ストーン・ブリッジ

甘柚

ストーン・ブリッジ

「北海道にさ、ふしぎな橋があるの知ってる?」

 そういって恋人は、クセの強い茶葉の渋い香りがする紅茶をひとくち飲んで、少し湿った唇からほうっと息を漏らす。私は別に、橋にも北海道にも興味はないし、恋人にそんな趣味があるなんて聞いたことはなかった。

「どこがふしぎなの?」

 私の問いはなんだか母親に空の青さの理由を尋ねるような子供っぽさを帯びてしまったけれど、恋人は満足そうににっこり笑った。綺麗、と思ってしまう自分に恥ずかしくなって、ホットココアの入ったカップに目線を移す。表面の泡がひとつ、ぱちんと弾けた。

「タウシュベツ川橋梁っていって、湖に架かる橋なんだけど。夏にかけて消えて、冬になる頃に現れることから幻の橋って言われてるんだ」

 消える、というのは、夏の雨によって湖面が上昇することで橋が湖に沈むということで、冬はその逆が起こって橋がまた姿を現すということらしい。

「その……たう……なんとかに行きたいの?」

「たうしゅべつがわきょうりょう、ね。うーん、なんか渡るには交通事故の懸念から許可がなんとかって書いてあったからなぁ……」

 でも、なんだか面白くない? と笑う恋人は寂しそうに見えた。

 話は飲んでいた紅茶に飛んで、この分野は得意なんだよねとばかりにすらすらと銘柄や産地を語る恋人は本当に紅茶を愛してやまないんだなぁと愛しく思った。あまり分からなくていつも私は取り残されているけど、好きな香りや味が限定されている子供舌な私に向けて、飲みやすいものを選んで買ってきて、淹れてくれるその手つきは贔屓目抜きでもうつくしかった。その小指に光るのは、今日、作りに行ったペアリング。安いものだから小さな小さな石、その色は、二人それぞれにもできたのだけれど、二人ともガーネットのような深い赤色が好きだったからまったくのお揃いで、私はそのことが泣きそうなくらい幸せだ。帰り道、明日のお茶はこの赤色に似たものを探してくるねと言って、ショートヘアに映える綺麗なピンク色のピアスを揺らして彼女は笑った。

 目の前のココアは、まだほんのりと温かく、恋人はミルクティーのミルクのさじ加減と砂糖の有無による味の差異について、ほとんどひとりごとのように話し続けている。


 その夜彼女が眠ってしまってから、私は昼に聞いた湖に架かる橋のことを調べた。季節ごとに表情を変える石の橋は元々林業用の列車が走っていた廃線で、もういつまでもつかわからない、朽ち果てる前の姿であると書かれていた。廃線だから、もちろんガードレールも塀もない。彼女が言っていたように、事故の懸念があって渡るには許可が必要というのは、そのためだった。


 私たちのようなカップルは、幸せになれる保証は今のところない。偏見や差別だけじゃなくて、夫婦なら受けられるはずの支援も手続きも初っ端から弾かれてしまう、社会の手のひらからするすると漏れていく水滴だ。苦しい中でこそ愛は育つなんてうわごとのように言うけれど、現実に生きていくために必要なこと、フツウなら当然のようにできることがこの関係のせいで失われる、としたら?

 今は、だいすきで、大切だからそばにいるけれど、絶対なんてこの世にはない。感情なんてものもいつまでもつかわからない。もしかしたら添い遂げるのかもしれないし、もしかしたらリミットは明日かもしれない。けれど、私は今の幸せを噛みしめていたいし、恋人もそうであると願っている。小指の控えめな宝石が主張するようにきらりと光って、LED照明に透けてほんの少しだけピンクにも見えた。


 横で寝息を立てる彼女にくちづけると、かすかにプリンス・オブ・ウェールズの香りがした。明日、タウシュベツ川橋梁にウォーキングツアーがあることを教えてあげようと思いながら、私は彼女の体温に溶けていくように眠りについた。

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ストーン・ブリッジ 甘柚 @HinaArare

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