第三章 本当の気持ちを知ったから

「……」

 律華りつかとのデートから翌日。またも雪樹せつきは呆けていた。

「……ん? もう昼休みか」

 律華……昨日あんなことがあったのに、弁当作ってくれたんだよな。教室で食べる気分じゃないな。屋上……はダメだ。藤枝ふじえだにどんな顔して会えばいいのか分からない。食堂のテラス席にでも行こう。

 力なく立ち上がり、のそのそと食堂へ向かう。過ぎゆく生徒たちの喧噪も、今の雪樹には別世界の出来事だった。

 やがて食堂に到着。テラス席の空いた椅子を見つけると、

「よいしょっと。それじゃあいただきます」

 包みを開き手を合わせ宣言したところで、

「美味しそうだね?」

 背後からの突然の声。このパターンに慣れて頭では誰かはわかっているものの、体はそうもいかなくて。

「うおわっ! 藤枝!?」

「きゃっ」

「あっ……ごめん、また大きな声を」

 胸に飛び込み、襟をキュッと握る緋波ひなみ。雪樹は申し訳ないという表情をしていると、

「……ううん、気にしないで?」

 すっと離れて緋波。そしてよく見るとその手には弁当箱が握られていた。雪樹はなんとなく意図を察しつつも、

「それで、どうしてここに?」

「雪樹くんの姿が見えたから?」

「そんな理由で……」

「雪樹くんも最初、そんな理由で屋上に来てくれたよ?」

 言われてみれば、そんなこともあったな……。

 ここ数日のいろんな出来事で、わずか数週間前のことも少し曖昧になっていた。思案する雪樹を横目に、緋波は向かいの席に座ると、

「じゃあ私も、いただきます?」

 小さく手を合わせ、弁当を食べ始める。そんな緋波の姿を雪樹がジーっと見つめていると、

「どうしたの? 私の顔に、何かついてるの?」

「ああいや、なんでもないよ」

 会いづらいからってここに来たのに、結局会っちまったな。

 そんな残念な気持ちもあったが、いつもと全く変わらない緋波の様子にどこか安堵していた。そんな雪樹を今度は逆に緋波が見つめる。

「そういえば、八知読やちよみさんはあれからどうしたの?」

「あー……、帰ってから会話してないよ」

 昨日の家での様子をなんとなく思い出しつつ言うと、緋波は少し慌てた様子で、

「私のせいだよね? ごめんね?」

「いや、そんなことないよ」

「でも、八知読さんと仲良しじゃないと、雪樹くんは幸せじゃないよね?」

「それは、そうだけど……。でもそのうち元に戻るよ、きっと」

 昨日の律華の最後の言葉。雪樹はそこに確かな意思のようなものを感じていた。

「律華は簡単には諦めないだろうしさ」

 そう語る雪樹に、緋波はきゅっと口を結んだ。

 と、そんな二人の間に入るように、

「二人でなに話してるのっ?」

 弾んだ調子の明るい声。いつの間にやら、緋波に抱きついた鳴海なるみの姿が。

桜城さくらぎも今日は外で食べるつもりで?」

 聞くとなおも緋波に抱きついたまま、

「いや、遠くから二人が見えたからさ。あたしも一緒にいいでしょ?」

 緋波が嫌そうにう~とうなり声をあげ始めたのを聞き、鳴海はやっと離れた。そんな二人の姿を、雪樹は不思議な気持ちで見ていた。

「雪樹くんがいいなら大丈夫だよ?」

「何で俺に……もちろんいいよ」

「うん! ありがとねっ!」

 いそいそと鳴海がレジ袋から取り出したのは、コンビニのサンドイッチ二つ。雪樹は目をぱちくりさせると、

「珍しいな。それだけなんて」

「今金欠なの。お小遣い待ちっ」

 えへへっと笑ってみせる鳴海に雪樹はそっか、と優しく返した。すると、鳴海は思いだしたように、

「そーいえば二人とも、中間テストの結果どうだった?」

「まだ返ってきてない分もあるけど、今回も全体的に半分くらいの順位になりそうだよ」

「私は二教科ぐらいで一番をとったよ?」

「やっぱり特進は違うなぁ」

 しみじみと雪樹と鳴海は同じように頷いた。

「そういう桜城はどうだったんだ? ちゃんと赤点回避できた?」

「ふっふっふっ、あたしを舐めているようだね」

「今回割とよかったの?」

 もったいぶる鳴海に雪樹が問う。緋波はなぜか、結果発表前なのに小さく拍手をしていた。

「今のところ全教科ぎりぎり回避してるよっ!」

 結果いつも通りか……。

「むっ、桐柴きりしばぁ」

 雪樹の胸の内を読みとったのか、鳴海はジト目で雪樹を睨む。

「言いたいことがあるならはっきり言ってよ」

「な、何もないよ」

「いつも通りの結果かぁ、まぁ桜城程度ならそんなもんだろ」

「別にそこまでは思ってな……」

 気づいたときには既に遅く。恨みがましそうに睨む鳴海が雪樹の目に映った。いつもみたいにつつかれる、と雪樹は身構えるが、

「もう、桐柴はひどいなぁ」

 あははっと笑う鳴海に思わず面食らう。そんな雪樹の様子に、今度は鳴海が疑問。

「どうしたの桐柴?」

「いや、別に……」

 違和感を覚えつつも、雪樹がそれ以上踏み込むことはなかった。

 その後も談笑しつつ食べ進めるが、

「ん、あたしもうお腹いっぱいかな。よかったら桐柴、食べる?」

 ぷふぅとため息を一つ。二つ目のサンドイッチを途中まで食べたところで鳴海がそんなことを言い、残りのサンドイッチを雪樹に差し出した。

「えっ? どうした桜城。調子悪いのか?」

「桐柴こそどうしたの。そんな珍しそうにして」

「だってそんなんでお腹いっぱいなんて」

 いよいよ鳴海の体調を心配し始める雪樹をよそに、

「じゃあ、私食べるよ?」

 既に弁当を食べ終えた緋波が小さく手を挙げた。鳴海は少し意外そうな表情を浮かべてからどうぞー、と緋波に差し出す。そして緋波はあむっ、と一口。しばらく咀嚼して味わうと、

「……お腹いっぱい?」

 満足そうに自分のおなかを撫でるのだった。そんな緋波に雪樹はおいおい……と呆れ、

「じゃあなんで食べたし……。もういいよ、残りは俺が食べるから」

そう言って緋波からあと一口というサンドイッチを受け取り、パクリと頬張り咀嚼していると不意に視線を感じ、その視線を辿ると鳴海の目にぶつかった。

「……どうかしました?」

訝しげな雪樹の視線に慌てたように鳴海。

「い、いや何でもないよっ! そういえばあたしこの後予定あるからもう行くね」

「あっおい……」

逃げるように走り去る鳴海に、やはり何かあると思い雪樹は、

「藤枝、悪いけど俺も行くわ。やっぱり様子がおかしい気がして心配だ」

「うん、わかったよ?」

頷く緋波に軽く頭を下げて、鳴海の消えた方へと雪樹は走り出す。そんな雪樹を見送るように小さく手を振り、やがて見えなくなると所在無げにゆっくりと手を下ろし、なんとなく髪を弄った。

