最終章 守り通すもの

「出頭、とは……どういうことでしょう」


 木出崎きでさきの声に若干の震えが混じった。


「言葉のとおりです。現在、警察は着ぐるみの内部から、上坂うえさかさん以外の人物の汗と頭髪を採取しています。さらに、これも上坂さんのものでない服の繊維くずも発見しました。どうやら男性用スーツのもののようです」

「……それが、証拠になるのですか?」

「上坂さんは、あのイベントの前日夜に着ぐるみを入念に洗ったそうです。トマホーくんの晴れ舞台ですから、ぴかぴかの状態でお客様の前に披露するために。イベントが終わってからも着ぐるみは、彼女が実際に着るとき以外は会社倉庫のロッカーにずっとし保管していたそうです。あのロッカーの鍵は上坂さんしか持っていないと聞きました。つまり、そんな状態の着ぐるみの中から、上坂さん以外の人物の汗や頭髪が採取されたということは――」

「その汗や髪の毛を」木出崎は理真の言葉を遮るように、「調べたのですか? 誰のものか……」

「まだです。ですが、すぐにでも調べる用意は出来ています。当然、血液型からDNA情報まで。誰のものかを断定する必要がありますので、従業員の方全員にDNAを提供してもらうことになります」


 理真がそこまで言うと、木出崎は大きなため息を吐き、背広の袖で顔に浮かんだ汗を拭った。


 今回、理真は物的証拠を手に犯人――木出崎と対決に来たのではなかった。理真が拠り所としていたのは、心理的証拠と呼べるものだった。

 今度の犯人の徹底した出血の嫌い方は異常だ。

 もし、今回の犯行で、犯人が現場に出血を残していたとしよう。そうしたら警察はどう動くか。当然、それが誰の血液かをあきらかにするために、関係者全員に血液の提供を求め、血液型からDNA型まで鑑定が行われるに違いない。

 今、理真が突きつけている着ぐるみの中に残されていた汗や頭髪にしても、もしそれが自分のものだと証明されたとして、木出崎はいくらでも言い逃れをする余裕はあるはずなのだ。事件が起きてから警察が着ぐるみを押収するまでには、一日だけ期間が空いている。いかな上坂が厳重に管理をしていたとしても、木出崎が着ぐるみに全く近づけなかったというほうが、むしろ不自然だ。「実は着ぐるみが社に戻ったのち、好奇心から、上坂さんの目を盗んで一度着てみたことがあった」そうひと言いえば、件の汗や頭髪の証拠能力に疑いを持たせることは可能だ。だが、それを証明するためには、やはり関係者全員のDNAを調べる必要がある。

 着ぐるみが犯行に使われたことを隠蔽しようとした行動も合わせて鑑みるに、出血そのものよりも犯人が本当に嫌ったのは、血液に限らず、汗や毛根から血液型やDNA鑑定をされることではなかったのか? どうしてそれが嫌なのか? 血液型やDNA鑑定から明らかにされるものは何か? そう考えたとき、理真は木出崎が発した、ある言葉を思い起こした。

「私のような男が父親など……子供が不幸になるだけです」

 もしかしたら、犯人が隠したかった、守りたかったものは、フライドチキンの味だけではなく……。


 理真と向かい合った木出崎は、もう一度、大きなため息を吐き出してから、


「上坂さんから、着ぐるみを警察が持っていったと聞いたときから、正直、覚悟はしていました……」


 最初とは反対側の背広の袖で汗を拭う。


「……私が、やりました」


 拭い切れなかった汗が頬を伝った。



 殺害トリックを見破ったのは理真だったが、矢石やいし殺害の動機を解明したのは警察の地道な捜査だった。

 矢石の携帯電話に記録されていた人たちに片っ端から聞き込みを掛けていた警察は、捜査の過程で、矢石が大手外食チェーン店の営業マンと接触していたという情報を掴んだ。その営業マンと矢石の仲介をした人物(暴力団関係者だった)によると、近く矢石は、ある情報をその営業マンに売り渡すらしい話をしていたらしい。「とびきり美味いフライドチキンのレシピを用意できる」矢石はそんな意味のことを言っていたという。その後の追加捜査で、矢石という男は色々な会社に潜り込んでは、そういった他社が欲しがりそうな「情報」を闇で売り飛ばす商売をしていたことが分かった。矢石の携帯電話に登録されていた暴力団関係者は、その裏ビジネス仲介の役割を担っていたのだ。


 木出崎が矢石の「裏稼業」に気付いたのは、イベント二日目の夜。まさに矢石を殺害する一時間ほど前のことだったと、取り調べで語った。「昔の自分」であれば、矢石のような悪人の「臭い」はもっと早く嗅ぎ分けられていたはずだと、木出崎は自嘲気味に口にしたという。


 イベント二日目の午後六時を回った頃。他の飲食店屋台の視察に歩いていた木出崎は、矢石が会場を抜けるのを目撃した。矢石の挙動が妙に人目を避けているようで怪しいと感じた木出崎は、距離を置いて尾行を開始する。会場の外に出た矢石が向かった先にあったのは電話ボックスだった。矢石がボックスに入ると、木出崎は通行人を装い、歩きながら横目で矢石がプッシュした番号を記憶して一旦その場を去り、見張りを続けた。矢石が二、三分程度で通話を終えてボックスを出ると、木出崎は矢石の姿が見えなくなったことを確認して電話ボックスに入り、矢石が掛けた番号をダイヤルした。発信に出た相手は、大手外食チェーン店の営業マンだった。

