玄関の呼び鈴を鳴らす音がする。次いで、お邪魔します、との彼女の声が、聞こえてきた。




 野原で出会った彼女は、僕が家で過ごす予定だ、と聞くと、是非立ち寄ってみたいと言い出した。会って間もないのに警戒心がないというか、遠慮がないというか、と、少しばかり呆れたものだ。

 だがまあ、僕の方にも、断るほどの理由などはなかった。簡単な片付けだけしてくる、と言って、先に家に戻っていた次第だ。その片付けが終わる頃、彼女は見計らったかのように来訪した。

 どうぞ、と玄関口に声をかけると、引き戸が開けられ、閉められる音が響いてくる。一拍置いて、彼女が顔を覗かせた。

「どうも。おや、扇風機だ」

 いそいそと正面に座り、妙な声変わりを楽しんでいる。それに苦笑しながら、僕は縁側を指さした。あちらには、金盥かなだらいの中に氷水をはって、冷やしたものを用意しているのだ。

「うん? ……わあ、ラムネにスイカだ。あ れも用意してくれたの?」

 顔を輝かせ、ありがとうね、と礼を述べてから、彼女はぱたぱたと縁側へ駆けていった。その後を歩いて追いかけ、金盥を挟んで彼女の隣に座る。彼女は既に、ラムネのビー玉を押し込んでいるところだった。

「こう、うまいこと窪みにひっかけないと、飲む時邪魔になるんだよね。……ん、美味しい」

 一口飲んで、幸せそうな顔。準備した甲斐があったな、と笑いながら、僕は切り分けたスイカに手を伸ばした。一切れ取って先を囓ると、甘い味がする。過度な水っぽさもなく、いいスイカだ。ある程度食べ進めたところで種が出てきて、それをぷぷっと遠くに飛ばす。よく飛んだねえ、と彼女が笑った。

 しばらくしてから、スイカは全て皮だけになり、ラムネは全て空き瓶となった。

 彼女は足をぶらつかせて、とんぼがたまに横切っていくのを目で追っている。風を受けた風鈴の、涼やかな音色が時折響く。僕が金盥を片付けて、また縁側に戻ると、彼女は空を見上げながら、一言呟いた。

「雨が降るよ」

 言われて、僕も空を見上げる。雨雲はまだ見えなかったが、湿ったような雨のにおいペトリコールが、鼻孔をついた。

 洗濯物も中に入れないとな、と急いで取り込む。そうこうしているうちに、雨が地を叩く音が聞こえてきた。

 夕立だ。

 雨脚は強く、外の景色は白くけぶっている。彼女も縁側から引きあげて、閉めた硝子戸越しに外を眺めていた。

 家の中に、驟雨の音が響いてゆく。ごうごうと唸る風。ざあざあと打ちつける雨粒。ぽつり、ぽつりとどこかから落ちる水滴。

 やがてその音は微かになり、そして、止んでいった。

「──ん。雨、上がったね」

 からりと硝子戸を開けた彼女が、差してきた太陽の光を受けて、眩しそうに目を細める。外を見ると、空はすっかり晴れ渡り、うっすらと虹がかかっていた。

「さて。では、そろそろお暇しようかな。スイカとラムネ、ごちそうさまでした。ありがとう、美味しかったよ」

 そう頭を下げる彼女に、いえいえ、と返す。玄関まで一緒に行き、帰っていく彼女の背を見送った。




 引き戸を閉めて、ふと、考える。

 近所だとは言っていたけれど──彼女はどこへ帰っていくのだろう、と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る