「……一人になっちゃった?」

ポツンと取り残された緋波。とっくに弁当は食べ終わっている。教室に戻ろうと席を立ったところで、

「ねぇ、ちょっといいかしら」

ガヤガヤとした喧騒渦巻く昼休みだったが、その声だけはやけに良く緋波に届いた。緋波がゆっくりと顔を上げると、

「あなたは……八知読さん?」

「ちょっといい?」

不機嫌そうな顔を浮かべた律華。だがやはり緋波の表情は変わらず、

「いいよ? どうしたの?」

そう言って席に座り直す緋波に続き、律華も向かいの席に腰を下ろした。そして足を組むと、

「あんたは雪樹のいったい何なの?」

「私? 私は雪樹くんにとっての命の恩人だよ?」

「じゃあ、なんで命の恩人のあんたがそこまででしゃばるのよ」

淡々とした緋波の態度に、律華は腕を組みさらに続けた。

「雪樹くんに幸せになってほしいからだよ?」

「なんなのそれ……。雪樹のことが好きなの?」

「そうだよ?」

「なっ……っ!」

恥じらいもなく堂々と答える緋波に思わず絶句。そんな律華を見てフォローでもするかのように、

「でも安心して? 雪樹くんと付き合うつもりはないし、八知読さんを応援してるよ?」

「じゃ、じゃあなんで律華の邪魔するの!」

もっともな意見だ。にも関わらず、緋波は少し驚いたように目を開くと、

「だって、雪樹くんが幸せそうじゃないから? 私はね、八知読さんも雪樹くんも納得できる幸せを選んでほしいんだ?」

「何なのよそれ……」

「ねぇ、八知読さん? 私も一つ、聞いてもいい?」

「な、何よ」

身構えるように居住まいを正し律華。

「雪樹くんのこと、本当に好きなの?」

「何を言いだすかと思ったら……当たり前じゃない」

「じゃあ八知読さんが本当に欲しいのは、雪樹くんなの?」

「こんな質問に何の意味があるのよ!」

耐えきれず声を荒げる律華に、緋波は言うか迷うように視線を彷徨わせる。そしてもう一度律華を見て、頷く。

「人と一緒にいる形って、結婚だけじゃないと思う」

「……どうして急に、そんなことを」

「ううん? なんとなくだよ?」

そして緋波は考えるように人差し指を口に当て、

「きっと私には八知読さんの考えてることはわからないけど、何が本当に欲しいのか考えて欲しかったのかも?」

「……」

律華自身もまだはっきりとはわからないが、どうしてかそれは言われたくなかった一言な気がした。

「じゃあ、私はもう行くね? 八知読さんとお話しできて良かったよ?」

 相も変わらず無表情のままに律華に別れを告げ、そのままとてとて歩いて行ってしまう。そんな緋波の背を眺め、

「……変な子」

 呟き、何かから解放されたように肩の力が抜けた。




 桜城、どこに行ったんだ?

 律華と緋波が話している頃、雪樹は鳴海を探し続けていた。

「こっちの方向に行ったと思ったんだけど」

 頭をひねりながら歩いていると、さしかかるは体育館裏。

「桜城さん、いいでしょ?」

 鳴海を呼ぶ男の声に、雪樹の足はびしっと止まった。このパターンは……と察した雪樹は、それからゆっくり、ゆっくりと壁に背をつけ体育館裏の様子を覗く。バレたらまた桜城に怒られるな、と思いつつも好奇心半分心配半分に様子を伺う。

「だから、あたしはそんな意識したことないって」

 どうやら男の方からの告白。そしてもう振られたらしい。

「でも好きって言ってくれたじゃないか」

「あれは友達としてって意味だよ」

「だとしてもさぁ、俺はもう本気なんだよね」

「そんなこと言われても……」

困る鳴海の姿を見て男の方は、はぁとため息。そして鳴海を少し睨むと、

「いろんな人に好き好き言うのは勝手だけど、そんなことやってるといつか痛い目、見るよ。それじゃ、せいぜい恨みを買わないように気をつけて」

鳴海の態度に苛立ちを覚えたのか、少し口早にそれだけ伝え、その場を去って行く。ありがたいことに、雪樹のいる場所とは反対の方向から出て行くつもりらしい。だかしかし、

「やばいっ、こっちに来る」

鳴海はこちらから教室に帰るらしい。慌てて逃げようとする雪樹だか、運悪く落ちていた枝を踏んでしまう。パキッという軽快な音と、

「誰かいるの!?」

鳴海の声に杭を打たれたように動けなくなってしまった。雪樹がどうしようと頭を巡らせていると、

「もしかして……桐柴?」

「なっ、なんで」

俺の姿まだ見えてないはずなんだけど!

「なんだ、やっぱり桐柴か」

先ほどまでの警戒の色をといた鳴海はゆっくりと雪樹の方へ。やがて雪樹の前まで来ると、安堵したように笑った。

「桐柴ぁ、この前言ったばっかだよ? 女の子のこんなところ覗くの、どうかと思うよって」

責めるような口調ではあるものの、その視線はどこか優しかった。

「すまん……桜城の様子が変だったから気になって」

「そっか、心配させちゃってごめんね」

「いやそれは別に……。それにしてもあいつ、だいぶ物騒なこと言ってったな」

「ううん、いいの。あの人の言うことも、もっともだと思うし。あたしは大丈夫だから、ね」

「桜城……」

笑って見せるものの、その笑顔はどこか作り物に見えて。雪樹はしばらく鳴海から目を離さないでいよう、と決意したのだった。




「あっ……律華だ……」

放課後に帰ろうと教室を出たところで、下駄箱に向かう律華の姿が見えた。

 昨日帰ってからろくに会話もしてないんだよな。一つ屋根の下に暮らしているんだから早い内にどうにかしたいけど……。

 言葉が見つからず、結局律華が下駄箱から出て行くのをこっそり待った雪樹。律華が学校を出た後も、しばらく下駄箱で人を待っているかのように時間を潰し、

「そろそろ帰るか」

 雪樹も靴を履き替え外へ。そして校門を抜けたところで、

「……どうして律華を避けるの?」

雪樹に声をかけたのは、校門に背を預け不満そうな、いや寂しそうな律華だった。雪樹がしまったという表情を浮かべたのがなお気に食わなかったのか、目をそらして髪の毛を弄りだす。

