終章 今も、昔も、いつだって自分のせいで

時を同じくして、しばらく公園に立ち尽くす雪樹はようやく足が家に向かっていた。

 俺のせい、か……。

 頭の中は鳴海の言葉でいっぱいだった。足取りは重く、家までがこんなにも遠い。暗い道を頼りない電灯だけが照らす。

 思い返してみれば、律華のことだってそうだ。あの日、突然俺が道路に飛び出しさえしなければ、律華を悲しませることもなかった。きっと今みたいな陰鬱な気持ちで過ごすことも、なかったはず。律華とただ一緒にいて、笑い合って……。

 桜城のことだってそうだ。もとはといえば俺が桜城に告白なんてしなければ。本当に好きかもわからないのに告白するなんてどうかしている。

 そう考えると、もっと失礼なのは藤枝だよな。命を助けられたことを勝手に勘違いして告白して……。

 そうだよな……、いつでも、いつだって、今だって、全部俺のせいでこんなことになってるんだよな。

 ふと、雪樹は既視感のある場所に来ていた。自分が落ちたという階段。かなりの段数。暗い今では階段下には闇が広がっているようにしか見えない。

「……」

 ゆらり、とまるで何かに魅せられたかのように雪樹の足は一歩、一歩と進み――

「っ!」

 突然の温もりに雪樹は目を見開く。はっと意識を取り戻したように振り向くと、

「ふ、藤枝?」

 雪樹を抱きしめる、藤枝の姿が。雪樹はなぜこんなことになっているのか一切理解が追い付かない。

「よかった……」

 震える緋波の声。ゆっくりと顔を上げた緋波の顔には、涙が溢れていた。

「今度は、間に合ったよ」

「どうして、ここに……」

「雪樹くんがずっと心配だったんだ。だから……こうして……」

 鼻をすすり、緋波は雪樹の顔をまっすぐと見つめたまま、

「この前の雪樹くんの事故、足を滑らせたことになってるし、雪樹くんもそう思っているみたいだけど、違うんだよ? 雪樹くんは、自分から階段に落ちていったんだよ」

 緋波にあの日のことを告げられ、そして状況も相まって失われていたあの日の記憶がよみがえる。そう、あの日雪樹は、自分から階段に落ちたのだ。同じように律華との関係、鳴海との関係に頭を悩ませながら。

「……」

「あの日も雪樹くん、思いつめた顔してた。だから私、心配してずっとつけてたんだ。そしてら突然雪樹くんが落ちて……急いで追った時にはもう血だらけで……」

 当時のことを克明に語る緋波。体は小刻みに震え、本当は思い出したくないのだろう。

「どうにか無事だったけど、あの日の事、ずっと胸に焼き付いて消えなかった。だから、二度とこんなことにならないようにって、頑張ったんだ」

 それが、藤枝が俺に優しかった理由なのか……。

「でも、ダメだった。私のせいで、いつだって私のせいで雪樹くんはたくさん混乱して、桜城さんの告白も断っちゃって……。ごめんなさい!」

「……見てたんだな」

「あっ……ごめんなさい……」

 申し訳なさそうに目を逸らす緋波。涙で腫らしたその目を見れば、どれだけ心配をかけてしまったのかがわかるようだ。

「その、確かに混乱してたのは事実だけど、別に藤枝のせいじゃない。きっとこうやって頭を悩ませるのも、大切なことなんだと思う。藤枝がいなかったら、今頃こんなに人を好きになるのはどういうことかなんて、絶対考えてなかったし」

「雪樹くん……」

「まぁそんな風に頭を悩ませてこんなことをしてちゃダメだけどな」

 自嘲気味に笑う雪樹に、緋波は再び涙をこぼすと、

「そうだよ……、お願いだから、二度とこんなことしないで!」

 いつもはマイペースな緋波の必死な姿に、とんでもないことをしていたと雪樹は深く反省し、

「……本当にごめん。二度としないよ、こんなこと」

 緋波の前で、そう誓うのだった。

「うん、そうしてね。相談なら、いつでも乗るから」

 涙を流す緋波を、しばらく胸の中で落ち着けてあげる雪樹。呼吸が落ち着いてきたのを見計らい、

「もう遅いし、帰ろうか」

「うん……そうだね?」

 まだ目は赤く腫らしているが、もう大丈夫というように緋波はほほ笑んだ。

「その、送っていくよ。家近いみたいだし」

「そうなんだ? ありがとう?」

 ゆっくりとした歩調で、電灯と住宅の明かりが照らす道を行く。

 そうだ……これからしっかり考えていかなくちゃならないんだ。自分の気持ちを。自分には何ができるのかを。

 俺は律華に何をしてあげるべきなのか。

 俺にとって藤枝はただの命の恩人なのか。

 俺が桜城に抱いていた想いは本当に恋だったのか。

今はまだ何も見えないけど、絶対に逃げちゃいけない。自分で狂わせた歯車を戻す事は出来なくても、絶対に回し続けなきゃならないんだ。

 見上げれば満天の星。頼りない一つ一つの光でも、集まれば空を照らすことが出来るのだと雪樹は思った。

 

 真に他人に好意を抱くということがどういうことなのか、それがわかる人間はまだ、ここにはきっといない。

 失ったものを埋めるために。

 もらった恩に報いるために。

 それとも、自らが選んだもののために。

 桐柴雪樹がどれを選び取るのか、それはまだ先の話だ。

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きっと答えは出なくとも、 遥原春 @harubaruharu703

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