番外編:二大特撮アニメ『GODZILLA』『SSSS.GRIDMAN』
読者の皆様方、お久しぶりです。
完結してから約四ヶ月という開きがありましたが、ふと思いついた事が出来たのでこのページを作成することにしました。これをもってアニゴジエッセイを完結させる事にします。
内容はサブタイにもあるように、アニゴジとグリッドマンの対照性などです。なのでアニゴジだけではなく、グリッドマンを見た上での閲覧をおススメします。
《目を覚ませ僕らの世界がエクシフに侵略されているぞ(大体合っている)》
『SSSS.GRIDMAN』はご存知の通り、去年の冬頃に放送されたアニメであり、あの名作特撮『電光超人グリッドマン』を原作としている。つまりアニゴジと同じく『特撮アニメ』であり、TVで12話放送された。
前ページで口にした某円谷ヒーロー作品は、もちろんグリッドマンの事である。こちらは新たなアプローチを表現したアニゴジとは対照的に、特撮ヒーロー物の熱さやロマン、それに加えアニメならではの情緒感やエロs……可愛さ(主にアカネちゃんとか六花とかアカネちゃんとか六花とか)を表現としている。
ストーリーもツツジ台という舞台に怪獣と戦うという、ウルトラシリーズを思わせるストーリー構成だ。これは原作がウルトラシリーズの円谷監修だからというのもあるだろう。
一見するとアニゴジとグリッドマン、特撮アニメ以外に共通点がないように思える。しかし両作品を見た筆者はこれらに共通点……あるいは対照性を見出した訳だ。恐らく両方を観た視聴者なら感づいた部分もあるはず。
その共通点を解説を踏まえつつ紹介をしたいと思う。
《アニゴジとグリッドマンの共通点なう》
・『怪獣と憎しみ』
『ゴジラをゴジラたらしめる物……それは君の憎しみなんだ』(『星を喰う者』:メトフィエスの台詞 )
『憎しみが強い程、強い怪獣が生まれるからねぇ』(『第7回「策・略」』:アレクシスの台詞)
どちらも怪獣と憎しみを結び付けるような事を口にしている。しかもそう言ったのが物語の黒幕というのがなんとも憎い所。
まずゴジラに関してだが、この憎しみはハルオに向けて言った物だ。メトフィエスは憎しみがあるからこそ、ゴジラは怪獣であり続けると説いている。
現に星を喰う者ラストでハルオが特攻した後、ゴジラは誰からも相手にされず(その証拠に、ラストのお怒り様儀式でゴジラの名前がない=恐れる存在でなくなっている)、『人類の敵たる怪獣』から『自然災害・巨大生物』へと格下げされた。
ここから逆説的に「『怪獣黙示録』~『プロジェクトメカゴジラ』において怪獣の王であり続けたのは、彼に被害を食らわれた人々の憎しみがあったからだ」という解釈が出来ると筆者は思う。星を喰う者ラストで怪獣でなくなったのは、フツアがゴジラに憎しみを抱いておらず竜巻と同じような物と捉えていたからだ。
さてゴジラで長くなってしまったが、ここでグリッドマンにおける説明をしたい。
こちらの場合の憎しみは怪獣製作者である『新条アカネちゃん』の物だ。彼女は自分に無礼を働いた人間に鬱憤を溜め、それを糧に怪獣を作って殺させようとしている。
またアレクシスの発言は『第10回「崩・壊」』で証明される。この話に出てきた怪獣『ナナシ』の中から、アカネちゃんの心の化身たる『中の人』が出現。今までの怪獣になかった性能でグリッドマンで翻弄していく。
まさに憎しみが強いからこその力という訳だ(ただ、この時のアカネちゃんは憎しみというよりも虚無感を抱いた。要は憎しみや虚無感とか負の感情がトリガーかもしれない)
このように怪獣と憎しみは深い繋がりがあり、物語に影響を与えているのだ。
・『ラスボス』
アニゴジのラスボスは『ギドラ&メトフィエス』、グリッドマンは『アレクシス』である。前者は両方があってのラスボスなので揃えて説明したい。
自分が思いつく限り、共通点はこんな感じか。
・ある人間(ハルオ、アカネちゃん)の側につき、自分の目的の為に利用する。
どちらも目的の為には対象の人物が必要である。その人物に憑りつく様はある意味悪魔的と言うべきか。
