飢え

えーきち

それは飢えを満たすこと

「ねぇ、幸せの三つの瞬間って何?」



 女はベッドの上でうつぶせに、白くなめらかな背中をオレに向けたまま、スゥーッと目を細める。今まさに、この瞬間が幸せだとでも言いたげに。

 ハッキリ言って、面倒くさい。気の利いたピロートークも思い浮かばない。

 部屋をダークオレンジに染める薄明かりの中、女の長い髪に手櫛を通し、顔を寄せる。

 オレは、昔読んだマンガのセリフを口にしていた。





「キスする前と、キスしている時と、キスした後さ」



 言わせてもらえば陳腐な台詞だ。キス程度で幸せを感じるなんて。

 女は何も分かっちゃいない。

 本当の幸せは、生命を感じる瞬間にある。

 キスなんて、あろうがなかろうが、オレの命に何ら支障はない。


 オレの心は飢えている。


 体も……


 欲が全身を駆け巡る。


 オレは女に背を向け着替えると、ローテーブルの上に無造作に放られた青い箱の中からタバコを一本取り出し、火をつける。

 その半分も吸い終わらないうちに、オレンジ色の光を反射する灰皿に、それを押しつけ部屋を出た。





 さぁ、本当のお楽しみの時間はこれからだ。




 オレは鈍色に光る鋭利な刃物を手に取り、ヤツを睨みつけると、一気にそれを振り下ろした。

 ギャッと短い悲鳴を聞きながら、何度も何度も切り刻む。



 これだ。ここからが、本当のオレの時間。



 焼けて濛々と煙を巻き上げる鉄板にそれを落とし、先が尖った棒で何度も突き刺す。そして、オレは悲鳴を上げられぬよう、白い粘土質の塊を押しつけ、執拗に痛めつける。



 何度も、何度も、繰り返し、繰り返し、飽くことなく痛めつける。

 切り刻んだその全てをつぶし込むように。



 つぶした人肉の焦げる、何とも言えぬいい匂いが鼻孔をくすぐる。

 焼けた鉄板の上、肉塊から流れた赤い汁が、一瞬に蒸発する。

 オレの目は爛々と輝き、口は笑みで歪む。

 額から流れる汗が、この瞬間だけは心地よくも感じる。



 薄い膜ごしの接触でも、蠢く舌の絡め合いでも得られなかった、命を感じるこの瞬間。




 ハハハハハハハ……笑いが止まらない。




 オレの楽しみは、オレの命は、この瞬間にある。






 

 ――――――


「おいっ! 出来たぞ」



 女はオレの声にビクッと肩を弾ませて振り返る。

 そして、ベッドの下のTシャツを拾いあげて、白くなまめかしい肌を撫でるようにそれを着ると、女はローテーブルの横にチョコンと座った。



「いつもゴメンね~」



 女は悪びれる様子もなくそう言うと、オレンジ色の光を宿した銀色に見えないスプーンを手に取り、ローテーブルの上に置かれた皿に手をのばす。

 躊躇うことなく一気にすくい上げ、上品さの欠片もない大口を開け、それを思いっ切り頬張った。



「炒飯、ワタシ大好き! これからもずっと作ってね」



 至極幸せそうに炒飯を食べる、女の笑顔。



 この顔を見るのが、オレのお楽しみの時間。

 オレの飢えは、炒飯と女の笑顔で、満たされる。

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飢え えーきち @rockers_eikichi

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