「えっと……どうしてここに?」

理由なんて分かりきっているはずなのに、そんな事が口をついて出た。律華もわかっているでしょとばかりに無視をして、

「どうして? 律華のこと、そんなに嫌いになったの?」

相変わらず目は合わせぬまま糾弾する律華に雪樹は焦る。

「そ、そういうことじゃなくて、昨日のことがあったから……。と、とりあえず帰ろうか」

他の生徒も下校中なのに、いつまでもここでこんな話はしていられない。

そんな気持ちでの誘いだが、真意は今の空気を変えたかっただけかもしれない。律華はうんと力なく頷くと、ゆっくり歩く雪樹の横に。

 重苦しい沈黙が続く。先を歩く生徒、ふざけ合いながら走って行く生徒、ゆっくりと談笑しながら歩く生徒。いつもなら少しずつ煩わしいのに、今の雪樹には救いにも思えた。

「えっと……昨日はごめん」

先に沈黙を破ったのは雪樹だった。そして居心地が悪かったのか、クイっとネクタイを少し緩めた。

「どうして雪樹が謝るの?」

理由を聞く律華はどこか動揺していた。彼女のこんな表情は新鮮かもしれない。

「嫌な気持ちにさせたかと思って」

「それはあの女のせいよ。雪樹は関係ないでしょ」

「そう、なのか? でも、ごめん」

 雪樹の再びの謝罪に、律華は震える声でどうしてと聞いた。

「もともと俺たちの関係がこんな風になっちゃったのも、全部全部俺のせいだから」

 その答えに律華は目も声もとがらせて、

「そんなこと、謝って許されると思ってるの」

「思ってないよ。律華に恨まれたって当然だと思う。だから昨日みたいなことも……」

 自分で言って、気まずくなって視線を落とす雪樹。だが律華も同じく、思うところがあるらしい。

「とりあえずお互いのためにも、昨日のことはなかったことにしようよ。俺も忘れるようにするから……律華?」

 雪樹が言いかけたところで、律華に強く袖をつかまれた。そしてその手は震え、怒りなのか悲しみなのか、それもまた別の感情なのか、雪樹には皆目見当がつかなかった。

「どうして、そんなこと言うの」

 顔を上げた律華は涙を目に溜め今にも溢れてしまいそうな、そんな不安定な表情。思わず息が詰まる雪樹に、律華はまくしたてた。

「律華の事忘れないでよ! 律華の事全部ちゃんと覚えていてよ! 雪樹に忘れられたら、律華はこの世界で一人ぼっちなんだよ? ママを失った日から、律華の世界には雪樹しかいない。 律華からママを奪ったんだから……責任取って律華と最期まで一緒にいてよ! どんなことも忘れないでよ!」

 言い終わるころには、その両目から涙があふれていた。しばらく言葉を失っていた雪樹だったが、

「……ごめん」

 その言葉を絞り出すと同時に、不思議と雪樹の目からも涙がこぼれた。その涙を見て律華は不満そうに、

「なんで雪樹が泣いてるの……それに謝ってばっか……」

 だが、どこかそれだけではないような声音で雪樹を責めた。

「うん、ごめん……」

「また……」

「大丈夫。ちゃんと全部覚えておくよ。律華の事」

 その言葉を聞くと、律華は嬉しそうに、でも悟られまいと口をとがらせ、

「雪樹の答えなんて聞いてない。当然のことなんだから」

「そうだったね。それじゃ、帰ろうか」

「うんっ!」

 弾んだ声の律華。二人の間に沈黙はもうなかった。




 翌日の放課後。下駄箱から鉛色の空を眺める雪樹と律華。響く雨音。どこからかゴロゴロという音も聞こえ、雷が近づいているようだ。

「律華、バイト大丈夫か?」

「ええ大丈夫よ。ごめんね、一緒に帰れなくて」

 傘を広げながら律華。心配そうに見つめる雪樹に、律華は微笑みを返した。

「気をつけてな」

 先日の出来事から、二人の距離感は変わったようだ。律華が恨んでいるのは違いないが、それだけではないと雪樹が気づいたからだろう。

「心配しないでよ。それじゃあね」

「ああ」

 律華の背を見送り、自分も帰るかと傘を広げると、

「あっ、桐柴!」

 パタパタという足音とともに現れるは鳴海。雪樹は軽く手を挙げて挨拶すると、

「今から帰りか?」

「そうだけど?」

 言いつつ靴を履き替え、颯爽と外へ出ようとする鳴海。

「いやいや何でそのまま出て行こうとしてるのさ」

 傘も差さずに外へ繰り出そうとする鳴海の腕を引いた。

「あっ……」

 雪樹に捕まれた手をじっと見つめる鳴海。訝しげにに雪樹が、

「どうしたんだ?」

「いっ、いやなんでもない」

 あははー……と力なく笑う鳴海は、雪樹の疑問に答える。

「傘忘れちゃったんだもん。しょうがないよ」

「だったら一緒に帰ろうぜ。俺は傘持ってるし」

「えっ、いや、でも……」

 雪樹の提案になぜかオロオロと目を泳がせ、明らかに動揺する鳴海。

「どうしたんだよ。一緒に飯を食べる仲だろ?」

「そ、そうだけど……。でもい、一緒にってそれ……、だ、大丈夫! 走って帰るから!」

突然弾かれたかのようにあわあわと焦りだす鳴海に頭を捻りつつ、

「でも桜城の家って少し距離あるだろ?」

「大丈夫だって! それに走りたい気分だし!」

「いやでも……」

引き止めようとする雪樹を振り切るように、

「心配しないでよ! これくらい大丈夫大丈夫! だからじゃあね!」

「あっおい……」

走り去る背を見ただけでもわかるが、もうすでに鳴海はびしゃびしゃだ。やがて鳴海が見えなくなると、大きくため息。

 しょうがない。一人で帰るか。

雪樹が傘をさそうとしたところで、

 ピッシャーン!!

大きな落雷。どうやらこちらに近づいてきたらしい。

「参ったな。やっぱり桜城を追うか……」

 いや、そう言えば藤枝。大きい音苦手だったよな……。

ふとそんなことを思い出した雪樹は踵を返す。ほとんどの生徒が帰った校舎は、少し不気味な静けさだった。やがて緋波の教室にたどり着くが、中から人の気配はない。ゆっくりとドアから様子を覗き、

