第9章(終)

 あの冷たい雨の日から以降の約一ヶ月、つまり、中学二年の三学期が終わるまで、私は一度も学校へ登校しなかった。

 その間担任は、一応何度か電話をかけてはきたが、しかしやはり私のケースにおいても、彼女が自ら、その足を運んで私の家まで訪問しに来るなどということは、案の定と言うべきか、ついにただの一度もなかった。もちろんそのことについて、私としては何の不都合も疑問もなかった。一方、担任の側に生じた何らかの不都合等については、いっさい私の関知するところではない。


 三年生へ進級する際、私たちの学年はまたしてもクラス替えが行われることとなった。このように毎年クラスが替わるというのは、この学校でも、そしてまた私自身の経験としても異例なことだった。もしかしたら、私たちのクラスのせいだったのかもしれない。しかしその真相は、私にはわからない。

 新しいクラスではKやH、またYや『ぬりかべ』そして書記の女子などの誰とも、一緒になることはなかった。無論、意図的にバラけさせたというわけでもないのだろうが、とは言えこの偶然は多少なりとも、私の心理的な負担を軽減させはしただろうと言える。

 あの空席もまた、私とは別のクラスに移動したのだが、しかしさすがにそのクラスでは、実際の机と椅子は早々に片づけられたようだ。ゆえにそのクラスで出欠をとる際、名簿にある彼の名前が読み上げられることはなかったであろうと推測することができる。しかし実際にどうだったかは、私は知らない。


 そんなわけで私は、その三学年の初日から登校を再開した。

 盲腸は治ったことにした。もともと何ともないのだ。ちなみにその盲腸は、いまだに私の右下腹部において、変わらずぶら下がったままでいる。そしてたぶんこのまま一生、こいつは私の体内に居続けることになるだろう。

 体育の授業も普通に受けた。夏になれば、水泳にも参加した。修学旅行に行って、みんなと一緒に風呂にも入った。中学三年にもなれば、誰々に毛が生えたなどとはやし立てるバカもいない。

 しかしやはり私は、自分自身として何もない人間であろうとする努力を、可能な限り怠らなかった。また、これまでの経験から、それなりに処世術の手練手管も覚えた私は、おかげでこのクラスにはわりあいスムーズに馴染むことができた。言い換えれば、そのクラスの中で特に目立たずにいることができた、というだけの話だが。

 二年のときの担任は、次の年にはどのクラスも受け持たず、私たちの学年が卒業するのと同時に結婚退職した。自分の本性には向いていない職業から離れることは、きっと彼女にとっても幸福なことだっただろう、と私は思った。


 卒業の日、私が涙を流すなどということはもちろん全くなかった。一方で逆にせいせいした、などとも思わなかった。私は、その他いっさい、何も思わなかった。感慨そのものが、私には何一つなかった。

 ちなみに、卒業証書授与の際、例の空席が属するクラスで一番最初に名前を呼ばれたのはまさしく彼であったが、言うまでもなく、それに応える声はなく、壇上で証書を実際に受け取る姿もなかった。

 こうして、私の中学校生活が終わった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 その後私は、市内の高校を経て、県内にある大学へ進学した。全く名も知られていない、小さな大学だった。

 大学卒業後は、東京を跨いだ他県にある、中規模の印刷会社に就職した。営業職として採用されたのだったが、研修期間の三ヶ月を過ぎて、なぜか現場仕事に回された。それから、主に折込のチラシを印刷する輪転機を回して丸四年を過ごし、そして五年目に、その会社はあっけなく倒産した。どうも新設された東京営業所で多額の使い込みがあり、経営が立ち行かなくなった、ということらしい。

 その後私は、地元に戻って再就職したが、またしても会社が潰れたり、あるいはリストラされたりして、どれも長くは続かなかった。そんなこんなで私は、結果として『職を転々』というやつになった。

 それまで勤めたどの職場においても私は、どういうわけかそこの部署のリーダー役に任ぜられることが多かった。学校時代と同様、結局それがおそらく私の宿命だったのだろう。そんな私に対して、あからさまな妬みの色を隠さない同僚も少なからずいたし、実際にさまざまな嫌がらせや陰口もあった。

 なんだ、これではまるでほんとに学校と同じじゃないか。

 私はそのたびに思い、白けた気持ちになった。

 そんな日々の間に、父も母も死んだ。私は結婚もしていないし、もちろん子供もいない。この世界で一人きり、いわゆる天涯孤独だ。

 何もない人間であろうと努力してきた私は、こうして実際に何もない人間になっていた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 そうして、中学時代から約三十年近くが経った。

 三月前半の、とある金曜日。薄曇りの午後だった。

 私はこの日も、近隣の中核都市にあるハローワークに、新しい仕事を探しに行っていた。コンピュータの端末でいろいろと求人を検索してみたが、案の定良い条件と思えるようなものは一つもなかった。

 そもそも年齢的にも厳しいのだということは、私にだってわかってはいた。確かに世間の言う通り、私のような者はこの期に及んで選り好みなどすべきではないのだろう。しかし私はどこか、この状況に対して死に物狂いでなりふり構わず、などという気にはなれないでいた。何となく、自分自身のこの現状が他人事にしか感じられなくなっていた。

 条件だの選り好みだのといっても、それ以前に私にはもはや、目の前のモニター画面に映る一つ一つの求人内容の区別が、まるでつかなくなっていた。仮にそこにある、どの職場の光景を思い浮かべても、そこにいる私自身のありようを、私は少しも想像できなかった。そこにいるのは、一体誰だ?それが私である必要が、必然性が、はたしてあるのか?