 木出崎は矢石の仲間だと告げ、「報酬のほうは本当に大丈夫なんだろうな」とカマを掛けた。咄嗟に口を突いて出てきた言葉だった。かつての稼業の名残か、木出崎は電話口の営業マンの声に〈良からぬことをしている匂い〉を嗅ぎ取ったのだという。「こいつは誘いに引っかかる」そう確信して相手の応答を待っていた木出崎の体の中に、そのとき、はるか昔に封印したはずの虎哮会ここうかい構成員の血が蘇ったのかもしれなかった。

 木出崎の読みは当たった。電話口の男は、「それはメールの中身を確認してからだ」と言い、「客の反応も一緒に聞かせろ」と念を押してきた。このイベントで実際にお客に振る舞った、その反応も営業マンは必要としていたのだ。そのため、矢石が営業マンに最終的な情報を渡すのは、イベントが終わるこの日の八時以降と決められていたらしい。さらに電話口で営業マンは、「そっちこそ、でかいこと言ってたチキンの味が、カスみたいなのだったら承知しねえぞ、チンピラ野郎」と笑いながら凄んだという。それを聞いた瞬間、木出崎の体の中で何かのスイッチが入った。


 理真が推理した犯行方法を木出崎は全面的に認めた。それは、「あの用心深い矢石を、イベントに来て下さっているお客様たちを混乱させることなく速やか、かつ確実に葬り去る方法」として咄嗟に思いついたものだという。上坂が急遽林山はやしやまの手伝いをすることになり着ぐるみが空いたこと。さらに、もう仕事をする気がなくなったのか、矢石が人目につかないバックヤードの奥に引っ込んでいったこと。この二つが木出崎の中で結びつき、犯行トリックを思いつかせたという。

 出血で着ぐるみが汚れてしまうのを防ぐために扼殺やくさつを選んだのも、最初は手袋を使うつもりだったが矢石のコートの襟を利用することを思いついたのも、全て理真の推理どおりのことだという。だが実際は、上坂が予定よりも早く休憩に入ってしまったため、イベント開催時間中に死体が発見されてしまい、結局、イベントのお客に迷惑をかけてしまったことは申し訳なかった、と木出崎は詫びていた。

 矢石の携帯電話には、フライドチキンのレシピが書かれた文書ファイルと、林山がその日に作った実際のフライドチキンの写真データが入っていた。会社の人間のため、それらは入っていて当然のデータと思われていたのだが、恐らくそれは、矢石が営業マンに送るために用意していたものだったのだ。

 ちなみに矢石の「顧客」となっていた営業マンは、今回のことが会社に露見して懲戒解雇になったうえ、暴力団との接触があったことから警察の取り調べを受けているという。



 それから数日後、私と理真は買い物ついでに、万代ばんだいシティバスセンター広場のベンチに座り、温かいコーヒーを飲んでいた。頭上の空は一面の白い雲。いかにもこの季節の新潟らしい空模様だった。

 冷たい空気が沈む広場を見ながら、私は事件のことを思い返していた。


 苫は、今回の事件を起こした社会的責任を取るという形で、トマホークチキン開店の無期延期を決めた。面会に来た苫自身からそのことを聞いた木出崎は、涙を流しながら詫びたという。

 苫は、上坂と林山には別の働き口を紹介した。二人はその申し出をありがたく受け入れながらも、いつか四人で一緒にトマホークチキンを開店できる日を決して諦めていないと語った。

 木出崎は元暴力団構成員という経歴に加えて前科もあるため、裁判になっても執行猶予はまず付かないだろうという。四人の夢が叶う日は決して近くはないが、私は、そして理真も、あのフライドチキンをもう一度食べられる日が来ると信じている。


 事件後に一度だけ苫と話す機会があった。彼は実は高校時代、木出崎と二人で今はなきレインボータワーに上ったことが一度だけあったという。照れくさそうに固辞する木出崎を、苫が半ば無理やりに引っ張り込んだそうだ。二人並んで新潟の町並みを見下ろしながら苫は、このレインボータワーが母親との思い出の場所だということと、当時タワーの近くに店舗を出していたフライドチキンチェーン店の建物を指さし、母親が作ってくれたフライドチキンのことを話して聞かせたという。木出崎は恐らく、そのことを鮮明に憶えていたのだ。



「さて、そろそろ帰ろうか」

「そうだね……あ」


 私と、理真も空を見上げた。


「ホワイトクリスマスになりそうだね」

「うん」

由宇ゆう」理真は視線を私に戻して、「ケーキは何がいい?」

「理真に任せるよ」

「じゃあ、定番のホールケーキと、切り株みたいになってるロールケーキ、二つ買っていこう」


 今夜は毎年恒例行事になった、安堂あんどう家でのクリスマスパーティーが催されるのだ。そうへのプレゼントの〈なんとかガンダム〉は用意してあるし、理真のお母さんには理真と私でお金を出し合い、温かいストールを買ってある。


「クイーンにも、いつもより豪華なキャットフードを買っていってあげようよ」


 私は言った。クイーンとは安堂家が飼っている三毛猫だ。


「いいね」と答えると理真は、「じゃあ、あとさ、仏壇に供える笹団子ささだんごも買おうよ。お父さんが好きだったんだよね」


 笑みを浮かべた理真の周りを舞う雪は、まるで真綿のように白く、やわらかく、そして温かくさえ思えた。

 メリークリスマス。

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愛と憎しみのフライドチキン 庵字 @jjmac

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