「まだ校内に……なんてことはない……」

 いた。

首を巡らせたところで、教室の隅に縮こまる緋波の視線とぶつかった。

「雪樹くん? どうしてここに?」

「いや、雷が近づいて来たから、つい藤枝のことを思い出してな。まさかまだ校舎に……と思ってここに来たんだよ」

「そうだったんだ? ありがとう、雪樹くんっ!?」

再び鳴り響く雷の音に緋波の言葉と体が跳ねる。慌てて雪樹は駆け寄り、

「だ、大丈夫か?」

「うん、今大丈夫になったよ?」

雪樹の顔を見上げると、緋波の顔の緊張が解けていく。そして心を落ち着けるために深呼吸。

「ありがとう、雪樹くん?」

「いいよ、これくらい」

真っ直ぐに見つめられ、心の置き所をなくした雪樹はこめかみをポリポリ。そしてこの後どうしようかと考えていると、先に緋波が口を開いた。

「でも、ずっとこうしている訳にはいかないよね?」

「どうして?」

「雪樹くんの帰りが遅くなっちゃうよ?」

「俺のことは気にしないでよ。別に急いで帰らなきゃいけない訳じゃないし」

「でも……」

バツの悪そうな緋波を安心させようと、雪樹は笑みを浮かべてみせる。

「大丈夫。それに、今の藤枝を放っては帰れないよ」

緋波は少し困ったように俯きしばらく。

「雪樹くんは、優しいね?」

探していた言葉が見つかったように、顔を上げた緋波はそんなことを言った。だか雪樹はそれを苦笑いし、

「藤枝の方が優しいだろ。それに比べれば俺なんて」

「そんなことないと思うよ?」

これは同じことを言い続ける流れだな、と雪樹は早々に察知し別の話題へ。

「もう少ししたら雷が落ち着くかもだし、そうしたら帰ろう」

「うん、そうだね?」

「っ! また雷が」

 強力な光。とっさに雪樹は緋波の耳をふさいだ。途端に鳴り響く心臓を揺らす音。かなり近かったようだ。

「……んっ。ありがとう、雪樹くん?」

「いやこれくらい……ってごめん! 顔近いよな!」

とっさのことで気が回らなかった雪樹。はたから見たらそれは、キスの手前にしか見えないものだった。だか緋波は嫌そうな顔一つ見せず、

「ううん、別に大丈夫だよ? 本当にありがとう?」

「まぁ一時しのぎでしかないし、ずっとこうしているわけにも……ん?」

「どうしたの?」

「いや、足音が聞こえた気がして」

「放課後になってから時間は経ってるけど、まだ人はいるんだから当たり前だと思うよ?」

「そ、それはそうなんだけど……」

 誰もいない教室に二人きりなんて状況、誰かに見られたらまずいよな。変な勘違いされるかもしれないし。でも、藤枝をおいていくわけにもいかない。

「とりあえず、もう少し待ってみようか」

「うん、そうだね?」

 しばしの優しい沈黙。さっきの雷が一番大きかったのか、それからは遠く離れ行く雷鳴。まだ鳴り続けているものの、緋波も少し慣れてきたのかあまり体も跳ねなくなった。もしかしたら、雪樹がそばにいるから、かもしれないが。

「雪樹くん、先に帰っていいよ?」

どれくらいの時間が経ったのか、少しウトウトな様子の緋波は雪樹を気遣うように提案。だが雪樹の答えはもちろん、

「いや、最後までいるよ」

「でもそれじゃあ雪樹くんまで、帰るの遅くなっちゃうよ?」

「気にしなくていいよ」

「ありがとう? だけど、やっぱり悪いから、もう帰ろう?」

「でも……」

「雪樹くんがいれば、大丈夫だから?」

少し迷っている雪樹を安心させるように、毅然とした態度で告げる。その瞳は少し揺らいでいたが、雪樹は嘆息。

「……わかった。それじゃあ行こうか。立てる?」

「うん、大丈夫だよ?」

緋波の手を引き、立ち上がらせる。緋波の長い髪の毛が揺れると、ふわりと女の子が香る。雪樹の胸は高鳴り、繋いだ手に熱。だが雪樹は、

今俺が藤枝と一緒にいるのは、藤枝が命の恩人だからなのか? 藤枝のことが好きだから? それとも……、だめだ。考えても答えなんて出ない。好きって何なんだよ……。

 いつでも変わらない緋波の態度。そんな姿に流され、振られてもこうして一緒にいる始末。雪樹は自分の気持ちというものがますます見えなくなっていた。頭を軽く振って思考を整え、

「それじゃあゆっくり行こうか」

「うん、きゃっ」

 緋波の小さな悲鳴にまた雷かと思ったが違った。廊下で転びそうになる緋波を雪樹は受け止める。

「大丈夫か?」

「うん、ごめんね? ありがとう?」

「足元には気を付けて……ってなんで濡れてるんだ?」

 視線を床に移すと濡れた床、さらにその水はどうやら下駄箱の方へと続いていた。

「本当だね?」

 雪樹の視線に釣られ緋波も不思議そうに眺める。

「踏まないように気を付けていくよ」

「うん、わかったよ?」

 なるべく端、窓側ではなく教室側を歩き下駄箱に向かう。廊下に人影はなく、やはりかなりの時間が経っているのだと雪樹は改めて実感した。

「そういえば傘は持ってる?」

「持ってるけど、今は持って歩けないよ?」

「た、確かに……」

 右手を腰、左手を胸とがっちり雪樹につかまる緋波に、そんな余裕がない事は一目瞭然だった。そして緋波は上目遣いに、

「だから、雪樹くんの傘に入れて?」

 少し喉を詰まらせながら、

「もちろん大丈夫だよ」

「ありがとう?」

 やがて下駄箱にたどり着き、靴を履き替える二人。ちなみに緋波は履き替える間も片手だけは絶対に離さなかった。

 そして地面に目一杯雨をたたきつける空を眺め、傘を広げる。雪樹は緋波を確認するように一瞥。

「転ばないようにな」

 そして一歩。降りしきる雨の重みが、雪樹の右手にかかる。

「うん、雪樹くんの方こそ、歩きづらくない?」

 雨音で届きづらいと思ったのか、緋波はいつもより少しだけ声を張った。

「大丈夫だよこれくらい」

 傘はさしているものの、早速ズボンの裾が濡れ始めたのを感じる雪樹。それに右肩もだいぶ濡れてきて悪寒が酷いはずではあるが、今の雪樹はあまり気にならなかった。否、別の事に気を取られていた。

「相合傘だね?」

 そんな事実をあっさり叩きつけてしまう緋波に雪樹は肩をびくつかせ苦言。

「い、意識しないようにしてたのに……」

「ごめんね?」

 相変わらず無表情な緋波を見ると、気にしているのが自分だけのようで雪樹は悲しい気持ちになった。息を整え、

「いや、俺が気にしなければいいだけだから」

 言いつつ、別の話題を探す雪樹だったが、

「きゃっ!」

 空の輝き。胸を打つかのような轟音。離れていったと思って完全に油断していた二人。

「今のは大きかったな。大丈夫?」

「ごめん、今のはダメ……」

「動けない?」

「……」

 無言の姿を肯定と受け取り、両手が塞がっている雪樹は視線だけで雨宿りできそうな軒下をさし、

「そこまでは行けそう?」

「うん? 大丈夫だよ?」

「じゃあちょっとそこまで」

「ごめんね?」

 緋波を支えつつ、軒下に移動。ふと周りを見渡すと、人の姿が全く見えなかった。こんな時に出歩くもの好きなんて、普通はいないのだろう。なんで今日休校にならなかったんだと雪樹は素直に思った。

 雪樹は腕の中で小さくなっている緋波が震えていることに気づいた。

 なにか話をして気を紛らわせないかな……。

「ねぇ雪樹くん?」

 と思っていた矢先、先に切り出したのは緋波だった。

「どうした?」

「八知読さんとは仲直りできた?」

 唐突な話題に、雪樹は少し目を丸くする。あっと意識を取り戻し、

「ああ……昨日の放課後に、ちゃんと話したよ」

「そっか、仲直りできたんだね? よかった?」

「そういえば藤枝は、律華にも幸せになって欲しいって言ってたっけ」

「うん? 変かな?」

 変といえば変なんだけど、

「そういうことが言いたいんじゃなくてさ。それってやっぱり、そうするのが当然だからなのか?」

「んー、うん。雪樹くんの言うとおりかな?」

「そっか……」

 緋波の回答に嘆息。ここではないどこか遠くを眺めながら雪樹は、

 じゃあ俺が藤枝のそばにいるのは、藤枝に幸せになってほしいって、それだけの感情なのかな。やっぱり好きじゃないって、ことなのかな。だったら昔桜城に抱いていた想いは……。

