがさらに鋭くなった。

「泉くんがんばって、告白することができれば、きっと彼もいなくなるわ」


 朝比奈剣が応援してくれるが、声は出ない。その時、沸き立つ恐怖心に気が付いた。どうやら告白するのが怖いらしい。いや、告白すること自体が怖いわけではなく、振られることが恐ろしいのだろう。


「安心して告白しなさい泉くん、振りはしない」


 朝比奈剣がそう言ってくれたおかげで少し安心した僕は、落ち着きを取り戻すと、ようやく彼女に告白を――


 目を開けると赤い夕焼け空が一面に広がっていた。ゆっくりと立ち上がると、そこが屋上であることに気が付く。

「おはよう泉くん」

 振り返ると、そこには空澄奏が立っていた。そして僕はここであった出来事を思い出す。結局あの時、最後まで言うことができなかったのだ。あの後一体何があったのか空澄さんに尋ねると、彼女は言った。

「泉くんは振られたのよ」

 一部始終を見ていたらしく、空澄奏は語り始めたのだった。


 空澄奏が彼と組んでいるという朝比奈剣の予想は当たっていた。しかし、我々が思っていた彼の目的と、実際の彼の目的はまったく違ったものであった。僕たちはてっきり敵視されているものだと思っていたのだが、実際の彼は、僕を助けようとしてくれていたという。


 水曜日、彼は空澄さん自身から自分が空澄奏に振られたことを聞き、まずは空澄さんと仲良くなることで自分を消そうとしたらしい。しかし木曜日、またも現れてしまった彼は、もっと強く、印象に残るような出来事を作ろうと、空澄さんに協力を要請しある計画を立てた。

「彼に頼まれたの、泉くんを助けてほしいって」

 それはまず合言葉を決め、クラスから僕を孤立させ、そこに空澄さんの救いの手を差し伸べる、というものだった。普段から孤立していた僕には効果は薄そうだ。

「でも、私の役目を朝比奈さんが代わりにしてくれたよね。頼んでないからね?!」

 結局その計画は功を成さず、僕は消えてしまった訳だけれど、そこである偶然が起きたのである。

 彼は合言葉に、僕の口説き文句を設定した。


 もう一度言う――

 彼は合言葉に、僕の口説き文句を設定した。


 理由は、絶対に言えないから。


 何人もの生徒たちに口説き文句を知られるなんて恥ずかしいことこの上ない。確かに絶対に言えないだろうけれど、そもそも合言葉を推理しようとは思わないだろうし、そこまでセキュリティを厳重にする必要はないはずだ。きっと僕に合言葉を訪ねてきた生徒の中には、からかい目的の輩も混じっていたに違いない。

「彼は口説き文句とは言っていなかったから、そこらへんは大丈夫だと思うなーなんて……」

 ……それにしても彼は最後にとんでもない置き土産を残していった訳だ。合言葉には愛の言葉ってか? お達者で。


 話を戻すと、彼が合言葉を口説き文句にしたおかげで、偶然にも彼は朝比奈剣に振られることになった。彼としては朝比奈剣と話をしようとしただけ、だったのだろうが、最初に口にした告白文にNOを突き付けられ、立ち去られてしまったらしい。そして理屈はわからないけれど、僕が復活することになったのだ。


「彼、もう現れることはないだろうって」

 彼も僕と同じく失恋を経験した結果消えてしまうとは、そろいもそろって精神が脆い《もろい》という話である。


 しかし、どうして朝比奈剣が彼と僕を見分けられたのかが気になった。するとその疑問に空澄さんが答えてくれた。

「私は生徒会長って役柄上、泉くんのことも普段からよく見ていたから、わかったのかな」

 空澄さんは僕の背中を叩いて言った。

「背筋伸ばした方が、かっこいいよ」



「人生における最上の癒しは愛である」という、パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ファン・ネポムセーノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・クリスピン・クリスピアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソ氏の言葉を思い出しながら、夕焼け空の下通学路を走る。

彼女に告白するためだ。


この長いようで短い一週間を通して、僕は朝比奈剣のことが好きになっていたのだった。

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