第6話湯の湖
「じゃあ夕陽、車回してくるから、ここで待ってな。」
藤田圭吾はそう言って、伊藤夕陽の頭に手を置いた。
「うん。」
夕陽少年はニコッと笑った。そして、湯滝の上の手すりにもたれかかり、滝を眺めた。さっきまで湯の湖の周りを散策していたのだった。
「君、ちょっといいかな。」
夕陽少年は肩を叩かれた。振り向くと知らない男の人が自分に話しかけていた。その後ろには女の人がいて、目が合うとこちらへ歩いてきた。
「伊藤夕陽くんね。私たちは警察の者です。」
警察手帳を見せられた。佐藤律子と佐伯良平と書いてあった。
「え?なんですか?」
夕陽少年は身構えた。
「ご家族から捜索願が出されているのよ。私たちは東京からあなたを探しに来たの。」
律子がそう言った。
「捜索・・・願い・・・?」
夕陽少年は驚いた様子で目を見開いた。まつ毛が長く、ぽってりした唇は驚きで半開きになっている。
「夕陽、どうした?おいで!」
車を回してきた藤田が、助手席の窓を開けて夕陽少年を大きな声で呼んだ。
「圭吾さん!」
良平は警察手帳を藤田に見せた。
「すみません、ちょっと車を降りてきてもらえませんか。車は邪魔にならないところに停めてください。」
藤田は驚きのせいか声も出なかったが、言う通りにした。
「警察の方が何の用ですか?」
車を降りてきた藤田が言った。
「あなたは、この少年とどういうご関係でしょうか?」
律子が藤田に聞いた。
「僕は、彼が通っている塾の講師をしています。」
「塾講師?それで、今なぜ伊藤夕陽君と一緒にいるんですか?」
良平が思わず驚いて口を挟んだ。
「それは・・・。ただ一緒に旅行を。」
藤田は少しきまり悪そうにそう言った。夕陽少年は藤田にピタッとくっついた。
誘拐ではなさそうだ、と律子と良平は思った。そして、夕陽少年に家出をしたという自覚もなさそうだと感じた。
「とにかく、夕陽君には我々と一緒に家に帰ってもらいます。」
律子がそう言うと、
「え?なんで?どうして旅行の邪魔をされなきゃならないの?」
夕陽少年は涙目になってつぶやいた。
「あなた、未成年でしょ?お母さんに行き先も言わずに一日中帰ってこなかったら、お母さんが心配するに決まってるでしょ。」
律子は少し説教じみた口調で言った。
「え?夕陽、お母さんに黙って出てきたのか?」
藤田が驚いて夕陽少年の顔を覗き込んだ。
「違うよ!行き先は言わなかったけど、旅行に行くとは言ったよ!」
律子と良平は顔を見合わせた。お母さんに話を聞いた時には、いつの間にか出かけたような事を言っていた。
「誰と行くかは言ったの?」
律子が聞くと、夕陽はあいまいな表情をした。
「お母さんに旅行に行くと言ったら、いきなりダメって言われたんだ。なんで?って聞いたら、まだ高校生だからとかなんとか。誰と行くのか聞かなかったから、なんかおかしいと思ったんだけど。そしたら、その後お母さんが、圭吾さんからのLINEを見たようだと気づいたんだ。」
「え?どういうこと?」
良平が顔に?マークを描いた。
「つまり、塾の先生と夕陽君が、どうやら普通以上に仲がいいと、お母さんは知ってしまったのね?」
律子が言った。
「え?ええ?」
良平は藤田と夕陽少年を交互に見て絶句した。
「それで、反対されても黙って出てきたってわけね?」
夕陽少年は黙って頷いた。つまり黙って出かけたのだ。だが、誰と一緒なのか、お母さんは心当たりがあったのに、警察にはそれを言わなかった。認めたくなかったのだろう。もしくはあまり知られたくなかったのか。
「その情報があれば、もっと早くたどり着けましたよねえ?」
良平はこそっとつぶやいた。依頼主に対する不満だ。気持ちは分かるがそれはダメ、と律子は顔でたしなめた。
「ところで、藤田さん。彼は17歳です。18歳未満の子供にみだらな行為をすると、青少年保護育成条例違反になる可能性があります。」
律子が藤田の方を向いてそう言うと、藤田は慌てた様子で、
「待ってください、僕らはそんな、みだらな行為とか、そんな大それた事はしていません。」
と言って両手をバタバタと振った。良平が胡散臭そうに見ると、手と共に首もぶんぶん横に振った。すると、夕陽少年はうつむいて藤田の腕に自分の腕を絡ませた。藤田はちらっと夕陽少年の方を見て、
「いや、その、多少は・・・というか。」
「藤田さん、あなた社会人でしょう?よく考えてください。男の子でも女の子でも、高校生を泊りがけで連れ出したりしたら、親御さんがどれほど心配するか。ましてや年上の恋人と出かけるとなれば、いくら何もしないと言っても心配しない親はいません。」
律子は今度は藤田に向かって説教をした。藤田は黙って考えていたが、
「はい。すみませんでした。」
そう言って頭を下げた。
「私にではなく、夕陽君のお母さんとお父さんに言ってください。」
律子は言った。
「男の、いや、大人の責任だ。」
良平も一言添えた。
「はい。」
藤田はうつむいたまま返事をした。
藤田圭吾と伊藤夕陽はすぐに東京に帰ることになった。律子が夕陽少年の母親に連絡をし、良平の運転する車に夕陽少年を乗せ、藤田の車には律子が乗り込み、東京へと2台の車は走り出した。
世界一長い、杉並街道を見ながら、律子はこの二人の青年たちに思いを馳せた。想いを寄せ合う二人、幸せになって欲しいけれど、まだ一線を越えていないのなら、やはりそのままでいた方が、と思ってしまう。若い時には迷う事もある。けれど、戻ってくることもある。今は愛し合う二人でも、後々別の人を愛する可能性は高い。そして、二人とも女性を愛することがあるかもしれない。それなら、今一線を越えずにいた方が良いのではないか。しかし、それを藤田に伝えるのは控えた。やはり、恋愛は自由だから。ただ、相手の気持ちを踏みにじる事のないように、と願いながら。
完
人探し~日光編~ 夏目碧央 @Akiko-Katsuura
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