 もう少し視点を変えてみたら?などと、窓口の職員は私に言う。

 視点?なるほど。

 では一体、私は今までどの方向に視点を置いて、何を見てきたことになるというのだろう。私は一体、今の今まで、どこにいて、この先どこに向かっているというのだろう。

 一体、何のために?

 それが、私自身が生きるそもそもの条件になるのだとしたら、そもそも私は、それをこれまで持っていたと言えるだろうか?

 何もない人間であろうとしてきたような人間に、人間として生きる条件になりうるような何かが持てるか?それを持たないように努めてきたような者に、一体どういうわけで今さらそれを求めてくるのか?

 それは、いくらなんでもあんまりじゃないのか?

 オレはこれまで、一体どれだけ譲歩してきた?一体どれほど差し出してきた?これ以上、オレは何をすればいい?どうすれば気が済む?

 オレにはもう、何も残ってはいない。もう、どこに行けばいいのか、オレにはわからない。

 聞かせてくれよ。

 なあ、これは、一体誰の人生なのだ?

 私は、目の前のモニター画面に向かって、胸の内で語りかけた。彼は、私に何も答えなかった。結局、この通りだ。私が必要とする言葉は、いつも誰も何も、答えてくれはしない。

 しかしなあ、と私はあらためて問いかけた。言わせてもらえば、一体オレに何を求め、一体オレの何を否んでいるのか、オレには何一つ確かめる術もない、お前ら無言の亡霊に、これまでさんざん振り回され小突き回されして、オレはこうして実際に何もない人間になり、同時に何処にも行けない人間になったんだよ。他人のせいにするな、って?ああ、そうかい。しかしな、これだけは言っておくぞ。オレは、お前らの中から出てきたのだ。そのことだけは覚えておけ。

 オレは、そもそもお前らだ。

 答えは、やはり何もなかった。

 私は席を離れ、同類ひしめくフロアを後にした。


 近くのビルにあるコンビニで缶コーヒーを買い、広場のベンチに腰を下ろして飲んだ。その広場の片隅に、太宰治の家の庭に植わっていたと伝わる、一本の小さな木が移植されていた。このあたりに若い頃暮らしていたらしい。ここに来るたび、私はその木をひととき眺めるのが、何となくのルーティンになっていた。その日も、傍らにある見馴れた説明書きをしばらく目で追ってから、私は駅に向かうべく踵を返した。

 そういえば、太宰の年齢もとうに越してしまったのだな、と私はふと思った。

 駅前に行くと、ガラス張りの掲示板に貼られたポスターが、ふと私の目に飛び込んできた。ある女性ソプラノ歌手のコンサート告知だった。そこに書かれた歌手の名前は、中学二年のときに一緒だった、あの書記の女子のものだった。

 写真の女性は、確かに年齢は重ねていたものの、かつての彼女の面影が認められた。私は少し頭が混乱した。

 いや確か、かつて彼女がピアノも習っていたような話を聞いた記憶がある。そうか。書道ではなく、こっちの道を彼女は選択したということなのか。あれ以来、全く関係なく過ごしてきたけれど、こうして何かを自分のものとして生きられる人生もあるのだな、と私は思った。しかし、そういう人生への羨みや嫉妬は、思うほどわかなかった。いずれにせよ、それは私のものではないのだから。


 駅に着いた私はホームに佇み、とても静かな、穏やかな気持ちになっていた。

 父も母もすでに送った。妻も子供もいない。これまで何をしてきたわけでもないが、これから何をしたいわけでもない。むしろ、もう十分やってきたのではないだろうか。これを、この日々を、これからも続けていく理由が、一体私に何かあるのだろうか。

 もう、いいのではないか?

 私はゆっくりと、ホームの端へと歩いていった。警笛を鳴らし、電車が入って来るのが見えた。まるで、スローモーションのようだった。

 そのとき、電車の到着を待つ人々の中から、私のことをジッと見つめる視線があることに気づいて、私は足を止めた。

 彼だ。空席の彼だ。私はすぐにわかった。

 流行りの薄いダウンにデニムパンツというカジュアルな格好をした彼は、顔には年相応の時間経過が認められるものの、どことなく若々しく、そしてとても活動的な印象だった。私の方でも彼に気づいたことが伝わると、彼はどうしてか、その相好を崩し、私の方に近寄ってきた。

 そうか。生きていたのか。

 それはそうだ。生きている。彼は別に、『この世界』自体から不在であったわけではない。彼自身が時間を失っていたわけではない。彼は彼として、彼の時間を生きて、今こうして、私と同じに一人の中年男になったのだ。そしてその彼が、今実際に、私の目の前に存在している。これまでも存在してきたものとして、今もこうして、存在している。

 そうか。生きたのか。

 彼も、私と同じ時間を生きたのか。

 私もどういうわけか、自分の顔がほころぶのが自分自身でも抑えきれないのを自覚しながら、少しつんのめるようにさえなりつつ、彼のいる方へと向かっていった。

 互いに近くまで歩み寄り、私が彼の名前を呼びかけようとした、そのとき、私たちの立っている地面が、ゆっくりと大きく揺れはじめた。


《了》

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空席のある教室 ササキ・シゲロー @sigeros1969

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