マンガ読みました・その1「風の谷のナウシカ」本文
1巻目。
腐海という独特の存在が提示され、ナウシカのユニークさも印象づけられます。
また、早くもトルメキア帝国の王女クシャナの凄さ、クロトワの有能さも描かれます。
映画にはない残酷なシーンがあります。
飛行艇から人がたくさん落ちたり、それがガンシップに当たって肉片になったり、子供たちまで落ちていったりなど、人が無残に死ぬシーンです。
宮崎先生は
「映画では到底できないことを、漫画でしたい」
と当時おっしゃっていたとか。
空から多数の人が落ちて死ぬシーンは「ラピュタ」で引き継がれていますが、このコミック版ナウシカほどの凄惨さはありません。
もちろん、映画でできない重要なこととは、深く広い複雑な物語世界を作ることでしょう。
「才能がないと思い漫画はあきらめた」とおっしゃっていた宮崎先生ですが、われわれファンには見慣れたコンテ絵のタッチで、濃密な一コマ一コマを描かれていて、クオリティの高さはさすがです。
魅力的で神秘的な世界。その中にナウシカという唯一無二の人物が躍動し、読者は引き込まれます。
絵の構図は、やはりアニメーションでの雰囲気を色濃く残します。映画のカットに通じます。
漫画においては、絵の濃さ、コマ割りの映像っぽさなどは、読みにくさにも繋がります。
わたしの場合、読む速度は速くありませんでした。もとより軽く読み流す漫画ではないのですが。
*
《主人公ナウシカについて》
虫を愛する少女は、平安時代の物語に登場する「虫愛づる姫」に通じると先生自らが書いていらっしゃいます。
またナウシカという名は古代ギリシャの物語オデュッセイアに登場する女性の名前です。その女性は、血まみれで裸だった遭難者オデュッセウスに親切に接したとのこと。
わたしたちのナウシカは、小さいからと虫を踏みつぶしたり、臭くて醜いからと差別しないこれら昔の尊い女性がモチーフなのです。
ギリシャのナウシカからは、「カリオストロの城」におけるクラリスを思い起こします。
傷だらけで手負いのルパンを、クラリスはかくまいました。
それがあの物語のはじまりであり、根本なのです。
また、個人的には「未来少年コナン」のヒロイン、ラナを思い出します。
鳥の声を聴くことができたり、テレパシーのようなもので離れている人と意思を通わせることができたり。そして心優しい、しかし強い芯を持った少女です。
*
コミック2巻目に入ると、
映画では土鬼の占める役割はあまりなかったと思いますが、コミックでは土鬼こそ中心に近い存在になります。
物語はより複雑です。
しかし、先生の絵は少し濃さが減り、見やすくなった気がします。
週刊少年漫画でよく見られるように、連載が長くなるにつれて作者の絵が変化していく。宮崎先生は最初から絵がうまいわけですが、それが漫画という形式にフィットして整理されていき、すっきりしてきました。
先生ほどの描き手でも、描いているうちに変化するのだと、感動を覚えました。
きっと、先生の飽くなき向上心がそうさせたのだと思っています。
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《トルメキアの王女クシャナについて》
自分の軍を率いて、父であるヴ王の命で進軍するクシャナ。王位継承を争う兄たちや、父自らの陰謀で困難な作戦を遂行します。
全て分かっているうえで、血塗られた道を行く女性です。
物語終盤でナウシカはクシャナのことを、こう表現します。
「本当はとても優しくて、心の広いひとです」
個人的には、クシャナはわたしに「コナン」のモンスリーを思い起こさせます。
クシャナはブロンド、モンスリーは赤毛ですが、クシャナが髪を切ったあとは、両方とも時代を先取りしたフェミニンショート。
強く、たくましい女性で、敵であるにもかかわらず、主人公を特別な存在として認めます。
ちなみにクロトワは、「コナン」のダイス船長に重なります。
人間味にあふれ、世渡り上手。雑草魂で根性があり、あっちに付いたり、こっちに付いたり。
最後は主人公に味方します。
蛇足ですが、映画でクロトワの声を担当していた声優の家弓家正さんは、「コナン」ではラスボス「レプカ」です。笑
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3巻目。
絵がさらに見やすくなり、構図、コマ割がマンガになってきて、さらに読みやすくなっています。
しかし、多くの人間が死ぬ痛ましい戦場が、リアルに描かれます。腕や脚が飛び散ります。
映画と異なるのは、森の人の登場です。
映画版では、森の人がいなくても、ナウシカはひとりで世界を背負うことができました。
けれど漫画版では、いかに彼女がすぐれた資質を持っているとしても、ひとりの少女に世界の真相を背負わせるわけにはいかなかったのだと思います。
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4巻目。
巨神兵が土鬼の船で運ばれます。
この前時代の遺物の役割と描かれ方は、映画とは大きく違っています。
映画版ではクシャナによって単なる兵器として使われ、知性も人格も感じられないまま、あっけなく朽ちましたね。
じつは、わたしはあのシーンが好きです。巨神兵が熱線を発射してとてつもない破壊力を見せた瞬間、わたしはカタルシスを感じたものです。
とんでもないものに感動する心は、人間のぬぐえない本質であって、エネルギーであって、生き残るために必要なのだと、当時のわたしは考えていました。けれど、ナウシカ全7巻を読み終えたときには、少し考えが変わっていました。
みなさんも、なにか感じることがあるかもしれません。
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5巻目。
土鬼の神聖王国vsトルメキア
粘菌と大海嘯。大海嘯とは、映画でもあった、虫たちが洪水のようにとてつもない規模で押し寄せる現象です。
人間が作り出した変異である異常な粘菌のことを、ナウシカが深く考えます。遺伝子を操ることについて、そしてその結果生まれた者について、わたしたちは考えなければなりません。
クシャナが、どんどん惨めな立場になっていきます。それにつれて、逆にクシャナの気高い内面が明らかになっていきます。読者はクシャナを愛さずにはいられません。
宮崎先生は、かわいそうな過去がある、気高く、賢く、強い女性をここでも描いています。
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6巻目。
広がる腐海。
森の人が活躍。
ナウシカは粘菌とは何なのか、虫たちが何をしようとしているのか、腐海の意味は何なのかを知りつつあります。
と同時に、ナウシカが周りの人々を変えていきます。
映画には登場しないヒドラという人造生物が描かれます。
巨神兵も活躍します。
*
7巻目。最終巻です。
ナウシカは世界の真相を知ろうと、進みます。
リドリー・スコット監督の「プロメテウス」というSF映画があります。
自分たちは何者なのか、世界はどうなっているのか、それを知ろうと誰かが困難な旅をします。
それをわたしは認めたいし、可能ならばわたしも旅したい。
自分たちを作り出した者を神と呼ぶならば、プロメテウスではエンジニアと呼ばれる異星人が人間の神でした。
では、ナウシカの世界では……。
漫画版「風の谷のナウシカ」は、すぐれたSF作品に送られる星雲賞を受賞しています。
SFの永遠のテーマを扱った、いまは巨匠と呼ばれる宮崎駿先生の若々しいエネルギーによって創られた、後生に永遠に残る先品です。
全巻読み終えるのは、読者もエネルギーを必要とします。
少し苦労されたとしても、その価値がある大きな大きな作品です。
以上、暑苦しい文章で感想を書かせていただき、作品紹介もさせていただきました。
自分の能力不足が残念です。
お付き合いいただき、感謝いたします。
せなつ
自主企画用『今から真剣に漫画を読み始めて欲しい』用! 瀬夏ジュン @repurcussions4life
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