 そんな風に自分の気持ちに答えを出そうとしていると、

「雪樹くん?」

「ん? どうした」

「私、もう大丈夫だよ?」

「そっか。じゃあ行くか」

 傘を広げようとする雪樹だったが、緋波がそれを制止した。

「……どうしたんだ?」

「今日はありがとうね?」

「なんだよ改まって」

「雪樹くんが一緒にいてくれて、心強かったよ。だから、ありがとう」

「っ!」

 思わず言葉を失う雪樹。理由は単純明快。普段無表情な緋波の笑顔。その笑顔だけで、今日一日緋波に付き合ったことが有意義になるようだった。

「……だ、大丈夫ならもう行こうぜ」

「うん、そうだね?」

 気が付けば無表情に戻っていたが、雪樹の心音は異常なまま。

 くそっ……自分の気持ちがよくわからなくなってきた……。

 それから緋波を家まで送り届け、雪樹も帰宅。意外と緋波が近くに住んでいることを、雪樹は初めて知った。




「桜城……」

 雷の日から二日後。桜城は学校を休み続けていた。

 やっぱり雨の日に走って帰るから……。携帯で連絡を取っても大丈夫の一点張り。心配だし、放課後行ってみるか。

 そうして雪樹は、訪問する建前として学校の連絡事項のプリントを片手に、鳴海の家の前にいた。少し緊張しつつ、インターホンを鳴らす。すると鳴海のものではない女性の声が、

『はいはーい。ん? どちら様?』

「あっ、桜城鳴海さんと同じクラスの桐柴雪樹と言います。学校からの配布物を届けに来ました」

 途端、バタバタと玄関に突貫するような足音とともに、

「ああ、もしかして鳴海のボーイフレンド? そうなの? さぁさぁ入って入って!」

 登場するは鳴海の母。キラキラした目で娘の彼氏と思いこむ存在を迎える。さすがの雪樹も圧されつつ、

「いやあのボーイフレンドでは……」

 否定するも、どうやら聞こえていないようだ。入って入ってと手招きまくり。仕方なくそのままお邪魔する雪樹。

「鳴海! お見舞いに来てくれたわよ!」

「えー誰?」

 いつもよりいくらか暗い声。相当疲れているのかもしれないと雪樹は胸を痛めた。

 やがて鳴海の部屋の目の前まで案内される。この向こうに鳴海がいるのかと思うと、雪樹に緊張が走る。震えそうになる手を押さえつつノック、そして、

「よ、よう……」

 中へ足を踏み入れると、布団で休む鳴海の姿が。そして鳴海はふらふらとした瞳で雪樹の姿を確認すると、

「なっ! 桐柴!? なんで!?」

 驚いてさっと頭まで布団に隠れてしまった。風邪で身だしなみも整えていない姿を見られるのは、とてつもなく恥ずかしいのだろう。鳴海の焦りに雪樹も感化され、

「いやその心配だったから! そんな理由で!」

「来るなら来るって言ってよぉ……」

 すすっと目を布団からだし、上目遣いに雪樹を見つめる。うるうるとした鳴海の瞳に見つめられると、雪樹はいけないことをしているようで喉が詰まった。

「あらあら仲がいいこと。好きなだけいて頂戴ね」

 微笑みながら二人を見つめ、ルンルンとした足取りで鳴海の母は下の階に降りていった。しばらく沈黙する二人。やがて雪樹は訪問のもう一つの理由を思い出し、鞄からプリントを取り出す。

「これ、学校からの配布物」

「あっ……わざわざありがと。そっかそういう理由で家に来たんだ」

 どこか寂しそうに視線を落とす鳴海。それを悟られたくなかったのか、再び布団に隠れてしまった。

「いや、こっちが建前というか……心配だったから来たんだ」

 理由を聞き、再び顔を出す鳴海。ひょこひょこと布団から出入りを繰り返す鳴海の姿は、ゲームセンターのモグラのようでなんだか愛しい気持ちになる。

「うん……心配してくれて素直にうれしい。ありがとう。それにメールも」

「気にすんなって。そういえばこれも渡しておくな」

 雪樹が差し出すは一冊のノート。察しのいい鳴海は気付いているのかもしれないが、鳴海はそれを受け取ると、

「これは?」

「桜城が休んでいる間の分のノートだ」

「そ、そっかぁ……ありがと」

「桜城の一ヶ月分に比べれば、陳腐なものだけどな」

 たははと力なく苦笑いを浮かべる雪樹に、

「そんなことないよ! 桐柴があたしのためにしてくれたんだって思うと……その気持ちが、すごく嬉しいから」

 身を起こして必死に訴える鳴海。そんな姿に驚きつつ雪樹は、

「な、なんかこっちこそありがとう……。改めて桜城のためにって言われると、なんか俺までこそばゆいな」

 今度は恥ずかしそうに笑う雪樹を見て、鳴海も我に返ったように恥ずかしくなり、ベットに潜り込んだ。そして鳴海は心を落ち着けるように息を吐き、再び顔だけを布団から出すと、

「でもさ、今渡しちゃってよかったの?」

「なんで?」

「だって、もしかしたらあたし、もう少し休むかもよ?」

「……あっ」

 とんでもない事実が、といった様子の雪樹の表情に鳴海はくすりと笑うと、

「桐柴ってば、ほんとにどうしようもないんだから」

「ごめん……学校来た時にまた渡すから、とりあえず返して」

「やだ」

 手を伸ばす雪樹に、いやいやと鳴海は首を振る。

「なんでだよ」

 聞くと鳴海は自信に満ちた表情で、

「大丈夫だからだよ。明日はあたし、絶対に学校行くから」

 何を根拠に……と思った雪樹だったが、嬉しそうにほほ笑む鳴海はきっと明日来るはずだ、と雪樹も確信のようなものを感じた。

 それから鳴海に適当に座って、と促され座る場所を見つけようときょろきょろ見回す雪樹。部屋の真ん中に丸い机、壁際の勉強机は教科書だけでなくアクセサリのようなものもちらほら。エアコンの風で可愛らしいカーテンがふわりと揺れる。

 ふと女の子の部屋をジロジロ見るというのは背徳的なのでは、と雪樹は視線を落とし床にあるくまさんの座布団、の横に腰を下ろした。

「あっ、改めてだけどお見舞い来てくれてありがと」

「いやこれくらい。あんな雨の日に傘をささなきゃ、そりゃこうなるだろって感じだけど」

「あれのせいじゃないよ。忘れモノさえしなければ、もう少し濡れずに、帰れたし……」

 何を思い出しているのか、言葉がどんどん尻すぼみになっていく鳴海に訝しげな視線で、

「どうしたんだよ?」

「とにかく! 一昨日のあれは関係ないってこと!」

 ムキになったように否定、雪樹はなぜというように首をひねり、

「なんだよ急に」

「そ、そもそも前から熱っぽかったし」

「そうだったの? どうして言ってくれないんだよ」

「別に、言う必要ないと思っただけだよ」

「だからここ最近元気なかったんだな……」

 理由が判明して、ふぅと安堵のため息。ここ最近鳴海の様子がおかしいのは、やはり自分のせいではと思っていた雪樹は安心。だが鳴海は不満そうに口をとがらせていた。

「それで、今はどれぐらいなんだ? おでこ」

「……んっ」

 言いつつ雪樹は鳴海のおでこに触れると、鳴海は少しイヤイヤといった様子で身をよじるが、布団の中なので意味のない抵抗だった。

「まだ結構熱いな」

「そりゃそうだよ……」

「まだまだ熱下がってなかったの?」

「そうそう、そうだよ。わかったら早く帰りなよ。うつしちゃうよ?」

「なんで邪険にするんだよ」

 雪樹がおでこから手を離すと、鳴海は少し名残惜しそうに自分のおでこに優しく触れた。

「こっちは病人なんだから、用がないなら帰ってよ」

「……わかったよ」

 そう言って立ち上がる雪樹。別れを告げようと鳴海に向き直ると、

「そんな顔しないでよ……まるであたしが悪者になったみたいじゃん」

「えっ、そんなつもりは……」

 ぺたぺたと自分の顔に触れる雪樹だったが、残念ながらそんなことをしても自分がどんな顔をしているのかなんてわからない。高校からとはいえ、仲良くしてきた友人に邪険にされ相当不満そうな顔を浮かべていたのだろう。

