夏は人の夢をみる
海原
一
僕が彼女と出会ったのは、ある夏の日だった。
緑の野原は、穏やかに風が吹いている。その中に伸びる一本道を、僕は歩いていた。
太陽は強く輝いており、野原の上には陽炎が揺らめいている。どこからか蝉の声が、姿も見えないのに響いてくる。じわり、と額に汗が滲む感覚。
──ふと、視界に見覚えのないものが映った気がして、僕はそちらへ目を向けた。
道の先には、向日葵畑がある。その瑞々しく咲いた花畑の一角に、見慣れない人影があったのだった。
近づくことで、それが女性だとわかる。長い髪を綺麗に流しており、それが時々、風に靡くのが印象的だった。
しげしげと向日葵を眺めていた彼女も、僕が近寄ってきたことに気づいたようで、こちらへと振り向く。こんにちは、と声をかけると、彼女は微笑んで挨拶を返した。
「こんにちは。今日も暑いね」
ええ、と頷く。彼女の様子が親しげだったもので、つい、どちら様でしたっけ、などと訊いてしまった──もし顔見知りだったなら、思い出さないとまずいなあ、と考えながら。
「私かい? 私はそこの、」
と、彼女は野原の少し上を指さした。無色透明に燃え立っている、空気の揺らめきを。
「陽炎のような者だ。まあ、たいした人間ではないよ」
……どうやら僕は、はぐらかされたらしい。ということは、僕が忘れている顔見知り、ではないのだろう。初対面の人に不躾な質問だったな、と反省する。
気まずさを紛らわせるために、次いで、この辺りの人ですか、と訊く。まあね、と彼女は肯定した。
「君もこの辺の住まいだっけ。なんでもいいか、もしお手すきならば散歩に付き合ってくれないかい? 近所のよしみということで」
どうやら彼女は、散歩の途中だったらしい。急ではあったが、そのお誘いに僕は乗ることにした。
向日葵畑を抜けた先には丘があり、その丘を越えると海が見える。今日はよく晴れていて、海と空の境がくっきりとわかった。その蒼と青のコントラストを眺めながら、うーん、と彼女は背伸びする。
「いい景色だね。清々しいほどの夏だ」
そうですね、と僕は答えた。海から少し外れた空の彼方には、白い入道雲がもくもくとわき上がっている。熱気をはらんだ風が、草のにおいも運んでくる。微かに聞こえる潮騒は、海への憧憬をかき立てた。
「夏は、好きかい?」
問われて、首肯する。いろいろ楽しみたいことがありますし、と言うと、予定がいっぱいなんだね、と彼女は微笑んだ。
予定というほどの予定はないが、せっかくの夏なのだ。何をしたっていいだろう。海に行ってもいいし、山に行ってもいい。乗り物に乗ってどこか遠くへ行ってもいいし、家でぼんやりしていてもいい。花火を見に行ったっていいし、天の川を眺めていたっていい。兎角、やりたいことはたくさんある。
とはいえ、まあ──そう急ぐことでは、ないだろう。まだまだ夏は、続いていくのだから。
なので、今日のところは散歩を続けるつもりです、と言った。海までのんびり歩いたり、日陰で寝転んだりするのも楽しいだろう。
それを聞いて、彼女は一つ頷いた。
「夏を満喫するのはいいことだね。心置きなく、楽しんで」
そして、綺麗な微笑を浮かべて続ける。
「──願わくば、君が夢見た夏を得られますように」
空が黄昏れる頃に彼女と別れ、家路についた。
入浴や夕食を済ませて、就寝するべく布団を敷く。かち、かち、と電灯の紐を引っ張ったところで、日めくりカレンダーをめくっていないことに気がついた。
まあ、もう電気を消してしまったし、と布団にもぐる。今度二枚ちぎればいいのだ。今日のところは眠気が勝って、そのまま眠りに落ちていった。
さて、明日は何をしようか──。
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