西暦3120年

@kinka

西暦3120年

 私の名前は太郎。ある老夫婦に飼われている至って普通のペットだ。

 今日は、そんな私の日常の一部をご紹介しよう。


□□□□□□


 時刻は午後六時。いつもならこの時間は夕食を食べているのだが、今日の私はある理由から食欲が全く湧かなかった。

 用意された料理えさを前に、私は目を閉じて、じっと床に伏せる。


 「………太郎、大丈夫かい?」


 心配そうに声をかけてくれるのは、老夫婦の片割れであるソフィアさん。

 私の食欲がないのは、別にこの方が用意したものが不味いからとか、そういうわけではない。

 これは私の感情による問題なのだ。


 「無理もないわね、あんな話を聞いてしまったら」


 彼女はそう言って冷たい手の平で頭を撫でてくれる。

 その優しさに少しだけ元気が出るが、目を開ける気にはなれなかった。


 それからしばらくして、この家の主であり、もう一方の飼い主である旦那様───スミスさんが帰ってきた。


 「おーい、帰ったぞ」


 「お帰りなさい、あなた。今日はいつもより遅かったわね」


 「ああ。ペッシーモの奴、中々負けを認めなくてな、おかげでこんな時間になってしまったよ」


 「あらあら、大変だったわね」


 いつも通りの仲睦まじい会話が聞こえる。

 この家に来てからもう5年になるが、私は今までこの方達が喧嘩しているところを見たことが無い。


 「ただいま、太郎。───おや、どうしたんだい。元気が無いじゃないか」


 私のことを心配してくれるスミスさん。

 だが、しばらく放っておいて欲しいので、目を瞑ったまま聞こえない振りをする。


 「おい、ソフィア。お前また、太郎に変な服を着せようとしたのか。何度も言っただろう、太郎は男の子なんだから可愛らしい服など着せるなと」


 「男の子だってフリル付きの服を着ることもありますよ。それに、今回はそれで落ち込んでるんじゃないわ」


 「じゃあ、なんでこんなに───」


 「太郎は今、傷心中なのよ」


 「なんだって?」


 不思議そうにするスミスさん。彼がそんな反応をするのも当然だ。なにせ私はつい昨日まで傷心などしたことが無かった。いつでも楽しく明るく過ごしていたからだ。

 だが、そんな私がここまで塞ぎ込む、ある事件が起こったのだ。


 「ほら、この子と仲が良かった、ジョンって子がいたでしょう。アドラムさんのところの」


 「ああ、あそこのペットか。それがどうかしたのかい」


 「………死んでしまったの」


 「………なんだと?」


 そう。ジョンが死んでしまったのだ。

 ジョン。私の一番の親友。いつも気さくなジョークで笑わせてくれた、ユーモア溢れるペットだった。


 「今朝のことだったらしいわ。マンションの十階から落ちて。即死だったそうよ」


 「おいおい、なんでそんなことになったんだ?」


 「ほら、あそこのレイ君は、知能が未発達でしょ。何かの資料にペットが空を飛べるって書いてあったのを見て、それを実際に試したんですって」


 「酷い話だな。ペットが空を飛んだなんてのは、千年以上前のことだ。それに確か特殊な道具も必要だっただろ」


 「ええ、そうなのよ。『ペットは飛べる』って情報だけを認識したみたいで」


 「そうか、それで太郎は………」


 お二方の話を聞いているうちに、また悲しみが深くなった。

 ジョン。可哀想なジョン。全身をアスファルトに打ち付けてぐしゃぐしゃになってしまった憐れな友人。

 君が感じた恐怖、痛みを思うと、私は生きる気力を無くしてしまう。


 「なんでそんな話を太郎に聞かせたんだ。ペットの心が繊細なのは、お前も分かっているだろう」


 「たまたま話を聞かれてしまったのよ。でも、この子は頭が良いから、どっちにしろすぐに気づいていたわ」


 「………それもそうか」


 「ねえ、あなた。あなたも慰めてあげて。そうすれば、ご飯くらいは食べるようになるかも」


 「ふむ、やってみよう」


 近くにスミスさんが座る気配がする。

 彼は私の頭をひとしきり撫でた後、どこか悩むように私に話しかけてきた。


 「なあ、太郎。友人が死んで悲しいのは分かる」


 あなたに分かるものか。私とは全く違う存在のあなたに、この気持ちが分かるものか。


 「だがな、もしそれが原因で君が体を壊したら、天国のジョンも悲しむんじゃないか?」


 確かにそうかもしれない。

 私はそのままの姿勢で、主人の言葉に耳を傾ける。


 「君がすべきことは、ジョンの死を嘆くことではなく、彼の分まで幸せになることではないか?」


 スミスさんの言葉は単純で、ありきたりなものだ。

 なのに、不思議とその通りだと、心が受け入れていく。


 「今日は大声で泣いていい。泣いて泣いて涙が枯れたら、その後はいつものように元気になっておくれ」


 泣いていい。そう言われた私は、何が決壊するのを感じた。

 スミスさんの言葉に返事をせず、私は泣き叫んだ。獣のように、子供のように、疲れ果てるまで泣き続けた。

 やがて、嗚咽も残さず吐き出した私は、今までに感じたことがないような空腹を感じる。


 「どうやら、スッキリしたようだね」


 私が頷くよりも先に、腹の音が返事をする。


 「ははっ、どうやら腹ペコのようだな。早く食べなさい。聞けば昼から何も食べてないんだろ。たくさん食べて、ゆっくり休みなさい。分かったね?」


 そう言って、私の側から離れるスミスさん。

 ああ、私はなんて幸せなペットなんだ。

 優しいあるじの言葉に、今まで閉じていた目を開き、精一杯の感謝を込めて返事をする。

 それが私に出来る唯一のことだから───















 「分かりました、ありがとうございます。スミスさん。僕、頑張ります」


 私の返事にスミスさんはいつも通りの変わることがない無機質な表情で頷き、自身の部屋メンテナンスルームに向かう。

 それと入れ替わるように、今度はソフィアさんが私の前に現れる。


 「太郎、私も今日はもう休むから、後片付けはお願いね」


 「はい。ソフィアさん」


 「じゃあね、おやすみ」


 スミスさんと全く同じ顔の彼女は、間接部からギシギシと軋むような音をたてながら、彼女の部屋へと戻って行った。

 残された私は、腹を満たすため食事を始める。しつけにより上達した箸を使って、次々に料理を口へ運ぶ。

 満腹になった私は、襲いかかる眠気を抑えながら、主人の言い付けを守り、使った食器を片付けた。

 食後の歯磨きを済ませ、用意されている寝床へと入る。

 そうして私は、自分が生きている幸せを感じながらこの日を終えた。


□□□□□□


 西暦3120年。

 科学技術の発達により、全てをロボットが支配するようになった世界。

 私達人間はそこで、彼らの愛玩動物として保護されている。

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