「……じゃあ、もう少しだけいてよ」

「でも……」

「私が満足するまででいいから、いて?」

 上目遣いに懇願する鳴海の頼み。聞かない理由なんて雪樹にはなかった。

「わかったよ」

 どっかりと腰を下ろすが、お互いに一言も喋らない。会話のない時間が続いた。

「このままこうしているだけでいいのか?」

「いいよ。桐柴となら、それでも」

「いや、なんかこのままこうしてるのも落ち着かないんだけど」

 女の子の部屋で二人きり。静かな時間。お互いの呼吸音だけが響く。ただそれだけなのに、どうにかなってしまいそうだった。

「じゃあ、一つ頼んでもいい?」

「もちろん」

「少し眠くなってきたからさ、眠るまでの間でいいから手、繋いでて欲しい」

「それくらいなら」

 状況だけに快諾してしまったが、本当にいいのかと伸ばした手が宙で迷子に。だが鳴海がその迷子の手を掴んだ。途端、うっと呼吸の仕方を一瞬忘れてしまう。

「ん……っ、桐柴の手、ごつごつしてる」

「そ、そりゃそうだろ」

「うん、男の子の手って感じ」

 えへへ……と弱った笑顔の鳴海に見つめられ、雪樹はまた心臓の置き所を見失ってしまう。

「な、なんだよそれ」

「そのまんまの意味だよ。それじゃあ、おやすみ」

「ああ、おやすみ」

 目を閉じた鳴海の顔。眺めるほど、吸い込まれそうな不思議な引力に、目をそらして考えないようにした。

 心変わりしてしまったとはいえ、過去に好きになった人。微塵も残っていないかと言えば嘘になる。でも、これ以上ふらふら歩き続けるのは、藤枝にも桜城にも失礼だ。

 ……そもそも、俺は本当に心変わりしたのか? そもそもちゃんと桜城のこと、好きだったのか?

 答えのない疑問だけが、雪樹の心を蝕んでいく。気づけばカラスの鳴き声。もう夕方のようだ。汗でひっついたシャツを引っ張り、鳴海を一瞥。

「眠った……かな」

 雪樹はゆっくりと手を離し、音を立てぬようドアの前へ。一度鳴海の方へ振り返りってから部屋を出た。

「……行っちゃった、か」

 ゆっくりと自分の唇をなでる鳴海。

「こんなにも無防備でいるのにね。いつでも受け入れる準備、できているのにね。あたしはもう、見てくれないんだね……」




 翌週の月曜日、休日を挟んだことで鳴海もすっかりと快復を果たしたようだ。

 そんなお昼休みの食堂、雪樹と律華は一緒に弁当を食べていた。

「鳴海ちゃん、元気になってよかったわね」

 自作の弁当を頬張り、満面の笑みの律華。雪樹も一口、うまいと伝えると、律華は気恥ずかしそうに髪を撫でた。

「まったく桜城は。心配かけさせるんだから」

「あの日の雨すごかったから、濡れたら風邪引くのも無理ないわね」

「一緒に帰ろうって誘ったんだけどな」

「ふーん、鳴海ちゃん断ったんだ」

「そうだけど、どうかしたのか?」

「なんでもないわよ」

 変な律華だと雪樹は思いつつ、二人で弁当をつついていると、

「桐柴、律華ちゃん」

 二人を呼ぶ声。振り返ると鳴海、そして

「珍しいな、藤枝も一緒なんて」

 鳴海と一緒に、もとい捕縛されている女の子は緋波だった。屋上に行こうと思ったら鳴海に捕まった、というストーリーを浮かべるのも容易だった。

「ちょっとそこでね。一緒に食べてもいいよね?」

「えっと……」

 鳴海はともかく、律華と緋波が一緒はまずいのではと雪樹。だが律華は我関せずといった様子で、拒否はしないんだろうと雪樹は受け取った。雪樹が促すと、鳴海と緋波はそれぞれ席に着いた。

「お邪魔します?」

 控えめな緋波に対し、鳴海は早速注文したラーメンを頂こうとしている姿に思わず苦笑い。鳴海が元気になってよかったと思う雪樹だったが、どこかまだ陰のようなものを感じていた。

