四季が一つの輪っかだとしたら

私たちは、四季の輪の上をグルグルと歩いている。
円を描くように歩くたびに、次の季節と巡り合い、今の季節と別れる。
しかし別れた季節もいずれまた次の季節となって出会う。
そうやって何度も出会うたびに、私たちはその季節の「形」を探してしまうのかも知れない。