・その人間の心理を読み取り促す。
メトフィエスはハルオの憎しみを煽りつつ動かし、アレクシスはフレンドリーな言動などでアカネちゃんを巧みに動かした。
優しく囁く顔の裏には邪悪が潜んでいるのだ……。
・ギドラとアレクシスが不滅。
ギドラは高次元の神であり、ゴジラには敗れたものの不滅でいる。だからこそラストで再臨される事が示唆されている。アレクシスも自身が不滅である事を明かしている。
ただこの不滅に関して対照的な面もある。
メトフィエスは不滅の神と合一化する事で、滅びの先の祝福を得ようとしていた。対しアレクシスは自身の不滅に嘆き、アカネちゃんに憑りつく事で情動に満たされようとしていた。
言うなれば『永遠を望む者』と『永遠から逃れようとする者』の違いである。
行動が酷似していながらも目的が全くの正反対というのが、実に面白い。
さて最後の共通点だが、この台詞を見てほしい。
『この命がどんなにちっぽけでみじめでも、俺は……!!』(『星を喰う者』:ハルオの台詞 )
『これが限りある命の力だ!!』(『第12回「覚醒」』:グリッドマンの台詞)
前者はメトフィエスの誘惑をハルオが拒絶。この直後に起こした彼の行動が、ギドラに勝つ要因になった。
後者はグリッドマンと裕太らグリッドマン同盟によりアカネちゃんが脱し、アレクシスに勝つ要因を作った。
そう、この最終バトルは
・メトフィエス&ギドラとアレクシス、どちらも『限りある命の力』に敗れた。
・ハルオとアカネちゃんがそれまで
という二つの点が共通しているのだ。
もちろんパクリとか言うつもりはない。そもそも二作品とも同時進行で制作していたし、全くの偶然とも言ってもいい。
しかしこの共通点を踏まえた上で最終バトルを見ると、展開が異様なほど似ている(二人が自分を見つめ直す→縋っていた存在を拒絶→ラスボスがダメージを追い、敗れる)。またこの脱却に『マイナ』と『グリッドマン同盟』が力を貸したという点も同じだ。
思えばアニゴジとグリッドマンは、ハルオとアカネちゃんの生き様や葛藤を綴ったストーリーとも言える。二人が悩み、翻弄され、やがて最後には答えを見出す。
先に挙げた共通点もあって、まさにこの二作品は鏡映しのような関係とも言ってもいい。それほど特撮アニメという点だけでは済まない妙な繋がりを感じさせる。
《最後に》
繰り返し言うがアニゴジは怪獣と人間のドラマを重視、グリッドマンは特撮とアニメの熱さを重視しており、作風はまるっきり違う。共通点も人によってはこじ付けだと思うかもしれない(もちろん筆者にとってのこじ付けだというのは否定はしない)。
ともあれここまで共通点が多いのは、「二作品の制作者方の認識がほぼ共通だから」という事が考えられるのではないだろうか。
この台詞をご覧いただきたい。
『そも怪獣とは、ゴジラとは、人の手で決して倒せないからこそ怪獣なのだ。人智を越えた者に打ち勝つ事は、既に人の行いの範疇には無い』(『決戦機動増殖都市』:ガルグの台詞)
『怪獣はね、人に都合を合わせたりしないよ。いるだけで人の日常を奪ってくれる。それが怪獣』(『第10回「崩・壊」』:アカネちゃんの台詞)
共通するのは『人と怪獣の決定的な違い』といった所か。
制作者方は間違いなく特撮好きである。ゴジラシリーズであれウルトラシリーズであれ、怪獣とか巨大ヒーローとかに触れ合ったりしたはずだ。
だからこそ両者の特撮への考えが上手く共通になって、怪獣と憎しみの関係などが生まれたのだと思われる。さながら思考や哲学の
これを踏まえた上で両作品とも視聴すれば、何か新たな発見が出来るかもしれない。願わくば二次創作ではなく公式において二作品のクロスオーバーを見たい物である。
……どうやってクロスするかって? スパロボがあるではないか……(ニタァ
GODZILLA 怪獣随筆《エッセイ》録 ミレニあん @yaranaikasan
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