「そう言えば律華ちゃんありがとね」

「どうしたのよ急に」

「テストが全部帰ってきてね、全部赤点回避だったんだっ! それでまだちゃんとお礼言ってなかったなって」

「そう、よかったわね」

 少し嬉しそうにご飯を一口。そんな律華の姿を見て、鳴海もどこか微笑んでいるように見えた。

 ふと雪樹の視線が緋波にとまった。

「藤枝、今日は弁当じゃないんだな」

 よく見れば本日はこの食堂の半チャーハンを食べていた。半分というあたり、やはり小食なのだろう。緋波は食べる手を止めて、

「うん、今日は朝起きられなくてね? だから今日はここで食べようと思ったんだ?」

 なんだ、てっきり鳴海に連行されたのかと……いやその事実は変わらないなたぶん。

「緋波ちゃんのお弁当か……食べてみたいなぁ」

 しみじみと鳴海、そんな鳴海に少し自慢げに雪樹が、

「かなりおいしいよ、藤枝の作る弁当」

「えっ」

 っと驚くは律華の声。雪樹は口を押さえ、三秒で後悔した。

「……ふーん、食べたことあるんだ」

「いや、その、まぁ……ね」

 重苦しい空気に耐えられなくなった雪樹は、

「み、水なくなったから取ってくるね!」

 普通に逃げた。律華がはぁとため息をつくと、

「ごめんね、八知読さん?」

「……別に」

 拗ねたようにそっぽを向き、食事に戻る律華。そんな二人の姿に鳴海は苦笑いを浮かべながらも、

「でも料理かぁ……あたしもやってみようかな」

「珍しいわね、鳴海ちゃんがそんなこと言うなんて」

「そうなんだ? 何か理由があるの?」

「い、いや特にないんだけどさっ! ただやっぱり、できた方がいいのかなって思っただけ」

 律華にどこか訝しげな視線を向けられ、今度は鳴海が少し居心地が悪くなった。鳴海は話題を変えるように、

「そもそも二人は何で料理をするようになったの?」

 聞かれた緋波は少し考えるように、んーっと頷くと、

「私はいつの間にかするようになってたかな? お母さんが忙しそうだから、その負担を減らせればって思ったんだと思うよ?」

 対して律華は毅然とした態度で、

「雪樹の家でお世話になるようになってから覚えたの。何もしないままでいるのも、違う気がしたのよ」

「そうなんだ。みんなしっかりとした理由があるんだね」

 言いつつ視線を落としてしまう鳴海。そんな姿を緋波と律華は不思議に思った。

 その後、バツの悪そうな雪樹も帰還し、不思議な組み合わせの四人でお昼を過ごした。




「今日も終わったな」

「そうね」

 青空に照らされながら下校する雪樹と律華。夏の近づきを感じる日射しに目を細める。

「……」

 なんだろう……律華の雰囲気がいつも以上に尖っている気がする。

 雪樹はそんな疑問を抱きつつ、理由はわかっていた。お弁当の話にほかならない。どうしたものかと雪樹が悩んでいると、

「雪樹」

「は、はい、なんでしょう?」

 突然名を呼ばれ、おかしな返事の雪樹。だが律華に気にする様子はなく、

「一つ言っておくけど」

「はい」

 少しもごもごと言いづらそうな律華の姿に、内心恐怖と興味の雪樹。そしてその口が開かれた。

「これからは、律華が毎日お弁当作るから」

「えっ?」

「えっ、じゃない! これからは律華が毎日お弁当作るから、雪樹は毎日食べなきゃいけないの! わかった?」

「わ、わかりました!」

 律華のあまりの圧に、雪樹は思わず承諾。いやそもそも、

「雪樹に断るなんて選択肢、ないけどね」

「……そうだな」

 ふぅと肩をすくめて雪樹。そんなやり取りの中、通り道の公園にさしかかったところで、

「あれ……桜城じゃないか?」

「ほんとだ。何しているのかしら」

 辺りを見回し、少し不安そうな表情。何か事件に巻き込まれたんじゃないかという雰囲気。二人は鳴海の下へと方向を変え、

「桜城、どうしたんだこんなところで」

 二人の姿を見つけると、安堵したように微笑み。

「ちょっと人に呼び出されてね。それで待ってるんだけど」

「えっ、それって……」

 律華は事情を察したのか、少し色のある声音。雪樹もああと声を漏らし、

「もしかして告白されるの?」

 問われると鳴海は微妙な表情。間違っているわけではないんだけど、という様子だ。

「どうしたんだよ、何か困ってるならちゃんと話してくれよ」

 言われ、鳴海はいくらか迷うように唸り、そして、

「うん。実はね、こんなもので呼び出されたんだけど」

 そう言って鳴海はポケットから一枚の紙を取りだした。そしてその紙には、

「どうしても伝えたい大事な話があります。放課後、谷中公園に来てください……」

「……」

 読み上げる雪樹、絶句する律華。そして読み上げた雪樹も言葉を失った。内容自体は普通のラブレターだ。だがしかし、

「酷い殴り書きね……。どちらかと言えば果たし状みたいな勢い。というか、よく読めたね雪樹」

「いやまぁ……適当に書いたら俺もだいたいこんな感じだし」

「だからここで待ってるんだけどさ」

 照れたように髪をいじる鳴海に対して、雪樹と律華はいやいやと、

「鳴海ちゃん、どう考えてもこれラブレターじゃないでしょ」

「そうだよ桜城、こんなの待つ必要ないって。差出人も書いてないし。いたずらの可能性が高いだろ」

 いたずらならまだしも、雪樹はついこの間鳴海に告白した男が物騒なことを言っていたのも気になっていた。

 抗議する二人に鳴海は、確かにそうなんだけど……と頷きつつも、

「でも、勇気を出してこれをくれたのかもしれないし、そう思ったら無下には出来なくてさ」

 そんな風に笑ってみせる鳴海に、雪樹は呆れ半分感心半分にため息。律華はというと、無言で殴り書きのラブレターを眺めていた。

「まぁ、桜城の気持ちは分かったよ。ただその、どうしても心配なんだけど……」

 雪樹の悩ましげな表情を見て、鳴海は何かを考えるように思案顔。あっと声を漏らすと、

「じゃあ桐柴、一緒に待とうよ」

「はっ!?」

 突飛な提案に素っ頓狂な声。それもそうだ。これから告白しようという女の子が、男と一緒に待ってるなんて光景を見たら帰るに決まっている。

「いやいやおかしいだろ」

「そうかなぁ……」

「律華はそう思わないけど?」

「えっ?」

 まさかの律華の助け船に、鳴海はぱぁっと顔を明るくし、

「そうだよね律華ちゃん! だから、ね。お願い桐柴」

 律華までもが同意したのであれば、もはや雪樹に断るなんて選択肢はなくなってしまう。諦めたように雪樹は肩を落とし、

「わかったよ。俺も一緒に待つよ」

「ありがと桐柴!」

「そういえば律華はどうするんだ?」

「律華は晩ご飯作るためにお買い物もしなくちゃだし、鳴海ちゃんのことは心配だけど先に帰るわ。だから雪樹、お願いね」

「まかせておけ」

 気をつけなさいよ、と告げて律華は家へと帰っていった。残された二人の間には、どこか緊張したような空気が流れる。

「……それじゃあ待つか」

「うん、そうだね」

 そんなぎこちない会話の後、ベンチに腰を下ろして待つことに。

 実際のところ、いたずらの可能性が高いもんな。だったら俺が普通に一緒に待っている方がいいのかもしれない。もしもこれが本気だったとしたら男には申し訳ないけど。

 そんなことを考えながら、ただひたすら待つ二人。鳴海はというと少し強ばった表情で、呼吸に集中して気持ちを落ち着けようとしているみたいだ。

 雪樹は空を見上げ、流れる雲をぼんやりと眺める。曇ってこんな速度で流れていくんだな、と雪樹はそんなことを考えていた。

「……来ないな」

 どれだけの時間が過ぎたのだろうか。空には赤と青が混じった景色。これ以上待っても来ないだろうとしか思えなかった。

 どうする? という雪樹の問いに鳴海は俯いたままで答える様子がない。ただ何かを考えている様子なので、雪樹は黙って待つことに。

 昼時よりもいくらか涼しくなった風が、優しく鳴海の髪を弄ぶ。どこか大人びた表情で髪を揺らす鳴海の姿は、雪樹の心をどうしてもひきつけた。

「もう少し、ここにいてよ。桐柴」

「でも、流石にもう来ないんじゃないか?」

 聞くと鳴海はどこか自嘲したような笑みを浮かべて、

「来ないよ。そんな人」

 その答えに雪樹は驚いた。鳴海の言い方は、まるで最初から来ないことを知っているような。

「……どういうこと?」

 恐る恐るといった様子の雪樹。鳴海はたはは……と力なく笑うと、

「覚悟を決めるのに、こんなに時間がかかると思わなくてさ」

「何の話?」

「あたしの話。そして……桐柴の」

「えっ?」

 鳴海の言葉の意味が分からず、頭を抱える雪樹。そんな様子を見て鳴海は微笑み、

「でも、もう大丈夫、かな。ちゃんと言えるはずだから」

 鳴海はベンチから立ち上がり、雪樹に向き直る。どこか上気したような頬。呼吸が少し乱れる。俯く。そして、顔を上げた。

「あたし、桐柴のこと、好きだ」

「……えっ」

 雪樹も思わず立ち上がり、でもどうすればいいかわからない。

「ふふっ、桐柴のせいなんだから。あたし、どうかと思うよ? 好きな子に告白してすぐに、別の女の子に告白なんて」

「あっ……」

 まさか、俺が藤枝に告白したあの日、桜城もあの場所にいたのか……。

「その、ごめん」

「本当だよ。桐柴があんなことするから、あたし気づいちゃったんだもん」

 覚悟を決めたというだけあって、頬は上気したままだったがするすると言葉が紡がれる。

「律華ちゃんがいたから、心のどこかであたしは出る幕じゃないんだって決めつけてたんだと思う。だからあたしと桐柴は友達なんだって。でも、桐柴は律華ちゃんじゃなくて緋波ちゃんに告白した。律華ちゃんと結ばれるならまだ納得できたと思うけど、出会ってまだ間もない女の子に桐柴をとられるって思ったら、すっごく嫌だった。桐柴達が二人きりの教室で仲良さそうにしているのを見るのも、すっごく悔しかった、羨ましかった。桐柴と結ばれる人も応援するって言ったけどごめん、そんなこと出来ない。自分から友達のままでって言ったけどごめん、やっぱりそれじゃ嫌だ。だからその代わりにさ」

 困惑を続ける雪樹に、鳴海は満面の、でも突いたら壊れてしまいそうな儚い笑顔で、

「あたしと、恋人になってよ」

 その告白に、雪樹はどうしようもなく胸を締め付けられた。数週間前であれば答えなんて決まりきっていた。でも。でも――

「ごめん」

 その言葉に鳴海はあっ……と俯き、

「どうして? 好きって言ってくれたのに。あれは嘘だったの?」

「……」

 あの時桜城に抱いていた想いは、間違いなく本物だったはずだ。でも、どうしても自信が持てない。どれが正しい想いなのか、俺にはもう……。

「こんなうやむやな気持ちで、桜城と付き合うことなんて、できない」

「……そんなに緋波ちゃんが、いいんだ?」

 恨めしそうな視線で睨む鳴海。雪樹は必死に、

「違う! その、今の俺には、それすらも、よく、分からないんだ……」

 紡ぐ言葉の一つ一つ。吐き出す度に鼓動が早まり、苦しい。辛い。息も出来ない。

 雪樹の姿に鳴海はふぅとため息をつくと、不満そうにうんと頷き、

「わかったよ。桐柴の想いは。でもごめんね」

 何に対する謝罪なのか、雪樹の歪む頭では考えても答えが出ない。ゆっくりと顔を上げ、鳴海を見据えた。

「これからも桐柴とは一緒にいたいけど、きっともう今まで通りなんて無理。だから、これからあたしは、桐柴と恋人になるために一緒に過ごすよ」

 そして鳴海はすぅと息を吸い込み、前を向き、

「だから、友達としての桐柴の関係は、ここでおしまい。ごめんね、わがままで」

 一つ。別れの涙をこぼした。

 その涙にどうしようもなく胸を締め付けられ咄嗟に口を開くが、今の雪樹にはかけるべき言葉は見つけられなかった。

「じゃあ、明日からまた、よろしくね。今日は付き合ってくれてありがとう。じゃあね」

 今の表情を見られたくない。そんな思いからか口早に伝え、鳴海は雪樹の横をするりと抜け去っていった。

 公園には取り残された雪樹だけ。

 夜の到来を感知したのか、パッと公園の明かりが点灯した。




「あーあ、律華ちゃんに謝らなくちゃ」

 ふと鳴海は瞼を閉じ、過去の出来事を思い出す。まだ雪樹と出会ったばかりのころ。なんとなく気に入った雪樹と過ごしていた一年前の夏。険しい表情の律華と交わした、雪樹とは恋仲にならないという約束。

 あの時なんで快諾しちゃったんだろうなぁ……。ううん、たぶんあたしは感じたんだ。この人は桐柴のことが好きなんだって。あたしみたいに中途半端に桐柴のことを考えていないのが、わかっちゃったんだ。

「もう……どうして桐柴が告白してくれた時、いいよって言ってあげなかったんだよう……」

 今頃になっての後悔。鳴海は自分の鈍感さが嫌いになりそうだった。

 と、道の先に見える人影。あの姿は、

「あー……律華ちゃん」

 腕を組み、不機嫌そうな律華の姿があった。鳴海は冷や汗を一つ流すと、

「もしかして見てたり……ごめんね」

 理由を聞こうと思ったが、やはり一つしか思い当たらないと鳴海は早々に謝罪した。

「あんな殴り書きなのに、よく指定された場所が分かったなって思ったのよね」

「ちょっとやりすぎちゃってたかぁ」

「まぁそれでも読めちゃう人もいたけど」

 遠回しに馬鹿にされる雪樹。鳴海はあはは……と苦笑い。律華はそんな鳴海を睨んで、

「嘘つき」

 非難する律華に、ごめんと小さく呟く。

「でも、明日からも何も変わらない。上辺だけの関係を続けていくの」

 そもそも友達なんかじゃない、そう突き放す律華に鳴海は少しほほ笑んだ。

「やっぱりそうだったんだ」

「気付いていたの?」

「だって律華ちゃん、桐柴以外要らないって感じだから。いっつもどこかで壁みたいなの、感じてた。いろんな人と過ごしている姿見るけど、どこでも律華ちゃんは一人に見えたもん」

 その言葉に不安のようなものを感じたのか、律華は自分を抱きしめるように組んだ腕に力を込めた。

「……そう、そこまでわかってたのね。でもならいいでしょ。これ以上話すことなんてないんだから。もうこうして二人で会うことなんてないでしょけど、明日からもよろしくね。桜城さん」

 それだけ告げて踵を返す律華に、

「……っ!」

 鳴海は後ろから抱き締めた。突然の出来事に律華は取り乱す。

「なっ! なにするの!?」

「そんなこと言わないでよ。これでもあたし、律華ちゃんの事かなり好きなんだよ?」

「なっ……そんなこと聞いてない!」

「確かにあたしたちはもう、同じ人を好きになっちゃった言わばライバル関係だけどさ。あたしは律華ちゃんと、もっとこうしていたいな」

 抵抗する律華を、鳴海は優しく抱き留め続ける。

「っ……い、いいから離れてよ!」

「いいって言うまで離さないよ? ねぇねぇこれからも仲良くしようよ」

 どこか楽しんでいる様子の鳴海に、律華は一層腹を立てる。

「これからもって、さっきも言ってたけどもともと上辺だけの関係で」

「それの何が悪いの?」

「えっ……?」

 鳴海の予想だにしない返答に、思わず固まる律華。

「あたしはそれでも、上辺の律華ちゃんもどんな律華ちゃんとも一緒にいたいよ」

 ギリギリと、律華も自分の感情が分からないまま歯を食いしばる。そしてムキになった子供のように、

「……もうっ、知らない! 勝手にすれば」

 折れる律華に鳴海はにこりと笑うと、

「やったー! ありがとう律華ちゃん!」

 より一層の力で抱きしめた。

「わかったからもう離れてよ暑苦しい! 季節考えなさいよ!」

「んっ……律華ちゃんいい匂いする」

「鳴海ちゃん変態っぽいよ……」

 そう呆れる律華だったが、その表情には微笑みをたたえていた。

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